赤穂浪士たちの異常なまでの親愛感ー野口武彦『花の忠臣蔵』を読む

先日遠来の友たちと共に相生の天下台山(てんがだいさん)へ登った。標高321.4mの山ではあるが頂上からの眺めは、瀬戸内から播州平野をぐるっと一望できる絶品だった。長きにわたって西播磨を歩き回ってきたがこんな近くにこのような素晴らしい山があるなんて知らなかった。案内してくれたのは中学同期の友人だが、鎌倉に住む榎田竜路(アースボイス代表。北京電影学院客員教授)とそのアシスタントの女性(沖縄在住)も同行した。山を下りてから、赤穂へ行くことも今回の小旅行の目的であった。榎田さんは地域振興のために、2分間の映像を受講生に作らせるという手法をひっさげて、全国を渡り歩く内閣府地域活性化伝導師である。この日は彼が兵庫県市川町での半年間の講座を終えた翌日だった。ひと仕事を終えた彼を癒すために私が企画した。赤穂では大石神社に行き、神社の門前に立つ47士たちの石像を観たが、山の眺望に加えて再び友の感激は絶頂に達した。車中で赤穂という町の説明をしたのだが、随行の女性は赤穂浪士たちのことについて十分には知らないという。このため私がつい先日読み終えた野口武彦『花の忠臣蔵』を基に、赤穂浪士たちのことを熱く語った▼これまで数多の忠臣蔵ものを読んできたが、この本はまた違った趣きを持つ。47士に深く寄り添う形でかの時代を描く。例えば将軍綱吉の「生類憐みの令」を間喜兵衛がどう見ていたか。その手紙の中で「法刑が過酷すぎるということは『人性の病い』と申すもの。(中略)天下をお治めになることはできても、ご当人の心はお治めになれないということ」のくだり。時の将軍を地方の一武士がどう見ていたか改めて良く分かる。「心の師となるとも心を師とせざれ」との先哲の言葉を戒めにしている我々からして、思わず共感してしまう。また、浅野内匠頭という主君と従者たちの関係を描くエピソードが面白い。武林唯七の月代を剃ったときのこと。頭の皮膚を湯で湿すのを忘れたり、剃刀の柄が緩んでしまったのを殿様の頭で柄をすげたりしてしまった。主君は立腹はしたが、あまりの粗忽ぶりにおかしくて笑いだしてしまい、別段の御咎めはなかったという。こうした主従関係を通じて、いかに内匠頭が皆から愛されていたかを描き出す。「個性はそれぞれまちまちだが、共通しているのはみんな内匠頭が好きだったことだ」から続く数行は、忠臣蔵の本質を抉り出して尽きない。大いなることの成就には中心者への深い信頼と愛が必要だということを思い知らされた▶赤穂浪士たちの石像を観ながら、それぞれが極めて強烈な個性の持ち主だったことを改めて思った。そしてそういう人たちを郷土の大先輩に持ったわが身の誇らしさを。こういったことを口にするところがいかにも我ながら政治家臭い。恥ずかしながら、そう思ってしまう。昨今、あまりにもだらしのないふしだらな政治家の実態の一端が明らかになったり、職業倫理のかけらもうかがえないような企業人の不始末を見聞きするにつけても、赤穂浪士たちの壮絶なまでの立ち居振る舞いが眩いばかりだ。この本は今こそ読まれてしかるべきものかもしれない▼討ち入りのあとの当時予想されていた動きが克明にしるされているくだりも興味深い。吉良有縁の上杉家の報復を恐れる関係者たちの対応ぶりはいかにも臨場感をもって迫って来る。結局「上杉は来なかった」との叙述には改めて多くのことを知らされた。赤穂浪士たちの人間群像があらゆる角度から描かれていて興味は尽きないが、彼らが残した辞世の句には当然ながら心撃つものが多い。堀部弥兵衛の「雪晴れて思ひを遂ぐる朝(あした)かな」には、達成感が雪の白さと晴れ渡った空気のなかに凝縮されていて心地よく響く。吉田忠左衛門の「君がため思ひぞ積もる白雪を散らすは今朝の峯の松風」も、松の枝から雪が音を立てて落ちるさまが眼に浮かび耳に聞こえてくるようだ。忠臣蔵、赤穂義士の物語も「諸説紛々、異説あり」の世界だろうが、こうした”ものがたり”をわがことのように語れる播州人はまことに幸せである。(2017・12・21)

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