【137】世界宗教とは何かを思い知らされるー佐藤優、松岡幹夫『創価学会を語る』

先日、ある会合の席でその世界で高名な神社の宮司さんと話す機会があった。神道と創価学会ーお互いに過去に遡ると、相互に批判しあった経緯がよみがえるが、それも「今は昔」ということに思いが至った。宗教のグローバル化という面から見ると、神道と創価学会SGIでは住む世界が今や全く違っているということなのだろう。方や日本固有の文化の守り手であり、もう一方は世界の民衆の間で圧倒的な賛同を得つつある存在だ。社会に生きている次元が異なっている。いつまでも「四個の格言」(日蓮大聖人が当時支配的な四大宗教を批判した言い回し)にこだわって、「邪宗破折」に忠実たろうとする自分は、少々時代遅れだと気づいた▼佐藤優、松岡幹夫『創価学会を語る』は、雑誌『第三文明』で連載されていたものが単行本としてまとめられた。改めて読み直してみて深い感慨に浸るとともに、ご両人の並々ならぬ力量に感服する。とりわけ「三代会長は仏教の実現者」という章にはひきつけられた。このところの私の関心事について、見事に抽出されていたからだ。松岡氏が「池田会長はたとえば『人権』とか『自由』などというヨーロッパ由来の概念を、日蓮仏法の観点からとらえ直し、普遍化していった」と述べる。これに対し、佐藤氏は「自由や人権などという概念が特殊ヨーロッパ的なものではない普遍的価値だということが、トインビー対談によって初めて明確にされた」と応じている。ここには明治維新いらいの福沢諭吉を先頭にした日本の思想家たちの”知的格闘”を解き明かすカギが潜んでいる▼キリスト教に対して紋切型で批判してみたところで何も創造的なことは起こらない。西洋近代の哲学を批判的に切り捨てても、東洋の思想哲学の優位性がそれだけでは輝かない。池田SGI会長の人生を賭けた壮絶な知的、行動的営みを改めて後付けすることの意味合いの重要性を心底から感じる。佐藤優さんが「キリスト教、イスラム教、創価学会SGIが世界三大宗教だ」ということを今こそ噛みしめる必要性があろう。今創価学会は全く新しい広宣流布の新局面を迎えているのだ▼それにしても両氏の呼吸はぴったりで、実に鋭い。牧口初代会長の「価値論」、戸田二代会長の「生命論」を、池田三代会長が「人間主義の哲学」として完成させた、との松岡幹夫氏の指摘に、「キリスト教神学がどのように形成されていったかを学会教学の理論家の方々がじっくりと学んでみると参考になることがいろいろある」と答える佐藤氏の発言などである。私たちにとって大いに示唆に富む。この書物にぶつかって、安易に読後録はかけないとの思いがひとしきり胸に迫ってきた。佐藤さんのものに加え、松岡さんの様々な著作を今懸命に追っている。(2015・12・30)

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