価値観変えた武士の登場ー中公新書編集部編 倉本一宏『日本史の論点』第1章 「古代」編を読む

日本史のうち古代は好き嫌いの差が大きいように思われる。古代ファンは私の周りにも少なからずいるが、私自身は苦手である。だから、この本もとっつきやすい後ろの現代から前へ逆に読み進めてきた。単に食わず嫌いなのだろうが、遥かなる昔のことに私の貧弱な想像力が及ばないからだとも思う。小説でもSF小説は馴染めない。要するにリアルがないものには手が伸びないのだ。だが、ぐるっと回って元に戻って「列島の形成から六世紀までの概要」を再び読み返すと、かなりわかってはきた。ただ、自分の理解力の拙さを棚上げにして、著者の著述ぶりの難解さが気になる。もっとわかりやすく書いてくれ、と。かつて古代史における天皇の描かれ方で、皇室の血塗られた歴史やその出発点の在りように疑問を抱いたというナイーブな私だが、この本でもあんまり克服できたとは言い難い■論点1はご存知のテーマ「耶馬台国はどこにあったか」である。様々な論争の末、近年になって「纏向遺跡の発掘調査の進展、また最初の倭王権盟主墳である箸墓古墳の年代を卑弥呼の次の世代くらいに遡らせるようになったこと」で畿内説が優勢だという。だが、倉本さんはその説に与せず、現在の久留米市、八女市、みやま市近辺地域で、環濠集落遺跡が発見されれば、との条件付きで、「そここそが耶馬台国の可能性が高い」としている。その推論に至る経緯を丁寧に説いているのだが、最大の根拠は「そもそも、纏向遺跡が耶馬台国だとすると、この巨大遺跡が三世紀になって突然出現した意味が解けない」し、それまで卑弥呼たちが別の場所にいて、そこから「集団で纏向に移住したと考えるのは無理がある」ことを挙げている。加えて、有名な『魏志倭人伝』の距離記載を巡っても、「筑紫平野の南部のどこかに落ち着く」との結論を導き出していて、無理なきように読める。この所在論は、著者が言うように、それにのみ「議論を集中させるのは生産的なことではない」と分かってはいるものの、ミステリーじみて面白くはある■論点2は「大王はどこまでたどれるか」なのだが、この大王なるものの説明がなく、わかりずらい。天皇のことを指すのだろうが、あまりこの表現は馴染みがない。この辺り、要するに不明な、謎めいたことが多くて、よくわからないというのが歴史家にとっても本音だろう。「確実にたどれるのは継体大王」と言われたところで、当方は頭を抱えるしかない。論点3は、「大化の改新はあったのか、なかったのか」。あったものと思い込んできた私など、「大化の改新否定説」なるものに驚く。著者によると、1980年代後半には歴史学会、「特に関西では強かった」というのだが、曖昧なままで、問題の立て方がひと騒がせだと思う(この辺は編集者の責任かも)のは私だけだろうか。論点4の「女帝と道鏡は何を目指していたか」でも、 核心に迫る記述は読み取れない。辛うじて一般にこれまで道鏡=悪僧説が強かったが、近年は研究も進み、道鏡=学僧説が強まっているという辺りが関心をひく程度だ。「女帝と不適切な関係があったわけではない」というくだりには、なぜそんなことがわかるのかなあ、と苦笑いを禁じ得ない■論点5の「律令制の崩壊」と論点6の「武士の台頭」は連関性を感じさせ、いささか興味を惹きつけるものの、やはり読み物としては退屈である。このように次々とあげつらうことは本意ではないが、学術書でなく一般大衆向けの新書なのだから、もうすこしサービス精神を発揮して欲しい。だが、最後の最後に俄然面白くなる。武家が中央の政治に影響力を持ち、政治の中心に座ると、「日本の歴史は途端に暴力的になって」、「自力救済(=暴力主義)を旨とする武士の世の中を迎え、まったく異なる価値観の国になってしまった」という著者の嘆きが沸々とたぎってくるくだりである。「武士的なもの」が主流になって、「古代的なもの」「京都的なもの」「貴族的なもの」が傍に追いやられた、と。そして、「草深い東国の大地を善」「腐敗した京の都を悪」とする地域感が今に至るまで生き続けている、と慨嘆しているのは興味深い。この指摘、日本史における東西の印象を極端に戯画化して捉えているように思われ、面白い。これは東国を遅れた哀れな地域、京を先進的で恵まれた地域と見る地域感と裏表をなすと、皮肉りたくなる。このような展開をもっと前に出してくれると、古代史もぐっと読み応えが出てくると思うのだが。(2018-12-30)

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