表は赤穂浪士の情。裏は徳川幕府の怨。(19)

「忠臣蔵には日本人の情がいっぱいつまっています。この情を世界に訴えるべきだと思います」-中西進さんはかつて、テレビの忠臣蔵特集番組で、忠臣蔵を世界に紹介する際に何をポイントにすればいいか、と訊かれてこうコメントした。『日本人の忘れもの』第三巻の最終章に出て来る。忠臣蔵と情。これには誰しも異存はない。その通りだと思う。今、NHKの大河ドラマで放映中の『軍師 官兵衛』も情にあつい官兵衛と24人の部下たちのドラマだ。我が郷土は情にとりわけあつい人たちを多く輩出しているのは嬉しい限りだ。

その上にたって、忠臣蔵の赤穂浪士たちの話は情だけではなく、全く別の観点から読み解けるとの珍しい説を目にした。竹村公太郎さんの『日本史の謎は「地形」で解ける』だ。実は、この本、文庫化されるにあたって整理され直したもので、読むのは二度目になる。一度目と違ってさらに面白いことを考えさせられた。

竹村さんは私が衆議院国土交通委員長をしていた2001年に河川局長をしておられたれっきとした高級官僚。たまたま私とは同い年だが、途方もない凄い男だと思う。日本史を文科系の頭で考えるのではなく、気象や地形といった観点から読み解くというのだから。赤穂浪士の話も彼にかかると、徳川幕府が吉良家を潰すために、赤穂浪士の討ち入りがしやすいようにあれこれ便宜をはかり、成功した後もそれを宣揚するために大いに尽力したのだという。つまりは、情の物語は表面で、実は裏面は怨の物語である。しかも主体は徳川幕府なのであって、浪士ではない。読んでいない人のために概略紹介しておこう。

竹村さんは「赤穂浪士は江戸幕府に匿われていた」のであり、もっと言うと実態は「指名手配の過激派が警視庁の裏をアジトにしたようなもの」だとまで言う。なぜか。①半蔵門は江戸城の大切な正門②江戸幕府は将軍がその半蔵門の堀を渡るのに、構造上危うい木橋ではなく、土手にした③半蔵門の土手防御のため、四谷見附から江戸城までの郭内は御三家や親藩の屋敷を配置し、かつ、戦闘集団の旗本たちも住まわせた④賑わう麹町の商店には、密偵がくまなく配置されていたと推定できる⑤江戸で最も警備が厳重なこの麹町に、副官の吉田忠左衛門、武闘派急先鋒の原惣右衛門をはじめ16名もの赤穂浪士が潜伏していたーこれらのことから先の結論が導き出される、と。

加えて、吉良邸が江戸城郭内ともいえる呉服橋門から本所の回向院の隣に移転させられたのは、なぜか。まさに、強力な警備機構が集積している江戸の中心部から川向こうの倉庫街という寂しいところへ移されたのはいったいなにゆえなのか。竹村さんは、江戸幕府が吉良上野介を江戸城郭内からまるで放逐したのは、吉良家を抹殺するために舞台を自らお膳立てしたのだという。「忠臣蔵」をめぐっては数多の異説が飛び交うが、この説はとびきり変わっていて、興味深い。次回にその種明かしと、そこから私が考えることを述べたい。(この項続く)

 

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