今年もSGIの日(1-26)がやってきた。45回目である。その日に合わせて池田先生による記念提言が発表された。二日間8頁にわたる膨大な分量である。その中身を聖教新聞で読み、そのポイントと自身の受け止め方を記してみたい。まず、この手のものは難しく、苦手だから敬遠してしまうという向きには、第一日目の冒頭の第一段落ーいわゆる前文にあたるところーを熟読した上で、文中に掲げられた見出しを書き出すことをお勧めしたい。加えて両日に掲載された論文の末尾の9、10行分を先生が示された結論として胸に刻むことも。勿論、そういう安易なやり方ではならぬことはいうまでもないが、全く読まないよりはいいということも付言しておきたい▼今年の提言はただならぬ響きを持つ。地球上、とりわけ日本で気候変動に伴う異常気象による被害が続発しており、いよいよ放置することは許されない事態に我々が直面しているからだ。あと10年で地球が存続するか、滅亡するかの分岐点(国連のSDGs=持続可能な達成目標としての2030年)を迎えるとの認識は、もはやよほど能天気な人以外は皆共有するに至っている。その上で、提言は危機感の共有だけではなく、建設的な行動を共に起こす重要性を訴えている。具体的には〝気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年〟の意義を込めた活動を各地で幅広く起こそうとの呼びかけがなされているが、ここにこの論文の最大の眼目があろう。青年の10年でなく、青年行動の10年とあることに深い感慨を抱く。対象は青年の気概を持つ全ての人々であると受け止めざるをえない表現だから▼続いて、具体的提案を世に問うている。一つは、核兵器禁止条約の第一回締約国会議の開催を受ける形での「核なき世界を選択する民衆フォーラム」の開催。二つは、核拡散防止条約(NPT)の再検討会議で、その最終文書に「多国間の核軍縮交渉の開始」と「AI(人工知能)などの新技術と核兵器の問題を巡る協議」に関する合意を盛り込むこと。三つは、国連の「防災グローバル・プラットホーム会合」を今年日本で行い、異常気象に伴う課題を集中的に討議すること。四つは、紛争や災害の影響で教育を受ける機会を失った子どもたちへの支援を強化するために「教育のための国際連帯税」の創設をすること、主たるものは以上四つだ。こうした提案の背景に、池田先生の国連に対する深い思いがあるのだが、改めて、「国連の使命は『弱者の側に立つ』中に」、との1行の持つ含意に強い共感を抱く▼今回の提言で、法華経の「娑婆即寂光」の法理に触れているところには強く胸打たれた。つまり、娑婆世界は〝堪え忍ぶしかない場所〟ではなく、〝人々が願ってやまない世界(寂光土)を実現する場所〟だというのが釈迦の本意だったことや、日蓮大聖人が法華経のメッセージの核心として「自分たちが今いる場所をそのまま『寂光土』として輝かせていく行動を広げること」を挙げていることを紹介している。集約すると、利己主義や悲観主義でもない第三の道があると池田先生は強調し、「一人一人が自らの生命を宝塔のように輝かせ、社会を希望で照らす行動を広げる中で、自分たちが望む世界を自らの手で建設することの重要性」を訴えている。この提言を読み終えた今、法華経が説く、自分の足元から希望を灯すことこそ国土変革のドラマであり、思想だとの共通認識を世界中の人々が持てるように頑張らねば、との思いを強く抱くに至った。私が今起こそうとしている〝見て見ぬ振りをしない運動〟も根っこで繋がっていると確信している。(2020-1-28)
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(335)いま創価学会SGIが熱いー佐藤優『世界宗教の条件とは何か』を読む
世界宗教となった創価学会SGI。これからさらに世界に向けて布教のコマを進める上でのアドバイスを、佐藤優さんが創価大学の学生を前に熱く語った講義。それが『世界宗教の条件とは何か』である。❶宗門との訣別❷世界伝道❸与党化ーこの三つがその条件だとする。ひと昔前ではおよそ考えられない筋立ての論理展開に驚愕を覚えつつ、感動のうちに納得して、読む創価学会員をして立ち上がらせる力を持った本である▼現在、朝日新聞発刊の週刊紙『アエラ』で、『池田大作研究 世界宗教を追う』が連載中だが、これは、池田先生の『私の履歴書』(池田大作全集所収=日経新聞初出)を読み解く体裁を取っている。この二つを併せ読むことで一段と現在における世界宗教の姿が浮き彫りにされる。単に創価学会員を勇気付けるだけではなく、一般の人々にもキリスト教やイスラム教などの歴史と現在、その問題点などをわからせてくれる▼佐藤優さんはキリスト教とのアナロジー(類推)で創価学会を考える手法を駆使する。また、様々な宗教の「内在的論理」を知ることの効用を語る。さらには日本の歴史を学ぶことが世界広布に役立つことを説く。一方で、数多くの書物や映画を挙げて具体的な思考の手ほどきも施してくれる。映画『八甲田山」を題材にした「リーダーと民衆」論にはただただ感じ入り、唸らせられた▼彼をして「知の巨人」 との命名は改めてむべなるかな、と感心する。キリスト者をかつて二重人格とのレッテルを貼って一刀両断にしてきた我が身が恥ずかしい。邪宗教との位置付けで他宗教を打捨ててきた我が姿にも。日暮れて道遠しならぬ、道に迷った感が強い者には、読みようによっては罪深い中身だ。なお、潮出版社がホームページでこの本を元に、首都圏の大学生を対象に語り合った「佐藤優の白熱教室」を連載している。その第2回に私のことが触れられている。恥ずかしながら付言しておきたい。(2020-1-21)
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(334)面白いようでイマイチ落ちないーS・モームの『コスモポリタンズ』(龍口直太郎訳)を読む
アメリカの大統領がツイッターと称する短文を世界に発信する時代。SNSの世界では、短かきを持って尊しとなす傾向が蔓延っているかに思われる。そんな世相に反抗して、わたしのブログは長い。長いものを書いてないと、落ち着かないというか、自分の思考までが奥行きがなくなるように思ってしまうからだ。だが、今年初の「忙中本あり」は、少し短いものに挑戦しよう。読むものはともかく、こちらが書くものは、とスタートした▼わたしの若い時代にはショートショートと称する短編小説が流行った。国内的には星新一のもの。海外ものではサマセット・モームらが主軸であった。昨年晩秋に読んだある本の中に、モームの『コスモポリタンズ』を推奨されるくだりを発見して、読もうとの気になった。毎夜寝る前に一話ずつ読み進めると、ほぼ一ヶ月で読了(29本)する。睡眠促進剤代わりにと思ったが、中々そうはいかない。要するに最後の落ちがイマイチ落ちず、落ち着かなくなって、逆に考えこんでしまうケースが多いのだ▼最初に小池滋さんの解説から読んだのだが、「社交意識」が一番好きな作品だとあったので、そこをまず開いた。しかし、わたし的には面白くない。「ちゃんと前の方に伏線を仕込んでおいて、最初の2行が見事な落ちになっている」というのだが、しっくりこない。人生とはこんなもの、といった「陳腐な感想」がずしりとした重みで読者に迫ってくる、と仰るのだが、わたしとしては、「物識先生」の方が面白かった。あっと驚く終わり方が。こう来なくちゃと思わせる巧みな捻り方に舌を巻く思いだった▼要するに、人それぞれなのだろうが、全般的にわたし好みの落ちを駆使した短編は少なかった。「読み終わって何時間たっても、いつまでも頭の中にあと味が残るような作品」はそう多くない。そんな中で、興味を唆られたのは「困ったときの友」である。モームは世界を舞台に動く、文字通りのコスモポリタン。そこに我が神戸がしばしば登場する。この掌編では、なんと、わたしの育った塩屋、垂水が顔を出すのだから嬉しい。「それじゃ塩谷クラブをご存じありませんね。わたしは若い時分、そこから出発して信号浮標(ビーコン)をまわり、垂水川の口にあがったもんですよ」と。ここで云う塩谷クラブは、ジェームズ山の外国人クラブを指すものと思われる。塩谷は恐らく訳者の間違いではないか。また、垂水川ではなく、福田川ではないか、と云った思いが浮かんできてしまう。おまけにいくつかの誤植も(65、68頁)、目につき、作品の落ちならぬ、落ち度が気になってしまのはどう云うものか。英国切っての作家と手練れの日本人訳者の粗探しをするようでは、今年のわたしの先行きが危ぶまれる。(2020-1-11)
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