歴史の謎解きに挑む悦びー中公新書編集部編 宮城大蔵『日本史の論点』第5章を読む

「日本史の謎解きをこの1冊で!」ーこの本は実に面白くて、ためになった。古代、中世、近世、近代、現代と5つのパートに分けられ、全部で29の論点が挙げられている。新聞書評欄で知って、一気に読んだ。但し、前から順にというわけにいかず(古代はとっつきにくいゆえ)後ろから挑んだ。で、この読書録も最終章「現代」から遡ってみる。❶戦後論❷吉田路線❸田中角栄論❹高度経済成長❺象徴天皇制の5つが取り扱われている。論点をあれこれ述べたのちに末尾に掲げられたそれぞれの集約部分が興味深い。❶では、「『戦後』に終止符を打ち、一つの時代として完結させるには、戦後につづく時代を規定し、特徴付け、そして名前を与える作業が不可欠である」という。ただ、「戦後」に終止符を打つためには、この70有余年の連続性を断つ必要がある。それは「米国からの自立」を意味するわけで、到底難しい。つまりは米国支配からの脱却なしに「戦後」は終わらないと私は思う■吉田路線の効用は、軍事力を米国任せにして経済優先に打ち込んだ結果、目を見張るスピードでの高度経済成長を果たしたことである。❷と❹は政治と経済の両面から、同じテーマを論じたとも言えよう。かつて日本は「経済は一流だが、政治は三流」と言われたものだが、今や経済についても政治と見合ったものであるとの見方が定着している。著者は、吉田路線をめぐる現時点での重要な論点は、「『経済大国』に代わる日本のアイデンティティはいかなるものなのか」であり、次の路線を問うものだという。そして経済については、「欧米を念頭に置いた後進性と特殊性の呪縛から、肯定的な『日本モデル』へ。そしてその衰退と、経済を中心とした日本モデルの国際的評価の変遷は、そのまま日本の自画像の投影でもあった」と、まとめている。経済への過信から脱却する具体的方途は、どこにあるか。吉田路線という経済成長のみを追う国作りから代わる路線とは。私は今まで、「ほどほどの軍事力と経済力を兼ね備えた文化・芸術立国」という表現を用いることが多かった。これを分かりづらいというなら、「観光大国」と言い替えてもいい。観光は、人口減社会にあって外貨稼ぎの最有力の道であり、日本の歴史・文化・伝統を外に開く最大の機会だからである■ブームと言われるほど、いま田中角栄論が喧しい。同元首相を巡っては、金権腐敗政治の張本人というレッテル貼りを除けば、私はそれなりの評価をするのにやぶさかではない。ただし、それは彼が米国の虎の尾を踏んだ(ロッキード事件の真相と絡む)と見られることが事実なら、との条件つきである。戦後史の中でたった一人だけの「偉業」であったがゆえに、獄に繋がれるとの「汚名」も違って見えてくるからだ。角栄以後の日本の首相たちがリーダーシップ(度量、裁量の面)で、見劣りするのは否めない。もちろん、中曽根首相は比肩されないかなどといった異論はあろうが、どれも彼の登場前後の破壊力とは比べるべくもない。田中の政治的業績の最大のものが「日中国交正常化」であることは論を待たず、それに関する論評も一点を除き的確だ。惜しむらくは当時の日中関係にあって公明党が果たした役割に全く触れていないのは残念である。自民党の外にあって野党外交の真骨頂を示した政党であるからこそ、今に至って連立政権の一翼を担い得ているとの論評が皆無であるのは不思議という他ない■最後の象徴天皇制に関わる記述は「なぜ続いているのか」との問題提起から始まる。結論部分に、現代日本の「象徴」として相応しいかどうか、「国民の総意」を形成する作業として欠かせぬ論点は、「皇位継承の形と皇室の範囲」だとしていることは興味深い。「結婚した女性皇族が皇室を離れるという現在の制度の下では、秋篠宮夫妻の長男である悠仁親王が天皇に即位する頃には、皇室のメンバーが大幅に減少しているという状況が不可避である」ため、「続くかどうか」は大いなる問題となろう。平成天皇の「予期せぬ譲位」は、全ての国民にとってこの問題を考える絶好の機会得たことになるとの著者の問いかけはずしりと重い。かつて衆議院憲法調査会での「女系天皇」の是非をめぐる議論の場で、私は女性天皇の実現は「男女同権」の観念から当然との発言を行ったものである。尤も「男系天皇」に限るとする論者たちの論難に、これが耐えられるかどうか。いささか心もとないのが正直なところではある。(2018-12-3)

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