Monthly Archives: 8月 2021

[1]左右双方から祭り上げられた〝謎の巨人〟ー西部邁『福沢諭吉 その武士道と愛国心』を読む/9-1

 この本を読むまで、分かったような気でいた「福沢諭吉観」が音を立てて崩れた。近代日本を代表する合理主義者であり、個人主義、自由主義の開祖的存在といった見方を「それほどつまらぬものはない」と西部は切り捨てる。同時に、その「精神の構え方を凝視」すれば、むしろ「武士、儒者、愛国者」の側面を持つ明治人像が浮かび上がってくるという。これだけを読めば、真正保守主義者・西部邁特有の〝我田引水的論法〟に思えてこよう。サブタイトルの「武士道と愛国心」は、近代ヨーロッパ思想に習熟し、その輸入に尽力した諭吉とは、いささか縁遠いものとの思い込みが誰にも漠然とながらあるからだ◆なぜ誤った見方が流布したかについて、西部は「境界人(マージナル・マン)」というキーワードを提起して読み解く。「良識・常識」によって培われたオリジナルな思想を持つ諭吉は、「二つの異なった領域のあいだの相克の模様を眺めることを通じて」、両者の本質的差異を見抜く力を持つに至った、と。私の理解では、例えば神道、儒学や仏教などによって形成された日本固有の思想と、キリスト教、ギリシャ哲学などによって作り上げられた近代ヨーロッパ思想の双方を、境界線上の位置から、諭吉は両者を的確に把握したということではないか。この観点から西部は、既成の領域に捉われた人々の愚を徹して暴く◆その血祭りにあげられているのが、丸山真男である。この人の『「文明論之概略」を読む』(昭和61年)を俎上に載せて、「濃い色眼鏡で、しかも左眼だけでみた諭吉像に過ぎない」「自分の好みに合わせた一面的かつ単層的諭吉像」などと、全編至る所でこき下ろしている。かつて私も新書版3冊からなるこの本と格闘した。いわゆる戦後の進歩的知識人の代表格とされてきた丸山をかくほどまでに論理的に貶めて、小気味いいまでの切れ味を示した書物を私は知らない。西部の論理展開は少々分かりづらい表現もあり、一般には難しいものの、一連の批判部分は読みやすく納得させられる◆西部は、日本が20世紀全般を通じて、「ナショナリズムの過多(国粋主義)とナショナリズムの過小(欧化主義)のあいだを落ち着きなく往復してきた」と位置付ける。そして、その原因こそ、福沢諭吉に見る平衡感覚が理解されてこなかったからだと結論づける。最もポピュラーな名前でありながら、その何者であるかが遂にいわば謎のままに終わっていることを嘆く。結語の「批評家」は、「臨界人」を巡って極めて示唆に富む論点が披歴されていて、興味は尽きない。慶應義塾で学んで半世紀が経つ私だが、その全人像を知り得る入口に漸く立った。(2021-9-1)

※前号で、ブログ読書録『忙中本あり』は通算400回を迎えました。今号より、毎回ナンバーを振って、当面は100回を目標に、通算500回を目指します。

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(400)戦後民主主義への弔鐘ー西部邁『中江兆民 百年の誤解』を読む(下)/8-22

兆民の本でもう一冊挙げるとすれば『一年有半』に違いない。西部も「死の意味を求めて」とのサブタイトルを付けて、取り上げている。これへの評価で最も辛辣なのが、正岡子規。「平凡浅薄」で、「要するに病中の鬱晴らし」の代物だと切り捨てる。それに対し西部は、「関心の赴くところ、何についてでも書いておこう」という「『拙いとはいえ真情溢れる』兆民の「仕事であった」として優しく寄り添う。誰しも晩年には「いかに死ぬか」を考える。思いつくまま気の向くままに、遅れてきたる人生の後輩たちに書き残したいとの思いは私にもあり、大いに共感できる▲一方、兆民は最後の作品『続一年有半』で、「無神」「無霊」「無(意思)自由」ーこの世に神も霊も、意志の自由も何もないということかーを断言した。これにも「陳腐なことこの上ない道徳観にすぎない」との世評が専らであったという。しかし、西部はむしろ「明治の激動期に直面した知識人の日本人」や、とりわけ「武士道の残影のなかに生きた世代」の「立場が鮮明に打ち出されている」と、肯定的な評価を与えている。尤も、現実には、この時代誰しもハイカラならぬ「『灰殻』でしかない西洋化」に靡くだけ。「西洋の根底にあるキリスト教的な価値観を批評の俎上に載せ」ようとする知識人は皆無に近かった▲江戸から明治へと時代が急展開する中で、全ては西洋的なるものの吸収に躍起となった。兆民も西洋の哲学を漁り、その真髄をルソーの『民約論』の中に求めた。と同時に、強硬な明治政府批判を繰り返した。人々は彼をして単純に「自由・民主主義者」と見立てたのである。西部は、その誤りを徹して暴き出す。「西洋」を至上のものとして、日本の思想的伝統をかなぐり捨てた時代。その風潮に、真っ向から立ち向かったのが兆民であり、「真正保守」の人を見誤るな、と▲先の大戦から70猶予年。アメリカに叩き潰され、骨の髄までそのキリスト教的価値観に翻弄されてきた日本。戦前の70猶予年は、それこそ批判の俎上にも載せず、棚上げしてきた。一転、戦後は棚卸しするが早いか拝み奉るに至った。「戦後民主主義」の名の下に。西部はそれに刃を振るいまくった。この本でも、兆民を見誤ったことに全てに狂いが生じる原因があったかのごとく掩護する。▲「民主主義の限界」が公然と語られる現状下にあって、今日本人が気づくべきは何か。西部は自らの後半生を振り返り、「精神的荒野を彷徨い歩いて」きた「『存在』としてはほとんど無の老人」と遜る。この時点から5年後、彼は自死へ。この兆民論は、諭吉論と並び、遅れて来る者たちへの遺言の側面が強い。が、それにしても妙に哀れを催す。この辺り、更に考え続けたい。(2021-8-22) Continue reading

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(399)この先達を見誤った果ての無惨な日本ー西部邁『中江兆民 100年の誤解』を読む(上)/8-16

コロナ禍のお盆も過ぎた。この夏に入った頃から西部邁のものに取り憑かれている。福沢諭吉論と中江兆民論の2冊である。諭吉のことを語らせてこの本の右に出るものはない、と誰かが書いていたのを読んだのがきっかけ。打ちのめされる思いだった。慶應義塾に学び、諭吉については思い込み、入れ込み、惚れ込みがあった。だが、それは実像を見誤った結果かもしれぬと思い知らされた。で、その本の中に、次に兆民を書くとの予告があった。諭吉との類似性ー現代人の誤読ーに触れられていると知った。これまた衝撃的だった。というのが「西部劇場」に嵌った経緯だが、まず、後者から取り上げたい◆兆民といえば、ルソー『社会契約論』の訳者であり、『三酔人経綸問答』の著者として知られる。この『問答』は妙に面白かった。三酔人とは、洋学紳士君(民主主義的な理想家)と豪傑君(国家主義的な現実家)と南海先生(主人役の常識人)のこと。兆民ファン文化人(河野健二、桑原武夫ら)は、主人=兆民と見ず、ニ客の思想に分散されていると見ており、西部はこれを誤解だと指摘。兆民を「反体制の元祖」としたい彼らにとって、漸進的改良主義者の南海先生とはみなしたくないからだ、と。西洋思想の本質を見抜いていた兆民。その視点を色メガネで見た文化人を完膚なきまで否定する西部。この背後には真正の保守主義者たる西部ゆえの卓見があると思われる◆私はこの本を読んだ当時、社会党、自民党、公明党の三党リーダーの議論だと勝手に見立てた。身贔屓が過ぎると思わないで欲しい。〝自社55年体制打倒〟を目指す中道主義の真骨頂ここにあり、と思い込んだものである。自社両党に共通するのは、西洋思想に立脚している点にあり、非武装中立的理想論と軍事力拡大指向の現実論は共に誤りだ、と勢いこんだ。領域保全に限定した〝針ねずみ型防衛〟に徹して、漸進的に改革を進める公明党こそ時代をリードする存在だ、と。この見立ては本質を衝いているものと自負する思いは変わらない。昨今のスタンスはやや不本意なところはあるものの、身をやつした姿は本願成就を一時棚上げしたものと勝手に理解(誤解?)している◆本題に戻す。西部は世に跋扈してきた戦後民主主義、誤れる西洋思想受容を根底的に破壊する旗手として生き、思いを成就出来ぬまま自死を選んだ。被誤解者二人ー「諭吉と兆民」に対する情愛の籠った比較、『一年有半』にみる死の意味の捉え方など、大いに興味を惹く。兆民の破天荒な振る舞いぶりを、明らかに西部は意図的に模倣した部分があると私は見る。この本で最も共感したのは次のくだり。「兆民の死後から四十四年後、大東亜戦争の大敗北で腰を抜かした日本民族は、良識の中心になければならぬナショナリズムの一片をすら保持することをせずに、最悪の西洋化に適応してきました。つまり、歴史意識の決定的に不足している『ウルトラモダニズムとしてのアメリカニズム』、其れが二十世紀後半からの日本列島における列島人の精神が滑り落ちていくしかない勾配となったのです」ー嗚呼。(敬称略 この項つづく 2022-8-16)

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