Monthly Archives: 4月 2021

(386)アンチ巨神ファンも痺れるー橘木俊詔『阪神VS巨人「大阪」VS「東京」の代理戦争』を読む/4-29

兵庫県の姫路市で戦争直後に生まれ、少年時代を神戸市で過ごし、青年期を東京で生活した私は、プロ野球はどこのファンだったか?「そんなん知らんがな。勝手にせぇ」と言われるでしょうが、しばしお付き合いを。答えは「南海ホークス」。「今そんなんあらへんがなあ。今あるとこはどこが好きや。福岡ソフトバンクホークスか?」「ちゃいます。どこも好きやないけど、強いて言えばアンチ巨神ファンやね」ーという人間が「虎きち」の経済学者が書いた『阪神VS巨人』を読んだ。以下、へそ曲がり的野球論の一席▲著者の橘木俊詔さんは、かつて虎きちで鳴らした国際政治学者の高坂正堯さんと同じ京大のセンセイ。国会に来てもらい『経済格差』論を一度だけ聴いたことがあるが、その時は野球の「や」の字もなかった。当然のことながら、この本では阪神と巨人について蘊蓄の限りを傾けながら、ご専門の「労働経済学」から「経営と労働としての評価」にも一章を割いていて興味深く読ませる。それ以外は、伝統の一戦となった由来、ライバル関係の軌跡から始まり、代理戦争論やら地方球団論、未来予測まで、一気に痺れるほど説きまくっている▲ただし、私のような爺さん世代には大概は想定内の記述で新しい気づきはない。尤も若い世代には新発見の連続で、面白く読めるに違いない。野球と相撲くらいしか馴染める運動がなかった頃と違って、今やサッカーからバスケットボール、ラグビーまで数多くのスポーツに世の中は溢れている。Jリーグが登場し、日本中をサッカーが席巻した頃、人気の首座が交代したかに思われたが、この本を読むと未だ未だ野球は根強い。男性では、30歳まではサッカーと拮抗しているが、それ以上の世代では圧倒的に野球が上位を占めていることが分かる(NHK世論調査)。女性には人気がないがこれは今に始まったことではない▲さて私は何故南海ホークスファンだったか。一言で言えば、人気があるリーグ、チームが嫌いだったことに尽きる。セリーグ、巨人をやっつける快感を味合わせてくれるパリーグの覇者・南海こそ、その願いを叶えてくれるチームだった。阪神は甲子園球場が西宮市という兵庫県に位置しながら、大阪を代表するかのごとく、世間が言いふらすのも気に入らない。〝六甲おろし〟は主に神戸に向かって吹くではないか。大阪の人間が難波のど真ん中にある南海を応援せずしてどないするんや、というのが子どもの頃の気分だったのである▲そんな南海が昭和とともに、大阪から消えて無くなったのは無性に悔しかった。あろうことか、かつてのパリーグ内ライバル西鉄ライオンズも身売りしてしまって福岡から消えた。ただし、その地にダイエーからソフトバンクへと親会社は変わったものの、ホークスという名だけは続く。このチームは今や球界の盟主的存在だ。かつての南海と西鉄の魂が乗り移ったに違いない。人気に甘えた阪神と巨人が大阪と東京の代理戦争をするのは勝手だが、実力が伴わないのをどうする。と、冷ややかに見て、気まぐれに声援を送ったり、無視したりしているのが、へそ曲がりな〝アンチ巨神ファン〟なのである。(2021-4-29)

 

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(385)昔の坊さんが書いた今の若者への生き方、働き方指南の書ー兼好『徒然草』を読む/4-23

昨年の今頃、コロナ巣ごもり中で放送大学の講座に夢中になっていた。国際政治学の高橋和夫さん、フランス文学の宮下志朗さんと並んで、私がとても感動したのが島内裕子さんの『方丈記と徒然草』講義であった。今の時代から超然と離れた平安風の佇まいと独特の静かな口調が特徴的だった。しばらくは、この人の世界に嵌ってしまったものだ。それから約一年。先日、NHK の教養番組『知恵泉』の「兼好法師 一人を愉しむ」に登場されているのに出くわした。チャーミングな実業家・ROLANDとアフロヘアが似合うエッセイスト・稲垣えみ子と一緒に、『徒然草』の〝読み解き〟をされていた。三者三様。まずは皆さんのお顔(髪の毛、目元・口元、耳元)に目を奪われてしまった。それぞれ誰のどの部分かはご想像にお任せする▲兼好のこの作品については「徒然なるままに」から始まる一文だけで、「以下省略、以上終わり」になる人は少なくない。かくいう私も「243段」ものパーツからなるとは知らなかった。『方丈記』に比べて長いことも遠ざけられる運命と繋がる。ただ、第一段の「いでや、この世に生まれては、願わしかるべき事こそ多かめれ」と、人間の誕生から始まって、最終段の「仏は如何なる物にか候ふらん」との問いかけで終わる、この本の構造は、誰しもが興味を持つ人間存在に深く関わる。「昔むかしに坊さんが暇に任せて書いた随筆」だなどとして放置するのはあまりに惜しい▲「ちくま学芸文庫」に収められた訳本は、兼好の本文と彼女の「校訂・訳」と評から成り立っており、今に生きる人間にとってもアプローチしやすいように噛み砕いて(大胆な意訳が魅力)くれている。島内さんは38段から41段のくだりが、それ以前の兼好の生き方が根底から変わったターニングポイントだと、最重要箇所に挙げていて(放送大学講座でも「知恵泉」でも)興味深い。それは一言で言えば、座学の人から人間の只中で生きることの大事さに気づいた転機ということになる。そう結論だけ聞くと、「ああそういうことか」となり、それでおしまいになりそうだが▲『徒然草』は生き方指南書というのがこれまでの定評だが、「知恵泉」では「この本はビジネス書」との読み方を提起していた二人のゲスト(沢渡あまね、吉田裕子)の指摘が面白かった。複数の企業で働くパラレルキャリアと、外に出ることで人と繋がることの大事さを読み取れるというのだ。これを聞いて、全く私の生き方と似てると共鳴した。定年後、複数の団体、企業の顧問として関わり、様々の領域、職域の人々と繋がって生きているからだ。こう聞くと、また「あっ、そう。はい終わり」となりかねない。さてさて、至るところに中断、挫折が待ち受ける本ではあるが、それは私が老人だからであって、若者にはそんなものは通用しないはず。そう、この本は青年必読の書なのである。(文中敬称略 2021-4-23)

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(384)「EU離脱」の奥に横たわる背景ー秋元千明『復活!日英同盟ーインド太平洋時代の幕開け』を読む / 4-16

 

 英国をどう見るか──かつては、世界に冠たる海洋国家として七つの海に君臨した勇壮なる国家だったが、米国にその首座を明け渡してからは「英国病」の名の下に落ちぶれる一方。最近に至っては、すったもんだの内輪揉めの挙句に「EU離脱」から、あわや身内からスコットランドが独立するのか、との動きに苛まれる始末。ミニ・トランプばりのジョンソン首相も「コロナ禍」に悪戦苦闘中。こんなイメージが一般だと思われるが、それをぶっ飛ばす凄い本が『復活!日英同盟』である。著者は旧知の元NHK解説委員の秋元千明氏。現在は英国王立安全保障研究所(RUSI)日本代表である。

 秋元氏は、英国が外交戦略の見直しに立った上で「EU離脱」を選択し、グローバル・ブリテンの構想のもとに、今や日本と共に「インド太平洋時代」を担う存在であることをこの本の中で、克明に明かしている。つまり、一般的に伝えられているような、英国は「EU離脱」によってやむなく戦略変更を迫られたのではないことを、安倍・メイ外交に遡って(更に野田民主党政権時の動きにも)、日英合作の経緯を追う中で、証明してみせているのだ。日英同盟の復活で「インド太平洋」構想に筋金が入り、それによって中国の「一帯一路」構想に立ちはだかることが可能になるというのである。なんだか急にユニオンジャックに後光が差してきたかのように思われる。

●危ない綱渡りだったが、当初の筋書き通りに

 これを読み終えて、元英国大使の林景一氏(前最高裁判事)の著作『英国は明日もしたたか』を思い出した。2017年に出版されると同時に読み、この「読書録」でもすでに取り上げた。当時の私は、英国が「したたか」なのは過去の振る舞いに照らして解るものの、これからはもはや無理かも、と思わざるを得なかった。だが、同時にメイ首相が鉄の女・サッチャーさながらの「氷の女」と知り、その後の英国の変貌に一縷の希望を持ったものである。秋元さんは、2017年8月31日の「日英安全保障協力宣言」にはじまって、2021年に予定される新型空母「クイーン・エリザベス」の日本来航まで、一気に読者を惹きつける。

 「インド洋と太平洋という二つの海が交わり、新しい『拡大アジア』を形成しつつある今、このほぼ両端に位置する民主主義の両国は、国民各層あらゆるレベルで友情を深めていかねばならないと、私は信じています」との安倍アピールが最初の号砲であった、と。そして、この本の末尾に「英国の新型空母『クイーンエリザベス』はそのことを伝えるため、2021年、はるばるインド太平洋に向けて出航する」との結びの二行まで続く。ここでいう伝えられる「そのこと」とは、「民主主義国家の集合意識」である

 ただし私としては、「EU離脱」が逆に振れていたら、つまり「EU残留」だったら、水の泡になったかもしれないと思う。秋元氏がここで書いている流れはもちろん後付けではなかろう。だが、狙い通りだったのかどうか。恐らくは、危ない綱渡りをしたものの当初の筋書き通りに何とか事は運んだ、というのではないかと察せられる。だが、そのあたりの英国内の動きには触れられていない。

 序章の末尾に「なぜ日英同盟なのか、その現状と今後の課題、また日英同盟再生の背景について考えてみたい」とあるものの、「日英それぞれのお家の事情に関心のある読者にとっては満足できる内容とはいえないかもしれない。その点はご容赦願いたい」とある。この辺り、日本の国内事情もさることながら、とくに英国内政治の観点からのフォローが無性に欲しくなってくることは禁じ得ない。

 【他生のご縁 腰痛が取り持つ仲間たち】

 時の流れは本当に早いものです。欧州も日本も、世界は「ウクライナ戦争」で大きく揺れています。「復活した日英同盟」は、まさに時を得て、民主主義国家群の中にあって重要な位置を占めつつあるといえましょう。

 かつて読んだ宮澤喜一元首相と五百旗頭真神戸大名誉教授(当時)の対談『戦中戦後の体験私史』の最後のくだりで、「戦前期の日英同盟は20年続いただけですが、戦後の日米同盟は50年(2001年当時)です」と、五百旗頭氏が言ったことに対して、宮澤氏が「そうですか。日英同盟は20年ですか。意外に短いものですね」と返しているところが妙に印象に残っています。短かった同盟関係が今再び甦ることに期待する向きは少なくありません。

 秋元さんと私は、カイロプラクターを頼りにする腰痛仲間です。私が名誉顧問をしている一般社団法人「日本カイロプラクターズ協会」の村上佳弘さんが二人を結びつけてくれました。私の手元にある秋元さんの本の裏表紙には「謹呈 村上佳弘様 親しみを込めて!秋元千明 2021-3-23」とのサインがあります。そして私は林景一元英国大使もこの世界に紹介しました。この人もまた、同病相励まし合う仲間だったのです。

 

 

 

 

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(383)なぜ他の国とこうも違うのかー三浦瑠麗『日本の分断』を読む

世界中が「分断」で喘いでいる最中に、日本だけが奇妙な静謐さの中にある。その理由を解き明かし、民主主義の未来のためには、もっと「分断」が必要だと強調する。著者の三浦瑠麗さんはテレビメディアで売れっ子の若き国際政治学者。自らが主宰するシンクタンクによる意識調査をもとに、独自の日本人の価値観を浮かび上がらせたうえで、日本政治の今を分析する。私としては知的刺激をそれなりに受けたものの、やがて公明党への記述が極端に少ないがゆえの物足りなさに浸ることになった◆戦後日本の「分断」の最たるものは、日米安保条約をめぐる論争であり、その同盟の是非を問う政党間競争だった。それは今なお、経済、社会的テーマが与野党の大きな違いを生み出しえずに後衛に退き、「安保・同盟」が殆ど唯一の争点となって続いている。そこへ「安全保障」におけるリアリズムの台頭という現象が定着してきた。であるがために、結果的に劇的な変化が起こり辛くなっているというのが大まかな著者の見立てである。「政治による分断は、それが内戦ではなくゲームにとどまる限りにおいて存在意義を見直すべき」で、「あらためて健全な分断とは何かを考えなければならない」と三浦さんは本書を結ぶ◆健全な分断のない、日本独自の閉塞した事態はなぜ起こっているのか。その要因の一つに、私は「公明党の与党化」という問題があると睨む。自民党政治の小さな「安定」に腐心し過ぎた結果、大きな「改革」が滞っている。だらしない野党に代わって、今一度日本政治の覚醒のために公明党はシフトチェンジすべきだ、と。この観点に立って本書を読み直すと、気付くのは公明党への言及の極端な少なさである。登場するのは僅かに2箇所。一つは、世論調査において「宗教を基盤とした公明党への投票者はそのことをあまり明らかにしない傾向があり、実際よりも少なくしか回答に反映されない」とのくだり。果たして本当のところはどうなのか。ステロタイプ的表現に陥っていて、掘り下げが足らないだけなのではないのか◆もう一つは、逢坂立憲民主党政調会長が、「政治は残酷なもの」の実例として、自分の所属する党と公明党を比べて「それほど立場が違わないのに逆のことをする」と挙げているくだりだ。これは、政策的スタンスに違いはあまりないのに、与野党の立場の違いから結果として逆の行動になるとの意味あいだと思われる。立憲民主党の愚痴的泣き言ではあるが、現状転換の糸口にも繋がる興味深い発言である。この辺りについて、著者にはもっと考察を深めてほしかった。また、「おわりに」で、コメントを貰った人の一覧に公明党のホープ・岡本三成衆議院議員の名前が見出される。三浦さんが何を彼に聞き、どう彼が応えたのかが皆目わからないのは気にかかる。(2021-4-10)

★【思索録】では、新たに「『新・人間革命』から考える」をスタートさせました。13日付けで、第一巻「旭日」の章と取り組んでいます。

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(382)想像力の貧困さを思い知るー重松清『希望の地図 2018』を読む

東日本大震災から10年。この3月11日前後に嵐のように各種メディアが追憶の記事を特集し、ひとしきり続き、そしてやんだ。しかし、阪神淡路大震災から、15年ほどが経った時点で起きた地震、津波、原発事故がもたらす複合災害は、明らかに現代日本人の意識を変えた。「災害は忘れぬうちにやってくる」が当たり前になったのである。しかも、昨年からの「新型コロナ禍」の追撃は、800年前の日蓮大聖人の『立正安国論』の世界を彷彿させてあまりある◆重松清さんのこの本は、平成30年(2018年)の一年をかけて、東北を始めとする全国の被災地を横断して取材したルポルタージュだ。定評のあるこの人の優しさが満ち溢れた素晴らしい本だ。2016年4月14、16日の熊本地震、2018年6月28日から7月8日まで西日本を中心に全国を襲った平成30年7月豪雨、そして同年6月の大阪府北部地震、9月の台風21号。そしてあの1995年1月17日の阪神淡路の大震災。口絵のカラー写真20葉ほどが鮮やかに過去の記憶を呼び覚ます。今に生きる全ての人にとっての備忘録たり得る好著だ◆重松さんはこれら現地に実際に足を運び、被災者に直接会い、時に自己嫌悪に陥りながら、また呆れるほど情け無い気持ちになりつつ、重い口を開かせ続けた。その記録を読み、「想像力の欠如」にこそ、被災者たちを孤立させるものだとの、著者の思いに読者は共感する。ただ、それはわかっていながら、想像力を逞しくする辛さから逃げようとする自分をも否定できない。「大切なものを喪い、かけがえのないものを奪われてしまった人たちに、不躾に話をうかがってきた」著者は、「取材後はいつも重い申し訳なさを背負ってしまった」と。その真摯さが胸を撃つ◆「好漢二人が震災を契機にめぐりあい、素晴らしい友情を育んだ」との最終章の一節は、「希望の地図」のタイトルを裏付けるかのように明るい展望に満ちている。残虐なリアルの連続に打ちのめされても、一縷であっても希望を持ちたいとの読者の期待。それに応えてくれる筆運びが嬉しい。26年前のあの大震災の震源地となった淡路島の北淡町。その地が指呼の間にある明石市の海岸沿いのマンションの一室。そこから私は今これを書いているが、「本でしか学べない現実がある」とのキャッチコピーに強く共鳴する読後感を抱く。(2021-4-3)

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