Monthly Archives: 3月 2022

【27】どこまで続く「理想」と「現実」のせめぎ合いー太田、兼原、高見澤、番匠『核兵器を本音で話そう』を読む/3-28

 原爆投下後77年。これまで核兵器をめぐる〝本格的な議論〟は日本ではなされてこなかった。つまり核廃絶と核抑止の双方を冷静に一つのテーブルの上で論じることはなかったということである。世界で唯一の被爆国として、核廃絶は当然のことであって、核抑止などという考え方そのものが間違いだとの立場が隠然とした力を持ってきた。いわば、建前が本音を押し隠す風景が常態だったのである。しかし、この本での軍事・外交の専門家4人の座談会は、核兵器をタブー視せず本音ベースで語り合った、一般人にとっては珍しい本である。時あたかも、ウクライナ侵略におけるロシアによる核使用が現実味を増す中での出版。緊張感が漂う只中、核兵器をめぐる広範囲な角度からの問題提起がなされており、実に読み応えあり興味深い内容である◆私は核廃絶の立場から、核抑止の議論にどう対抗するかの観点に拘ってきた。この座談会では率直に言って、1対3。核廃絶に基盤を置く論者は太田昌克氏(共同通信編集委員)だけ。あとはいずれもそれは「理想」であり、国際政治の現場では意味をなさないとのスタンスに立つ。あたかも3人の老獪な大人にきまじめな青年が虐め、諭されている赴きなきにしもあらず。現状は百もわかった上で、「理想」にこだわり、「現実」をどう変えていくかの議論を組み立てていくことに関心を持ちたい。この本は様々な受け止め方があろうが、私は太田氏の主張に与する立場から、従来からの核のタブーを乗り越える議論をどう組み立てるかに関心を寄せた。この本の本来の趣旨と反対側から考えよう、と。読み終えて改めてスタートに立ったとの思いが強い◆最大の読みどころは、以下のくだり。核抑止派の兼原氏の「お互いに怖いから撃たない」ための議論が大事で、「戦いを始めないために、万全の準備をする」のであり、「構えていないから戦争が始まってしまう」という論理に対して、核廃絶派の太田氏が「そういう局面に持っていかないような他の努力、外交戦略があってしかるべきではないか。なぜそこまで究極のシナリオを考えて、そこへ突き進んでしまうのか」とのやりとりである。それに対して、兼原氏が「それは逆だと思います。最悪の究極シナリオを考えて、その地獄が見えるから、小競り合いの段階からやめようというのが核抑止の議論」だと押し返し、太田氏が「そこはそうかもしれませんが‥‥」とつぶやいて、終わっている。この情景は、恐らくこの場面での登場人物の「歳の差」と「多勢に無勢」がなせるわざだろう。背景に浮かぶのは、昔ながらの「恐怖の均衡」論と、「平和の外交」論という、現実派と理想派の対立である◆「恐怖の均衡」があったればこそ、キューバ危機を頂点とする「米ソ核対決」は本当の地獄を見ずに済んだのかもしれない。だが、その後の世界はまた違った風景を生み出すに至っている。今回のプーチンの核恫喝は「強者の狂乱」かもしれないし、北朝鮮による「弱者の恐喝」は、いつ何時、新たな地獄を起こすやもしれない。つまり、兼原氏のいうような地獄の局面を見る見ないに関わらず、各地域の首謀者の想定外の行為は起こりうる。それをどう防ぐのか。「恐怖の均衡」は〝ワルの火遊び〟に加わることだとの危惧は拭いかねないのだ。尤も、従来通りの「もっと平和外交を」の声も、〝善人の空騒ぎ〟に終わるかもしれない。結局は、この本での唯一の合意点とされる「国民の目に見える形で現実的な議論を戦わせることの必要性」に落ち着く。ああ、それにもう一つ。兼原氏が繰り返す「政治家の資質の向上」も見落とされてはならないのだろう。(2022-3-28)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【26】こんな政治に誰がしたー御厨貴、内田樹他『自民党 失敗の本質』を読む/3-20

自民党の失敗とは何か。8人の論者が次々とその非を打ち鳴らす。昔の自民党はもっとまともだったのに、全く違う政党になってしまったかのようだ、と。昔のこの党を否定し、まともな党にしようと、政権の内側からの改革に取り組んできたはずの公明党。その一員である私にとって、読むのが辛くなった。自民党の今日の姿に、公明党の責任はないのか。失敗を言い募る人たちに失敗はないのか。次々と異なった疑問が湧いてきた。歌の文句じゃないけれど、こんな党に誰がした?ー読まずともわかるなんて言わないで、読んで見てください。以下、ほんのさわりを気がつくままに◆8人のうち、自民党代議士が石破茂、村上誠一郎両氏、そして現在は立憲民主党の小沢一郎氏。石破氏は「言語空間」の機能不全が脆弱化の因だとする。彼は自民党を出て、私と同じ新進党に所属していた。復党して幹事長にもなり、幾たびか総裁選にも出た。その都度励ましたものだ。村上氏も自由闊達な議論がなくなりつつあると嘆く。自民党内クリーン派閥の三木・河本派に所属した。この人には〝一匹狼〟でなく、多数派工作をして仲間を募って総裁の座を狙えとけしかけた。小沢氏は信念を語る政治家が消えた、と。かつて私の記者、政治家としての仕事上の大先輩・市川雄一氏と共に、様々な場面でご一緒した。自民党をぶっ壊すと言った首相と共に、自民党を今のようにした張本人は実はこの人かもしれないと、私は思ってきた◆学者が2人。政治学者の御厨貴氏と思想家の内田樹氏である。共に現役時代に一度だけだがじっくり話したことがある。前者とは、放送大学で「権力の館」という講座を受講した。戦前戦後の政治家達の住まいからその人物像を炙り出す狙いのもので、面白かった。後者とは、合気道を学び損ね、挫折した私が座学での教えを乞うたものだ。「今からでも遅くない。もう一度挑戦されたら」とけしかけられた。御厨氏は「安倍さんが再選された時から時計の針は止まっています」という。愕然とする表現だ。内田氏も安倍再選後の9年で、「株式会社化した自民党」にはイエスマンしかいなくなった、と強烈だ。御厨氏は「共産党は勉強しています」し、「(共産党は)常に党内で学びを共有しています」と強調している。そういえば先の講座で、同党本部内の図書館風の場所を見た際の衝撃を思い出した。内田氏の「立憲民主党はふらふらしてどうも信用しきれないと批判する人がいますけれど、立憲民主党は『ふらふらする政党』なんですよ。それが持ち味なんだから」の発言には笑えた。学者らしい持ち味の言いぶりに妙に納得する◆笑えないのが、この本に一切公明党の話が出てこないことである。どこに出てくるか期待しながら読み進めた(他には元官僚2人と新聞記者)が、最後まで遂に出てこなかった。寂しいことこの上ない。維新、国民民主党もちょっぴり登場するし、令和新選組の代表さえも。平成の30年を総括する一連の試みに、私が見た限り、全く公明党がスルーされている。これに大いに異議を唱えている私としては、見過ごせない。自民党がこんな体たらくになって、連立パートナーの公明党は喜ぶべきか。悲しむべきか。私は「55年体制」打破に青春をかけ、一転政治家になった中年以降には「自民党を変えること」に執念を燃やした。複雑な思いだ。この本を読み終えていま、「自民党の失敗」でなく、「日本の政治の失敗」ではないのか、と疑問は広がる。ただただ、暗然とするしかない。(2022-3-20)

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【25】全てがすっ飛んでしまったー北海道新聞社編『消えた四島返還ー安倍政権日ロ交渉2800日を追う』を読む/3-9

 今からほぼ3週間前の2月16日のこと。北海道新聞の斎川誠太郎東京編集局長が神戸にやってきた。私にインタビュー取材をするためである。20年ほど前に公明党番記者をしていた彼とは親しい仲だった。そのこともあり、依頼に二つ返事でオッケーしたのは2月の初めだった。読売新聞に私の著書のことが報道された直後。電話の向こうの彼は「読売さんに先を越された」とちょっぴり残念そうに呟いていた。取材を受ける前に彼が鞄からおもむろに取り出したのが一冊の本。ブルーの色鮮やかな表紙に、プーチンロシア大統領と安倍元首相が向き合った写真の背景はイエロー地の帯(まるでウクライナの国旗カラーのよう)。『消えた四島返還ー安倍政権 日ロ交渉2800日を追う』だった。「我が社あげてまとめた力作です。よく書けてると評判ですから、ぜひ読んでみて」と手渡された◆その後10日も経たぬうちに、ロシアがウクライナを侵略。世界の情勢は一変した。この本を見る目も変わった。当初は、「すれ違う日ロの世界観、官邸主導外交の功罪、米中対立ー。綿密な取材に基づいて本書が描き出す背景は複雑である。元島民の思いに強く寄り添っているのも本書の大きな特徴として挙げられよう」との今売れっ子の小泉悠・東大先端科学技術研特任助教のコメントに注目しながらも、そのうち読むかと、投げ出していた。しかし、まさに現代のヒトラーさながら殺人鬼と化したプーチン大統領と、27回も会いながら、何らの結果も出せず総理の座を投げ出した安倍晋三氏の交渉の日々に俄然興味が湧いてきた。プーチンと一体何をやりとりしてきたのか。表紙の「四島返還」のうえに小さく乗っかった「消えた」の文字が一段と興味深く見えてきたのである。一気に読み進めた◆従来の日本政府のスタンスを安倍首相及びその周辺は勝手に変え、「2島返還プラスアルファ」という道に突き進んだ。北海道に本拠を置き一貫して追いかけてきた地元紙らしくその一部始終を見事なまでに描く。一つ、この本の私風のマスターの仕方とでもいうべきものを披露してみたい。まず第一章「『一気に返還へ』外れた目算」を読み、次に第9章「日ロ、見えぬ針路」に一気に飛び、エピローグへと進む。その間に挟まれた新旧2人のモスクワ支局長のコラムに見入る。そうすると、全体の構成が明瞭になる。後の第2章から第8章は今日までの交渉史として貴重なものだが、あえて極言すると、枝葉であるかもしれない。安倍周辺の動きや発言はスルーして、プーチンやラブロフ外相の発言部分のみを追って見る。すると極めてわかりやすい。プーチンの人となりが白日の下に晒された今となっては、元々一ミリたりとも領土を手放すつもりはなかった。そんな気がするからだ◆実は、私は公明新聞記者として1960年代半ばから、北方領土問題に関心を持って自分なりに追ってきた。その所産をこのほど出版した『77年の興亡ー価値観の対立を追って』の第2章第7節「『北方領土』解決への回り道」にまとめている。自分としては渾身の力を込めて、わずか10頁だが集約してみた。ウクライナへのロシア侵略という信じがたい蛮行に接する一方、道新が総力上げて取り組んだこの本を読んでみて、我が10頁の総括に誤りなきことを確信した。強いて言えば「回り道」というタイトルにやはり我が見立ての甘さを感じる。回り道は、通常、遠かったと続くように、ゴールに到着してからの表現に用いられることが多い。その解決への道が全く見えなくなった今となっては、「解決への道なき道」とでもすべきだったかもしれない。(2022-3-9)

 

 

 

 

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類