Monthly Archives: 9月 2021

[5]地方 の「文芸同人誌」の凄味を味わう/9-30

「忙中本なし」の昨今、政治、経済、文明論などはともかく、文芸本からは遠ざかる一方。そんな折りもおり、学生時代の懐かしい先輩から地方の同人誌が届いた。『中部ぺん』第28号ー創立されて35 年目を迎える「中部ペンクラブ」が年に一回発行する「総合文芸雑誌」だ。そこには、同クラブの文学賞『特別賞』を受賞された中島公男さん(日本ペンクラブ会員)の喜びの言葉と写真が掲載されていた。少し前に発刊された『瞬間よ止まれ!』が受章対象作だった。そのタイトルから窺えるように、この本は、今を生きる生命の営みに、切なる愛おしさを感じさせる秀作だった。受章を記念して書かれた彼の小論は、文豪トルストイの日記から読み取れる「書くことへの悩み」より筆をおこし、アウレリウスの「今の瞬間だけに生きよ!」で締め括られていた。その誠実なお人柄がしのばれた★実は、それより数日前に、私の友人・諸井学氏から、播州姫路の文学同人誌『播火』108号が届いていた。そこには彼の随筆「日本文学のガラパゴス化」と、特別企画 国文学セミナー『「新古今集」以後の和歌文学』の2篇が掲載されていた。この人は知る人ぞ知る電機商にして作家という二足の草鞋を履いている(3年前に姫路の「黒川録朗賞」を受賞)。そのうえ、日本文学にもヨーロッパのモダニズム文学にも滅法造詣が深い。いわば2足の草鞋を履いた和と洋双方の〝料理の達人〟といえようか。その彼の特技が見事に披露された2篇を読み、心の底から唸った★特別企画の和歌文学セミナーについては、彼の代表作『神南備山のほととぎすー私の新古今和歌集』で使われていた手法の第二弾。初めて読んだ時はものの見事に騙された。架空のセミナーを誌上で展開、さもどこかでやった講演を再録したものと思い込んだ。それが実は全部机上のもので、しかもそれ以外に挿入された掌編も悉く意匠の限りを尽くした内容。読み終えて『新古今和歌集』の全貌が仄みえてくるという企みに絶賛するほかなかった。今回は〝柳の下〟だと分かってはいたものの、結局は彼の術中に嵌まってしまった。「新古今和歌集」が出来上がって後の「勅撰和歌集」講義から、「和歌文学の終焉」をもたらした正岡子規の、〝寝たままの振る舞い〟に及ぶまでの二回分40頁。食べ応え十分の「和食」だった★また、もう一つの「随筆」がまた味わい深い。ここでは、いかに日本文学の今が、世界標準から見て特殊な位置にあるかを明らかにしている。カフカの『変身』の、かの有名な「目ざめてみると、自分が巨大な虫になっていることに気づいた」とのくだりを読んで、某同人誌主宰者が「ある立場が書かせた稀に見る奇書」と捉えていることを一例にあげ、諸井さんの筆は切り込む。「20世紀以降世界の小説家は物語を離れて小説の構造を重視するように」なっているのに、日本の文学は基本的には「あらすじや登場人物のキャラクターに頼った解釈」に終始していることの落差を指摘するのだ。実は私自身、彼我の差の実感が乏しかった。諸井さんとの出会いからサミュエル・ベケットの『モロイ』の存在を知って読んだのだが、全く理解不能だった(この辺りについては既に公表済み)から。諸井さんは、最後に今のような状態が続けば、「世界に通用する小説家が生まれません」し、「ノーベル文学賞など望むべくもないのです」と結んでいる。さて、この「洋食」料理は私には、味が濃いすぎて、いささか後味が悪いように思われる。(2021-9-30)

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[4]看護師が見たパンデミックー『新型コロナウイルスとの闘い2』を読む/9-14

「看護師が見た」ー何だか、市原悦子主演で話題を呼んだテレビドラマ『家政婦は見た』を連想した。余計な思いを振り払い、頁を繰った。この書物は、特定非営利活動法人「地域医療・介護研究会JAPAN」と株式会社「ヘルスケア・システム研究所」の共著による、シリーズ第二弾である。一作目は、「現場医師120日の記録」とあったが、いささか羊頭狗肉の感は否めなかった。病院長ら幹部の発言が目立ち、「現場」とは遠い感じだったからである。同研究会の邉見公雄会長に直接、率直に苦言を呈した。しかもその辺りについて、「読書録」ではなく、褒めたり貶したり、あれこれ「回想記」に書いた。今回のものにおける邉見会長の巻頭言には、「(前回の出版では)『最前線で活躍しているはずの看護師がいない』などの鋭いご意見も頂戴いたしました」との断り書きがついている。私だけでなく、多くの読者からの注文があったものと思われる。今度は、看護師ら現場サイドの声も十二分に反映されていて、文句はない◆なかでも愛甲聡院長による「永寿総合病院の1年の記録」は20頁に及ぶ力作。院内感染発生という厳しい事態をどう乗り越えたか。反省部分を含め様々な意味で読み応えがあった。更に「最前線看護師のチャレンジ」との一文には驚いた。「兵庫県立尼崎総合医療センター」の看護師(大迫ひとみさん)のものだったからである。貪るように読んだ。というのは、まさにこの病院で昨年秋に、尼崎市在住の私の親しい友人Kさんが亡くなった。緊急入院して、僅か半月ほどで懸命の治療の甲斐もなく。ただただ悔しくむなしかった。先に彼の妻君の感染が分かり、県内のある病院に入った。彼からぜひ尼崎総合医療センターに転院させて貰えないか、との要請が私にあった。直ちに動いたが、そもそも同センターが重症患者優先であり、我儘は許されないとの返事を伝えざるを得なかった。と、殆ど同時に、彼自身の「陽性」も判明した。皮肉にも彼の場合は希望通りに同センターへの入院となってしまうのに時間はかからなかったのである◆大迫さんは「一晩で二人の患者のご遺体を棺に納めた。第一波流行期では、亡くなられた患者を納体袋に包んで棺に運び入れ、葬儀社から託されたビニールテープで棺の蓋が開かないよう目張りをした。この作業もすべて看護師が行ってきた。ある看護師は、患者が息を引き取る最期の時間に寄り添い、体を優しくさすり、手を握って患者の旅立ちを静かに見守った。重症化した後、患者が家族との再会を待たずに亡くなられた経験から、患者が会話をできる時期を逃さず、ipadによる家族との面会も積極的に行ってきた」と伝える。このくだりを読み、まさにKさんを看取ってくれた看護師さんたちの「心」を知った。新たな感動で涙ぐまざるをえなかった。集中治療室に入る前日に、彼と携帯電話で交わした最後の言葉が蘇ってきた。先に無事に退院出来た奥さんは、別れの言葉を遠く離れた窓越しでしか発することが出来なかった。彼女にこの記述を読ませたいと心底から思う◆この本の最終章(「コロナ下での医療・介護の提供体制を支えるために」)では、「自治体病院の看護師へのアンケート調査」の結果がまとめられており、惹き付けられる。結果の概要を見ると、当然ながら、感染拡大後に、「業務負担を非常に感じる」とする人が50%を超え、「看護師を辞めたいと頭をよぎったことがある」人たちが勤務年数が少ないほど多いという事実もわかる。終わりの見えない状況に、ストレスを抱き、疲労や睡眠障害を感じているとの不安を吐露している。こうしたことに、今更ながら感謝の思いを抱く。「自由記述」のコーナーに128もの率直な声が寄せられている。「医療従事者の我慢の比率が高すぎる」「勝手な行動をした人に対する対処を考えてほしい。入院費無料には、納得できない時もあります。このまま無料をいつまで続けられるのか分からない。いずれ、お金を回収されることがあれば不満」「現場で働く看護師に対する業務負担軽減や支援はほとんどないのが現状である」「(理不尽な要求をされる患者に)なぜ自分たちの身を危険にさらしてケアしないといけないのか、職務と感情の間で非常に葛藤がある」ーなどなど。赤裸々な思いに接し、〝白衣の天使たち〟への幻想が、〝身勝手な患者たち〟の甘えであることも、思い知らされた。(2021-9-14)

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[3]感受性の浪費へ華やかに筆が踊るー三島由紀夫『アポロの杯』を読む/9-10

三島由紀夫没後50年を記念する一連のテレビ放映。その一つとしてのNHKBSの『今夜はトコトン三島由紀夫』(8-13)を観た。登場するパネラーに新鮮さを感じたこともあり、見応え十分だった。平野啓一郎、佐藤秀明、宮本亜門、ヤマザキマリ、宇垣美里、ハリー杉山(司会役)の6人。この番組後半で、それぞれが三島の著作からの〝一推し〟をあげるコーナーがあった。『金閣寺』『奔馬』『午後の曳航』『不道徳教育講座』『美しい星』と、私にとって読み方の浅深は別にして、これら5冊は既知のものだった。恥ずかしながら存在すら知らなかったのが『アポロの杯』(『三島由紀夫紀行文集』所収)だった。読み終え強いインパクトに圧倒された★1951年末に三島が南北米大陸から欧州へと、4ヶ月ほどかけて初の海外旅行をした際の紀行文である。戦後の米国による占領が続く状況下。未だ一般市民の海外渡航は許されず、知人のつてを頼って新聞社の特別通信員というかたちをとった。時に26歳。かつて幕末期(万延元年)に、福沢諭吉が遣米使節団につてを頼ってもぐり込んで初の海外渡航をした(4ヶ月ほど)時の年齢が25歳で、ほぼ同じ。片や敗戦後の日本が復興に向かう前夜、片や日本近代化の夜明け前。自由気ままな個人の旅と、曲がりなりにも通商条約批准のための幕府使節団の随行員の旅。三島と福沢ー似て非なる二人の船旅をつい比較してしまう誘惑に苛まれた★三島の少年時代は、決定的な病弱の中で異常なまでの感受性を研ぎ澄ます揺籃期。早熟な三島はこの旅の時までに、通常の作家、文学者の域を遥かに超えた創作活動を展開した。その後の自決に至る20年を思うとき、この旅は彼の人生のスプリングボードだったように思われる。「感受性を濫費し」「すりへらしてくるつもり」だとの、旅への意気込みの十分過ぎる披歴に、読むものは身構え続ける。とりわけ、「希臘(ギリシャ)は私の眷恋の地である」で始まる「アテネ」編はあらゆる意味で際立っている。「無上の幸に酔って」三島は、「筆が躍るに任せ」て、「今日ついにアクロポリスを見た!パルテノンを見た!ゼウスの宮居を見た!」と、〝らしくなく〟はしゃぐ★「一生のうち二度と訪れるであろうか」とまで言う三島は「絶え間のない恍惚の連続感」に浸り尽くす。並の感性しか持たない私など、三島の類稀な「希臘礼賛」に接すると、つい〝ひねくれ心〟が頭をもたげる。そんな国が欧州のお荷物と見做されるほど、今冴えないのは何故かと。かつて、ローマの地で作家の塩野七生に会い、イタリアの今昔を比較して同じような問いかけをしたことを思い出す。芸術家の鋭過ぎる感性への、凡庸極まる政治家の嫉妬がもたらす愚問であろうか。諭吉から三島へ、繋がるものは、ただ一つ。西洋文明、その思想に翻弄されない〝自主独立の日本〟へのあくなき渇望である。ゴールは未だ水平線の彼方に霞んで見えない。(2021-9-11一部修正 敬称略)

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[2]中道主義との比較に思い馳せるー西部邁『福沢諭吉 その武士道と愛国心』を読む(続)/9-5

「諭吉論」は前回で終えたつもりだったのだが、続編を。というのは1999年12月発刊のハードカバーは文藝春秋社のものだったが、中公文庫本(2013年6月)には評論家の中野剛志による「解説」が付いており、これがまた滅法面白く読ませる。これに触れてみたい。「マージナル・マンの『痩我慢』」と題する10頁のものだ。西部邁主宰の「発言者塾」の塾生だった中野は西部塾長との逸話を織り込み、「諭吉による西洋文明批判」の面白さなどを全面展開する。30年ほど前の「IT礼賛」花盛りの時代に、西部が「明治の昔も平成の今も、まったく変わらないね」と、「西洋盲信」を笑っていたと紹介する。これは令和になった今も基本的に変わらない。その挙句、この分野で日本が米欧のみならず中韓の後塵すら拝して慌てている現実は笑うに笑えない◆中野はこの「解説」で、西部による「福沢理解のための3秘訣」を示す。❶社会学者と見なす❷「マージナル・マン(境界人)」の視座で見る❸精神の様式を「武士道」として見る。どれも新鮮な切り口である。武士道とは、「死ぬ事」と「好いた事」との「二つの方向のあいだでバランスをとる生き方」であるという。この位置付けには唸らせられる。「臨終只今にあり」を常に意識した上で、同時に今を楽しむ生き方に通じるといえようか。「死ぬほど好きだ」との表現を下世話でよく聞く。その都度、矛盾を感じてきたが、福沢諭吉を西部邁を通して、中野剛志の「武士道解説」で読むとよく分かったような気がしてしまう。さて、それをまた、私の読後録で読まれた貴方はどうだろうか。わけわからんということではないように祈る◆さて、この「解説」は、福沢の『痩我慢の説』に関連付けて、西部の振る舞いは「左批判」だけでなく「右批判」にも及ぶことを明示していて興味深い。保守思想家・西部邁は、西洋思想に目が向きすぎであるとし、右勢力が「日本思想の伝統に回帰せよ」と批判してきたことを取り上げているのだ。極め付けは、「武士道の伝統は、精神の平衡を保ちつつ最高の義を目指す緊張した姿勢の『形式』のこと」だとし、「『実体』としての伝統を手に入れて安心したがる浪漫主義者は『伝統』ではなく、単なる『古習』に『惑溺』する」存在だとするところだ。この辺りの記述は、「福沢、西部、中野」三者一体の様相をもって読者に迫ってくる◆ここで、「真正・中道主義者」を自負する私は、この三者の目にどう映るか、が気になる。西洋文明批判を専らにし、伝統的日本思想にも厳しい眼差しを持ってきてはいるが、中野に「西洋と日本の境界線に立った者だからこそ、『西洋的なもの』と『日本的なもの』の双方の臨界を見極めることができる」と断じられると、いささかの動揺を禁じ得ない。これとは似て非なる「境界線上」に立って、常に「精神の転落死」の危機に彷徨う自分であってみれば、無理もないと自己弁護する気にもなろうというものである。我らの「中道主義」こそ、直接福沢諭吉に列ならないまでも、同種の指向性を持つ存在であると自覚したい。(2021-9-6 敬称略)

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