『オーケストラ解体新書』ーこの本の表紙は実にいい。読売日本交響楽団(読響)の構成メンバー90人全員の笑顔輝く写真が素晴らしい。弾ける音色が聞こえて来るかのように。表紙の左右に折り込まれている部分をすべて開けてみると、普段は見えないところにいる人々も笑っている(二三人の例外を除いて)。オーケストラの演奏では楽団員の笑顔はあまりお目にかからない。いつも真面目そのものの真剣な顔ばかりの印象が濃いだけにより一層惹きつけられる。巻末のインタビューで読響常任指揮者のシルヴァン・カンブルランが「もっと笑顔で弾いてほしい。楽器を弾くことに集中するだけでなく、もっと体全体で音楽をやってほしい」と楽団員に具体的な注文を付けていることに我が意を得た思いだ▼この本の中心的編著者の飯田政之さん(読響事務局長を経て現在は福岡放送取締役)とは彼が読売新聞政治部時代に知り合った。鹿児島県出身(鶴丸高、東大卒)で今もなお剣道をこよなく愛し、ヴァイオリンの名奏者でもある。現役時代に広報局長をしていた私はあまたの各紙・各局の新聞・放送記者と付き合ったが、衆議院議員会館に付設されていた卓球場で汗を流したのは彼の他にはあまりいない。それくらい親しい間柄で、幾度となく議論を交わしたが、かくほどまでに音楽に造詣が深かったとは知らなかった。若き日より培った薀蓄を背景に縦横無尽の才を発揮して、目くるめく音の発現体を解きほぐしている。先日、日本カイロプラクターズ協会の博多での催しに参加した際、彼と久方ぶりに顔を合わせ、美味しい肴を前に痛飲しつつ語り合った。ペンと剣の使い手が、音楽の世界から映像の世界へと更に飛翔されようとする姿に感じ入ったものである▼なんといっても、第一章「一期一会の音楽を作る」に魅了された。ユーリ・テルミカーノフから、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、シルヴァン・カンブルランに至る読響の指揮棒を振った人たちを紹介するタッチは私のような音楽の世界の門外漢の胸にも迫りくるものがある。口絵で紹介された彼らの雄姿を目で追いながら読響の華麗なる歴史を思いやった。この章には3本のコラムが披露されているが、鬼才たちの日常がしのばれて微笑ましくさえある。後半第6章に掲載された「日本のオーケストラの課題を語る」という大学教授、作曲家、指揮者らの鼎談は、色々と考えさせられる。オーケストラの世界は圧倒的に西洋優位だとの思い込みを再考させてくれるくだりに特に惹きつけられた。「オーケストラ音楽を『退化』、『様式化』させていく方が、もしかすると日本文化の国際的歴史的役割かもしれないんですよ(笑)」との作曲家・西村朗の発言は、私としては、(笑)の部分を消し去りたいとの思いに駆られた▶先年ある新聞論考で、音楽こそ世界平和へのカギを握る芸術媒体だとの指摘があり深い感銘を受けた。言葉の障壁を越えて、宗教や思想の相違をも乗り越えて、音楽は人間存在を基底部でつなぐものだと私も思う。もっともっとオーケストラによる本格的な音の饗宴が日常生活に入って来ると世の中は幸せになるに違いない。学問としての音楽が苦手だった私はピアノ弾きの女性を妻にした。合唱、斉唱を耳にするたびに、多数の人間が声を合わせることの神々しいまでの素晴らしさを感じてきた。また、少ない経験ながらオーケストラの魅力も聞きかじってきた。この本はそうした音の世界を作り出す側の仕組みを解き明かしてくれる稀有な本である。大概の芸術は眼で分るものだが、音楽ばかりは眼で見えない。それを文字であらわす難しい試みに挑んだ人たちの勇気を推奨したい。(2017・12・3)
【この本一冊だけは、著者が個人でなく編著者。その仕事の中心人物が飯田政之さん。この読書録を書いた時から4年半ほどが経っています。福岡から広島へと勤務先は移動し、今は広島読売テレビの社長になっています。その間に、後輩の柴田岳さん(元公明党番記者)が大阪読売新聞の社長になったことを祝って、3人で姫路で祝杯をあげました。後輩に先を越されたわけですが、我がことのように喜んでいたのがとても印象的でした。
この二人は私の付き合った数多い新聞記者の中で、池田大作先生との記者懇談会に臨んだことがあります。彼らも自慢にしていましたが、私も誇りに思ったことを覚えています。その飯田記者が、テレビ会社の社長になって、本当に嬉しく思い、昨年の衆議院選の際に、激戦区応援で広島を訪れたついでに就任祝いを気持ちだけしました。交わした地酒(銘柄忘れましたが)の美味かったこと。ほんと最高でした。
彼は以前に札幌に勤務した時代にも書いたコラムをまとめた本がありますが、私が好きなのはオーケストラを描いたこっちです。「ウクライナ戦争」の暗雲たなびく中一段と光ってみえます。(2022-5-15)】