迸る米国人の本音ーR・D・エルドリッジ、K・ギルバート『危険な沖縄』と『平和バカの壁』を読む

沖縄県知事選挙が玉城・デニー氏の勝利に終わったのもつかの間、普天間基地の移転に向けて、辺野古基地の滑走路建設に伴う埋め立て工事が始まった。それに反対する新しい知事の誕生という選挙結果とは真逆の出来事である。この事態が起きる少し前に、私はケント・ギルバート、ロバート・エルドリッジ両氏の対談本『危険な沖縄ー親日米国人のホンネ警告』という本を読んだ。この本はほぼ3年前に刊行されたもの。それをなぜ今頃になって読んだのか。実は著者の一人エルドリッジ氏とは旧知の間柄であるうえ、最近は友人と私が共催する異業種交流会の常連メンバーでもある。先々月の会でご本人から直接、近著『平和バカの壁』(同じ共著者による)なる本を頂いた。直ちに読んだ。その際に前作の存在を知り、興味を持つに至ったのである。産経新聞系列の出版社名とタイトルを見れば、およそ中身はわかろうというものだが、二冊とも分かったつもりの勘違いを覆させられる刺激迸る本であった。多くの人に勧めたい■この二人は共に関西エリアで人気のテレビ番組『そこまで言って委員会』の準レギュラー。エルドリッジさんの方が登場回数は少ないが、外務省出身宮家邦彦氏と並んで、この番組の質を大いに高めている。露骨なまでに自己主張の強いレギュラーたちと比べて抑制を利かせた発言は好感が持てる。ただ、本の方は当然ながら随分と強い主張性が伺える。今に生きる日本人として、安全保障をめぐって米国人から警告を受け、「平和バカ」と罵られて黙ってはいられない。身構えて、彼に挑む思いでページを繰っていった。以前にもブログに記した(2012-3-23と2017-7-1)ように、我々は沖縄を巡って二度「論争」めいたことをした。テーマは沖縄県民の米軍への反発をどう見るかであった。私の年来の主張は、日本のホストネーション・サポートに対して、米軍側にはゲストネーション・マナーがなさすぎるというもの。それがただされぬ限り、何をしても言っても沖縄の心は変わらない。で、両者の論争は平行線。この経緯は繰り返さないが、彼が対談本の中でこの観点に触れているかどうかが大いに気になった■最近作で主張するところを、私なりに手短に要約する。紛争発生に対して、戦争で解決する立場を踏襲する米国と、話し合いで解決を図る日本との違いをあげ、手を替え品を替えて、日本の「平和主義」のリアルのなさを強調している。顧みれば、米国との戦争で完膚なきまで叩きのめされた日本は、それに懲りて過去とは全く違う道を歩んできた。米国からすれば薬が効きすぎで、早く正気に戻ってくれというところだろうが、そうはいかない。すぐに暴力に訴える米国式トラブル対処法は日本には馴染まなくなってしまっている。ただ、この本を読むと、米国の論理と本音が極めてよく分かる。その価値を大きく評価したい。一方、『危険な沖縄』についても流石に海兵隊の最高責任者のひとりだったエルドリッジ氏だけに、その主張は明快で鋭い。おまけに彼は監視カメラの映像を外部に提供したと見られる事件で米海兵隊を解雇されながらも、承服はおろか、反発し続けている。そんじょそこらの「軍人」ではない筋金入りの強者である。沖縄タイムス、琉球新報ー現地での二つの新聞メディアに引き摺られる沖縄世論。その主流は左翼そのもので、いびつ過ぎるとの主張が繰り返し強調され、そこには強い説得力がある■ただ、だからといって、読む者の腑にストンと落ちない。浮かんでは消え、消えては浮かぶ駐留米軍の無法ぶりは一部ではあっても目に余る。これに対する沖縄県民の怒りと悲しみを分かっていないのではないか。米国人には、「民族の悲哀」ともいうべきものに眼が届いていないのではないか、と。米軍の犯罪にはこの本でも触れられてはいる。だが、沖縄における日本人の犯罪に比べてその数が少ないことしか述べられていない。これでは開き直っているように思われる。エルドリッジ氏は、かの東北大震災時に米海軍が展開した「トモダチ作戦」の中心人物。日本にとって得難い恩人であり、日本文化に大変に深い理解を示す有数の政治学者であることをも私はよく知っている。沖縄県民の心を深く傷つけた、心ない米兵の存在を、そして背後に横たわる米沖の差別をもたらす仕組みの実態を、ご存じないはずはない。それゆえ詮ずるところは「日米地位協定」の漸進的改定に打開の鍵があると思うのだが、この本では論及されていない。せっかくの対談でありながら、画竜点睛を欠くところだと私には思われてならない。(2018-12-24)

 

 

 

 

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