数年前のこと。故大沼保昭元東大教授を偲ぶ会があった。ご生前に奥様や娘さんらご家族も含め親しくしていただいたことや、『忙中本あり』で、ご著作を紹介するたびに喜んでいただいたりしたこともあって、一泊二日で上京した。予想通り、会場の如水会館は一杯だった。6人の代表の方々の弔辞はいずれも本当に心打つ聞かせる内容だった。死の病の床にあって遺著『国際法』の執筆に全魂を注ぐ一方で、ご自分の葬儀における全てをプロデュースされ、弔辞者を指名し、それぞれの中身にまで注文をつけられたというから驚くほかなかった。
献花の後、隣のホールで参加者の懇親会があった。読売新聞の特別編集委員の橋本五郎氏と故人を偲ぶ会話を交わした際に、談偶々、大山礼子『政治を再建する、いくつかの方法』に及んだ。「政治制度から考える」との副題がついているものだ。その角度に大いなる興味を持ち、読み終えたばかりだったので、「あれ、いいね」って水を向けた。彼は同調せず。どちらかといえば文句ありげな雰囲気だった。その理由を問ういとまもなく会話は中断してしまった。この人、政治記者の経歴も長く現場を熟知している。そのうえに、『二回半読む』との著作を持つ、名うての書評家だけに色々注文があり、不満があるのだろうと理解した。だが、そうなると、「一回だけ読む」の私としても引き下がれず、ムラムラと天邪鬼心が鎌首をもたげ、再度読み直した。
●「無能な議員が多すぎ?」「国会審議は無意味?」
大山さんは初めてお会いした当時は国会図書館に勤務されていたが、のちに駒沢大教授になられた。かつて公明党の勉強会にお招きし、お話を伺ったことがある。国会の仕組み、政治家のありよう、選挙制度の問題点に、一家言も二家言も持っておられる様子がありありだった。案の定というべきか、その後出版されたこの本は壊れた政治の再建に向けて、真正面から斬り込んでおられ、読み応えがある。お粗末な議員立法の現状。法案修正がほぼ皆無の実態。予算を論じない予算委員会の惨状。使われていない国政調査権の不思議。いずれも本質を突いた議論の展開で、元その場にいた者として恥ずかしい。だが、もうそれを通り越して、面白さを感じざるを得ない。議員の無能さを暴いた章など、面白過ぎるほどである。そういえば、質問時間が余って、お経を誦じた議員もいたことを思い出す。
危険水域に達した政治不信の背景にある政治家不信について、事細かに実例を挙げているが、とりわけ政務活動費や職務手当の使われ方など、傾聴に値するものばかりである。議員経験者として、我が身の不明を棚上げにして、この手の議論に参画することは恥ずかしく切ない限りだが、この際お許しを願うしかない。
私の政治再建に向けての持論は、国会議員の仕事ぶりを詳らかにすることに尽きる。衆参両院の全ての議員の国会での質疑の中味、日常活動の現実などを赤裸々にする事で、一気に国会の雰囲気は変わると確信する。それを恐れている議員が多いのは間違いない。政治家の資産公開を公表するのもいいが、政治家の資質公開の方がよほど意味があるのではないか。資質を問うといっても、どこに基準を置いてくのかなど、もちろん問題なしとはしない。が、世の英知を結集することで幾らでも可能ではないか。こういった議論のきっかけをもたらす本として本書は価値がある。ただ、惜しむらくは課題への挑み方がソフトに過ぎる。この辺りが五郎さんも恐らく気になってるのかもしれない。国会審議は無意味?無能な議員が多過ぎる?などと、各章立ての語尾に全て 「 ?」 がついているのがその証拠であろう。? はつけず断定をして欲しいものだ。
【他生の縁 魅力湛えた政治評論を聞く】
昨今、ヨーロッパの政治指導者には女性がすこぶる多く見られます。皆さん、ハッとするような魅力的な雰囲気を湛えた方が多いように見えるのは、私の偏見でしょうか。それに比べて‥‥、などといった野暮なことはいいません。日本の永田町界隈にも少なからずおられるのです。国会の職員で、私が現役時代にお見かけした人の中では、ここにあげた大山さんは最たる人でした。
「国会改革」は、それこそ古くて新しい問題です。言い尽くされた感がするのですが、一向に前に進まないのは残念なことです。『77年の興亡』の最後の章に、私は高校生たちへの講演と、国会議員への提言を並べて、補章としました。嫌がらせか、などと穿った見方をする人がいないわけではありませんが、そんな了見ではなく、真面目に書いたつもりです。
その中で、やはり力を込めて書いたのは、政治家の資質向上をどうするかの問題です。質問力をアップさせるために、チェック機関を民間で立ち上げてはどうかなどと呼びかけていますが、あまり確たる反応はありません。大山さんのような有識者に呼びかけて、徹底議論をしてみたいと思っています。