衆院議員を引退してから約8年。寂しかろうと気遣いをしてくれた友人の肝いりで毎月開かれてきた『異業種交流ワインを呑む会』も、早いものでもう80回を越えた。この会には有名無名を問わず個性溢れる人たちが集い、毎度盛況を極めており、面白い。最近の面子で変わり種は、政治学者のロバート・D・エルドリッジと作家の高嶋哲夫のご両人。この二人が友人同士でもあることは最近になって知った。まずはエルドリッジの近作『教育不況からの脱出』から紹介したい。エルドリッジと私の論争の歴史は長い。それを巡ってはついこのほど、〝驚くべき決着〟が付いたのだが、それはまたの機会のお楽しみにしておく。この著作は「クォーター制こそ日本を変える」という大胆かつユニークな提案に満ちたものである。残念ながらタイトルがピンとこない嫌いもあってか、現在のところあまり出版市場で話題になっていない。私なら『魅力ない日本の大学』とかにするところだ。「コロナ禍で日本中がリセットする必要に直面している。旧態依然とした大学教育のあり方を真っ先に変えよ」「9月入学よりも日本に見合った日本型クォーター制の導入を」との主張は魅力に溢れていると思うのだが‥▲このエルドリッジが高嶋哲夫の『紅い砂』の解説を書いていることは既に紹介したが、私は又このほど『日本核武装』なる高嶋の旧著を読んだ。6年前に『日刊ゲンダイ』に連載されたものとのことだが、全く知らずにきた。様々なタブーに挑戦し続ける著者ならではの視点で、興味深い展開になっており一気に読める。ご本人にとっても自信作のようで、先日いただいたメールには「政治関係の人、必読の書だと思いませんか。ぜひオススメくださいね」「僕は核武装反対です」とあった。実はこれ私が「貴兄の想像力(創造力含む)には、脱帽ならぬ脱毛する(笑)」と読後感をメールに書いたことへの返信である。「核抑止」論が華やかなりし頃に、大学で国際政治学の魅力に取り憑かれた私は、卒業後は政治記者として現場を取材しながら、理想と現実の狭間に翻弄され続けてきた。やがて国会のプレイヤーとなり、20年後に市井の一市民に戻った。つい先日「核禁止条約が発効へ 批准国・地域 50に到達」とのニュースを見て、感慨は一段と深い▲そんな私が最近興味深くウオッチしている論客が馬渕睦夫である。彼は外務省出身。駐キューバ、ウクライナ大使などを歴任したのち、防衛大学校教授を経て、現在は評論家。実は私が20数年前から務める、一般財団法人「日本熊森協会」の顧問団(総勢25人)の一員にも新しく名を連ねられた。この人と加瀬英明による対談本『グローバリズムを越えて 自立する日本』を友人に勧められて読んだ。この対談は、第一章の「国際連合は存在しない」との衝撃的なタイトルに始まり、「腐敗した組織・国連」についての両者の鋭い論及で終わっている。読み終えて知的刺激が強すぎてピリピリゾクゾクする。「国連を何とかせねば」ー私は世界変革の手がかりはそれしかないといったスタンスで、大学卒業後からの若き日を生きてきた。馬渕、加瀬(因みに私は大学時代加瀬氏の父上加瀬俊一さんの謦咳に接した)両氏の言い分は、それはそれでよく分かる。ただ、そんなこと言ってないで、どう現実を変えるかに奔走するべきじゃあないのかー〝行動者〟としての思いが募る▲戦後75年が自分の人生そのものと重なる私にとって、加瀬、馬渕ご両人の対談はまさに挑発的内容である。「戦後の日本人の精神的劣化を指摘せざるを得なかった」うえ、これこそ、「今日本を襲っている国難を招いた根本原因と言わざるを得ません」との馬渕の総括を読むにつけ、只事ならぬ想いに駆られる。「国際」や「平和」という言葉の持つ空虚さを指摘した上で、「目に見えない(思想言論の)弾圧」を克服する道は、「国民一人一人が伝統精神を取り戻すこと」だと、結論付けている。この「伝統精神」の強調に文句はない。ここが曖昧なままの決着は、戦後の「保守対革新」の〝不毛の対決〟に逆戻りしてしまう。そうならぬよう、もう一段階超えたかたちでの議論を深め、現実変革を強めて行きたいと思う。敢えて付言すれば、それは「中道主義・人間主義」を入れ込んだ上での世界変革への新たなる行動であるといえようか。(文中敬称略=2020-10-30)
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(363)今度こそ政権入りを狙うー柳原滋雄『ガラパゴス政党 日本共産党の100年』を読む
「日本共産党」と聞くと、今や懐かしさが漂ってくる。かつては嫌悪感ばかり強かったのだが。1960年代半ばを大学で過ごした者にとって、共産主義の浸透はリアルだった。外に、ソ連によるドミノ倒しの脅威が人々を〝反ヴェトナム戦争〟市民運動に駆り立て、内には民青から、中核、革マル派など新左翼に至る学生運動の跋扈が迫ってきていた。「体制変革」よりも「人間変革」こそ、迂遠に見えて根源的な社会変革に繋がると確信した私たちは、創価学会の池田先生による「人間革命」運動に挺身した。東京中野区で過ごした私の学生時代は、選挙のたびに日共との間でのポスター、チラシをめぐるいざこざに翻弄されたものだ。区内各所で日共の輩から公明党を守る動きに多くの時間を費やしたことも〝いまは昔の物語り〟だ▲この間に50-60年の歳月が流れた。ソ連は崩壊し、共産主義を真面な意味で標榜する国家は殆ど消えてなくなった。大学における学生運動ももはや表面的には姿を消し、共産主義をめぐる風景はまさに隔世の感がする。しかし、日本の政治にあって「日本共産党」は、しぶとく生き残っている。いや、それどころか性懲りもなく野党連合政権の中核としての役割に執心しているのだ。それを可能にしている背景には、野党と呼べる政党存在の希薄さの中で、唯一昔ながらの〝歴史と伝統〟を誇る存在が日共しかないことにあろう。そこへ過去30年というもの日本の政治を振り回し続け、今やほぼ〝たった一人の反乱〟の主役となった感が強い小沢一郎氏が、あたかも〝用心棒〟役を果たそうとしているのだ▲この構図は要注意であり、決して侮ってはいけないと思っていた矢先に興味深い本が出版された。『ガラパゴス政党 日本共産党の100年』である。著者は、柳原滋雄氏。元『社会新報』記者も務めたジャーナリストだ。1965年生まれというから〝日共の全盛期〟を直接的にはご存じない世代の書き手である。だが、それ故にといっていいかもしれぬ新鮮なタッチで、過去から今に至る日共の実像を次々と浮き彫りにしている。「詐欺商法」のレベルにあるとんでもない政党であることを鮮やかに暴きだす。日共という存在の実態を知らずに、表向き見えるかりそめのブランディングの役割に期待していると、かつて庇を貸して母屋を取られた京都の某党のようになる、と警告を鳴らしている。今に生きる多くの人に読んで欲しい▲末尾に、日本共産党の「綱領の変遷」が付け加えてあり、大いに参考になるのだが、この本を読み終えて一つ気になることがある。それは、主要参考文献が100冊を超えて5頁にわたって紹介されているが、その中に公明党機関紙局の『憲法三原理をめぐる 日本共産党批判』(1974年)が見当たらないのだ。公明党は日共との「憲法論争」で完膚なきまで同党を打ち砕いた。贔屓目なしにこれが日本政治史に燦然と輝く偉業であることは論をまたない。かなり大部なので、一般読者には馴染みがないのは無理ないと思われるのだが、柳原氏にはここで挙げて欲しかった。公明党関係者として残念という他ない。エピローグで知ったのだが、この本は雑誌『第三文明』に連載されたものだという。『第三文明』といえば、かつて公明党の市川雄一書記長が『共産党は変わったか』(2004年10月号)とのタイトルで書いた連載(五回続きの最後)を読んだことがある。市川さんは、日共との憲法論争を指揮し、自ら筆を取ったことでも知られる。『第三文明』社には、この論文をベースに市川さんに加筆再構成して貰い出版されていたら、大いに読ませるものになったのに、と惜しまれる。(2020-10-23)
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(362)知の巨人・後鳥羽院の悲劇を追うー坂井孝一『承久の乱』を読む
なぜ今『承久の乱』が読まれるのか。一般的には、公家から武士の世へと、中世社会のあり方を根底的に変えた大乱を、中央公論新社が4冊の「日本の大乱」シリーズの1冊として出したから、読んでみようかということだろう。このシリーズは、最初に出た(と思う)呉座勇一『応仁の乱』が大層評判を呼んだ(私も3年前にこのブログで取り上げた)こともあり、今や4冊合計60万部突破と宣伝されているほど、売れているようだ。出版社の巧みな戦略に乗ってしまったと言えなくもないが、呉座さんは今や歴史学界の売れっ子として人気である。偶々、この夏に刊行された井沢元彦『逆説の日本史』第25巻で、呉座勇一さんと井沢元彦さんの論争を知った。事の発端は、歴史学者の呉座さんが、推理作家の書いたものは評論に値せず、推理作家に戻るべしと井沢さんに「喧嘩を売った」ことにあるようだ。若い気鋭の歴史学者と、著名な推理作家の〝大げんか〟はギャラリーとしては実に面白い▲この本の著者・坂井孝一さん(創価大教授)についても、呉座さん同様やはり私はこれまで全く知らなかった。これまた全くの偶然に、NHKBSテレビの人気番組『英雄たちの選択』に登場されていたのを見た。学者にしてはかなりのイケメンであることにも興味を唆られた。個人的にこの本を今読もうと思った理由はこれ以外にも二つほどある。一つは、この大乱の主人公・後鳥羽院に関して、友人の電器屋さんにして作家の諸井学さんの『神南備山のほととぎすーわたしの「新古今和歌集」ー』で読んだばかりだからだ。既にこの読書録でも取り上げたが、丸谷才一さんの『後鳥羽院』に鋭く切り込んだ同書は、直木賞受賞に値するとさえ私は入れ込んでいる。二つ目は、歴史通で私が尊敬してやまぬ創価学会の大先輩幹部のFさんが、坂井さんのこの本を読了され、満足感を持たれたやに聞いたからである。自分も読んで感想を語り合いたい、と▲正直に白状すると、『応仁の乱』と同様に、当初なかなか嵌らなかった。歴史学者特有の硬い書き振りに、序章『中世の幕開き』ですぐに躓いてしまった。味気ない文章の羅列に、面白くないとの思いを勝手に募らせ、自分の知識のなさが原因であることは棚に上げて、すぐに放り投げてしまった(第1章まで行けば面白かったはずなのに)。尤も数ヶ月後に思い直し、忘れていた一計をこうじた。こういう時は後ろから読んでみよう、と。終章「帝王たちと承久の乱」から、頁を繰ることにしたのである。「後鳥羽の配流地隠岐島」というみだしで始まるこの章の冒頭。後鳥羽院が京から遥か隔たった出雲国の見尾崎で風待ちしていたのが、「承久3年(1221年)7月18日」と書かれていた。翌1222年は日蓮大聖人ご生誕の年である。ここから一気に土地勘ならぬ、錆びていた歴史勘が動き出した。ということで、第6章「乱後の世界」、第5章「大乱決着」、第4章「承久の乱勃発」と、一気に逆さ読みをしたのが功を奏し、無事読了となったしだい▲坂井さんの本で私が魅力を感じたのは例えの巧みなところ。承久の乱の鎌倉方と京方の勝因、敗因の分析を巡っての展開は特に面白い。「チーム鎌倉」が結束力・総合力を十二分に発揮したのに対して、「後鳥羽ワンマンチーム」はトップの独断先行が災いしたとの見立てがベース。その上に、実戦経験の有無、合戦へのリアリティの有無が左右したと分析。当初は、「後鳥羽が二段構え、三段構えの戦略のもと」に、「杜撰でも楽観的でもなかったはず」だった。ところが「先手を打ったにもかかわらず、逆に劣勢に立たされ」てしまい、「逆転できる可能性のある選択をすべて自ら放棄した」と結論付ける。また、後鳥羽院と貴族の君臣関係は、「現代にたとえれば、伝統ある大企業の四代目ワンマン会長(白河から数えて後鳥羽は四人目の治天の君、天皇を現役の社長とすれば、四代目の会長といえよう)と、管理職の社員の関係ということにでもなろう」と、社員の苦しさを具体的事例を挙げつつ解き明かし、「社員からすればたまったものではない」し、「貴族たちの苦労がしのばれる」と、実に分かりやすい例えが次々と登場する▲また後鳥羽院は、和歌、音楽、漢詩など多芸多才の極致を極めた「洒落のきいた遊び心のある帝王であった」し、蹴鞠や武芸にも秀でた人並外れた能力の持ち主であったという。「記憶力も抜群であり、今様にしろ和歌にしろ一度覚えると、二度と忘れなかった。芸術家にしてプロデューサー、おまけにスポーツマン」で、「まさに文化の巨人」であったことが克明に明かされる。そういった一大巨人が、「チーム鎌倉」軍団に完膚なきまでに敗れて、遠い遠い隠岐島に流される羽目になってしまう。そこから新しい時代が始まったという歴史の分岐点が、この本では見事に描かれており、実に読み応えがある。読み終えて、「呉座vs井沢」論争をどう思うか、坂井さんに急に聞きたくなってきた。一般読者としては面白い方に軍配を上げたくなるものの、過ぎたるは及ばざるが如しで、歴史学者をあまり虚仮にしすぎるのもいかがかとも思うのだが‥‥。(2020-10-14)
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(361)アメリカの「壁」の悲劇を希望を持って預言ー高嶋哲夫『紅い砂』を読む
「陽が昇り始めた。砂漠が赤く染まり、まるで血の海のようだ。その中に五千名以上の難民集団が息を殺して潜んでいる。」ープロローグはアメリカ・メキシコの国境風景から始まり、エピローグは「ジェット機は飛び立った。眼下には緑の世界が広がっている。」と、中米のコルドバ空港の描写で、高嶋哲夫『紅い砂』は終わる。映画化が期待される中で執筆されたというだけあって、映像が目に浮かぶ。最初に躓かなければ一気に読ませる。極めて面白い冒険政治革命小説だが、著者がこの人だと一転、預言の趣きが漂うから不思議だ▲ちょうどつい先日、中米・ホンジュラスの移民集団(キャラバン)約二千人が、北隣のグアテマラに不法入国し、メキシコを経てアメリカに向かっているとのニュースが伝わった(10月4日付サンパウロ発毎日新聞)ところだ。アメリカでは、既に3月下旬に国境を閉鎖し、入国を制限、不法移民の取り締まり、強制送還業務を強化している。この小説の時間設定は少し後。高さ9mにも及ぶ「ザ・ウオール」と呼ばれる壁(断面が縦3㌢、横10㌢の鉄杭)が15㌢間隔で数十㌔に渡って造られていることになっている。トランプ大統領就任直後から話題になったテーマを基に、すかさず小説を書いてしまった著者はさすがだ。先のニュースの先行きがにわかに気になってくる▲小説では冒頭に「ウォールの虐殺」と呼ばれる悲劇が起こってしまう。やがて、その前線での責任者・陸軍大尉が、ある〝密命〟を帯び、コルドバへ飛び、囚われの身になっている反政府側のリーダーである学者の救出に向かう。独裁政治の圧政と麻薬組織の残虐行為に苦しむ庶民大衆。その人びとが憎むべき「ウォールの虐殺者」と一緒になって、圧政者を倒す「革命」に参画するという劇的な過程が克明に描かれる。グイグイと引きつけておいて、最後のどんでん返しで一気に読者にカタルシスを感じさせ、満足させるとの手法は、これまで私が読んだ同じ著者による『首都感染』『首都崩壊』とはまた一味というより、七味くらい違う趣きがあって、惹きつけられる▲国境に壁を造ることが難民の虐殺を招くが、その悲劇の背後に圧政者の謀略があったとの筋立ては興味深い。コロナ禍は残念ながら織り込まれていないが、どこまで預言が的中するか。悲劇的側面を慮って事態が変化するか。それとも、希望的側面に期待して事態が進むか。読んだものだけが味わえる明日の世界への想像が膨らむ。実は先日、著者の高嶋哲夫さんと、同書の解説を担当しているロバート・エルドリッジさん(政治学者)らと一緒に神戸・北野坂で懇談・会食する素晴らしい機会に恵まれた。ここで披露するには憚られるエピソードもあったが、この本が大ブレイクすれば、公開することを私は勝手に約束したい。是非ともこの本が多くの人に読まれるようご協力をお願いする。なお、著者への私の注文を最後に。登場人物の一覧を付けて欲しいということと、ヒロインとヒーローの絡みが思わせぶりなだけで終わってるのは読者のからだによくないですよ、と付け加えておきたい。(2020-10-6)
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