(287)日中の命運分けた蒙古襲来ー中公新書編集部編 今谷明『日本史の論点』第2章「中世」編を読む

この本の中で、「中世」を巡っての論考を担当している今谷明氏は、5人の執筆者の中で最も年長で、70歳代後半である。そのせいかどうか、歴史学会における議論を気にされている。その分だけ読み物としての面白さを欠くきらいは否めない。だが、学会での議論の経緯を押さえるには当然のことながら都合がいいともいえよう。岩波講座が「伝統的に学会の標準を表している」との表現に依拠して、同「日本歴史」からの引用や名称が五度ほどもでてくる。また学者の名前に尊称をつけたり、呼び捨てにするなど使い分けしていることにも気付く。これは他の執筆者には見られぬ特徴だけに印象深い。で、中世の始まりをいつと見るかが論点1であるが、「院政こそが武家を政治の表舞台に登場させたことも確かで」、白河上皇の院政開始が中世の始まりとする見方をとっている。私的には、「封建制の日本における存在」が問題になったこと自体が素朴な驚きであった。つまり、西欧由来の「中世」概念は日本では馴染まず、「鎌倉・室町時代が封建制であったことには懐疑的」であったのである。日清・日露戦争後にその国力の自覚とともに、にわかに日本中世=封建社会との認識が広まったということは、学会の遅れぶりを伺わせて面白い■論点2の鎌倉幕府の成立をいつと見るかについて、これまで6つもの説があったということも初めて知った。頼朝が征夷大将軍に就いた1192年だと思い込んでいたが、他に5つあり、そのうち1185年の文治勅許(守護・地頭の任命権の獲得)をして、「現在は支持する研究者が圧倒的多数を占めている」という。名目上ではなく、実質的に支配を確立したということであろう。また、「元寇勝利の理由は神風なのか」との論点3は多いに興味深い。1274年(文永11年)の文永の役と1281年(弘安4年)の弘安の役という二度にわたる蒙古襲来は、日本史上未曾有の危機だった。従来、暴風が吹いて蒙古軍を殲滅に至らしめたという説が一般であり、その背後に宗教的力が働いたというものが世俗的には支配的な捉え方であった。しかし、文永の役は11月という時節から「嵐とは関係なく」、弘安の役では「日本側の防備が固く、たとえ台風が吹かなかったとしても上陸は困難だった」との見方がなされている。中国大陸における蒙古襲来は、文字通り漢民族の存続に終止符を打ち、それ以後の王朝との間を分断した。蒙古襲来の以前と以後とでは、この地域の歴史を異質なものに塗り替え、質の低下をよりもたらしたとの説がある。それだけに水際で防御に成功した我が民族の頑張り様が偲ばれるというものだ■日本史で最も特異な時代は、中世における南北朝時代であろう。天皇家が南北に別れて争ったと言うのだから。発端は、鎌倉時代後期に、天皇家が後深草天皇の系統(持明院統)と、亀山天皇の系統(大覚寺統)に分かれて皇位継承を争った両統迭立に始まる。両系統から交互に4回、計8人の天皇が輩出された後、9番目に立った後醍醐天皇が並々ならぬ政治への意欲を見せたところから、一気に事態は複雑なものになった。天皇親政の復活を目指した後醍醐天皇と持明院統の光厳上皇の院政のもと、光明天皇を擁立した足利尊氏とが対立。大和の国・吉野に逃れた後醍醐天皇が正統性を主張したため、南北朝時代の幕が開く。ただ、現実には4年ほどで後醍醐天皇は逝去し、かつ北畠顕家や新田義貞も相次いで倒れ、南朝が軍事的に渡り合う時期は短かった。だが、南朝の命脈はその後50年余もの長きに渡り続く。それはなぜかと問うのが論点4である。南朝側の本拠地が天然の要害であったこと、三種の神器を保有していたこと、幕府側が内部分裂の危機を内包していたことなどがあげられるが、いささか説得性を欠くのではないか。ここには謎の部分が多いように思われる■ついで、応仁の乱は画期だったか(論点5)との問いかけと、戦国時代の戦争はどのようであったか(論点6)の問いかけが続く。京都にとって は応仁の乱こそ、「この前の戦争」を指すと言うのは、笑い話を超えて神秘性すら漂う。ここでは、内藤湖南、和辻哲郎、ドナルド・キーン氏らの画期的と見る説をあげる一方、最近の呉座勇一氏の大和国の争乱をきっかけとする新たな研究成果を取り上げている点などが目をひく。最終的には「確かに画期だけれども、その画期のあり方は多角的、多面的と言うべき」だと、妙にバランスをとっているように思われて不自然だ。論点6は、1543年の鉄砲伝来後、城郭構造の変貌があったとの記述に関連して、日蓮宗の僧侶が果たした役割について触れているくだりは注目させられた。つまり、種子島から和泉堺に鉄砲が伝わったのは日蓮宗僧侶の手によるものであるとか、天文法華の乱(1536年)でも、京を追放された日蓮宗僧侶が「鉄砲献上で還京を願った」といったことなどである。日本史上、法華経をめぐる史実は、中世から近代まで、戦さがらみの騒々しいものが多いことに改めて考えさせられる。(2018-12-26)

 

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