【119】「もののあはれ」と大和心の思想性━━島内景ニ『源氏物語に学ぶ十三の知恵』を読む(中)/3-12

 それにしても島内さんの源氏物語への入れ込み様は凄まじい。「人生の知恵」と「今を生きる知恵」がたっぷり詰まっているうえ、光源氏は「人類の象徴であり、人間の生き方の象徴」だとまでいう。前回は、基本的な読み方を誤ると、紫式部が意図したことと正反対の方向に堕しかねないとされていることに触れた。その視点から歴代の注釈書に迫ることで、源氏物語がいかに「教訓」を示しているものかをみたのである。今回は、⑤から⑧までの4つの章を取り上げるが、それぞれの標題とポイントを挙げてみよう。⑤は「和」の精神で楽しく生きることが、標題で、そのポイントは、象徴天皇制にみる「和」のシステムだという。以下、⑥正しい生き方とは、平和につながる生き方のこと⑦心をえぐる笑いとは、気持ちよく笑うこと⑧リセットの荒技あってこそとは、新しい文化を生み出すDNAを意味する──ということになろうか。その中で、一条兼良の『花鳥余情』、宗祇による「古今伝授」、北村季吟の『増註・湖月抄』などの注釈書や教えに触れている。そして、その挙句にリセッター(壊し屋)としての本居宣長が登場するのだ◆宣長は1730年から1801年まで生きた人である。まさに江戸時代中期。源氏物語が誕生した頃から続いた激動の時代とは対照的な「平和」を謳歌した時代だった。宣長は、平和に安住する同時代人の安逸を覆そうと、その著作『玉の小櫛』で、源氏物語の読み方を根底から見直した。700年ほど続いた「教訓読み」の時代は、⑤⑥⑦で示されたように、「和」「平和」「笑い」を中心に据えた「和学」の時代であり、その本質は、神道と仏教の神仏習合に、儒教や道教が加わって出来た「異文化和合」であるとされた。宣長はその捉え方は誤りだとして、異文化を排除した純粋な「国学」への回帰を主張したのである。◆その考え方の中核は「もののあはれ」であった。島内さんはこれこそ「大和魂=大和心」と同義であるとし、その精神を代表する和歌こそ「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」に尽きる、という。「山桜花のように美しいものを守るためには、自分の命さえ捨てても後悔はしない、そういう激しく純粋な心を意味する」のだ、と。源氏物語にその核心が込められているとみる、宣長の「もののあはれ」論は、従来からの「和学」と対立するものではあったが、最終的に『増註・湖月抄』のなかに取り込まれていく。これがまた、徳川300年の眠りを覚まし、結果として「『倒幕』と『攘夷』の大変動──瓦解──を呼び込んだ」明治維新に繋がっていく◆こうした日本における思想対立の淵源が源氏物語にあるとの見方は、一般的にはあまり定着していない。思想の書というよりもあくまで小説だとの位置付けが強いからだろう。しかし、明治維新をもたらした起爆剤が宣長の思想にあり、やがてそれが西洋の思想と対立する日本の思想の根幹を形成していったことを認める向きは圧倒的に多い。このズレ、落差をどう埋めるか。著者は、第8章の最後で、今の日本に必要なものは、「『和』の思想なのか、『リセット』の思想なのか、それとも第三の思想なのか」と問いかけ、その答えを導くカギが源氏物語にあると断定している。「21世紀の日本文化の再生と創造に、最も必要な『教訓』を、源氏物語から呼び出そうではないか」と呼びかける一方、「現代の教訓読み」の重要性を強調しているのだ。(2024-3-12  以下、下に続く)

 

 

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