Monthly Archives: 1月 2017

(197)世界の今をどう見るかー宮家邦彦『トランプ大統領とダークサイドの逆襲』を読む

タイへの旅から私が帰ってきたその日に、外交評論家の宮家邦彦氏が姫路にやってきた。地元企業関係者らから講演を求められての訪問のついでに、会おうということになった。彼が外務省安全保障課長時代に、外交安保部会長として色々と付き合い、外務省退官後も時に応じて勉強会にお招きしたことがある。このところ疎遠だった間に、彼はメディアの寵児となっている。関西一円での人気テレビ番組『そこまで言って委員会』の常連メンバーで、大きな外交案件でコメントを求められて発信をする一方、国際政治の今を読み解く本を次々と出版している。陸に上がった魚のように、国際政治の現場に疎くなっている私としては眩いばかりの存在だが、無謀さも顧みず”昔取った杵柄”を振り回して立ち向かった▼最大の関心事は、トランプ米大統領の登場に伴う世界の行く末。彼はこのテーマを「ダークサイド」というキーワードで見事に料理してくれた。それって、映画『スターウオーズ』に登場する、悪の皇帝「ダースベイダー」が陥った人間の暗黒面のことをさすという。米国の民衆の間に蔓延する不平、不満をトランプ氏が巧みに束ねて勝利をつかんだ。で、今や世界中にこれと類似の傾向が見て取れるという。この話は年末に緊急出版した『トランプ大統領とダークサイドの逆襲』に詳しい、と。対面する相手の近作を読んでおくことは鉄則なのに、つい見逃してしまっていた。恥ずかしい限り。加えて、私は彼にとって外務省の仲間である佐藤優氏のことを口にしてしまった。直ちに「彼とはこの間対談本を出しました」と、きた。『世界史の大転換』である▼かくして二冊の本を並行して読む羽目になった。『ダークサイドの逆襲』を読んだうえで、『世界史の大転換』を読むと、当然ながら宮家発言部分を中心に極めて分かりやすい。「日本の政治がいまだ、アメリカや欧州のような大衆迎合的ナショナリズムに陥っていない理由は何か。誤解を恐れずにいうならば、安倍首相個人の力量に負うところが大きい」とし、「『ダークサイド』右派の暴走をうまく吸収している」とのくだりは、私との懇談の場面でも強調されていた。「日本の政治の安定」に安倍首相が大いなる役割を発揮しているかを力説していたことが耳朶に残っている▼国際政治の読み解き方として、「ダーク(暗い)か、ブライト(明るい)か」は、いささか乱暴ではないか。またそれって支配者階級と被支配者階級の相克、むかし社会主義革命前夜に見た光景とどう違うのか。あれこれ疑問は沸くものの、これからのパースペクティブ(見通し)を切り拓く上で、今風の切り口として格好のものと言えることは間違いない。こうした「言語象徴」をさらっと持ち出すあたり、ただならざる才能の持ち主だ。多くのひとに読んでもらいたい現代の最先端を行く「国際政治入門」としてお勧めの本だ▼全体的に軽いタッチだが、最終章の「地政学リスクとは何か」はそれなりに歯応えがある。国際情勢を見るポイントとして、1)地政学の「地」は地理の「地」であること2)「パワー」とは動くけれども見ることができない3)パワーは因数分解して相互の関係性を考える4)地政学では「経済合理性」を優先してはいけない5)地図はひっくり返して見ることーの5つを挙げている。いずれも味わい深い。冷戦から新冷戦、ポスト新冷戦を経て、久々の世界史の転換期の到来。これを読み取るうえで貴重な水先案内人に大いなる期待をしたい。(2017・1・29)

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(196)呪縛から解き放たれたタイへの旅ー三島由紀夫『暁の寺』を読む

「芸術というのは巨大な夕焼です。一時代のすべての佳いものの燔祭(はんさい)です」から始まって、「夕焼の下の物象はみな、陶酔と恍惚のうちに飛び交わし、……そして地に落ちて死んでしまいます」に終わる40行足らずの文章程、三島由紀夫らしい文章はない。50年もっと前に、彼の文章の持つ魔性に幻惑され、反面教師として位置付ける一方、彼の書くものから遠ざかり、簡明直截を持って旨とする新聞記者稼業に私は身を投じたものだった。市ヶ谷で自刃した際のあの衝撃は私自身の25歳の誕生日前夜ということもあって今に忘れがたい。その三島の代表作・豊穣の海全4巻は長きにわたる読書生活における課題であり続けてきた。就中冒頭に挙げた『暁の寺』はタイ・バンコクを、メナム川(チャオプラヤ川)を舞台にしながら彼の生死観、仏教観を垣間見せたものである。私の人生の本格的幕開け期と、彼の幕じまいのときはほぼ同時期のものとして重なる。いらい半世紀近くもの間、彼の提起したテーマは私の肩に胸に心にのしかかってきたのである▼一度でいいからタイに行ってみたいと思ってきた。それはある種怖いもの見たさに通じる。三島が「(あの事件遂行という)もっとも切迫した現実の只中にみずからを置いて、身を刻むかのようにして書き上げた」(解説の森川達也)からだといえる。行ったところで何が解るというものでもないのだが、それでも行ってみなければ何事も始まらないという思いに駆られたことも事実だ。少年のようなノリで(今どきの若者はそんなことなどしないだろうが)、文庫本を片手に機中のひととなったのだから、文字通り私も変わってはいる▼「歴史は決して人間意志によって動かされぬが、しかも人間意志の本質は、歴史に敢て関わろうとする意志だ、という考えこそ、少年時代以来一貫してかわらぬ本多の持説だった」とのくだりがあるが、それこそ彼の自刃の際に叫んだ歴史に敢て関わろう意志だったいうことが鮮明に浮かび上がってきた。メナム川の上を遊覧モータボートに乗って一時間、猛烈なスピードで北に南に西に東に走った。その合間、波間に彼が死に場所を求め、自分の最期にあたっての舞台装置を探し続けていたことが分かるような気がしてきたのである。「人間の不如意は、時の外に身を置いて、二つの時、二つの死を公平に較べてみて、どちらかの死を選ぶということができないこと」や「どんなに真摯な死も、ただものうい革命の午後に起こった、病理学的な自殺と思われることを避けがたい」との記述を目にして益々その感が強い▼解説子が云う。三島の「挫折」というか「破綻」は「この巻の随所に追求される、大乗仏教を支える二つの根本思想のうちの一つ、いわゆる『阿頼耶識』を中核として展開された、あのめくるめくばかりに巨大な『唯識』思想の世界に、打ちのめされてのことではなかったのか」との指摘は私にとって極めて面白い。「阿頼耶識」は唯識の八番目。未だその奥に、究極の奥底に「九識心王真如の都」とまで表現される九番目の「阿摩羅識」があることを三島は知らない。「三島がこの巨大な思想の体系を、充全に納得し、領解し得たとはいささかも思わない」という森川氏の理解も、まだまだ仏教の基本理解に至っていないのである。このように見て来て、ようやく私は「三島の呪縛」からようやく解き放たれた感がしてくるのを禁じ得ない。(2017・1・22)

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(195)哲人政治は民主主義を上回れるかー岡崎久彦他『クーデターの政治学 政治の天才の国タイ』を読む

明日から三泊四日の日程でタイ・バンコクに行く。昨年から私が関わる企業のトップと一緒に。当地では駐在日本大使の佐渡島志郎さんに会うのを始め、仕事関係から観光まで色々と予定があり楽しみだ。訪問するに当たってかねて読んでいた本を取り出し再読してみた。岡崎久彦、藤井昭彦、横田順子『クーデターの政治学ー政治の天才の国タイ』である。1991年2月のクーデターの2年後に出版されたこの本を私は衆議院議員になったばかりのその年に手にした記憶がある。どちらかと言えばタイトルに惹かれたのだが、中身はいささか退屈であり、羊頭狗肉の感がしていた。クーデターの経緯を時系列的に並べられたのでは興味も薄れようというものだった▼生まれて初めての地に行くにはそれなりの準備が必要で、バンコクといえば、三島由紀夫の『暁の寺』とともにこの本は捨てがたい。読み進めるうちにグイと引き込まれた。「デモクラシーが批判される時、その代案として提示されるのは賢人政治である」「結局は、デモクラシーの代案は独裁体制であり、独裁者が、哲人、賢人、あるいはデモクラシー時代の指導者よりも多少でもすぐれた指導者ならば、その方が良いというのが人類の歴史に何度も現れた一つの考え方である」との記述の後に、「タイという国は、少なくとも西暦紀元以降の世界史上、プラトンのいう哲人王を持った唯一の国だ」して、「ラーマ4世モンクット王(1804~68)こそは、プラトンが哲人王と呼ぶに値する唯一の王と思う」とあった▼本は再読するものだ。一回目は見落としていたところに気づく。プラトンの哲人政治と、映画『王様と私』は知っていても、モンクット王と結びつかなかった。恥ずかしい限り。実はこのコラムの前々回で私は林景一前英国大使の『イギリスは明日もしたたか』を取り上げ、「もう一人の主役を考える」とのタイトルで書いた。その文章の最後のくだりで、「西洋思想に対して、根底において異質の価値観を持つ日本という原点を忘れてはならない」としたうえで、「西洋発の『民主主義』の在り様、行く末に警鐘が乱打されている今だからこそ深く考え直すいとまを持ちたい」と結んだものだ。プラトンの哲人政治、モンクット王的なるものへの待望論ととられよう▼これに対して、当の林景一さんご自身からメールを頂いていた。その中身は、西洋発の「民主主義」に取って代わるものはないのではないか、ということに尽き、どんなにまずくても民主主義を上回る仕組みはないはずというものであった。西欧の思想、西欧発の政治の仕組みが今、行き詰っているとしか思えぬ現状に鑑みて、東洋、なかんづく日本発の思想、仕組みを打ち出したいという考えを提起したのだが、早速反論ごときものにぶつかった。面白い。有難い。次回、タイへの旅の途中考えたものを。(2017・1・17)

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(194)本は易しくなければ優しくないー中村仁信『放射線ホルミシスで健康長寿』を読む

「大量の放射線は身体を破壊するが、少量ならむしろ体に良い」ー私が特別顧問的立場で関わっている一般社団法人「日本放射線ホルミシス協会」の主張を一言で表すとこうなる。少量でピンポイント的に局所にあてると、驚くべき結果を招くということはがん治療の分野で外科手術、抗がん剤治療に加えて、第三の手だてとして今や証明されつつある。しかし、一般的には放射線と言えば、怖い危険なものとのイメージはぬぐいがたい。この傾向に大きく竿をさしたのが東北の大震災による福島原発事故である。「羹に懲りてなますを吹く」の例え通り、「原発に懲りて放射線ホルミシスを排除する」流れは覆いがたい▼ただ、それでも根気よく説明し理解を求めればわかってくれる人は少なくない。私の地元姫路市の北部にある富栖の里での洞窟に入って、肌から口から体内に微量の放射線を取り込んで、がんが治り、元気になったとの実例には枚挙にいとまがない。私も現地にしばしば足を運び、洞窟に入る経験をしている。「百聞は一見に如かず」のことわざがリアルに迫って来る。放射線の権威であり、この団体の理事長である中村仁信(大阪大名誉教授)さんが、免疫学の大家・安保徹(新潟大)、生活科学の重鎮・清水教永(大阪府大)の両氏(ともに名誉教授)と一緒に著した『放射線ホルミシスで健康長寿』という本は、分かりやすくその辺りを解きほぐしてくれ、とても有用で役立つ▼数年前に富栖の里で講演をされた時にお会いしていらい、中村さんとは知己を得た。穏やかな風貌の下に秘めた強い放射線への信念はひとの心を射抜いてやまない。実は私は今『放射線ホルミシスって何だ?10問10答』(仮題)という小冊子を作ることに取り組んでおり、原稿を執筆しているところだ。その際に、この本を参考にしているしだい。「易しくないと本は優しくない」というのが”本を読み継いで50年”の我が人生の行きついた結論的モットーである。どんなにいいことが書いてあったとしても難しければ理解できない。易しく書かれてあることは極めて重要なのである。つまり、ひとに優しいのだ▼この本、十分に易しく書いてある。だが、それでも専門家の書いたものはどうしても難しさがつきまとう。私など元来が単純だから、これでもか、これでもかと分かりやすくして欲しいし、自分が書くならそうしたい。放射線ホルミシスをめぐって、その名前の由来から始まり、なぜ誤解が発生してきたのか、身体にいいのはなぜか、そして原発是非論議にいたるまでの放射線本の決定版ガイダンスを書き、できれば電子本にして出すつもりだ。勿論、中村さんに監修してもらって。おかゆのように既に胃の腑に優しいものを、さらに水を加えたとぎ汁風のもののようにしたい。お正月明けから、その作業に取り組んでいる。乞うご期待。(2017・1・10)

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(193)もうひとりの主役を深く考えるー林景一『イギリスは明日もしたたか』を読む

 世界中を驚かせたのは8年前の米大統領選でのトランプ氏の勝利と英国の国民投票でEU離脱が決まったことだった。共に、一般的な予想を覆しての結果だった。ISなど米欧に対する「価値観の反逆」ともいうべき動きが顕著な時代の流れとして伺えるときだけに、より一層注目される。歴史の分岐点とまでいわれる事態。だが、その背景を解説する本については、前者に比べて英国に関するものは圧倒的に少ない。そこへ格好の読み物が登場した。●年前まで、英国駐在大使をしていた林景一さんの『イギリスは明日もしたたか』だ。まさに実況中継風の溢れる臨場感と、深い英国の歴史への洞察力に基づいたもので、知的興味が強く惹きつけられた。

 林さんと私は付き合いが古い。公明党の外交安全保障政策の担当をしていた当時、国際法局長などをされていた彼と幾たびか議論をした仲だ。後にアイルランド駐在大使をされていた頃に、私は司馬遼太郎氏のアイルランド編『街道を行く』を片手に、同地を案内して頂く幸運にも恵まれた。こも旅は自民党の石破茂氏らと訪れた英国視察旅の行程を私だけ延ばし、彼の地に赴いたのである。厚生労働副大臣をしていた折でもあり、同地の医療事情を学ぶ目的があった。加えて、当時の町村外相の代理で、ダブリン在住の邦人に、日本、アイルランド友好に貢献された表彰をさせていただく役目もあったのだ。もちろん、遊びに行ったわけではない。

林さんのただならざる筆力は『アイルランドを知れば日本がわかる』で十分に分かっていた。本当は英国について先に書きたかったはず。ところが、巡りあわせの妙というべきか順序は逆になった。尤もお蔭で最高の舞台装置のもと、水を得た魚のように英国を料理してくれたものを読める私たちは幸せであると言えよう。

   ●英国のお手並み拝見という気分に

 英国が直面している事態をどう見るか、そしてこれからどうなるかについて、楽観論、悲観論双方のシナリオを冷静に分析したうで、今判断を下すのは早いとしている。当然だろう。だが、そこはタイトル故もあって自ずと楽観論の方に読む側の比重はかかる。EU離脱派が「英国一国ならば、世界を相手に自分たちの新たな経済ネットワークを確立する作業も、あっという間にやってみせる」としている辺りに、英国のお手並み拝見という気分になってしまう。

 複雑極まりないこれからの国際政治の展開は、誤解を恐れずに傍観者気分でいえば滅茶苦茶に面白いとも。しばらく世界史で脇役に追いやられていた英国が久方ぶりの主役に、との期待感すら禁じ得ない。メイ首相について報じられることが少ない日本にあって、「鉄の女・サッチャー」並みの辣腕を期待させる書きぶりだ。「氷の女王」「冷たい魚」「ひどく難しい女」など彼女への評価は政治家としては高いと見るべきだろう。英国という国は普通の日本人にとって分りにくいところが多い。聞き古された英国紳士との呼称とは真反対の、狡くてしたたかなイメージは、世界史にそして日本史にあまた刻印を残す。そこからくる好悪の感情を乗り越えて、現実の国際政治は日米英のパートナーシップの重要性を求めている。

 林さんもこの本で英国との協調を訴え、「原則を守るために、分をわきまえながらも、他力を活用して実力以上の成果を上げることを目指す」存在である英国に見習えと強調している。それは分かる。だが、ギリシャ哲学、キリスト教に裏打ちされた西洋思想に対して、根底において異質の価値観を持つ日本という原点を忘れてはならないとの思いも同時に頭をもたげてくる。西洋発の「民主主義」の在り様、行く末に警鐘が乱打されている今だからこそ深く考え直すいとまを持ちたい、と。

【他生の縁 アイルランドからイギリスへと続く】

林景一さんと私を更に強く結びつける役割を果たしてくれた人がいます。早稲田大学教授の岡室美奈子さんです。アイルランド・ダブリンに私が行った時に、偶然この人も来ておられ、大使館でお会いしました。いらい、日本で林夫人も交えて4人で幾度かお会いしました。

 この人は司馬遼太郎さんのアイルランド紀行に登場してきます。留学生時代の若き日にダブリンにやってきた司馬さんとホテルで落ち合う場面があるのです。ここの書き振りはどう見ても、司馬さんが瞬時、乙女に胸ときめかせたとしか思えないのです。岡室さんは多くの友人から冷やかされたというのですが、面白いエピソードです。

 林さんは、英国大使の後、外務省を退官され、最高裁判事に就任され、それも今では終えて一民間人になっています。先年、残念ながら夫人を病気で亡くされてしまいました。

 

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