Monthly Archives: 6月 2021

(394)400年に及ぶ攻防を分析──竹田いさみ『海の地政学』を読む

 『海の地政学』の著者・竹田いさみ獨協大教授には、ちょうど10年前に衆議院海賊・テロ特別委での参考人質疑(平成23年8月23日)に来てもらった。ソマリア沖の海賊問題などでご意見を聞いたのだが、改めてネットに収録された当時の様子を再聴し、懐かしい思いに浸った。20年の現役生活で私は数多の学者、文化人と時々の政治課題を巡って議論をしてきたが、竹田さんは特段印象深い。ご専門に対するあくなき研究心と誠実なお人柄に強く惹かれたものである。

 ちょうどその当時、私は海洋を巡る国際政治の動向に強い関心を持ち、竹田さん始め幾人かの専門家と知己を得ていた。そのうちある若手研究者が海洋についての論考をまとめて本にしたいと言っておられたので、心待ちにし続けたが、結局10年余り経って未だ実現していないようだ。彼は米国における豊富な人脈がある優秀な学者である。自著を出されたらすぐに読みたいと思うのだが、まだ共著ばかりとお見受けする。そんなこともあって、海洋の歴史を辿り、現代における課題をまとめることの困難さを感じていた。

 そこへ竹田さんがサブタイトルに「覇権をめぐる400年史」とある、壮大なスケールを持つこの本を出版された。「贅沢で濃厚な新書」とのある専門家の書評の見立てがズバリ言い得ている。「揺らぐ海洋秩序を前に、我々はいかに対処すべきか」について、「近現代史を海から捉え直す」作業の所産は極めて興味深い。座右に置いて時に読み返したい価値ある労作である。

●中国の編み出す「新手」を分析

 ご本人は、海に関する素朴な疑問を解き明かしてみたいと思って書き始めた。最初から海の400年の歴史を追うつもりはなかったのだが、一つ一つの断片を追い続けるうちに、一つの大きなヒストリーへとまとまっていった、という風に「著者へのインタビュー」で述べておられる。確かに、大航海時代のスペイン、ポルトガルからオランダ、19世紀のイギリス、20世紀のアメリカ、そして21世紀の中国といった海の覇者たちの歴史を縦軸にして追う。そして横軸には、海の法規範の発展過程や、民間商船の犠牲、海上保安庁の役割など、さまざまな一見無縁に見えるような題材を配置する。さらに斜軸にはエピソードもふんだんに盛り込み、全体として大きな400年の海の物語を形成しているかのように読める。

 海洋における中国の立ち居振る舞いは、改めて指摘するまでもなく、いかにも挑発的である。決して気の長くない私など、つい苛つき興奮してしまいそうになる。しかし、竹田さんはあくまで冷静に淡々と分析していく。例えば、「実効支配していない島々や海域を一方的に領有していると法律に記載し、あたかもすでに領有権があるかのようなイメージを作り上げる『新手』を編み出した」とのくだり。『新手』との表現には思わず笑った。更に「中国の法律は、中国にとって便宜的な解釈ができるように整備されている」とか、「中国側の都合で接続水域も実質的に中国の領海として扱うなど、国際ルールを受け入れていない」など、ユーモアさえ感じる表現に、優しさと知恵深さを感じさせられる。中国のこのたくらみの多彩ぶりには驚くというより呆れ果ててしまう。

 一方、専門的な解説の合間に、アメリカの有名紳士服ブランドにまつわる余談が挿入されるなど、読む者を飽きさせない。また、戦時中における日本の民間商船の哀しい歴史についても目配りがなされている。「中国軍の南進を看過し、結果的に南シナ海の緊張を高め」、皮肉にも中国の存在感を巨大化させた、〝バラク・オバマの罪〟も忘れずに触れられている。また、「大好きな新幹線での途中下車を封印してきた」との書き出しで始まる「あとがき」の苦労談もぐっと読ませる。誘い込まれた「海洋史の迷路」を抜け出すことが難しくなったとの表現に、臨場感が漂う。この人の「寄り道」の味わいを、エッセイで読みたいとの思いが募ってくる。

【他生のご縁 国会の委員会で参考人に】

 国会の委員会で参考人をお呼びする際に、尊敬する専門家をノミネートし、最終的にその方に落ち着くことは滅多にありません。冒頭に書いたように、竹田さんを私が指名し、見事に目的を果たせたのは幸運でした。そのおかげで、今なお親しくさせて頂いています。

 2011年当時は未だ中国の習近平政権誕生の前夜でした。この10年で彼の「一帯一路」構想も大きく張り巡らされ、陸にも海にも中国の「新手」が幅を利かせています。改めて竹田さんと初めてお会いした頃は、まだ中国は猫を被っていたかのような側面があったのかと思わせます。

 函館の美しさについて竹田さんは、日帰りだったので、夜景は見られなかったが、昼も絶景だった、と触れておられます。実は私は幾度かかの地に行って宿泊もしたのですが、有名な函館山からの夜景も昼景も見ていません。よほど日頃の行いが悪いのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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(393)コレラから160年の日本の疫病対応ー小島和貴、山本太郎『長崎とコロナウイルス』を読む(下)/6-20

前回に続き、今回は長崎大学の熱帯医学研究所の山本太郎教授の講演を読む。この研究所は日本でも有数の感染症研究で有名で、今回のコロナ禍でも重要な役割を果たしている。今から160年ほど前の江戸時代末期の嘉永から安政年間にかけて、日本で流行したコレラは、この長崎から広まったとされる。中世ヨーロッパでのペストの流行はトルコのイスタンブールから。交通の要衝である両地が疫病蔓延のきっかけとなった。その後のヨーロッパや日本の近代幕開けの舞台になったとの経緯は中々興味深い▲山本さんはこの論考で、コロナウイルスと人類との遭遇を、様々な角度から考えていく。例えば、人類の歴史において、地域固有の疾病ー天然痘、麻疹、水痘、結核などーが戦争や交易などを通じて、あたかも物々交換をするかのように混じり合い、疾病の平均化をもたらしてきた。21世紀の今。新型コロナ禍のケースでは、「共生」を中心にした新たな感染症対策が必要だとされる。「共生」には壮大なコストがかかる。長崎大の片峰茂前学長の、今回のパンデミックの「収束を演出する」ために、人類の知の真価が試される、との「刊行に寄せ」た言葉は意味深長である▲山本さんは「短い期間での収束は難しく」「文明のあり方を変えていくしかない」とし、どう進めるかは皆で考えようと、読者に問いかける。「感染症との共生の在り方も、経済の在り方も、人口の推移に影響される」という。どこかで区切りをつけるための「演出」が求められるのかもしれない。人口は長期で見れば何処も同じ減少傾向にあるだろうが、短期で仮に日中比較をすればパイが違い過ぎる。その分、同次元で論じにくいのである。私見では、中国やロシアという強権的社会主義国家と、日米欧など民主主義国家の価値観の相剋が大きな課題である。これらの国家群が同じ位相でコロナとの共存を考えるというのは想像し難い。ことほど左様に前途多難である▲この講演が行われた長崎は、コレラが発症した当時、交通の要衝であり、日本近代幕開けの機縁となる明治維新の一大拠点だった。だが、今の長崎はもはや交通の要衝とはほど遠く、維新当時とポスト近代の今とでは様々の面で比べるべくもない。この辺りをどう捉えるか。各種研究機関の発信源として気を吐く長崎大学の使命は重大である。コレラからコロナへ、日本の160年とこれからを考えさせてくれる小さいがとても重い本を読んで、充足感に浸っている。(2021-6-20)

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(392)公衆衛生の仕組みを最初に作った長与専斎ー小島正貴、山本太郎『長崎とコロナウイルス』を読む(上)/6-14

長与専斎と聞いて、どんな人物かわかる人はあまりいないはず。長与とくれば白樺派の作家・長与善郎なら知ってるが、という人は少しはいるかも。専斎がその親父さん(善郎はその5男で末っ子)とは知らなかった。近代日本における公衆衛生の確立に携わった官僚だ。あの「適塾」の福沢諭吉の後任の塾頭であり、かの台湾総督民政長官として活躍した後藤新平を育てた先輩だと言った方が分かりやすいかもしれない。要するにご本人はあまり世に知られていない。だが、コロナ禍の中で注目すべき先達だとして、今大いに宣揚している人がいる。小島和貴桃山学院大学教授である▲コロナ禍と長与専斎と小島和貴ー三題噺のようだ。実は慶應義塾出身の小島さんと私は以前からお付き合いがあった。新進気鋭の行政学者だったこの人、2年前にこの長与専斎の研究で法学博士となられた。その時の論文がついこのほど『長与専斎と内務省の衛生行政』なる著作として刊行された。本の性格上、正直少々読みづらい。まずは手引きにと、小島和貴、山本太郎・講演集『長崎とコロナウイルス』の方が手っ取り早い、と読んでみた。「コロナウイルスと長与専斎の先見」とのタイトルで、明治期に官民連携の仕組みを作り、コレラなど伝染病対応に取り組んだ業績が語られている。いささか出版社の企画先行のきらいなきにしもあらずだが、医学先進県・長崎の心意気とみたい▲専斎は、①岩倉遣外使節団に随行し、西欧の医学教育制度を学んだ②「保健所」や「専門家会議」など今に先駆ける基本的枠組みを作った③「大日本私立衛生会」という官僚と住民代表の仕組みを創設した④コレラの予防のために上下水道を整備したーなどの業績は数多い。しかし、❶代表的な著作がない❷記念碑的業績がない❸地味な人物であったーなどから世にあまり知られていない。福沢諭吉と水魚の交わり的関係を保ち、後藤新平や北里柴三郎らスーパースターを育てたというのに。著者の惜しむ思いがひしひしと伝わってくる▲コロナ禍における日本の対応が諸外国に比して、後塵を拝しているかに見えるのは何故か。長与専斎の作った仕組みの原点に立ち返って、「公衆衛生」の基本に立ち向かうしかなかろう。専斎のなし得た仕事の上に胡座をかいていただけで、〝非常時想定力〟が乏しい私を含む全ての政治家の責任が問われる。それにしても、長崎という地は不思議なところだ。近代日本の魁となる偉人を数多く生み出していながら(「長崎偉人伝」なるシリーズ出版あり)、自然災害に弱く、交通事情が未だにお粗末。「あとがき」で、豪雨災害のため現地入り(2020-7-7)を拒まれた〝講演者の悲劇〟を知った。憧れの地・長崎を指呼の間にしながら近づけなかった、小島さんの切なさが迫ってくる。彼は福岡のホテルでzoom録画をし、メール送付での映像を会場で流すという離れ業を思いつく。非常時の身の処し方として学ぶべきことは多い。(2021-6-14 ※山本太郎教授の講演は次号で)

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(391)遅れてくるもう一人の巨人ー鹿島茂『渋沢栄一上 算盤編』を読む/6-6

NHK大河ドラマ『晴天を衝け』を毎週楽しみにしている人は多いはず。渋沢栄一と徳川慶喜を並行して描く手法に嵌ってしまった。かつて渋沢栄一の『論語と算盤』を読んだが、その生涯についてはあまり知らずに来た。幕末から明治にかけての歴史探訪にちょうどいい、とばかりに本屋に出かけ、渋沢関連の本を探した。そこで目にして読むことにしたのが鹿島茂『渋沢栄一』算盤編と論語編の上下2冊だ。かねて私がファンを自認する著者のものとあって実に面白く読める。現在は上巻を読み終えただけだが、こんなに惹きつけられる評伝は初めてだ。テレビとの併読をお勧めしたい▲慶喜は明治人として長生きした(76歳で大正2年まで)ことで知られるが、渋沢は昭和6年91歳まで活躍したというからもの凄い。農家出身の渋沢が武士になり、日本一の、いや世界一と言ってもいい実業家になっていったきっかけは、悪代官の横暴な振る舞いへの怒りである。「理不尽を理不尽と叫ぶ精神は明らかに(当時は)ルール違反」で、「時代の拘束に捉われない感性を持った『新人類』」だとの鹿島の渋沢認識は、この評伝の基底部を形成しており、後々幾たびか繰り返される▲渋沢が大を為すに至る大きな機縁はもう一つ。フランスへの旅。13回から27回までの記述は、ある意味で渋沢の青春記であり、これだけを独立して取り上げても十分読み応えがある。ただし、サン・シモン主義者のくだり5回分ほどは正直あまり面白くない。危うく投げ出しそうになった。ここを乗り越えれば、また興味深い読みものの連続だ。パリ万博での薩摩と幕府の鍔迫り合いは、英仏代理戦争の様相で息を呑む。これはまた日本国家の青春記とも言え、甘酸っぱい気分に誘われる▲私は先年神戸で、女性起業家の西山志保里さんのご紹介で渋沢の玄孫・健氏に出会った。爽やかな佇まいのシティボーイ風の士(さむらい)で、時々ネット上に届けられる「シブサワ・レター」に目を据える。福澤諭吉の慶應義塾で学んだ私はその昔、その孫にあたる福澤進太郎教授からフランス語を齧った。文字通り遅れて1万円札に姿を現わすもう一人の巨人・渋沢栄一。その玄孫である人に、極めて新鮮な衝撃を受けている。大河ドラマの進展もさることながら、その彼のひい爺様の算盤編を読み終え、次なる論語編へと期待は高まる。(2021-6-6 一部修正)

 

 

 

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