Monthly Archives: 2月 2023

【75】ありきたりのことを鍛え直す─小山哲・藤原辰史『ウクライナのこと』を読む/2-24

 ウクライナでの戦火が続く。ロシアのプーチン大統領が「特別軍事作戦」の名で軍事侵攻を始めた日から今日24日で一年。心騒がぬ日はなかった。昨秋、欧州政治に明るく心優しい友人(元T新聞政治部長)がウクライナ関連本をどっさり贈ってくれた。その中から〝すぐれものの一冊〟を紹介したい。タイトルには、頭にそっと「中学生から知りたい」との添書きがつく。その意味は、「基本に立ち返る」ことだけではない。①大人の認識を鍛え直す②善悪二元論を排除して相対化する③国際政治学的分析でなく歴史学的分析に立つ──の3つが含まれる。ポーランド史と「食と農の現代史」を専門とする歴史家2人の共著。〝どうするこの事態〟との観点だけの軽いものとは違って深い趣きがある◆冒頭、「自由と平和のための京大有志の会」の「ロシアによるウクライナ侵略を非難し、ウクライナの人びとに連帯する声明」(2022-2-26)文が掲げられる。これを受けて、今回の出来事をどうとらえるか?❶ロシアの軍事行動は、純然たる国際法違反である❷ロシアとロシア人を同一視してはいけない❸プーチン病気説には最大限の警戒心を持ちたい❹歴史を学び直して、点検し、少しでも改善する努力が大事である❺旧来の戦争観では追いつかない事態である──極めて的確なとらえ方でわかりやすい◆尤も、こう認識したのはいいが、そのあとの「地域としてのウクライナの歴史」(小山)を読んで、生半可な知識が見事に吹き飛んでしまった。まったくこの地のことが分かっていない自分に愕然としたのだ。それを次の「小国を見過ごすことのない歴史の学び方」が癒してくれる。私たちの大国に偏った歴史の理解の浅さを自覚させた上で、「NATOとロシアという二項対立図式から離れ」ることの大事さが力説される。プーチンによるウクライナの民間人の殺戮を欧米と同じ角度から批判するのでなく、「(欧米とは)異なった論理で、欧米より厳しく批判する糸口を見つけ出すこと」を迫る。「地政学風の力のゲームの議論」から、〝二項対立の罠〟に陥った論調。巷の現状に如何ともし難い我が身も反省するしかない◆最後の質疑での「日本がこれから中国の軍事大国化と米国との同盟の狭間でどのように生きていくか」という問いかけに対する答えが白眉だ。「あくまで中立であることを早期に宣言するという道を私たちはあまりにも最初から諦めている。この思考停止こそ、実は危険ではないか」とのくだりである。対米追従一本槍のお家芸になす術なしの我々国民大衆も耳が痛い。いま〝落日のムード〟が強い日本で、「米国か中国か、将来、どっちにつくのか」との〝地獄の選択〟を思考上で弄ぶ向きが少なくない。それをここでは嗜めつつ、「このテーマについてずっと考えています」と結ぶ。それは私とて同じ。自主独立の道と強靭な外交力の展開──「占領状態」を形の上で脱して70年。未だに見果てぬ夢の域を脱していない現実に天を仰ぐ。(2023-2-24)

 

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【74】2-③ 国のかたちを阻む戦後の形──船橋洋一『国民安全保障国家論』

◆信頼に足る政府の存在こそ

 コロナ禍とウクライナ戦争によって、日本という国が改めて「国家の形」を持っていないことがはっきりした。阻んでいるのは「戦後の形」である──船橋洋一氏は、この認識のもとに、国家と経済と国民の3つさながらの安全保障の構想を早急に確立すべきだと、この本で強調している。「天は自ら助くるものを助く」との「自立」の大事さを強調した格言をサブタイトルに使い、明治開国の時代の「独立自尊の精神」の学び直しを、「ウクライナの指導者と国民」によって教えられたとする。2020年春のコロナ危機から2022年春のウクライナ危機までの2年間に書かれた評論集を一冊にまとめた本──幾多の知的修練を経た、時代を代表する言論人の所産を前にして、かつて中国への関心と共にその背中を追いかけてきた私は感慨深い。

 筆者は湾岸戦争(1990-91)の時に「一国平和主義」が問われ、東日本大震災による福島第1原発事故(2011)の際には、「絶対安全神話」(ゼロリスクの建前)が問われ、今、コロナ危機にあっては、「平時不作為体制」が問われているという。前二者はともかく、3つ目は補足が必要かもしれない。コロナ禍は、国民の生命と暮らしを守るために、〝信頼に足る政府〟の役割が決定的に大事である。いざという場合に、国民の自由な行動を制限し奪ってしまうのだから。

 平和憲法のもとで、「自分の国さえ平和であれば」「原発は事故を起こすはずがない」「平時は別に何もしなくてもいい」──このような〝危機管理ゼロ〟でよしとしてきた戦後の形の是非がいままさに突きつけられているのだ、と。この認識には誰しも共感するに違いない。「湾岸戦争」は遠い海外の中東でのこと、「福島第一原発」も日本だが特殊なケースと、たかを括っていた日本人も、我が身のそばの〝死に誘う接触者〟がいつ襲ってくるかもしれないとなれば事は別である。しかも、「ウクライナ」は「湾岸」の再現とも見え、「尖閣」「台湾」を連想させる

 船橋さんは「湾岸」時に「日本の(カネさえ払えばとの)身勝手さが恥ずかしかったし、右往左往する自民党政権が情けなかった」と。さらに「尖閣ショック」時には「民主党政権の不甲斐なさと外交無策ぶりに憤りを覚えた」と嘆く。そして今は、コロナ危機に直面しながら、「泥縄だったけど、結果オーライ」(第一波での民間臨調)の能天気ぶりは、「デジタル敗戦」から医療崩壊寸前に追い込まれた「ワクチン敗戦」(第四波)を生み出したからだ、と手厳しい。

 それに触れた上で、「日本に特異なのは危機対応における国家としての明確な司令塔と指令系統がしばしば『総合調整』の場でしかなく、また、平時と有事のそれぞれを律する法制度の明瞭な切り分けがなく、いわばグレーゾーンの曖昧性を残している」と指摘。「日本は自由を守り、民主に則るためにも有事の法制度を構築しなければならない」と根源的な課題を挙げる。

◆国の形さえ定まらぬ日本の漂流

 事ここに至るまで危機管理対応ができないまま戦後78年が経った。私が『77年の興亡』で主張したのは、戦前の明治憲法の下での天皇支配による軍国主義に代わって登場した、「国民主権・基本的人権・恒久平和主義」の戦後憲法の内実の脆弱さだった。それは「国の形」と呼ぶにはあまりにも理想に過ぎた。国際政治の過酷さの現実に耐え得る強靭さを兼ね備えていないという他ない。

 船橋さんは、第1部「国家安全保障:レアルポリティーク時代の幕開け」で、「最も恐ろしい日米中の罠」を、こう書く。「米中対立が軍事対立へと激化すると、日本は米国の同盟国としての義務と自らの実存的必要性のギリギリの矛盾に直面させられる」ので、これを回避するべく、「中国に日本の自国防衛の意思と能力、日米同盟の抑止力の有効性、科学技術力とイノベーションの力を常に理解させるべきである」と。米中対決の中で日本が選択肢を失う罠に陥らぬことを力説してやまない。

 グローバル化の進展と共に、経済・通商の分野では益々国家の枠組みを超える交流が望まれる。コロナ禍発生時には、国家間相互の支援の機運向上が期待された。しかし、時代の流れは不幸なことに国家の内外を問わぬ〝分断化〟が拍車をかけている。民主主義国家と専制主義国家の枠組みの危機到来などと騒いでいる中で、国の形さえ定まらぬ日本の漂流は哀れと言うほかない。戦後の形の最たるものである憲法の見直しこそが求められていると私には思えてならない。

【他生のご縁 市川、中嶋、西村氏らとの繋がり】

 朝日新聞時代の船橋洋一さんとのご縁にも市川雄一先輩の介在がありました。かつて西村陽一記者(後に常務取締役等を経て退職)が『プロメテウスの墓場』を書いた時に、4人で中国、ロシアを語り合ったのが最初で、印象深い出会いを覚えています。後輩のデビューに目を細める船橋さんでした。

 後に、中嶋嶺雄先生が秋田国際教養大学でシンポジウムをされた時のコーディネーターのひとりが船橋さんで、私も秋田まで遥々と聞きにいきました。私の処女出版での催しに世話人としてその名を連ねて頂きもしたものです。

 

 

 

 

 

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【73】「巨悪」と「被災」に挑む「仕事人」──西岡研介『噂の真相 トップ屋稼業』を読む/2-13

 『神戸新聞』から『噂の眞相』へ。新聞記者からトップ屋へと転身した筆者は、その後、週刊誌などを舞台にフリーランスの物書きとして活躍している。この本が世に出たのは2001年。あの頃、直ぐに読んだ。新聞記者時代の彼をそれなりに知っていて、大いに興味を持ったからだ。

 読み終え、不思議な爽快感を感じた。こういう男に睨まれると、スキャンダルの主は怖いだろうなあと思った。うち続く不条理な出来事。その影でうそぶく悪者。誰かこんないい加減な奴を始末してくれないものか。世間一般の秘められたる期待を背に、快刀乱麻を断つ‥‥。

 実は、2023年1月8日に久しぶりに放映された新シリーズ『必殺仕事人』(東山紀之主演)を観た。スカッとした。そして、改めてこの本を思い出し、ほぼ20年ぶりに再読した。「そうか。西岡は『仕事人』なんだ」と独りごちた。〝強きをくじき、弱きを助ける〟──彼の人生の〝変わりばな〟となった本を前にして、そう合点する。

 彼がターゲットにした最初の人物は、N高検検事長。いわゆる女性スキャンダル。いつでもどこでも起こってきたし、今もある不祥事。珍しくはない。だが、この事件は、やくざな『噂の眞相』が取り上げたものを、かたぎの『朝日新聞』が追いかけてトップ記事にしたことが違った。結果的にはスクープした西岡記者の名を高からしめるに十分だった。

 彼の手にかかった有名人は数多いが、この本で読者としての私の印象に残ったのはN弁護士、I元知事、M元首相の3人。本には勿論それぞれ実名で激しく攻撃されているが、故人であったり、噂の域を出ぬものもあったりするのではと、あえて実名は書かない。彼は新聞記者から『噂眞』に転職した理由を、「マスコミ報道が孕む『構造的欠陥』に悩んだ私は、批判の対象を権力者、しかも大物に絞るというこの雑誌の編集方針に共鳴したからこそ」と書き、そこに「逃げ込んだ」と心情を吐露している。彼のいう「構造的欠陥」とは「『ペンを持ったお巡りさん』よろしく、捜査当局と一緒になって、罪を犯した『元一般人』を追い回し、その過程で罪なき人まで傷つけ、時には『冤罪』まで作り上げる‥‥」ことを指す。耳の痛い事件記者は多かろう。

    この本は、いわゆる大物の「噂」を追って一撃を加えるトップ屋の実像を描いただけではない。阪神淡路大震災に直面した地元記者としての、辛くいたたまれない経験もしっかり書き込まれている。加えて「災害や事故、そして犯罪による被害者に対して傍若無人な振る舞いをして恥じないマスコミは必ず社名を挙げ、徹底的に批判した」とまで述べて、自分の属した世界に厳しい刃も向け続けた。しかし、彼は、それと同時に、自身が転職をした背景に「自分は震災から逃げた」ことも忘れていない。

   この時から約10年後の2012年4月に出版された『ふたつの震災 [1・17]の神戸から[3・11]の東北へ』は、同僚記者だった松本創との共著だが、その思いへの決着の書でもある。「一瞬にして5000人以上の命が失われ(最終的な死者は6434人)、住民や警察、消防による懸命の救出活動が続いていた現場で、西岡はあまりに無力だった。救出を手伝うでもなく、悲しみにくれる遺族にカメラを向けることはもちろん、声を掛けることもできず、ただただた佇んでるだけだった」──ここから始まる「神戸から東北へ」の被災地でのトップ屋の筆致はいかに、と新たな西岡を追う読者の心は妙に高まるのだ。

 「阪神・淡路大震災で私たちの前に立ち塞がった最大の敵は、自らの記憶も含めた『風化』だった。当時、ともに20代のチンピラ記者だった私たちはそれに、いともたやすく打ちのめされた。(中略) 今後も東北の被災地を歩き、愚直に、言葉を紡いでいく──。阪神淡路大震災で味わった無力感や後悔を今も抱え続けるもの書きの、ささやかな抵抗である」。こう、西岡記者はあとがきを結んでいる。スキャンダルへの厳しいタッチと大震災地への優しい眼差しと。ジャーナリズムが追う二つのジャンルは、「人災と天災」という2つの災害に立ち向かう人の心根をも分ける。

 新聞記者として人生のなりわいをスタートして、政治家を経て今は、元記者として老境を迎えた私も、西岡記者の激しさと優しさを前にして共感することは少なくない。『仕事人』の原点は、社会悪、巨悪への怒りである。その点を忘れぬようにと、自らを戒める。と共に、縁あった記者であり、トップ屋の行く末も見届けたいものである。

※他生のご縁  取材する側からされる側へ

筆者と初めて会ったのは、私が衆院選に出馬した時。今からほぼ30年前。彼は候補者を担当する駆け出しの記者。その後の〝変身〟が信じられないほど「純な印象」でした。と、思う私自身も似たり寄ったりでしたが‥‥。

ここで取り上げたように、彼は堂々たるもの書きに〝進化〟していきました。彼の活躍を見るたびに私も原点を銘記するのです。

 

 

 

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【72】6-⑥ 医師と患者の軋轢の原因探る━━小松秀樹『医療崩壊』

◆勤務医たちの現場の苦労に警鐘

 コロナ禍もほぼ収束して、いっとき盛んに危惧された「医療崩壊」も落ち着いてきたかに見える。この言葉をメディア上で最初に私が聞いたのは、小松秀樹さんのこの本による。既に出版後17年ほどが経つ。だが、ここ数年使われている「崩壊」とはいささか異なった意味合いだった。コロナの蔓延によって、医師や看護師からベッド数に至るまでが足らずに、通常の医療行為が出来なくなるということではない。この場合は、医師たちが診療に対する患者の不満やら、警察官僚の介入などに至るまでの攻撃から逃避する現象をさす。

 著者はそれを「立ち去り型サボタージュ」と命名している。勤務医が病院から、より小さな病院や町医者へと転身するかたちをとるようになることを意味する。この現象は、その後も止まることなく、じわり着実に浸透している。そこにコロナ禍が襲いかかった。より一層事態は深刻になっていることは間違いなさそうだ。医療が抱える深刻な課題を考えざるをえない。

 この本を小松さんが書いた当時は東京の虎ノ門病院の泌尿器科部長だった。実は、これより先に、『慈恵医大  青戸病院事件』を出版し、患者と医師の対立がこれ以上増幅すると、日本の医療は崩壊すると危惧して警鐘を乱打した。その事件は、前立腺全摘手術を施行された患者が低酸素脳症で死亡したことから、同病院の医師3名が逮捕された(2003年9月)ことに起因する。小松さんは当時、「国民に極悪非道の医師像が刻印された」としている。その3年後にこの本を書き、翌年『医療の限界』を出している。

◆死生観含む医療についての考え方の齟齬

 1作目は、発端としての「事件」を描き、2作目では、広範囲な問題の「所在」を明かし、3作目で、医療への幻想を断つべく持論の「普及」を図った。こうした一連の「医療危機」を訴える三部作は、大きな話題を呼んだものだ。いわゆる「医療ミス」は、日常茶飯の出来事のように見えるが、その判別は難しい。医師の側を非難するメディアの力に対抗する存在は珍しい。まして、開業医ではなく、勤務医の立場からの擁護論は新鮮だった。小松さんは、前者のバックにある「医師会」に対抗して、弱い立場の勤務医のための「第二医師会」の創設まで提唱した。

 この人は「医療崩壊の原因は患者との軋轢」にあり、そこから「使命感を抱く医師や看護師が現場を離れつつある」との認識を示す。そこから起きる「医療の崩壊を防ぐために」、「医療事故・紛争に関して現状を改革し、医療への過剰な攻撃を抑制する必要がある」という。少し前にテレビで『ドクターX』なる番組が人気を博し、「私失敗しないんです」とのセリフが流行語のように使われていた。どんな病状でもいかなる事態にも100%の成功はあり得ないが、それをやってのけるスーパー女医への憧れは、正反対の現実を裏返した庶民願望の表出だった。

 現実は至るところで、「軋轢」が噴出している。どんな名医でも新人の頃は手元は覚束ない。いかなる患者もやがて必ず死ぬ。にも関わらず、病院に、巷に外科手術は100%の期待感に満ち溢れている。このギャップから始まって、善意の医師と患者が相互に憎悪の対象になり、いつ何時混乱の坩堝と化すかもしれない。

 小松さんは、個別具体的な対応策の前に、最も大事なことは、「死生観を含めて医療についての考え方の齟齬が大きいことが最大の原因である」として、「まず最初に、日本人の行動様式を含めて、基本的な認識と考え方について、国民に注視される中で象徴的議論を行い、総論としての齟齬の解消を図らねばならない」としている。言いたいことはそれなりにわかるものの、なんとなく回りくどく釈然としない。

 要するに、「死生観を含めた医療の考え方」とは、死への覚悟と延命措置のバランスに尽きよう。医療は万能ではない、基本は持って生まれた個人の生命力と寿命に由来するとの思想、哲学にあると思う。昨今、日本人の長寿化に伴い人は限りなく生きるもので、よほどでないと死なないといった勝手な考え方が蔓延している。それゆえ、「日本人の行動様式を含めた基本的認識」は、従来の医療従事者への尊敬と信頼が薄れて、クレイマーの対象へと貶められている。ともあれ、小松さんは極めて重要な問題を提起された。しかし、「国民注視の象徴的議論を」という提案が宙に浮いたままなのは、まことに残念なことである。

【他生のご縁 虎ノ門病院で「腎臓結石」の手術を受ける】

 実は私は小松さんの三部作が出始めた頃、たまたま偶然に、虎ノ門病院の泌尿器科のお世話になりました。小松部長の指導担当のもと、若い医師によって私は「腎臓結石」の手術を受けたのです。いらい、親しくなりました。

 その結果、党の理論誌『公明』誌上で、医療にまつわる対談を行うことになりました。その後、私は厚生労働省で「高齢者医療改革」を担当するような巡り合わせに。およそ医療についてはド素人だったので、小松先生の理論が大いに刺激になりました。あれから約20年。色々と毀誉褒貶がおありになったこともあり、残念なことに疎遠な関係が続いています。

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