Monthly Archives: 4月 2018

(254)見え隠れする「仁義なき戦い」ー柚月裕子『弧狼の血』を読む

遠い日に観た深作欣二監督の映画『仁義なき戦い』(原作・飯干晃一)は、筋書きもなにもかも忘却の彼方だが、強烈なインパクトだけは今に残っている。イタリア・マフィアを描いた『ゴッドファーザー』に勝るとも劣らない名(作だと、私は持ち上げることを憚らない。それに似た映画が5月半ばに公開されると知り、先に原作を読もうという気になった。柚月裕子『弧狼の血』である。2年半ほど前に刊行されているのに、全くその存在を知らずにきた。読み始めるや一気に嵌り込んでしまった。女の身でありながらとは言わないが、よくぞここまで警察、暴力団の世界をリアルに描けるものよ、とつくづく感心し続けながら読み進んだ■広島県呉原市(架空の町)が舞台。とくれば、もう広島弁が主役。暴力団といえば神戸とくるはずだが、関西弁は暴力の世界といまいちしっくりこない。『仁義なき戦い』での菅原文太らの言葉づかいが今も耳元に響く。警官で暴力団係長・大上章吾の描き方にはド迫力があり圧倒される。その大上の相棒となる新米刑事・日岡秀一とやくざとの乱闘シーンでいきなり幕が開けるが、ここから一気に引きずりこまれる。やくざそのものと見紛う先輩刑事と広島大出のインテリ若造という組み合わせは絶妙である。この小説はもちろん単なる暴力を描いたものではなく、推理小説仕立て。12の章ごとに冒頭に、日岡の書いた日誌が出てくるのだが、何故か黒い線で塗りつぶされている個所が数多く出てくる。ネタばらしは出来ないが、感のいい読み手なら、なぜ消されているか作者の意図がわかるかもしれない。■大上の人物像の描き方に絶妙な差配が窺えるのに比べて日岡はどうも線が弱いし、リアルさに欠けるという印象(これは最後に謎が解けるのだが)に苛まれる。警察官が暴力団と深く関わるなかで一線を越えてしまうという設定も、今によくあるパターンではある。アメリカ映画ではよく見受ける風景なのだが、現象面の一歩奥にある時代背景がよく見えないというのは気にかかる。『仁義なき戦い』は戦後の焼け野原の広島が舞台だけに、否が応でもあの大戦の傷跡が重なって見えた。それに比べてこの小説は歴史の背景がよく見えない。淡泊さが否めず、なにかもの足りなさが付き纏う。つまり、戦後70年余の時代を経ての広島でのヤクザ同士の争い、警察組織と暴力団の凌ぎ合いが小さくまとまって見えてしまう。つまり架空の場所での夢物語のように、である■映画は、役所広司と松坂桃李の二人がコンビで、他に江口洋介や真木よう子が出ているという。果たしていかがな出来栄えか。日本映画界の進展ぶりもうかがえるだけに注目されよう。『仁義なき戦い』では多くの脇役が個性的な光を放ち、金子信雄など未だに記憶に残る。大上の愛用したパナマ帽やジッポライターなど本の中で繰り返し登場する小道具が使われるのかどうか。今からワクワクしている。(2018・4・29)

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(253)「文明開化」の成れの果てー山本義隆『近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻』を読む

「山本義隆」という名を見聞きして、どういうひとかを分る人は今や少ないだろう。現在の肩書は駿台予備校に勤務する科学史家だが、元東大全共闘代表といった方が早い。尤も全共闘に関心を抱く人ももはやそう多くはいないのではないか。だが、団塊の世代にとっては様々な思いを抱かせる懐かしい人だ。この人私より4歳年上だから、60年安保闘争時には19歳だった。当時、一世風靡した連中の多くは転向したり、その戦いの戦線から消えてしまった。そんな中でこの人は、若き日の思いを深く沈めつつ、きちっと生き抜いた数少ない人のように思われる。新聞書評で『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』を見てすぐ様に読んでみたいと、買い求めた。理由は二つある。一つは明治維新から150年を科学技術の面から総括した視点に興味を抱いたこと。もう一つは、全共闘の闘士の”この50年”に興味を持ったことである■率直に言って見事な出来栄えだと推奨したい。「対西洋」の観点で、科学技術の分野での立ち遅れへの取り組みが日本近代150年のすべてだったといって過言ではないと私は思ってきた。裏返せば、哲学思想の分野での東洋の立ち位置を見失わせてきてしまった。その罪は大きい。そう考える人間にとって、科学技術総力戦体制は近代日本の別名であり、それが「3・11」(福島原発事故)で完全に破綻したとの捉え方に全く異論はない。この本では明治以降の科学史の流れをきちっと追いつつ、当然の結果としての行きついた果てを克明に記している。これまでの様々な日本近代150年を整理したものの中でも極めて分かりやすく著者の意図が直ちに理解できる。これがしかし、残念ながら「岩波新書」だという事もあり、先入観を持たれ、非現実的な理想主義の流れをくむもの(伝統的左翼思想)として遠ざけられることを憂える■明治維新からの40年で日露戦争に行きつき、更に40年後にかの大戦の敗北に至った。近代日本の前半は、概ね「富国強兵」の時代と位置付けられる。軍事力と資本主義の二人三脚といえようか。しかし、それは「もともとは欧米資本主義の経済活動のなかから生み出された科学技術研究は、戦時下の日本の総力戦体制の下で、国家の機能と一体化していった」のである。つまり、科学技術への要請は常に軍事力、資本主義と裏表をなしており、庶民の生活は一貫して顧みられなかったということでもある。これは戦後も続く。つまり近代日本の後半は、「富国強経」とでもいうべき経済至上主義が国を覆ってきたのだが、結局は科学技術での欧米への遅れを取り戻す戦いの延長戦に過ぎなかったと言える。すなわち明治維新からずっと日本は科学技術で西欧に追いつくため遮二無二走ってきたが、結局それで大事なこと(日本独自の思想哲学の樹立)をし損なったということではないのか。それはまた「文明開化」の名のもとに、西欧文明にただひたすらひれ伏してきたことの行きついた果てのように思われる■あの福島の原発事故の経験をしながら、原発を視野に置かぬ国造りは「(国の)浮沈にかかわる」との捉え方を未だにする政治家が公明党の中にもいるのは誠に残念だ。「問題の本質は、政権・経済産業省・原子力ムラ・原発企業等からなる(日本株式会社)の失敗にある。東芝凋落で示されたのは安倍政権の成長戦略の危うさ」であり、「経済成長の強迫観念にとらわれた戦後の総力戦の破綻である」との著者の主張は首肯できる。これを旧左翼的考え方、岩波文化人の流れをくむものとしてステロタイプ的に決めつけ、無視するのはいささか早計にすぎないか。既にかつての首相経験者二人が反原発運動の先頭に立っていることを見ても分るように、旧来的な「左右対立」ではない新たな対立軸が浮上している。それは恐らく自然を人間が支配するものとして捉えるのではなく、経済成長や科学技術を万能と見る生き方でもなく、人間と自然とが共生する世界、スケールは小さくとも心豊かな国を目指すものであるに違いない。(2018・4・25=修正)

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(252)「反核」を叫ぶ権利はいずこにあるか━━太田昌克『偽装の被爆国』を読む

 1993年から20年に及んだ私の代議士生活は、いわゆる「失われた20年」とほぼ重なる。バブル崩壊から長期にわたるデフレによる生活不安がそのベースを形成していた。「政治改革」をめぐる動きに端を発し、小選挙区比例代表並立制の導入を経て、連立政治が常態になった期間でもある。それこそ「後の祭り」なのだが、この間政治家は何をしてきたのかと、時に暗澹たる気分に襲われる。孫や子に恥じない政治家としての足跡を残すことができたのか、と自責の念にも駆られる。なかでも深く頭を垂れざるを得ないテーマが「核廃絶」である。与党の一翼・公明党の議員として、この分野を担当しながら結局は核をめぐる事態を毫も変えることが出来なかった責任は小さくない。そんな折も折、日本という国に対して『偽装の被爆国』との決定的な烙印を押す本に出会った。

 著者の太田さんは、この本でボーン上田記念国際記者賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞。一方、政策研究で博士号も。私より20歳ほども年若なのだが、この分野でのジャーナリストの先達として、畏敬の念を抱いてきた。「石畳を焼きつけていた強い西日に薄い雲がかかると、心地よい南風がピタリとやみ、瀬戸内特有の夕凪が薄暮の公園を静かに包み込んだ」──2016年5月27日午後6時過ぎの広島市平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑前。この印象的な書き出しは、米大統領として史上初めて被爆地に足を踏み入れたバラク・オバマ氏の振る舞いへと続き、読者を「核」の世界へと誘い込む。

    太田さんはワシントン特派員時代から15年以上にもわたって幾たびもホワイトハウス高官ら米国のエリート官僚を取材してきた。その人々との息詰まるせめぎ合い。日米関係の錯覚をときほぐすお手並み。推理小説の種明かしのように、実に読み応えがある。この辺りの呼吸は他の追随を許さない。ただ、日本人しかも政治家の一員としては何とも切なく虚しい思いになる。「被爆国」という日本の一枚看板の素顔が次々と暴かれ、剥げ落ちて行くからだ。

●被爆者の悲痛な叫びと憤怒の声

 「核」をライフワークとするという広島選出の岸田首相。外相の頃から、核兵器禁止条約をめぐる交渉については、野球でいえばエースがリリーフで登場しながらも敢え無く打ち込まれて惨敗を喫したような姿が偽らざるところでした。太田さんは「『分断』を防ぐための提案を行うやり方もあったはずだ」し、「将来『核の傘』から脱却できる日が来た時に備え、いま米国の核抑止力を信奉している『傘国』、さらにはその背後に控える核保有国も参加できる仕掛けづくりに、被爆国の外交官の叡智を結集すべきではなかったか」と、さりげなくだが厳しいタッチで追及する。その矛先は政権のパートナーの身にもキリキリと痛く食いこむ。

 エピローグで、最近「日本政府にはもう『被爆国』と名乗らないでほしい」との被爆者の悲痛な叫びと憤怒の声をよく耳にするようになったと紹介されている。その心情たるや痛いほどよくわかる。ただ、ここで私が想起するのはかつて読んだ佐伯啓思氏の『「保守」のゆくえ』における次の一節である。「もし日本に『反核』を唱える権利があるとすれば、それは『唯一の被爆国』だからではなく、日本が西欧近代的な思想を相対化しうるという限りにおいてなのである」。日本は明治維新以降150年というもの西欧近代的な思想に絡めとられてきた。その思想こそ「核」に行きつく宿命を持つがゆえに、それを絶対視してきた日本人には批判する権利はないというのである。つまり、西欧近代的な思想に代わりうるものを日本が持たなければ、「反核」などと偉そうなことをいう権利はない、とまで。

 この人らしい深くコクのある論理展開である。そうなると、冒頭に述べたように自信喪失をし自己嫌悪に陥っていた私も俄かに蘇る思いを抱く。「反戦・反核」の闘いを世界において長い歳月展開してきた創価学会 SGIにはその資格があるといえるからだ。どうしてか。日蓮仏法を基軸にした中道思想こそ西欧近代的な思想を乗り越えるものだと信ずるからだ。より正確には日本独自の世界観を持ってこそ「核」に反対する権利があるといえようか。こう思うに至って、沸々と「反核」への闘志が改めてわが体内に漲ってきた。

【他生の縁 テレビ出演を見て感想をメールで】

 市川雄一元書記長が亡くなって暫く経って、私が毎日新聞の要請を受けて追悼文を書きました。拙文を読んだ多くの友人から心温まる激励を頂きましたが、そのうちの一人が太田さんでした。

 最近はテレビのコメンテイターとしても活躍中。時々映像を見てメールします。また『核兵器を本音で話そう!』という本で、リアル派の専門家3人と激しく渡りあっていたものを読みました。劣勢だったので、励ましたのですが、「更なる自己研鑽をせねば」と自省される姿勢が却って眩しく思えました。

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(251)自前の歴史観を持ちたいとの渇望ー佐伯啓思『「保守」のゆくえ』

朝日新聞を自宅で購読することを来月からやめるつもりだ。長い間まさに愛読してきたのになぜなのかはここでは触れない。それよりも今やめると読めなくなるのが惜しいコラムがある。佐伯啓思(京都大名誉教授)さんの『異論のススメ』だ。この新聞が今辛うじて存在感があるのは、自社の主張とほぼ真反対の考えの持ち主を「異論」として登場させることだろう。この6日付けの「重要政策論の不在 残念ー森友問題一色の国会」がその典型だ。朝日新聞こそこの国会における野党の戦いぶりのこよない応援団であり、主導的役割を果たしている。その新聞が、佐伯さんの批判的意見をオピニオン欄の最下段とはいえ掲載し続けているのは面白い。この問題については与野党とメディアの双方に責任があると思うがこれもここでは触れない。佐伯啓思さんの近作『「保守」のゆくえ』を読んだ。先に西部邁さんが亡くなった時に、その志向するところの類似性に思いを馳せ、よりマイルドなのが佐伯さんだと書いた。かつて若い頃に嵌りかけた評論家・福田恒存氏の延長線上にも位置しよう。この本はまさに現在展開する諸事象の根源的な問題の所在に迫っており、「保守」の真髄とでもいうべきものを明らかにしている■我々が物心ついた頃から一貫してあった「保守対革新」の対立の枠組みが潰えてほぼ30年。いわゆる冷戦が幕を降ろしてからの時期と重なり、日本にあっては平成の30年とダブル。ソ連の崩壊とともに内外における「革新」の退潮があり、世界は混とんとしたカオスの状態に陥っている。佐伯さんは、冷戦とは「ソ連社会主義や共産主義という理想へ向けたそれこそ究極の『進歩主義』と、それを押しとどめようとするアメリカ中心の『保守』との対立」と見なされていたが、実はそうではなく、「計画的・平等主義的な進歩主義」と「競争的・自由主義的な進歩主義」の対立であったという。そして、「保守」を定義し論じることの難しさを正直に告白している。巻頭に掲げられた「無秩序化する世界の中で『保守思想』とは何か」で8つの基本的論点をあげてはいるが、何れも真正面からの定義づけではない。すべて「まともに論じるのにはかなり骨の折れる」ことで、「多くの場合、保守思想は、何らかの具体的な問題状況のなかで、それに即して論じるほかない」としている。まさに、これは私たちが中道主義とは何かを論じる場合と同じだということは興味深いものがある■この本はある意味で解のない論考といえ、矛盾の只中にある課題を考える解決への糸口を示しているに過ぎないものかもしれない。しかし、それゆえにこそ著者の苦労がしのばれ、その思考の所産を頂く喜びも大きい。様々な果実の中でわたし的には、「近代日本とは何であったか」とのテーマに関するものが参考になる。最も読み応えのあるのは第三章「歴史について」で、「「アメリカはその普遍的理念が挑発されていると感じ、中国は『中国』という国家そのものが挑発されていると感じ、イスラムはイスラムの宗教原理が侵食されていると感じて」、悪循環の回路にはまり込んでいる、と。で、最大の問題は「諸国家の利益の対立」ではなく、「西洋啓蒙主義が生み出した歴史観によって作り出された『近代』をめぐる価値の対立」にあると「見ておくべき」だという■西洋の歴史観に翻弄されてきたのが明治維新から150年の日本近代史であり、そこからの脱却こそ日本の大いなる希望であると私は思う。神道日本に仏教、儒教、キリスト教などの外来宗教、思想が入ってきたが、江戸期まではなんとか凌いで、自前の思想的なるものを持してきた。だが、明治に入って科学技術の鎧を纏った西洋啓蒙主義の怒涛のような侵入の前に、日本はなすすべもなく降参してきた。そこから何とか超えるための思想、歴史観の確立を急ごうと私など考えてきた。佐伯さんは「現実的な選択肢として、ポツダム宣言の背後にある歴史観を俎上に挙げ、アメリカの政治信条というべき『近代主義』の普遍的歴史に対して、われわれの歴史観を打ち出すなどということが容易にできるとは思えない」というのだが、そうだろうか。いかに困難であっても、自前の歴史観を持ちたいと渇望する。この本を読んで改めて一層その思いを強めた。(2018・4・10)

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