Monthly Archives: 12月 2022

【66】仏像、古物に取り憑かれた記者──武田良彦『骨董病は治りません』を読む/12-28

 呆れ果てた。4LDKのマンションの部屋のすべてが骨董品でいっぱいなのだ。著者との付き合いは、私が新人議員だった頃に遡るが、神戸新聞の東京詰め記者だった。それからほぼ30年。こんな趣味があるとは知らなかった。先年ある日。突然にこの本が送られてきたので、お礼を言うべく電話をかけたところ、偶々彼が主宰する「芋煮会」が近日にあるという。これは行くしかないと即断した。

 リビングには仏像やら埴輪のようなものが林立。ソファの上にも大日如来像が。普段は武田さんの枕元で寝姿を見つめてるとのことだが、来客で布団を片付けるついでに、その像もソファに移動するとのこと。徳利、花瓶茶碗、急須、お皿と思しきものや古銭など、本来収まるところからはみ出て、ところ狭しと並ぶ。絵画の類も同様。壁にかけられたもの以外はあちこちに立てかけられている。

 およそ私は骨董なるものに興味がなかった。旧友が京都や奈良の古寺漫遊のついでに、骨董品を見て回るということを楽しげに語っても、聞き流してきた。そんな私がこの本を読む羽目になった。元々新聞に連載されたものだけあって、実に読みやすく面白い。全部で66編。一つずつにオチがあり、まるで落語集。導入噺が泣かせる。

 骨董屋の店主との25年前の神戸での〝処女体験〟だ。松の図柄入りの古伊万里のそば猪口に目が止まった。値段は、聞くと15000円。額の汗を拭う彼に店主は「お客さん、骨董を買うの初めてやね」と。店主の骨董入門のご高説を聞くも決断がつかない。結局は値が半額だった傷ものを買った。その夜。念入りに漂白剤をつけて洗ったのち晩酌を始める。すると、買いそびれたあの松の図柄が脳裏に。なぜ買わなかったかと、夜通し後悔する。翌日仕事後、直ぐに店に行く。亡母への香典が入っていた財布から、店頭に並ぶ5個全て買った。猪口の飲み口の傷には、恐るべき「骨董病のウイルス」が入っていたに違いない、と。ここから先、次々と体内に広がった病の進む様子が語られる。

 店の主人との駆け引き、お金との相談。パターンは似ているものの、対象が変わる上、段々上手くなる買い方の手口に引きこまれる。ページを捲るうちに読む方にまで病がうつってきそう。怖くなる。ただ、この病、うつって欲しい気もする。日本の歴史、文化への関心が大きく変化するという副作用つきだから。

●「紅旗征戎吾が事に非ず」

 藤原定家の短歌の掛け軸を、京都の古美術品オークションで20数万円で落札した話が出てくる。堀田善衛の『定家明月記私抄』を読んで以来、定家が日記に残した「紅旗征戎吾が事に非ず」が気になっていた彼は飛びつく。1989年のベルリンの壁崩壊を機に、文学、政治に関心をなくしていた胸に響いたのだ。政治には関与せず、歌の道に専念するとの芸術至上の生き方に共鳴するものがあったのだろう。尤も、私はかつて定家のこの言葉を知った頃に、彼とは違う感慨を持った。定家は当時の政治に直接関与できない故に別の道に進んだに違いないと、思ったのである。

 「1989年」は確かに大きな転換期であったが、私は一段と政治にのめり込んだ。ほぼ30年が経って、ゴルバチョフの「理想」はうたかたのごとく消え、プーチンの「現実」が執拗に世界をさいなみ、消えない。人の生き方では、武田さんの見立てが正しかったのかもしれない。

 一番高い買い物を彼がしたと思われるのが200万円の脇差(小刀)。鳥取の古美術店で一目惚れして、定期預金を解約する。15万円以上のものを買ったことがないのに。この病に罹る人が不定期に起こす〝発作〟らしい。毎夜、寝る前に刀を抜き、刃紋や拵(外装)を眺めるのが日課になる。3日目の夜、深酒をして帰った彼が刀を眺めていると、突然、両手が勝手に右首筋にその刃を寄せた。逆らえない力が両手を動かしたのだ。そこへ、天井から声が降りてきて、「切れ」「切れ」と。「背筋に異様な寒気が走り、すんでの所でわれに返った」という。幸か不幸か、翌朝店主に事の次第を話すと、快く返品に応じてくれた。いらい、刀剣には手を出すまいと彼は決めるものの、20数年ぶりにまた発作に見舞われる‥‥といった具合に続く。

 芋煮会の場で、こんなに集めてどうするの?と訊いた。眼鏡をかけた仏像のような顔はニコニコするばかり。その時私は、この御仁は骨董品屋になるに違いないと思った。

【他生のご縁 〝おひとりさま〟ゆえの〝求道〟】

 武田さんはかつて但馬支局時代に、出石出身の加藤弘之第二代東大総長の史伝を書きました。なかなかの出来栄えに、いつの日か2作目をと期待していたら、ようやくこの本が出たのです。

 こうした趣味が続くのも一人暮らしだからに違いありません。仏像に添い寝されるよりも生身の、と思うのですが‥‥。古いものを愛する彼には若い娘さんは、似合わないのかも。そのうちに、大年増を紹介されると睨んでいます。

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【65】最後の〝日本男児〟ここにあり──佐々淳行『香港領事動乱日誌』

◆惚れ惚れする気概に満ちた生き方

 およそ30年越しだろうか。読まねばと思いながら、先送りしてしまい、ついに今頃になってしまった。佐々淳行といえば、『東大落城』『連合赤軍「あさま山荘」事件』などで有名な警察官僚の現場指揮官だった。危機管理のプロ中のプロである。私が国会で初めてお会いした頃は、評論家として縦横無尽の活躍中。そうした佐々さんにとって、この本は原点とも言える時代の記録である。

 これを選んだのは、20世紀末の香港を中心にした東南アジアが舞台であることが最大の理由である。警察庁から外務省に出向された当時の彼の目から見た緊迫するアジア情勢やら、便宜供与を強要する政治家たちの呆れる行状(これは心底恥ずかしい)など、硬軟取り混ぜた面白い話が満載されていて飽きさせない。極め付けのエンタメ本とも読める。

 全編通じて伝わってくるのは、「日本男児ここにあり」と表現したくなるほどの心意気であり、惚れ惚れするような気概に満ちた佐々さんの生き方がある。香港着任前の米国での「ケネディ暗殺事件調査」や、後段のベトナム戦争時の「サイゴン籠城記」も滅法面白い。冒険活劇に溢れた展開に危機管理のエッセンスが詰め込まれた小説を読むかのような興奮を感じる。

 官僚、政治家、企業家は勿論のこと、老いも若きも日本人ならみな読むべき本だと私は思う。1965年から68年までの4年間、彼は香港に勤務したのだが、実はこの期間はちょうど私の大学生時代と重なる。その意味では、私にとっては異次元であるもののタイムスリップを経験したようでもあった。

◆常にとっさの行動が出来る様に

 未知の場所で仕事をする際に、どう無縁のターゲットに近づくか。戦時における生死を分ける場面で、とっさにどう振る舞うか。前者では、有力な紹介状の威力が語られている。正門からがダメなら裏門、勝手口からでもというわけで、人脈の大事さが強調される。信用第一に常日頃からの所作振る舞いが肝心と改めて知る。後者は、銃を突きつけられても、ビクビクせずに、「胸をはり、相手にこんなに威張ってるところをみると、それだけの権力と理由があると信じ込ませる」ことだ、と。このくだりでは、「脳内に蓄積された知識は役に立たず、全部外にある情報によって常にとっさの行動をする知恵」としての「アフォーダンス(生態環境情報適応能力)」が必要だ、と力説する。

 佐々さんは「生死関頭に立つと私の神経は研ぎ澄まされ、頭は冷たく冴え、しかもフル回転しどう行動すべきか本能的に即断即決できる」と豪語する。さもありなんと思わせるものの、「この能力はゴキブリなどが優れている」と付言されていて、笑いを誘うのだ。

 新米香港領事の最初の大仕事は、香港島と九龍半島の中間に横たわるストーンカッターズ島の日本海軍将兵の遺骨収集だった。百数十体の茶褐色に変色した人骨を発掘して三十ほどの麻の叺に入れていく作業。日本海軍の鎮魂歌を歌った後に、ジリジリと照りつける太陽のもと、頭骨は手掘りで、後はスコップを使って掘り出す。腐食した鉄兜、ガスマスク、軍靴から、千人針に縫いこまれた5銭銅貨に至るなどまで、沢山出てきて胸がつまったと、ある。すべて終えて去りゆく舟艇に、英軍兵士たちが不動の姿勢で見送る場面に、佐々さんは「思わず目頭が熱くなってきた」と心情を吐露する。

 香港暴動のさなかに、一時帰国の機会が巡ってきた時、佐々さんは悩む。帰りたいがこんな時に〝敵前逃亡〟と言われたくない。そんな折、緊急脱出の手立てを協議してこいとの特命が下る。先輩の配慮だ。身重の妻や2人の幼児を連れて帰国する。一転、香港へ帰任する際に、妻を連れ帰れるかどうかで悩む。単身赴任すれば、香港は危ないと、周りに危惧される。家族の安全を考えるのは人情である。事態打開は「私、一緒に帰ります」との妻の一言だった。

 彼女が後になって香港で英国軍人たちと懇談する際のやりとりが面白い。「東京に残れたのに、戻って来てくれて、偉い」「主人ひとりで香港に帰すわけにはいきませんでした」「それはまたどうして」「だって香港には舞庁(ダンスホール)が沢山あるから」──この会話の見事なユーモアセンスに微笑むばかり。ともあれ、この本から大いなる収穫を得た。

【他生のご縁 「励ます会」で講演していただく】

 佐々さんとは、僅かでしたが一緒に仕事をしました。防衛関連法案などをまとめる際に、与野党の作業チームに助っ人として参加してくれたのです。それがご縁で、あれこれと親しくさせていただきました。最大の思い出は姫路での励ます会の講演にスピーカーを引き受けてくれたことです。開口一番、「私は多くの政治家の応援で講演をしてきましたが、公明党では赤松さんが初めてです」と。

 かつて、石破茂さんを励ます会に招くときに、支援団体から反発されました。防衛についての姿勢に問題あり、と見られたのかどうかは定かではありません。しかし、佐々さんの時にはさして反対の声はありませんでした。彼の方が筋金入りの右派の立場でしたが。時代の変化だったのかも知れません。私はどちらともウマが合いました。

 

 

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【64】すべては母親の健康から──D・バーカー著/福岡秀興監修・解説『胎内で成人病は始まっている』を読む/12-13

 「心臓病、糖尿病、脳卒中などの病気(成人病)は、胎児期にできあがる胎内環境にその起源がある」──「成人病胎児期発症説」を詳しく説明したのがこの本である。従来からの「受胎時に決まる遺伝子が赤ん坊の身体を左右する」との「遺伝主義」を否定し、「生活習慣病」という名が意味する「環境決定説」も退ける。1980年代から提唱してきた英国の医学者・デイヴィッド・バーカー教授のこの仮説を、「21世紀最大の医学仮説」として、日本にあって高く評価し続けているのが、福岡秀興医学博士である。この本の監修者であり、「日本の危機的状況」というタイトルの解説を書いて、ダイエットに勤しむ若い母親たちに警告を発している。兵庫県姫路市生まれ、私とは同郷であり、30年来の友人でもある。初めて会った頃から今に至るまで、一貫して変わらず日本の若い女性たちに対して、スタイルを気にする〝やせ願望〟への苦言を呈し、正しい食生活の大事さを説き続ける。

 「ジョン・クレッグは角を曲がってブランチ・ロードに出ると、堤防に続く下り坂を歩いていく」と、小説風の書き出しで始まる。この人物がその後、突然、腕から左腕、首にかけて鋭い痛みが走り、救急車で病院に運ばれる。医師の診断を受け心臓病発症を告げられた。クレッグ氏はいったいなぜこうなったのか、タバコも吸わないのにと、ぼやく。看護師は「あなたのお父さんも心臓病だったそうですね。だからこれは家系ですよ。遺伝なんです」と、伝える。その会話を聞いていた、隣のベッドのモハン・ラオというインド系の男性が口を開き「私の場合は、インド人の遺伝子が悪いんだとさ。糖尿病になりやすいんだ。出身地のマイソールは糖尿病が多くて、心臓病になる人がたくさんいる。わたしはその両方になっちまった。まだ、35歳で、肥満でもないっていうのに」と。実は私もこの会話に似たような経験をした。かつて脳梗塞で入院した時に、「運動もしてきたし、タバコも吸わない。そやのになんでこうなるんだ」とぼやいた私に「運動してても、タバコ吸わずともなる人はなるのよ!」と、女医から言われたものだ。

 ●成人病の起源

 著者は、いわゆる成人病がなぜ発症するのかについて、地理的な分析に始まり、個人の一生、とりわけ発育期の研究に取り組む。一方、胎児の栄養源を追うため、妊娠女性の食生活を検証するなど、広範囲な分野からの調査内容を分かりやすく解き明かす。その結果として、「成人病胎児期発症説」を提案するに至っている。このことを監修者の福岡さんは「読み進むうちに、最初は荒唐無稽であると考えていた人であっても、次第に納得していく自分の姿に気付かれる」「ごくごく常識的な考え方なのである」と推奨する。福岡さんは、「日本では成人病を生活習慣病と名付けたことから、厚生労働省には生活習慣病対策室という成人病に対する部局があり、一般的にも生活習慣病検診という名称が定着しつつある」として、「成人病は遺伝素因に加え、生活習慣に起因するところが大きいとの認識が独り歩きしてしまい、(中略) そこから成人後の生活習慣のみ注意すれば成人病が予防できるという考えが起こってくる可能性があり、これはまさに、成人病の本質を大きく見誤る」と、厚労省の責任を力説しているのだ。

 福岡さんが昨今の若い女性たちの平均体重の低下について警鐘を鳴らしていることには十分にうなづける。「やせ状態の女性が妊娠した場合は、すでに低栄養状態で妊娠したことになるし、妊婦健診では、体重増加を抑制する指導が多い。このような環境では胎児発育に大きな影響が出ると考えられる」と述べ、「小さく産んで大きく育てる」との日本の慣用的パターンが、いかに危険であるかを強調している。妊娠中も母体本体を痩せたままの状態にしておき、小さく生まれた赤ん坊に一転過剰な栄養を与えるというやり方は、理にかなっているとは思えず、危険なことだといえよう。胎児期の栄養状態が成人病の主犯であるかどうかについては、異論があろう。遺伝、生活習慣との複合的相互作用ではないかと言うのが常識的見解のように思える。だが、「人生のベストスタートは胎内で始まる」から、母親の健康が第一ということには誰しも首肯できると思われる。

【他生の縁 遺伝も生活習慣も胎内説も】

 物腰柔らかく、紳士然とした福岡さんですが、成人病が胎内から始まってるとの主張については一歩も引かぬ強い姿勢を崩されません。姫路出身の仲間たちが集まると、時にこのテーマが話題になり、侃侃諤諤の論議となってきました。

 私の父も糖尿病を患っていましたし、私自身盛んな飲み食いを生活習慣にしてきました。加えて、母親から、お前がお腹にいるときは、大豆だけが栄養だったと聞かされて育ちました。戦争末期の生まれですから当然でしょう。となると、やはり、三つの要因が重なってるように私には思われます。

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【63】天の企みと人の巧みさに酔う──伏見康治、安野光雅、中村義作『美の幾何学』を読む/12-7

 伏見康治さんってどんな人か?───「統計力学の分野で多大の研究業績を残し、また日本の科学研究体制の確立と発展に大きく貢献している原子物理学の泰斗」。共著者のひとり、数学者の中村義作さんの言である。さらに続く。「伏見康治先生のお名前は学生時代からよく知っていた。河出書房から出版された先生の名著『確率論及統計論』は小生の座右の書で、学生時代に徹底的に勉強し、その内容の深さと明快な解説で強烈な刺激を受けていた。小生のような若輩者からは、伏見先生はまさに雲の上の存在で、対等にお話しするなど夢想もできない」と。そんな伏見さんと、私は一時期親しくお付き合いさせて頂いた。公明党から参議院議員に出馬されたとき(1983年)に、機関紙での人物紹介欄を担当することになったからだ。この本は「文様にこだわる物理学者」として、「数学マインドにあふれる絵本作家、そして遊び心旺盛な数学者」と、自由闊達な鼎談を繰り広げたものである。幾何学の面白さが縦横無尽に語られていて、全く数学が苦手だった私にもそれなりに楽しく読めた◆かねて、伏見さんは「折り紙」に、ご夫妻揃ってはまっておられた。そこを中心に人物像を書いた。「折り紙」というと、「千羽鶴」を選挙のたびに皆さんから頂きながら、自分では全く折った経験のない無粋者なのだが、改めてこの本を読み、その奥深さを垣間見る思いがした。「鶴を折るのに、最初の出発点の紙を正方形にしないで、菱形にするわけですよ。それでも折れるわけです。そうすると、翼が長くなったり、短くなったり、首が長くなったり、短くなったり、いろんな形の鶴がワーッと出てくるわけですね。まさに神様になったような感じがしますね」と笑っている◆この鼎談の冒頭で、伏見さんは「(自然界は)なぜ対称が美しいのか」という疑問から初めて、次々と読者を深みに誘う。例えば、北斎の富嶽三十六景の中の富士山の絵。前にある湖面に映った逆さまの影が左に偏っている。これはなぜか?北斎が「この絵で鏡映以外にも対照性があるんだということを教えようとした」のではないかと睨むのだ。絵や文様、紋章などをふんだんに織り込んでの解説にはグイグイ惹きつけられていく。例えば、紋と文様の魅力について。「シンメトリーにすると、とにかく何かが出てくる」し、「紋というのは対称的なんですよ。(中略)  ある対象に対称性があれば、それはパターン認識の一つの有力な手がかりになる。で、紋章に対称性があるのは、これがなにかマークだということを思いつかせるのに非常にいい端緒になる」という。しかし、日本中の都市の紋章には「どうしてあんなくだらないものを作るのか」と嘆く。「(福島市は)フの字が九つあって、マの字が四つある(笑)。大阪の『みおつくし』とか、神戸の『扇面二つ』とか、古いのにはいいのがある」と褒められて、関西人の私はニンマリする。次にだまし絵で有名なエッシャーを語るところでは、「あれは本当に美と関係あるのかな」と問いかけ、「美しさよりも面白さというもの」とし、ヨーロッパ人は、「不気味なものを平気で描く」し、「妖怪変化に満ち満ちている」と断定される。私には興味深い日欧の美的感覚比較論に思われた。安野さんは伏見流「寄せ木絵」について、「幾何学的数理の裏づけ」に加えて「絵描きとしてのセンス」があると持ち上げ、楽しい会話が続く◆こうした会話の端々に、自然界の不思議さと人間の知恵の力をめぐる考察が仄見えてくる。中でも、道路の敷石と、石垣の石についての日欧比較は面白い。すべての道はローマに通ずる、という慣用句通り、ヨーロッパでは石の道路が発達した。だが「日本の石垣は、『桧垣』とか『網代』とかよばれている文様の形になっているのが非常に多い」とし、その理由は「斜めに積んだ石が互いに左右に力を及ぼして、非常に堅固なものにしてくれる」から、軍事的要求の結果かもしれないという。初めから狙ったのでなく、「力学的合理性を狙った結果が美しくなった例になる」との解説には大いに納得できた。最後は、幾何学が昨今顧みられていないことへの抗議で締め括られる。「代数」が苦手で、一本の補助線を引いて解決する「幾何」の魅力を感じた私など、大いに賛同する結論に満足した。(2022-12-7)

※他生のご縁 稲穂の格言思い知るお人柄

 伏見さんのお宅にお邪魔した時の思い出は忘れ難いものがあります。ベテランカメラマンのSさんと同道したのですが、スナップ写真をとる段になって、彼がいきなり、伏見さんの頭髪の乱れを手で撫で始めたのです。名だたる学者の毛数少ない頭部をなでなでする先輩の仕草に一瞬私は固まってしまいました。

 神妙な顔つきでされるがままになっている伏見さんの姿が目に焼きついています。僅か1期6年だけの議員生活のあらゆる場面で、「稔るほど、頭を垂れる稲穂かな」という格言を思い知らされる深いお人柄を実感したしだいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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