【157】12月の読書日記②━━鈴置高史『韓国消滅』を読む

 在日韓国人との懇談での突然の涙

 先の衆院選で、私は後輩議員の選挙事務所長として様々な方々とお出会いして、あれこれと議論をしたものですが、その中でとても印象に残る場面がありました。旧知の在日韓国人の方との懇談の際のことです。私が朝鮮半島にあっては、三国鼎立の時代が古代からあったのだから、南北分裂を統一へと持ち込まずともいいのではないかとの考え方を持ち出して、意見を訊いてみたのです。元々統一された存在ではなかったとの認識の提示でした。彼は当初、首肯しつつ静かに語り出しました。ところが暫くの刻を経て涙ぐみ、切なそうな表情のまま沈黙してしまったのです。その状態が2-3分間続いたでしょうか。いたたまれず、わたしから話題を変えました。朝鮮民族の不幸な歴史の根源に不用意に立ち入った我が身の不作法さを自省した経験です。

 「韓国」を専門にする学者、評論家、ジャーナリストは私の友人たちに少なからずいることは、折に触れて述べてきました。先般らいの尹韓国大統領の戒厳令から弾劾に至る大騒ぎの最中に、某大手紙のソウル支局長になったばかりの友人記者に激励メールをしたものです。彼は台湾から香港へ、そして韓国へと、この10年足らずの間に転戦しています。そのうち帰国したら、「今風北東アジア談義」をしたいものと期待しています。

 前置きが長くなってしまいました。12月中旬に読んだ本でとても惹き込まれた本は鈴置高史『韓国消滅』です。この人もひと時代前のソウル、香港特派員を経験してきました。日経新聞出身の経済評論家です。フジTVのプライムニュースでの「韓国解説」の常連の一人です。先日の放映でこの本を執筆者自ら宣伝されたので読みました。過去からの『米韓同盟消滅』『韓国民主政治の自壊』に連なるもので、期待に違わず面白いです。

 「復讐の連鎖」に「哀しみの連鎖」を味わう

 韓国の出生率は、0・72(2023年)と、OECDに所属する先進国中最も低いことが注目されます。その上、働き手の減少が著しく、経済規模の急激な縮小が懸念される一方です。さらに、米中両大国の狭間にあって右往左往する歴代政権は、交代するごとに前任者が獄に繋がれることが定番で、「復讐の連鎖」とでも言うべき実情は目を覆うがごとく無惨です。

 今回の尹氏が招いた事態はまさにこれまでの「交代のサイクル」を待ちきれぬほどの急スピードといえます。その辺りのことがこの新書を読むと、単なる大統領個人の資質のなせるワザだとの見立てを超えて、この民族が宿命的に抱える宿痾とでもいうべきものに差配されていることがよく分かってきます。これまでの鈴置さんの著作を読めば自明の理のことだと分かっていながら、つい手を出して、改めて深く納得してしまうのです。

 読み終えたいま、冒頭に述べた韓国にルーツを持つ隣人の涙に、同情を超えた〝哀しみの連鎖〟を抱かざるを得ません。「2つの祖国」を持つ、日本に生まれ住む在日韓国人には、日韓双方の歴史の根源が理解できるが故に、彼我の差の依って来たる流れに、こみあげてくるものがあるのでしょう。それについても改めて気づきました。(2024-12-20)

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【156】12月の読書日記①━━高嶋哲夫『ダーティー・ユー』と『チェーン・ディザスターズ』

 今年2024年もあとわずかになりました。この『忙中本あり』も、新たな年に向けて装いを新たにすべく、残された日々を使って少し試運転をしてみます。まずは、週刊読書録風にまとめるバージョンからです。ともかく短くまとめることに執心してみました。

●怒りと共感で心奪われる「いじめ問題」━━『ダーティー・ユー』

 12月に入って、10日あまりの間(12-1/〜12)に、高嶋哲夫の本を2冊読みました。『ダーティー・ユー』(2000年発刊)と『チェーン・ディザスターズ』(2024年発刊)の2冊です。前者は、アメリカからの「帰国少年」(雄一郎・通称ユー=中学2年生)が、いじめにあう級友を見て、いじめる相手と徹頭徹尾戦う話。彼はアメリカにいた頃ダーティー・ユー(汚いユー)と呼ばれていじめられた経験がある筋金入りのファイター。この本の読みどころは「日米教育現場比較」であり、いじめ対応の「戦う作法比較」でもあります。いじめについては、宮部みゆきの『ソロモンの偽証』が今まで最も熱中して読んだ本ですが、こっちの方が新鮮味があって面白く感じました。とくに、終わり近くで、担任の教師とユーが酒のワンカップと缶ビールでイカくんをかじりながら、公園で2人がいじめについて語り合う場面は秀逸です。高嶋は、この本をベースにして映画を作成して、全国の学校で上映しようといま計画中と言います。私も応援依頼を受けております。この15日には神戸で講演会もあるとのこと。聞きに行ってきます。

●日本を襲う巨大災害の連鎖に立ち向かう女性首相━━『チェーン・ディザスターズ』

 『チェーン・ディザスターズ』は、つい先日に発刊されたばかり。巨大災害が連続して日本を襲うというストーリー。南海トラフ、首都直下型地震、台風による豪雨、富士山噴火による火山灰の首都圏直撃。いずれも凄まじいまでの被害をもたらすものばかりですが、それが半年ほどの間に連鎖するとの筋立て。この危機の中で、政府は機能麻痺状態に陥りますが、若い女性首相が偶然にも災害担当相から抜擢され就任します。この新首相が民間人の起業家と組んで八面六臂の活躍をするところが見ものです。著者は、これまで数多くの災害危機を描く小説を世に問うてきましたが、まさにその総集編とも言うべきもので、その主人公が女性政治家という着眼がポイントです。実はこの本の末尾近くに、ちょっとした私に関係する〝遊び的仕掛け〟が施されており、笑えます。(探してください。簡単にみつかります)。首都機能を東京から岐阜に移すところで終わっており、少々尻切れ感が拭えません。著者によると、続編を書くとのことです。その仕掛けが施された人物が活躍すると言うので、大いに期待したいと思っています。

 以上の2冊は、私の友人である高嶋哲夫の著作ゆえ、裏話が直接聞けました。(敬称略  2024-12-12)

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【155】 (第1章)第7節 中国を舐めていると日本の没落は続く━━邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃』

 経済のリアルな現場からの新鮮な報告

 中国を分析する際に、政治の視点が経済を見る目をどうしても曇らせる。やがて中国が世界の覇権を握るとの予測をデータの裏付けと共に示されても、頭のどこかで打ち消す響きが遠雷のように聞こえてくるのだ。しかし、経済のリアルな現場からの報告は、全く違う印象をもたらす。邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃』は、これまでの「中国観」を台風一過の青空のようにクリアにしてくれる出色の本である。著者は、モニターデロイト及びデロイトトーマツコンサルティングのチーフストラテジスト及び執行役員/パートナー。豊富な図表、グラフを駆使し、章ごとに分かりやすいポイントをまとめてあり、読みやすい。

 この本が出て既に4年が経つ。中国が醸し出す経済状況は変化を見せ、ややもすればその「減速」を指摘する向きも多い。そうした疑問に応える2作目が『チャイナ・アセアン なぜ日本は「大中華経済圏」を見誤るのか?』(2024年9月)である。この2冊は、中国とASEANのとりわけ経済に関心を持つ人たちに必ず役立つ。

 まずは一作目の方から。「日系企業はここ5年で中国からの撤退が続く。大きな理由はコスト増だという」「自動車産業等においては日本企業がタイを中心に圧倒的なシェアを占めていることもあり、中国製品は安かろう、悪かろう、アフターメンテナンスでまだまだといった認識だ(中略)日本企業は簡単に切り崩せないという視点もある」━━こうしたくだりには、どこか中国を舐めて見る癖のある身には合点がいく。人権に無頓着で、お行儀も悪い、そのくせ計算高い。平気で交渉相手を騙す。そんな国民性を持った国の企業と付き合うのはとても骨が折れる━━これが概ね日本人の「対中商売観」だと思ってきた。中国に永住を決めた「和僑」の友人でさえ、ついこの間まで中国企業との商いはよほど習熟した者でないと危険だ、との見方を振りかざして憚らなかった。

 そんな見方で敬遠するうちに、彼我の差は益々開いたのかも知れない。中国の都市経済圏の凄まじい発展ぶり。地続きのアセアン都市圏との綿密な繋がり。自分たちが「知らないことを気づかない」うちに、怒涛のように様変わりしている「チャイナ・アセアン関係」。その実態が鮮やかに描かれていく。中国で人口が1億〜2億級の都市群が全土で5群〜6群もあるという。日本の人口は減りこそすれ増えはしない。この比較ひとつでも打ちのめされるに十分だ。著者は、国際会議やビジネスミーティング、会食等の場を通じた情報交換を貴重な情報源に、海外に出れば、現地不動産屋の案内で、津々浦々の人々の生活ぶりを収集してきた。コロナ禍にあっても、公開情報を丹念に読み込み、筋トレをするかのように、報道との差に繰り返し目を凝らす。その地道な作業の結果が見事なまでに披露されていくのだ。

 「減速」に幻惑されては実態を見損なう

 ついで2作目に眼を向ける。「猛烈な逆風の吹き荒れる中で執筆した」と、著者が「はじめに」で書いているように、コロナ禍以降の中国経済への世界、とりわけ日本の眼差しは厳しい。しかし、彼はズバリ「自分自身の視点(レンズ)の歪みがあるから」だと一言。日本のピントのズレを指摘する挑発をも辞さないのである。

 具体的に著者が挙げる「現実としての都市の実像」は興味深い。①杭州市で起きている爆発的拡大②広州と仏山の一体化で生まれる広域大都市③南京(江蘇省)と蕪湖、場鞍山、ジョ州(安徽省)の省をまたぐ経済圏━━これら3例を中国の新たな都市発展パターンとしているのだ。大きな中国を全土一体的に捉えがちだが、「分解」した上で、「センターピン」(ボウリング)を探すことの大事さを強調する。このくだりを読んでいて前作で殆ど強調されていなかった都市名が登場するのに驚く。狭間の3年の間に顕著な台頭を示したに違いない。短期間に変わる現実を見ないで、中国「悲観論」「衰退論」に幻惑される誤ちを突きつけられた感が強い。

 最後の章「日本が生き残る道」も示唆に富む。「アジアだけでなく世界が注目するアジアの中の交差点(十字路)を目指す」ことを訴えているのだが、その前提として、断片化(フラグメント)とスキャッター化する世界の方向を見据えることの重要性に力点を置く。前者は、商圏の組み替えを意味し、後者は、国境を越えたファン経済を指す。つまり、従来の国家間の競争ではなく、地域連携が複雑化する中で、どう日本が生き残りうるのか。それを「世界の交差点たれ」と表現しているのだ。

 これはまた、メイドウイズジャパンの浸透化であると言い換えてみると分かりやすい。日本を中心におく発想ではなく、「大きな世界経済の中で日本は下支えをする」「内側で日本がオペレーションするから安心である」といった位置付けを売りにすることの重要性を指摘する。

 著者はこれまで雑誌での論考でも「日本よりも中国に関心を抱く」ASEAN諸国の実態に目を向けてきた。そこでは、「ASEAN諸国は中国に呑み込まれるか否か」という「黒か白か」の議論では現実を見誤るという指摘には注目させられたものである。

 その上で著者は、「リテラシー・ギャップ」が最大の課題だという。日本人は、「国外で、政治でもビジネスでも教育でも、実際に何が起きているかを知らぬままに議論をし意思決定を重ねている」と手厳しい。具体的には、経済発展レベルは都市ごとに異なるのに、「ワンチャイナ」の視点では判断を曇らせることや、「ASEAN諸国の主要都市の経済水準は、日本の政令指定都市にも肉薄・凌駕する勢い」だから、「狭い意味での常識で考えては陥穽にはまりかねない」と。結論として「真のアジアの世紀は水平方向の地域経済回廊の構築からもたらされるもので、ASEANと日本、そして広義では米国も含まれるべきだ」というのである。読む者の世界観を確実に広げてくれる論考に強い充足感を覚えた。

【他生のご縁 尊敬する先輩の後継者】

 邉見伸弘さんは私の尊敬してやまない公明新聞の先輩・邉見弘さんのご長男。随分前から、親父さんからその消息は聞いていました。「慶応に入った。君の後輩になった」「卒業して経済の分析をあれこれやってる」と、それがやがて「中国関係の本を出した。読んでやって欲しい」となりました。

 「父から市川さんと赤松さんのことは、本の話と共にずっと聞いて育ちました」━━頂いたメールの一節です。心揺さぶられました。父子鷹を見続ける読書人たりたいと思うばかりです。

 

 

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【154】(第2章)第2節 背筋伸ばすキリスト者の説教━━曽野綾子『晩年の美学を求めて』

〝嘘好き〟で〝正直嫌い〟の小説家の本分

 全部で28本のエッセイ集。何歳であろうが、「人生」を考える者にとって貴重な指針が満載されている。とりわけ自分の「老い」を自覚し、どう残された時間を過ごそうか悩む人には、良き「手引き書」になろう。私の様な「晩年」にさしかかった老年には、来し方のチェック集とも言える。身につまされながらも、日の入りまでの僅かな〝いとま〟に修正を試みようとの気持ちになった。作家で元日本財団会長の曽野綾子とはどんな人物なのか。著者自身はその「性格の複雑さ」と「悪い性癖」の由来について、「不幸」と「信仰」の2つを挙げる。「不幸」は少女時代の父の暴力から母を庇うための抵抗から始まった。その結果受けた「顔の腫れ」を取り繕うための学校での「嘘」。家に帰って現実逃避のために読む「小説の世界」。子供の時から「二重生活」の持つ重要な意味を知ったからだという。

 一方、カトリック信仰で、世間的な〝情緒的行為〟の「愛」とは違う、見返りを期待しない〝尽くすべき誠実〟という、もうひとつの「愛」を知ったからだ、と。そこから「ほんとうの愛は作為的なもの」であって、「正直など何ほどの美徳か」とまで言い切る。私はここに、〝嘘好き〟で〝正直嫌い〟の小説家・曽野綾子の本分を見る。

 最も納得したのは「自立と自律」についてのくだり。若き日から人任せで(家庭では親や妻、会社では女子社員や秘書)、何も自ら手を汚したことのない人間が老いてから、自分では何も出来ずに困り果てるというケースが事細かに語られる。私もろくすっぽ「自律」が出来ていない口だ。家事の一切を妻任せできたため、今となっては無能者同然。洗濯機、掃除機の動かし方もままならず、衣服、下着の畳み方もいい加減。料理はオムレツもカレーも出来ないし、味噌汁さえ真っ当に作れない。著者は「料理、家事は段取りの塊であり、連続」であって、「頭の体操にはこれほどいいことはない」と強調。「単純作業」として、「家事」を馬鹿にしてきた男どもへの攻撃は収まらない。発展途上国の過酷な環境に比べて圧倒的に恵まれた条件下にありながら、それを見ようとさえしない「現代日本人の甘さ」を突く曽野さんの筆先はどこまでも鋭い。

 性善説と性悪説に分けることの是非

 他方、キリスト者としての著者の考え方は、異教徒として感心することと、やや違和感を感じるところがある。一つは、「希望を叶えられない人生の意味」が昨今教えられていないことについて。昔は親も世間も、「その不幸の中で、人間として輝くことができることも教えた」のに、今は、「いい年をした老人までが『安心して暮らせる社会を保証しろ』などと国に要求する。そんなものは初めからどこにもないことが、年を取ってもまだわからない」のかと手厳しい。新約聖書の中の「ヘブライ人の手紙」の11章からの引用を通して、「信仰を抱いて死ぬ」ということの尊さを明かすのだ。さらに、「志半ばに倒れる」ことは人間共通の運命であるのに、「社会的弱者」がそういう目に遭うのは、政府が悪く、社会が堕落しているからだとする風潮を嘆く。私はキリスト者のこの視点に共鳴すると共に、「今の日本」がとかく責任を転嫁し、なんでも人のせいにしがちになっていることを憂え、その片棒を担いでいないか、と自省する。

 二つ目は、人間存在の有り様をめぐる「性善説」と「性悪説」の考え方について。曽野さんは小説家らしく「性悪説は最低限、推理小説の話の種にはなるが、性善説を小説にするのは極めてむずかしい」とジョークぎみにいう。ただ、この二分法は仏法徒としては単純過ぎて物足りない。生命は一瞬に三千種の状態を孕むとの「一念三千論」などのダイナミックな理論を持つ仏法の方が奥深く見える。縁する環境如何でどうにでも転ぶ人間だからこそ、〝善の方向〟へと強く導く具体的作業としての日常的祈りが必要なのだ。

 また、「戦争でも災害でも、『語り継ぐ』ということはほぼ不可能で無意味だ」とされる。「老年にとって、また死に至る病にある人にとって、半世紀先の平和より、今日の美学を一日づつ全うして生きる方が先決問題だ」とし、「平和運動が、戦争の悪を語り継ぐことだけであるはずがない。戦争を忌避するというのに、親を放置しておいて、何が平和か」とまで。「平和への希求」に伴いがちな「偽善者」の匂いを嗅ぎ分けるのに急なあまり、「偽悪者」ぶりが過ぎて「勇み足」をおかされているように見える。尤もそこに妙な心地よさは漂う。

●他生のご縁 衆議院憲法調査会での出会い

 2000年の10月12日。私は国会で曽野綾子さんとささやかなやりとりをしました。聞いたのは、21世紀の政治家像。「嘘をつくから政治家は嫌い」と言われるのなら「こんな政治家なら好きよ」って聞かせて、と迫ったのです。彼女は、「何かうれしくなるようなことを聞いていただいた」と述べたあと、「明確な哲学とあえて危険を冒すという姿勢を持つ政治家」と明言。政治家は誰もがわかってることを言うのではなく、「わかる人はついてこい」と言って欲しい、と。

 また、子供の教育に関して、私は「確立された個に接触することの大事さ」という持論を述べました。これには全く同感とされ「(強烈な個性との出会いで)びっくりしたり、怖気を震ったりなんかしながら、こういう風にものは考えられるのかと思って私自身を伸ばしていただいた」と、「若き日の幸せ」を印象深く語ってくれました。

 

 

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【153】(第5章)第5節 続編次作を待ち続けた30年━━西村陽一『プロメテウスの墓場』

20世紀末のロシアの舞台裏

 『プロメテウスの墓場』が世に出た90年代半ば当時は今と同様に、あるいはそれ以上に内外の情勢は混乱を極めていた。とくにソ連の崩壊で、いわゆる「東」は上を下への大騒ぎだった。20世紀の世界が轟音たてて変わりゆく中、同時中継を見るようにこの本を貪り読んだ。著者は1992年から5年ほど朝日新聞記者としてモスクワにいた。この本では激動するかの国の舞台裏を渾身の取材で露わにして見せた。題名は「原子力」をギリシア神話のプロメテウスに見立て、その末路を表す。行き場を失った原子力潜水艦、武器商人を介して闇マーケットに流される核物質、海洋投棄される核廃棄物などの実態をリアルに描き、その無惨な姿を墓場に喩えた。

 書き出しはとても印象深い。「真冬の北極圏は、太陽に見放される、12月、うっすらと明るくなるのは、午前11時過ぎから午後2時くらいしかない。漆黒の闇に包まれる夕刻ともなれば、凍てついた道の上を最大で秒速三十メートルの寒風に乗って吹雪が走る。ところどころにたつ街灯の鈍い光に照らされた雪は、まるで蛾の乱舞のようだ」━━ロシア北極圏のムルマンスク州にある町・ボリャルヌイの冬を鮮やかに描きだし惹きつけてやまない。

 この本を読み終えたその時から、次作を待ちに待った。国際政治の内幕を次々に読み聞かせてくれるはず、と期待したからだ。朝日新聞のエースのひとりとしての呼び声高く、モスクワ勤務から後にアメリカ総支局長へと栄進し、やがて政治部長となり、更に経営陣の様々な重要なポストに就いていったが、共著は何作かあったものの、単著としては一向に2作目は目にすることが出来なかった。本業が忙しかったと思われるが、待つ身も辛かった。

 期待裏切らなかった対談本

 あれからほぼ30年。あの当時を強く意識させる本が出た。『記者と官僚』━━外務省主任分析官だった作家の佐藤優さんとの対談本である。腕組みした2人が互いに背を向け、思わせぶりな目でこちらを見やっている写真が表紙に。思わず目を逸らしたくなる。強いインパクト。サブタイトルには「特ダネの極意、情報操作の流儀」とある。総選挙の対応で慌ただしい日々が続いた後に、一気に読んだ。帯に「暴こうとする記者。情報操作を目論む官僚。33年の攻防を経て互いの手の内を明かした驚愕の確固答え合わせ』」とあるように、ソ連崩壊前夜の1991年2月に初めて2人が会った時以来の、虚々実々の駆け引きの全貌が登場する。前作と趣は異なれど〝30年の期待〟を裏切らぬめっちゃ面白い本である。

 処女作を回顧するかのようなくだりを見つけた。「地元ロシアのメディアに先んじて、冷戦時代の地図には載っていないシベリアなどの核封鎖都市の数々を訪ねたり、中央アジア、ロシア、ベラルーシの戦略核ミサイル基地や極北の原子力潜水艦基地の内部に入り込んだり、核物質密輸の犯罪集団を追跡したりという、今だったら確実にスパイ罪で捕まるような危ない取材をすることができました」と。30年前と今を繋ぐ〝西村タッチ〟は、〝かくも長き不在〟を詫びるおみやげのように登場するのだ。

 この本は、拙著でいう『77年の興亡』の末に、共に危機的状況を迎えた「記者と官僚」という2つの職業の〝華やかなりし頃の成功譚〟でもある。待ち受ける苦難の道を厭わずに挑戦する若者や、越し方を振り返る高齢者にとって、学び慈しむ教訓が満載されていてとても得難い。とりわけ①国益の罠②集団思考の罠③近視眼的熱意の罠④両論併記の罠⑤両論併記糾弾の罠という「5つの罠」には考えさせられた。我が政治家人生にとっても痛恨の一事であった「イラク戦争の顛末」は②を噛み締めることで改めて深い反省へと誘わせられる。

この対談で、私が惹きつけられたのは第6章「記者と官僚とAI」。ここでは記者が書く原稿、官僚が取り組む「答弁対応」へのAIの導入といった問題から、既存メディアの生き残りの道に至るまでが語られ、示唆に富む。西村さんが「メディアの敗戦」について「メディアがコストをかけて取材したニュースコンテンツについて、まっとうな対価を得ることがないまま、世界中で巨大プラットフォーマーに対するニュースの提供が広がったことを意味」するとした上で、「正当な対価を組織的に求めるべきだ」としている点は注目されよう。

 この辺り、〝30年の不在と復活〟へと思いは馳せる。なお、佐藤氏が「近年朝日新聞が集中的に扱ってるテーマの中で、唯一評価しているのはホストクラブ問題なの」と述べたのに対して、「唯一か?(笑)」と西村さんが返したところには心底笑えた。また、一連の「朝日新聞の失敗」への弁明もさりげなく盛り込まれていて、それはそれで読み応えがあった。

【他生のご縁 番記者いらいの〝読書仲間〟】

 西村陽一さんとは彼が公明党の番記者をした短い期間のお付き合いが「始まり」でした。どっちも本が好きで、会うたびにどちらからか「今何読んでるの」と聞いたものです。

 偶々私がワシントンを訪れた際に、彼はアメリカ総局長をしていましたが、その次に出会ったのは朝日新聞大阪本社が新しくなった時の「披露宴」。私は万葉集学者の中西進先生と一緒に出席していました。なんとその場に彼は常務取締役で東京からやってきたのです。

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【152】(第6章)第5節「米英愛」関係と「日韓」のあいだ━━林景一『アイルランドを知れば日本がわかる』

 〝いびつな位置関係〟と〝ぼんやりした部分〟

 司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの『愛蘭土紀行』を読んでアイルランドという国に興味を持った。その本を携えて首都ダブリンに行ったのは2006年のこと。待ち受けていてくれたのは駐在大使の林景一さんだった。日愛友好関係に貢献された方を表彰する式典に、日本政府を代表(町村信孝外相の代理)して出席した━━というと大袈裟だが、ウソではない。石破茂氏らと共に防衛庁の省昇格に伴う課題調査のためドイツと英国を訪問した帰途に、ひとりロンドンから寄り道をした。当時の私は厚労副大臣だった。林さんの外交官人生の〝イロハのイロ〟としての米英両国。大使デビューはアイルランド。その任を終えて、この本を出版された。読むと、アイルランドを〝補助国〟にして、米英と日韓の関係を〝ロハ〟(只)で解説してもらった気がする━━というのは言葉遊びが過ぎようか。太平洋を真ん中にした地図では隠れている英愛両国が、大西洋を中心にして見直すと、目の前に現れる。と同時に、日本は視界から消える。そんな〝いびつな位置関係〟による〝ぼんやりした部分〟を鮮明に見せて貰った━━随分と得をした読後感を味わえる本である。

 中学校の時に林さんは映画『大脱走』を観て、主題歌を口ずさんだ。その英語体験から話は始まる。以下、『風と共に去りぬ』『黄色いリボン』『タイタニック』『名犬リンチンチン』など懐かしい映画やドラマの話が続いてワクワクする。映画好きがかつて嵌まった物語の背後に、アイルランドの歴史が秘められていたことが分かってドキドキもする。西部開拓史にも南北戦争にもアイリッシュが深く関わっているうえ、現代の野球やボクシングなどスポーツや美術、文学など芸術の分野でも活躍する人たちが数多い。アイルランドから累計700万人もの移民がアメリカに渡り、現在4000万人ものアイリッシュ系アメリカ人がいるとのこと。ケネディ、ニクソン、レーガン、クリントン氏ら大統領経験者たちも20人ほどに達するとは驚く。英国から新天地を求めた人々によって米国は建国されたと、単純に考えていた者にとって、アイルランドの役割は〝新発見〟だが、カトリックとプロテスタントの違いなどキリスト教を軸に的確に腑分けする著者の記述は実に分かりやすく面白い。

 「最も近く〝最も憎い国〟」という位置付け

 そして舞台は英国へ。「最も近く〝最も憎い国〟」との位置付けは、今もなお火種が燻る「北アイルランド」問題を持ち出すまでもない。だが、林さんが大使在任中にこの問題は政治的には「大団円」を迎えた。両宗派のトップを首班とする自治政府が成立した。この本の執筆時点で残っていた課題(エリザベス女王のアイルランド国訪問)も、「早晩実現する」との著者の予測通り、3年後に実現したのである。「ケルト」神話に始まる古きアイルランドの歴史を紐解き、英国による侵略、植民地化、併呑の流れを描く。「一方の英雄、守護神はもう一方の極悪人」と聞くと、直ちに日韓の関係に思いが浮かぼう。矢内原忠雄(元東大総長)の「英愛」と「日韓」の関係史を比較した論考に遡った上での著者の見立ては興味深い。「英愛和解」への5つの視点のうち、「(両国が)歴史的わだかまりのマグマを北アイルランド和平構築への協同というエネルギーに変えていった」ことの効果が高く評価される。その過程でアイルランドの「英国憎悪」の必要性が消滅し、それが和解を容易にした、と。

 最終章では、彼の国を「姿見」として、日本が己がふりをただす試みに挑む。以下、日愛比較の私見を示したい。「人間以外に資源がない」とのハンディを抱える日本とアイルランド。教育に力を入れようとする姿勢や移民・外国人に対する親切な接し方には共通点を感じるものの、「小国ゆえの『弱い者の見方』」という指摘には違和感が漂う。比べるには国の規模が違い過ぎるのかもしれない。日本では国民レベルでの「小国」との認識が客観的にはギャップがあり、自画像にズレが生じている。「中立国への固執」については、日本人にとっても見果てぬ夢。柄は大きいくせに未だひとり立ち出来ていない子どものような日本。小国であっても背筋の整った大人の国柄ぶりを発揮するアイルランド。私には無性に眩しく見える。

【他生のご縁 国会で、ダブリンで、東京界隈で】

 林景一さんとのお付き合いは長く、もう30年近くになります。衆院外務委員会に所属することが多かったので、条約局長、国際法局長だった林さんにはしばしばご指南を賜わったものです。そのつど優しく丁寧に深い蓄積を披露してくれました。

 アイルランドに滞在した2日間はめくるめくような時間の連続で、あの場所、この町へと案内いただきましたが、あらかた忘却の彼方に。残っているのは彼の心細やかな気配り、目配りの手触りの温かさです。

 ダブリンの大使館での式典で私は岡室美奈子早稲田大学教授(のちに坪内逍遥演劇博物館館長も兼務)を紹介されました。アイルランドが生み出した劇作家サミュエル・ベケット(ノーベル文学賞受賞者)を研究する女子学生だった頃に、司馬遼太郎さんと出会ったことが『愛蘭土紀行』に出てきます。林大使が取り持ってくれたご縁を大事にして、その後も3人で懇談を重ねました。この集いのたびに私は〝司馬さんの影〟を見てしまいます。

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【151】(第3章)第4節 古今東西、我が身にも数多の実例━━山内昌之『嫉妬の世界史』

仏教の十界論における位置付け

 人間が他の人を嫉み(ねたみ)、妬く(やく)ことを「嫉妬」というのだが━━著者は他人が順調であり幸運であることをにくむ感情としている━━人間存在にとって実に厄介なものである。仏教の「十界論」では、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界の4つを「四悪趣」との名称で、人間の陥り易い〝悪しき生命状態〟に括っており、嫉妬界というのはない。全くの私見だが、5番目の「人界」(6番目以降は、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界)に含み込まれているのではないかと勝手に思っている。それほど人間と、切っても切れない感情だからだ。その「嫉妬」にまつわる古今東西の様々なエピソードを集めた本が『嫉妬の世界史』である。著者はイスラム世界を中心に国際関係史に透徹する知を持つ。この本は同氏の世界史考察の流れの中から溢れでた、珠玉の逸話を集めたものといえよう。200頁足らずの小さな新書版だが、とても深くて重い内容に彩られており、実に面白くてためになる。

 日本における具体例で注目すべきは、森鴎外である。夏目漱石と並ぶ明治期を代表する文人だが、同時に軍医でもあった。彼は生涯〝二足の草鞋〟を履き、「二刀流」の使い手だった。その彼が妬み妬まれたのは「医の世界」での人間関係が主だが、それは同時に「文の世界」との関わりを持っていた。著者は、軍医としての鴎外を人事を敏感に栄誉と屈辱を入り交わらせて感じ取るタイプと規定する。『舞姫』や『智慧袋』といった作品の中で、自身の鬱憤を晴らす表現を盛り込んだというのだから只事ではない。前者でライバルへの批判をあてこすり、後者では「よせばいいのに『自分は上司に認められず同輩にも受け入れられず、才能は自分よりも劣る者が上に立っている』とまでやってしまった」というのだ。当然ながら周りからは激しい攻撃の対象となった。著者は『鴎外漁史とは誰ぞ』との作品には「鴎外の不平不満と愚痴が渦巻いている」とまで明かす。ここまで「嫉妬」という感情に翻弄されながらも、文学において見事な地位を築き上げたのは立派というほかない。しばしば比較される漱石に、好感を抱いてきた私にホッとする思いが宿るのは自然な感情だろう。

 3つの国の3人の「独裁者の業」

 一方、眼を外国の例に向けよう。ローマ皇帝の時代。「政治力、軍事力、大衆の支持も、他のすべてもあった」ポンペイウスは、それゆえ自信家であり、そのため、同輩の嫉妬に嵌まり込んだ。「偉大な個人」になれた可能性があったのに、実際になったのは「大器晩成型でプレイボーイ」のカエサルだった、と。しかし、そのカエサルも「嫉妬と反感のうずまくローマ政治の複雑さに足をからめとられて非業の死をとげた」。塩野七生の『ローマ人の物語』を巧みに引用しながら、「男の嫉妬の怖さ」を披瀝してやまない。他方、「独裁者の嫉妬」のトリオはスターリンと毛沢東と金日成。「平等思想の美名のもとで、人間の嫉妬を構造化し、密告や中傷を日常化する体制をつくりだした」「マルクス主義と共産主義の罪は深い」との記述のもと、この3つの国の3人の「独裁者の業」とでもいうべきものを暴いていく。この嫉妬史は、それぞれプーチン、習近平、金正恩へと今に続いており、山内さんだけでなく誰しもが続編を書けそうなのは怖い。

 嫉妬は女の専売特許のようにかつて扱われた趣きがあったが、それこそ男の女への妬心というのは、ギャグか。人間関係だけでなく国家相互の嫉妬にも著者は目を向け、かのイラクのサダム・フセインのクウエート侵略を挙げる。隣国の豊富な石油埋蔵量に嫉妬した挙句だ、と。朝鮮半島でも貧困の「北」が「南」の繁栄を妬む構図は誰でも思い浮かぶ。

 最後に「嫉妬されなかった男」に一章が割かれている。嫉妬続出の後にさわやかに顔を出すのは陸軍元帥・杉山元。彼は、陸軍大臣、参謀総長、教育総監という「陸軍三長官職をすべて経験した稀有な存在」でありながら、目立った嫉妬や反感を受けなかった。そのわけを山内さんは、定見がないように見える「茫洋とした態度」をとりながら、「緻密な計算の上に立つ保身術」を身につけ、「勝負に出るときは度胸もあった」からだという。「粘り強くハラを見せない」タイプなのだ。

 最後に登場するのは、徳川三代将軍家光の庶弟・保科正之。この人物が日本史の裏面でひっそりとだが燦然と輝く位置を占めていることはつとに有名だ。その大きな理由として「嘘をつかない政治家」だからという。「気性がまっすぐな人間に嫉妬する同僚は少ない」とのことだが、昨今の政治の世界で見出し難いように思われるのは恥ずかしい限りである。

【他生のご縁 名通訳者から紹介されて懇談】

 厚生労働省で仕事をした僅か一年ほどの間に、米国、ニュージーランド、ベトナム、英国、ドイツ、アイルランドと旅をする機会に私は恵まれました。そのうちベトナムは国際会議への出席でもあり、なうての英語の達人がサポートしてくれました。著名な英語通訳者の田中祥子さんのことです。

 この人に紹介していただいたのが山内昌之氏でした。中東を話題にしたことから同氏が田中さんとも大変親しい仲だとわかり、3人で夕食を共にすることになったのです。世界各国のお国事情から大相撲の話まで、世界を跨ぐ話題であっという間の数時間でした。2023年よりの横綱審議会委員長も宜なるかなと思ったしだいです。

 

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【150】「ヤングケアラー」に見る日本の困惑━━高嶋哲夫『家族』を読む/10-25

 木陰が恋しかった酷暑の夏から、待望の秋めいた季節が到来した。と同時に疾風迅雷のごとく、「石破茂首相」が誕生して2週間余で衆議院総選挙が公示された。その直前に出版されたこの本は、まさに今回の選挙における最大の争点にすべき課題を取り上げている。そういうと、一瞬「えっ、どうして」と思われる向きも多いかもしれない。「家族」という極めて当たり前の言葉を掲げられて、選挙の争点との繋がりは分かりづらいかもしれない。実は、日本が直面する様々な問題を、次々と取り上げて小説化してきた著者が、これこそ今の日本の根底的課題だとして提起する作品だからである。副題をつけるとすれば「あなたはヤングケアラーを知ってるか」だろう。ケアをする若い人━━親の世代の面倒を看ざるを得ない子ども世代のことを一般的には指す。高嶋さんと私はこの数年とても親密な関係になって色々と教えていただき、意見を交換する仲だが、この本には彼の小説家人生のある意味で総決算といってもいいほどの思いが込められていると、確信している。政治家が真っ先に読むべき本に違いない◆少子高齢化、認知症、貧困、格差、少年犯罪、いじめと引きこもり、学校教育現場の荒廃など、現代日本が抱えている問題はすべて「家族」に帰着し、みんな繋がっている、というのが著者の見立てである。「ヤングケアラー」問題を、国会で幾たびも取り上げて、政府当局を糺し、追及している私の後輩女性参議院議員がいるのだが、彼女を冷めた眼でみる人たちは少なくない。おおむね古い考え方をする男性年配者たちに多いと思われるが、共通するのは、「国会は天下国家を論じる場所ではないか」「ヤングケアラーって、家族の中で貧乏くじひいた不幸な一員に過ぎない」といった決めつけである。しかし、この本はミステリー小説風にぐいぐいと引き込ませる。ハッピーエンドではないものの、読み終えた時には、爽やかさもあって、問題解決への息吹も吹き込まれた感が漂う◆住宅火災の跡から3人の遺体が出たことからこの小説は始まる。━━3人はその家の45歳の母親と22歳の息子と72歳の祖母である。その一方で、火災発生とほぼ同時に19歳の長女が家から飛び出し、通りでタクシーにはねられた。意識不明の状態が続く。この悲惨な事件は介護に疲れた長女の仕業ではないかとの警察筋の見立てで進行していくが、それに疑問を持つ29歳の雑誌記者の笹山真由美が真実の解明に動くとの筋立てである。亡くなった3人のうち、息子は12歳の時の交通事故が原因で寝たきり状態。祖母は介護を必要とする認知症。父親が先年に癌で亡くなっており、看護師の母親が家計を切り盛りし、長女が幼い時から日常的に看護と介護を担当するという典型的なヤングケアラーだ。この家族を縦軸に、真由美の元新聞記者の65歳の父親の2人の家族を横軸に物語は展開する。この父親もアルツハイマー型認知症が進行しつつあるというのだ◆ヤングケアラーであること自体は決して不幸ではない、むしろ家族の絆を深めゆく重要な要素であるという考え方が全体のトーンを貫く。ここに実は重大な現代社会の病巣を解きほぐす鍵が潜む。かつての「姥捨山の物語」は、いまの「施設預け」へと変貌し、「老老介護」の悲喜劇を彩る。他方、ヤングケアラーは若者への肉体・精神的負担増を強いる一方で、密度の濃い人間の絆を育む重要な接点の役割を果たす。家族という社会の最小単位をもう一度原点から考え直す機縁となることに現代人は気づかねばならない。著者の高嶋さんは、負のイメージで捉えられがちなヤングケアラーをむしろ社会の復興に役立てようとしている。もちろん、それは自助や共助任せでよしとするのではなく、足らざる公助を仕組みとして充実させようとの狙いがあるはず。ともあれ、バラバラになりがちな〈個人、家族、社会〉の一体的結合に向けて、大いに考えさせられる特異な役割を持つ好著である。(2024-10-25)

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(第4章)第2節 粋な生き方を貫きゆくなかで━━帯津良一『後悔しない逝き方』

患者さんが教えてくれた32の心得

 以前に、この著者(帯津三敬病院名誉院長)の『粋な生き方』という本を取り上げた際に、この本も一緒に読んでいたのだが、書くことはせずにいた。この人の本はどれも興味深く、役に立つ。サブタイトルに「患者さんが教えてくれた32の心得」とある。「生・老・病・死」の4ジャンルごとに、①元気なころ②老いを意識したころ③病を得たとき④死を意識するころ━━の4章をあてて、それぞれについての「心得」に言及している。常日頃の患者との接触を通じて、教えて貰ったというより、気付かされたものを展開してるに違いない。それぞれの章から、印象に残るくだりを挙げてみる。

 まず、①では、「いのちのエネルギーを高めて生きること」が「真の養生」だとして、人生の価値は長さだけではなく「質が大切」だとする。29歳で大腸がんで亡くなった女性患者は、地質の研究に一生を捧げた人だった。亡くなる3週間前に書かれた詩を帯津さんは読み「地質を通して地球の46億年の歴史を見て、宇宙の 150億年を感じてきた」に違いないと想像力を繰り出す。「80年90年とかからないと卒業できないのが凡人なら、若くして亡くなる人の多くは養生の天才で、短い時間で単位をとることができた」に違いないと。そして「健康は大切ですが、健康ばかりに目が向かって、『古狸が穴の中で眠りこけている』ような生き方はやめて、何かに燃える生き方をしよう」と呼びかける。ほぼ80年を生きてきて、未だ中途半端な身でしかない我が身には耳が痛い。

 ②では、「年を取ったら、大いに羽を伸ばして、あちこち飛び回ればいい」と、老後は自由を謳歌しようと、提案する。その際に江戸期に生きた著述家・神沢杜口が、日本各地の伝説や異聞を集めた『翁草』全200巻を著したことを実例として挙げて、絶賛している。しかもこの人物は44歳の時に妻に先立たれており、以後40年間の一人暮らしの間でこれだけの偉業を成し遂げたのだ。これこそ「大きな自由」ではないか、と。帯津さんも奥さんに先立たれており、一人暮らしを謳歌している。妻という存在は、若い時は「恋人」だったが、やがて「妹」から「姉」になって、ついには「母」を経て、「看護士」「介護士」に成り果てる━━というのが定番。これが私の持論である。ならば、どこかの時点で一人立ちして生きるのもいいものかも知れない。

意気揚々と死後の世界に旅立つ

 次に、③では、〝患い上手〟=名患者になるすすめを説く。「自分が名患者になれば、周囲にあるものがすべて名医、妙薬に変わる」といい、「自分が変わる。そしたら、結果的にまわりも変化してくる」と。このセリフは、信仰の世界の真っ只中で若き日から生きてきた私は、よく聞いてきたし、自身もまたよく使ってきた言い回しだ。自立した個人の「一念の転換」によって、客観的事情はいかようにも変わる、と。主観の意志の強さしだいだというわけだ。だが、果たして「医療」に十分な効力があるかどうか。主体としての患者本人の意志に加えて、助縁者の医師との共同作業的側面があろう。患者の気ままさは勿論許されないが、医師に頼りすぎもまた少なからざる問題を引き起こす。

 ④では、46歳で亡くなった哲学者の池田晶子の「池田は死んでも、わたしは在る」との言葉を引用して、「池田晶子というレッテルを貼ったひとりの人間は消え去ってしまうけれども、私の本質であるいのちは永遠に残る」との名言を遺したと、絶賛している。これを聴くと、私は、日蓮仏法でいう「空仮中の三諦論」を思い起こす。生身の人間は一代の寿命が尽きて物質的(仮諦)には、消え去ったかに見えても、人間存在を成り立たせてきた性格(空諦)や、いのちの本質(中諦)は変わらず、永遠に流れゆくというものである。池田の言葉は見事にこの仏教哲理と相呼応していると思われる。

 「死後のこと」について、帯津さんはとても大事なことを言っている。「この世に未練を残して嫌々あっちの世界に行くのではなく、『決断』して『選び取って』、意気揚々と旅立っていく」ことが大事だとした上で「想像力を最大限に発揮して、それにふさわしい魅力的で楽しい世界をイメージするようにしています。そうすれば、その瞬間が来るのを大いに楽しみにできるようになるのです」と。この「死後の世界のイメージを持っておこう」との提案は中々大事でユニークなもののような気がする。帯津さんは、死に際しては、「虚空」に向かうロケットのように最高の爆発力で勢いよく飛び立とうという。そううまくいくかなあと思いつつ、一日の終わりのささやかな酒宴に舌鼓を打つことだけは、帯津方式を真似をして実践している私なのである。

【他生のご縁 国会での前議員の会合で講演を聴く】

 衆議院議員のOB会に帯津良一さんが招かれて講演をされた時からの繋がりです。年齢は私よりほぼ10歳上の小太りの方でした。初お目見えから既に10年。今はもう90歳寸前でしょうが、粋なじいさんぶりは更に、磨きがかかっているようです。

 夕方が来ると、病院に勤務する女性の医師、看護師、各種従業員たちとテーブルを囲んで酌み交わす。それが最大の楽しみです、と語られました。その時の嬉しそうなお顔とお声の響き。今もなお瞼と耳朶から離れません。

 

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(第4章)第7節 好きこそプロの始まり━━荻巣樹徳『幻の植物を追って』

ビートたけし氏との対談を手がかりに

 「たかだか勉強ができないだけで何も落ち込む必要はない。むしろ逆に勉強ができないことによって、自分だけしかできない方向に導かれていくことがある」──世界的なナチュラリスト(植物学者)であり、「四川植物界名人」などの称号で知られる荻巣樹徳さんが「子どもたちに言いたいこと」として、挙げている言葉だ。また若者には、「もっと自分のお金を使いなさい。自分に投資しなさい」とも。80歳を目前にした私が己が人生を振り返って心底から共鳴する。

 名著『幻の植物を追って』は、残念ながら〝猫に小判〟で、私の興味はあまり惹かない。美しくて珍しい草花が気高く掲載された本を捲りながら、「植物と人間の差異」の大きさへの理解に悩み続けた。だが、この本を著者から頂いて10年余りが経った頃、漸く分かる糸口を見つけた。かのビートたけし氏との対談(『たけしの面白科学者図鑑 地球も宇宙も謎だらけ』所収)を読むに至ってからのことである。ここではご両人のやりとり──たけし氏の「聞く力」を手がかりに、未知の世界への探訪に挑んでみた。

 荻巣さんは5〜6歳の頃から植物の栽培に興味を持った。万年青(おもと)、万両(まんりょう)、細辛(さいしん)など伝統園芸植物を栽培するようになったのは中学生の頃というから驚く。著者の生まれ育った愛知県尾張地方は古くから園芸が盛んな土地。それもあって、異常なほど植物が好きで好きで仕方なかったようだ。一日も早く〝植物のプロ〟になりたかった荻巣さんは、高校を出て直ぐに、欧州に渡り、ベルギーのカラムタウト樹木園を始め、オランダのポスコープ国立試験場やイギリスのキュー王立植物園(ハーバリウム)、さらにはウィズレイ植物園などで学び続けた。そして30歳を過ぎて1982年に中国の四川大学へ行って学生になり、そこに収蔵されている標本約11万点を閲覧し、すべて頭に叩き込んだ。そして翌1983年ロサ・シネンシスの野生種を再発見して、世界を驚かせた。欧米人が標本を採取した後に、実物を見た人がおらず、詳しい自生情報など一切不明だった。それを70年ぶりに明らかにしたことで一躍有名になったのである。

中国とベトナム国境奥深くフィールドワークに

 この発見にまつわる逸話は興味深い。植物を探すという行為は、時間の制約上、移動しながら探すしかない。時速35キロくらいの車で動きつつ、直径2-3センチほどの植物を視認していく。動体視力が重要なのだが、中国のバラの野生種を全種類、頭にインプットしていたからこそ見つけることができたといわれる。そしてそれは運がよかったのであり、自分の力ではなく、「縁」だと強調されている。「同じ生物としてこの地球に生まれたからには、その『隣人』の存在に気づかないまま会えなくなってしまうというのは悲しいです」と、四川大地震のような自然災害や人為的な自然破壊を恐れている。「植物調査の過程で、縁あって『初めまして』と隣人の存在に気づくのが、僕のできることなのだろう」との述懐がとても新鮮というか、奥ゆかしい。異国の山中で、突然出くわした植物に、「どうも、お初に。待ってくれてたんですね」と語りかける荻巣さんを想像するのは微笑ましい限りだ。

 以前に、この人が中国とベトナムの国境奥深くへとフィールドワークに行かれると聞いて、同行させて貰おうかと本気で考えたことがある。いいですよ、行きましょう、とご承諾頂いた。だが、いくら「現場第一主義の公明党」の人間だからといっても、それは足手纏いだろうと諦めた。荻巣さんは、私が付き合った人の中で、紛れもなく最高の位置を占める「知の偉人」だが、その「知」は、並大抵な努力で培われたものではない。普段は大阪豊中での研究室仕様のマンションにひとりで暮らしておられる。かつて「奥さんはどこに?」と訊いた。「東京です」「えっ、別居状態ですか?」「ええまあ。勿論、時々会いますよ」──浅はかな想像力で、あれこれと思いをめぐらせたが、全貌はわからぬままになっていた。それが、「たけしとの会話」で遂に明らかになった。「月に2回ぐらいは仕事で東京に来ます。しかし、その時、家へは泊まりませんね。家に帰ると、食事やお風呂の用意ができてるでしょう。それが人をダメにしますね」「そういうことが身につくと、まずフィールドワークはできなくなります。風土病など、いろいろな病気にかかる恐れもあるし、まさに命がけです」と。この人、およそ生きぬく覚悟の出来具合が違うと、心底から思い知った。

【他生のご縁 西播磨の植物研究所での出会い】

 荻巣さんとの出会いは西播磨の山崎町にあった「植物研究所」です。とある企業の尽力で貴重な植物が保存されていました。初めてお会いしたのは懇意にしていた当時の白谷敏明町長(後に宍粟市長)さんのご紹介でした。いらいほぼ30年、幾たびも常に新鮮で、実りある会話をさせていただいた。時に2人きりで、また、古くからの友人や植物好きを交えて。

 ご時世から企業メセナに頼られることにも限界が生じて、その植物研究所が移転やむなきの事態になり、新たなる場所を求めることになってしまいました。なんとか探して差し上げたいと焦っているのですが、いまだに見つけられていないのはとても残念なことです。

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