過去に経験しなかった被害をもたらしかねない━━前評判がめっちゃ怖かった大型台風が我が居住地域のすぐそばをかすめながら、殆ど雨らしい雨ももたらさず、東へと移動していった。8月31日という子どもの頃には、いい思い出のない〝夏の終わり〟の奇妙な体験をしながら、夏休みの宿題ならぬ、この夏の読書を進めている。日本の首相に直結する「自民党総裁選」については、私のような70歳台後半の政治ウオッチャーにとっては、もう一つワクワク感が湧いてこない。むしろ、名うての弁舌家で、元首相の野田佳彦氏が名乗りを上げた「立憲民主党代表選」の方が面白くなってきた◆そんな状況を背景に、まず月末ギリギリに読み終えたのが宮家邦彦の『気をつけろ、トランプの復讐が始まる』である。米大統領選の雲行きは、つい先頃の「ほぼトラ」(ほぼトランプで決まり)から、トランプ襲撃事件を経て、民主党の候補者差し替えによって、「もしトラ」(もしトランプが再選したら)へと、様変わりした。そうした状況を背景に出版されたばかりのこの本は、実に面白い。手軽に読めて、分かりやすい。最も興味深いのは最終章の「安倍元首相なき日本の『もしトラ』生存戦略」だ。「天才的『じゃじゃ馬馴らし』政治家」としての安倍晋三は、その回顧録に余すところなく見事に描かれている。著者は安倍に代わりうるトランプと渡り合える政治家を探すのは難しいと思ってきたが、彼は「いじめっ子」であるとのオーストラリアの首相の論考を読んで考えが変わったという。「勇気をもって立ち向かい、率直に話し、本人に利益になることを伝え、繰り返し強く説得する」しかない、と。さて、そういう能力を持った総裁候補はいるのか。「いじめっ子」を巧く扱えそうな人物は見つからず、「いじめられっ子」ならすぐ浮かぶ。ともあれ、総裁選に勝利した候補はこの本を直ちに読むべし◆私の高校同期の女友だちで笑医塾・塾長である高柳和江から、7月後半に「この本絶対読まなきゃあ」と電話があり、送られてきたのが『国家の総力』。これまで彼女の専門の医学や文明論的な分野のもの、また塩野七生の本などを勧められてきたが、今回のものは異色。兼原信克と高見澤將林という「外交・安保」官僚の最強コンビが組んで、いざ「台湾有事」が現実のものになったら、日本はどう立ち向かうかを、語り合ったものである。これまで、自衛隊の元将官たちと議論したものは読み、ここでも取り上げたことはあるが、この本は、エネルギー安保と食料安保から始まり、シーレーン防衛、特定公共施設と通信、貿易と金融といったテーマを、それぞれのエキスパートと共に詰めた議論を展開している。色々と触発されるが、「石油危機後の『油断』に対応する戦略備蓄の話がエネルギー安保の話として語られますが、有事の際の日本のエネルギーをどう確保するかという議論がない。これはおかしな話です」(兼原)と、戦後日本がエネルギーを防衛政策から切り離してしまったことを嘆いている。自公政権にあって、公明党が中道とはいえ、リベラル的指向が強い分だけブレーキ役を果たしているのかどうかが気になる。「台湾有事」について大枠を聞き、語ることはあっても、ここまで細部にわたっての議論はあまりお目にかからないだけに得難い本である◆最後は、植木雅俊の『日蓮の思想━━御義口伝を読む』である。仏教学者の中村元の直弟子として、お茶の水女子大で博士号を取得した著者は、サンスクリット語に熟達した仏教思想家だ。これまで難解な専門書は別にして、数多い著作を読んできて、京都と大阪で開かれたNHK文化センターでの講義にもそれぞれ5回ほど受講したことがある。その著者が日蓮大聖人が弟子日興上人に語り伝えた『御義口伝』を題材にして日蓮思想を語ったこの本は、とてつもなく価値があると思い、飛びついた。まだ完読するまでには至っていないが、総論の「南無妙法蓮華経とは」から始まり、「自己の探究」「汝自身を知れ」「日蓮の時間論」と続き、「日蓮の仏国土観」「日蓮の死生観」で終わる、全10章430頁に及ぶ本は読み応え十分である。特に「時間論」に惹かれた。これまで創価学会の池田大作先生の『御義口伝講義』を懸命に読んできたつもりだが、市井の一学者によるこの解読書は新鮮な印象を受ける。これからじっくりと、読み進め新たなる境地を切り拓きたいと思っている。(敬称略 この項終わり 2024-8-31)
【143】この夏こんな本を私は読んでいる(中)━━『粋な生き方』『嫉妬論』『冷戦後の日本外交』/8-23
本のタイトルって、それなりに大事ってことを思いっきり感じたのがこのほど読んだ帯津良一さんの2冊。『粋な生き方』と『後悔しない逝き方』である。前者が2014年10月、後者が同年12月初版と、踵を接して出版されている。出版社は違うけれど、明らかに「生と死」を一対のものと意識して世に問うたものと思われる。かつて国会で開かれたOB議員の会合でこの人の講演を聞いていらい、ファンになった。ともかく話が面白い。そして本も。お医者さんの書いた本だからどちらも健康に関わりがあるのは当たり前だが、前者は生き方に、後者は死に方に関わる。共に、サブタイトルめいた文句がついており、前者には「病気も不安も逃げていく『こだわらない』日々の心得」。後者には「患者さんが教えてくれた32の心得」。中身はダブっているところもあり、後者はここでは省く◆前者は目次から拾うと39の心得が、5章に分けて掲げられている。①挫折を知る人ほど、大輪の花を咲かせる②あきらめない、こだわらない③日々、ときめいて生きる④上手に恋する「粋な人」⑤凛として老いるといった具合に。著者とはほぼ10歳年下の私だが、圧倒的に興味深いのは4章。中でも「恋は、生きる上で最高のエネルギー源になる」「別れをかなしむことはない。別れは必ずくるように、再会するときも必ずくるから」「家族とは、ときどき会うほうが、『遠きが花の香り』でうれしいもの」の3つに関心を抱いた。帯津さんは奥さんと死別されて長い。仕事が終わると看護師、医師、事務員さんたち女性と、一献傾けながら話しを交わすのが最高のひとときといわれる。〝恋する爺さん〟の片鱗がここから伺えて興味深い。別れと再会については、夫人の亡骸を見ながら「向こうへ行ったら真っ先に謝らないといけないな。それまで少し待っていてほしい」と、心の中で語りかけ、やがてあっちの世界で会えることを楽しみにしているという。家族との関係も、「毎日顔を合わせていると気に食わないことばかりが目につきますが、たまに会う関係だと、ありがたく思える」というくだりには100%同感だ。ともあれ一読をお勧めしたい◆前回取り上げた『本居宣長』(先崎彰容著)のくだりでも述べた、山本圭(立命館大准教授)の『嫉妬論』をその後読みだした。「民主社会に渦巻く情念を解剖する」というサブタイトルがついているように、「嫉妬」という厄介な感情の有り様について、社会との関係から深い洞察を試みたユニークな新書である。「嫉妬」が現代政治に絡んで姿を表すのは、最もポピュラーなのは「生活保護費」をめぐる議論だが、これからやってくる「ポスト資本主義」社会ではいかなる問題が待ち受けているか。著者は、現在論壇の世界で話題になっているコミュニズムの新展開に矛先を向ける。つまり、私がかつてこのブログで取り上げた斎藤幸平、松本卓也氏らによる『コモンの自治論』(No.100)などを意識している。私などは「熱い思い伝わるも虚しい実現性」といった軽いタッチで論評したものだが、山本氏は、「コモンとして民主的に共同管理するとき、これまで気にも留めなかった差異が途端に顕在化する」うえに、「社会主義のプロジェクトの足を掬うことになるかもしれない」から、「こうした負の感情に何らかの仕方で向き合う必要がある」と、「嫉妬」の取り扱いに絡めて、「コモンの自治」への懸念を示している。流石だ◆あと、今読み終えて深い満足感を覚えているのは『冷戦後の日本外交』。これは自民党の元副総裁で外相や外務政務次官を幾たびもこなして文字通り日本外交の下支えをしてきた高村正彦氏による聞き語り、つまりオーラル・ヒストリーである。聞き手の中心は元内閣官房副長官補の兼原信克氏。これは実に読み応えがあった。高村氏は「安保法制」において、「集団的自衛権」の部分的容認の作業を公明党の北側一雄副代表との間で仕上げたことで知られるが、それ以外についてはあまり業績は一般に伝わってきていない。それを、兼原氏と、川島真(東大教授)、竹中治堅(政策研究大学院大教授)、細谷雄一(慶大教授)の4人で見事なまでに掘り起こしている。実は私は高村氏という政治家をよく知っていると思ってきたが、「希代の外政家」との表現に接して驚きを禁じ得ず、我が不明を恥じ入った。率直に言って大いに見直したが、自民党内ではそれこそ「嫉妬」の対象にならざるを得ないような気がしてならない。この本については、項を改めて詳しく論じたい。(2024-8-23)
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【142】この夏こんな本を私は読んでいる(上)━━『百年の孤独』『本居宣長』『神なき時代の「終末論」』/8-17
私の『忙中本あり』は、今は一週間に一冊のペースで本を取り上げ、読後感を表現している。この5月3日に『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』上巻を出版してからは、下巻の上梓を目指して、自分がご縁をいただいた著者の本を取り上げてきている。しかし、会ったことも見たこともない著者の本も読むことは、もちろんある。出版準備にかまけてばかりいないで、そういう普通の本も取り上げようと、この夏まとめて今読んでいるところだ。お盆の時節も過ぎてしまったが、ここでこの半月あまりに読んだ本の「読書録」を一気にまとめて取り上げてみたい。読み終えたものも、いままさに読み続けているものも、読み始めたばかりのものもある。種々雑多だが、かつて20年以上前に「週間日記風」に書いた手法を久しぶりに思い出して、まとめてみた★パリオリンピックの始まる前、本屋の店頭に大々的に宣伝されていたのがガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(鼓直訳)の「文庫化」だ。この本は20世紀文学屈指の傑作として礼賛されるものだが、今まで手にせずにきた。読み始めてそれなりに時間が経った(オリンピックが終わってもこっちは未だ終わらない)。登場人物が入り組んでいてよく分からず、筋立ても理解に苦しむ。そのくせセックスに関する場面だけはリアルそのもの(当然だろうが)。久方ぶりにこの手のものを読んだが、すぐまた難解な記述に戻って、興味が続かない。こんなことの繰り返しで、まだ全体の三分の一も進んでいない。それでも放り出さないでいるのはひとえにこの本の評判の高さゆえ。「解説」で筒井康隆も「新潮社からラテン・アメリカ文学の最初の一冊として出された本書を読んだ時の衝撃は忘れられない。『この手があったか』と驚く程度の生易しいものではない。文学への姿勢を根底から揺るがされたのだ」と書いている。こうした言葉に焚きつけられてはいるのだが、さてどうなることやら★一方、今年のNHK 大河ドラマの源氏物語『光る君へ』は、30回を超えて佳境に入ってきた。『源氏物語』の映像化と聞いて連想したものとは違って、中々本題に入らないものだからヤキモキしていた。尤も世界に誇る日本最古の小説も、〝閨房狂いの読み物〟と見られなくもないので、「千年の秘事」というべきかもしれない。実は偶々フジTV系の人気番組『プライムニュース』で、思想家の先崎彰容が登場して『嫉妬論━民主社会に渦巻く情念を解剖する』の著者・山本圭と議論していた。その際に先崎が『本居宣長━━「もののあはれ」と「日本」の発見』なる本を出版したばかり(5月)だと、知った。本居宣長が『源氏物語』の読み手として最高峰の位置を占めるとされていることから、直ちに飛びついた。これは実に読みやすく面白い。あっという間に読み終えた。当初、先崎が小林秀雄の向こうを張って「もののあはれ」論に新解釈で挑もうとしているのかと期待したが、そうではなかった。「解釈の歴史」に挑戦することで、今風の日本論の展開を試みたもので、それなりに啓発された★ほぼ同時に『神なき時代の「終末論」』という魅力的なタイトルの本をやはり思想家の佐伯啓思が6月に出したことを知って、読み始めた。これは、「自由」「活動条件」「富」の拡大を目指して、走り続けることが幸福に直結すると信じる楽観的な現代人のあり様に、くさびを打ち込む意欲的な試みである。しかもその背景に、『旧約聖書』における「終末論」に基づく歴史観が「神なき現代」にあっても、アメリカとロシアを突き動かしているという。現代文明を形作ってきた「西」の深層を「東」に位置する中国や日本はどう捉えるか。極めて興味深いテーマを佐伯がどう「料理」しているのか━と、小躍りしたい気分で読み進めた。結果は、いささか〝ないものねだり〟ではあった。つまり、「西」の背景を抉っているだけで、「東」には手がつけられていない。まあ、「神」や「終末論」とは、直接的には「東」は無縁だから仕方ない。だが、「東」とて間接的に巻き込まれて生きている。傍観は許されない。先に読み終えた先崎の『本居宣長』では、中国を「西」として、捉えていた。この2冊、これから「文明への思索」を深める契機として、活用することになりそうだ。(敬称略 2024-8-17)
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【141】価値誇れる地域へ歴史の「活用」━━久保健治『ヒストリカル・ブランディング』を読む/8-10
コロナ禍を経て、日本には今再びのインバウンドの波が寄せてきている。数多の外国人がなぜ今日本にやってくるのか。恐らく、彼らの住み慣れた地域とは全く異なった風景の中で、およそ特異なものが手に入るからだということではないか。テレビで、信楽焼(しがらきやき)の狸に群がる外国人の姿を見てそう思った。そんな折もおり、新進気鋭の学者から『ヒストリカル・ブランディング』なる新書が送られてきた。サブタイトルは、「脱コモディティ化の地域ブランド論」とある。議員を引退してほぼ10年、コロナ禍に襲われる前の、前半5年間は地域活性化に向けて、あれこれと取り組んだものの、悪戦苦闘の末に一旦休止を迫られた。そこへこの本の登場。渡に船である。著者は、亡き旧友の息子。歴史研究者から一転、起業家として経営に携わる。現場を走る若き学者兼経営者の入魂の一冊に深い感銘を受けている。地域起こしに取り組む多くの人々に実践の指南書として勧めたい◆この本は二部構成で、一部が「観光によるヒストリカル・ブランディング」で、具体例として北海道の小樽運河と千葉県佐原の大祭を取り上げる。二部は、「商品開発による地域ブランディング」。千葉県横芝光町の大木式ソーセージという地場産業のブランド化と、熊本県菊池市の菊池一族をファンコミュニティによるブランディングとして登場させている。それぞれ実践形態を述べた後、理論編を付け加えている。さらにコラムとして、「失敗の検証」にも言及しており、理解するための工夫が凝らされている。4つの実例のうち、私は「小樽運河」しか知らない。その「小樽」にしても「保存か開発か」をめぐって60年に及ぶ壮絶な戦いがあったことまでは、知識はおぼろげ。「運河戦争」が終結して、いわゆる「観光地化」をみたのは40年前の1984年から。運河誕生から百年が経ってようやくブランドとして確立した。ここからブランドが持つさまざまな機能を利用して価値を高めていくブランディングが始まる。今そのとば口に立ったばかりだというのだ。父祖の地・小樽をルーツに持つ著者らしい思い入れがじわりと伝わってくる◆西日本の「小京都」に比して、関東には、「小江戸」と呼ばれる町が幾つもある。佐原もその一つだが、呼び名は「江戸優り(まさり)」が相応しく、独自性を誇る。その中核をなしたのが「大祭」である。無形価値としての祭りを可視化した経緯が明解に語られ、歴史が「対立から対話に」至った道のりが理解できる。一方、地場産業としてのソーセージ作りをブランド化したケースでは、地域の青年たちが大木式ソーセージの発祥に遡って、受け継がれてきた技術の成り立ちを探求する。彼らは創業者・大木市蔵の弟子たちが開いた店を一軒また一軒と、全国各地に訪ね探してきた。また、熊本県菊地市の菊地一族についても興味深い。熊本県北部を流れる菊地川流域を淵源とするのだが、南北朝時代に九州統一を果たした一族で、豊かな歴史文化を持つ。菊池市観光協会が官民連携で実施したプロモーション施策「菊池ファンクラブ」が主体となって、「菊池こそ九州の首都なり」と勝手に宣言した物語へと発展させていく。具体例の後の理論編で、大事なのは地域の歴史の「文献資料の読み込み」との指摘があり、ハード頼りだけではいずれコモディティ化は免れないと、厳しい◆世界文化遺産・姫路城も、現実的には観光客は京都、広島への通過地点で、宿泊を伴う消費拡大は今ひとつ。私は地元選出の議員として、伊勢のおかげ横丁や京都・太秦の映画村に見倣って〝リアルな城下町〟を作ろうと呼びかけた。時の市長は研究を進めたようだが、「文化財保護法」の厚い壁に遮られ挫折した。引退後は淡路島を拠点に瀬戸内海島めぐりを目指す一般社団法人の専務理事として、万葉集学者・中西進会長、ヨット冒険家・堀江謙一副会長らと共に夢を育むプロジェクトに取り組んだ。関西国際空港との連携航路などにも挑戦して大きく羽ばたきかけたものの、コロナ禍の直撃を受けて敢えなく構想は沈んだ。この本のコラム「失敗の検証」その一「歴史文化観光を推進しても上手くいかない」を読むと、身につまされる思いがする。いま「敗者復活」に向けて新たな挑戦の気概が仄かながらも漲ってきた。(2024-8-10)
【他生のご縁 親子二代にわたる繋がり】
著者の父親と私は今から50年あまり前、東京・中野で青春を共有した仲でした。この本には「両親の介護も年々その重さが増していった」とか「介護と仕事の両立」などといったくだりに出会います。その都度、親思いの息子の苦労が偲ばれ、胸詰まる思いがします。
「おわりに」では、「本書を、いつも見守ってくれていた父・勝、母・和子、兄・精一に捧げたい」と結ばれています。5歳ほどで逝った兄・精一君との両親の様々な思い出━━弟・健治君は兄の生まれ変わりだと聞いた日のことなど、私には懐かしく甦ってくるのです。
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【140】あなたも私もみんな揃ってがんになる?━━中川恵一『がんの練習帳』を読む/8-3
この本のまえがきには、「『死なないつもり』の日本人へ」とのタイトルがつけられ、書き出しは「日本人のおよそ2人に1人ががんになります」で始まっている。そして、65歳以上の高齢者に限れば、2人に1人ががんで死亡している、と続く。だが、現実には現代日本人はあたかも死なないつもりで生きてるようだ、と。どうしてだろう。恐らく心で思ったり、口に出したりすると、きっと実現してしまうとの、日本人特有の〝縁起担ぎ〟的傾向が災いしているのに違いない。なるべく日常的生活の中に〝死にまつわること〟を遠ざけ、考えないようにすればいい、というわけだ。しかし、著者はそんなことでは、がんになって慌てふためくのがオチで、「不本意な治療を受けてしまい、後遺症に苦しんで後悔する」ことになると警告する。そして「がんになる前に、がんを知る「練習」が必要」なことを訴えている。私はかねて中川恵一さんと知己を得てきた。だから、〝がんについての教え〟は知ってるつもりだった。だが、この本を読むと、改めてうーむと唸ることばかり。かじっただけで、実は何も身についていないことを思い知った◆「練習帳」と銘打ったこの本では、練習①が総論で「本当にがんを知っていますか?」とのクイズから始まって、がんの全体像を描く。その後、②肺がん③乳がん④前立腺がん⑤直腸がんの4つの「闘病記」がリアルに公開されていく。練習⑥では「余命」をめぐる「体験記」でトドメを指す。今風に言うと、マジ面白くてヤバい読みもので構成されているのだ。実は私の母は胃がんで還暦前に亡くなり、父は喜寿を祝ったものの80歳直前に膀胱がんなどで逝ってしまった。そんな両親の経験から、自分も死ぬ時は、胃がんか膀胱がんのどちらかだろうと思いこんできたが、この本を読んで、「がん遺伝説」は誤りだと知った。がんは「悪い生活習慣」に起因し、「検診サボタージュ」が手遅れを招く。つまり、予防には、「生活習慣の改善」と「定期的な検診」が最善の策というわけだ。それに、日本では今、胃がんや子宮頸がんなど「感染型」のがんが減っていて、増えているのは前立腺がんと乳がんが多いことも恥ずかしながら知らなかった。食生活の欧米化、肉食型が原因である◆4つの闘病記はいささか不謹慎ないい方だがめっちゃ面白い。例えば、「前立腺がん」については、原宿のマンションに夫婦で暮らす63歳のお金持ちの男性の「性機能の維持」をめぐるケース。高級クラブの女給との秘密の関係で揺れ動くドラマ仕立てなのである。「手術・ホルモン治療・放射線治療」という3つの主な治療法と〝勃起との関係〟を巡って、医師と患者、その妻、その愛人が絡み合う非喜劇が展開される。他方、「乳がん」については、43歳のバリバリのキャリアウーマンのケース。最初に診て貰った医師から「乳がんです。お乳はとった方がいいですね。入院の手続きをして帰ってください」とにべもなく告知される。彼女それには「先生、その言い方はひどくありません?初めからお乳を残す気がないんじゃないですか!私、結婚前だし」と激しくあがらう。医師は機嫌をそこね「まずは命の心配をしたらどうですか。いやなら、お乳を残せる医者を探したらいいでしょ。私はもう知らないから」と突き放す。陰鬱になりがちな話題がユーモア交りで巧みに料理されていて味わい深い◆更に圧巻は、巻末の〝最期の迎え方〟。著者は、告知される「命の残り時間」の精度が高まる中で、日本社会は「核家族化や病院死が進み、『死の練習』は難しくなり」、「共同体の絆も弱まり、死に向き合い、死を支えるパワーを失っている」と強調する。世界各国では、強い力を持つ宗教が「死の練習」を支える役割を果たしているのに、宗教心の希薄さで際立つ日本は「『死の受容』は非常に困難になって」いるからだ。ここでは、膵臓がんで「余命3ヶ月」を宣告された75歳の元ナースの妻と78歳の認知症の夫のケースが紹介される。家族に看取られた見事なまでのいまわのきわが印象深く描かれていく。中川さんは、「がんで死ぬということは、『ゆるやかで、予見される死』を迎えることを意味する」として、それを「人生の総仕上げ」の期間と捉えることを勧めている。そうすれば、「がんもそんなに悪くない」と思えるはずだ、と。さて、19の歳から「臨終のこと」を習い続けてきたはずの私も〝80歳の壁〟を間近に意識するようになった。若き日に体育の時間に苦手だった跳び箱に挑む直前の時のような心境に今はある。(2024-8-3)
【他生のご縁 公明党政調の強いアドバイザー】
いつの頃か、公明新聞の親しい先輩の引きで、中川さんとお会いするようになって、様々なご指導をいただくようになりました。心臓麻痺のようにポックリ死ぬのと、がんで余命を告げられて死ぬのと、どっちがいいでしょう?って、訊かれたことを思い出します。どっちも嫌だって、思ったものですが、さて今は?
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【139】臥薪嘗胆の5年あってこそ━━安倍晋三/橋本五郎、尾山宏、北村滋『安倍晋三回顧録』を読む/7-27
「シンゾウは私と会う時、いつもスーツのボタンをしているけれど、私もした方がいいか」━━トランプ米大統領(当時)が天皇陛下と2019年5月27日に会見するにあたって、安倍晋三首相に聞いてきた。自分との前ではいいけど、陛下の前ではしてくれと安倍さんは言った。トランプ氏の〝ノーボタン〟がいつも気になっていた私はこのエピソードが腑に落ちた。この回顧録は、2020年10月から一年の間に18回36時間にわたって行われたインタビューが基になっている。長期政権の舞台裏と共に、オバマ、プーチン、メルケル、習近平氏ら世界の指導者の人物月旦(げったん)がふんだんに盛り込まれていて実に楽しく面白い。読売新聞の橋本五郎、尾山宏氏ご両人の「つっこみ」も、時に冴えわたり読み応え十分の内容である。出だしの第1章は新型コロナが蔓延した2020年・政権末期の格闘。そこから第一次内閣の発足(2006年)前後へと遡って、退陣、再登板までの〝本番前夜〟を追う。この後、2013年からの8年間へと移るのだが、憲政史上最長期政権となった根源の秘密は、私は第一次政権の失敗とその後の〝臥薪嘗胆の5年〟(2007-2012)にあると見る◆第一次内閣を安倍さんは経済政策が弱かったと認め、「戦後レジームの脱却に力が入りすぎていた」と振り返っている。教育基本法の改正、防衛庁の省昇格、国民投票法の制定など、50〜60年に一度の重要な法改正を相次いで行ったことに「無理をしたという思いはあるか」と聞かれて、「一点集中突破ではなくて、あらゆる課題を全面突破しようと考えていた」と答えた上で、「若さゆえだった」と正直に認めている。退陣後の「まさに茫然自失」状態を経て、反省と鬱憤晴らしを込めてノートに書き溜めたことやら、高尾山登り(2008年)で出会った人々からの励ましが再起のきっかけとなったことを明かす。そして、地元で20人以下のミニ集会を約一年の間に300回やったことで、地域の皆さんが何に興味があり、何に困っているかが分かった━━有権者の関心は、やっぱり日々の生活なんだなときづかされた、と強調する。加えて、経済の専門家と繰り返し議論し、デフレ脱却の勉強会の会長を引き受ける中で、「日銀の金融政策や財務省の増税路線が間違っていると確信していく。そこでアベノミクスの骨格が固まって」いったと述べて、後の「産業政策のみならず金融を含めたマクロ経済政策を網羅することになる」経緯を、誇らしげに披瀝するのだ◆全編を通じて、財務省、厚労省への厳しい眼差しと共に、立憲民主党や一部メディアの安倍批判に返す刀を振るう場面が目立つ。2度にわたる政権運営を降りて間もない頃だけに、生々しい感情の発露が伝わってくる。当然ながら公明党に関する記述が気にかかった。「連立の意義」について、「風雪に耐えた連立」と断定、3年3ヶ月の野党・自民党とタッグを組み続けてきた公明党を「相当のチャレンジだった」とし、「(自公両党は)よく乗り越えた」と評価しているのはまさに的確に違いない。選挙での公明党の力には「平身低頭するしかない」と述べ、組織力の強さに脱帽する一方、とくに社会保障分野などで公明党の意見を取り入れる形で協力関係を強め、政権安定を図ってきたことを自負している。安全保障分野では、平和を達成するための手段、考え方が違うため幾度もぶつかったが、その都度綱引きをして一致点を見出したことがリアルに語られており興味深い。集団的自衛権の制限的容認やその後の安保関連法制については公明党は「よく協力してくれた」と安堵した風が率直にうかがえる。ただ、「自衛隊の明記」など憲法本体については、「山口那津男代表は私の前では自分の意見を言わず、いつも私の話を聞いた後、『うちの組織は厳しいですね』みたいな話をする」と、不満めいた心情を吐露しているのは印象深い◆安倍政権の評価について私は、「功罪相半ばする」との見立てだった。半分の「罪」は、いわゆる「もりかけさくら」問題での疑惑にある。森友問題は「(財務省が)改竄なんかするから、まるで底の深い疑惑があるかのように世間に受け取られてしまった」といい、加計学園問題では、官僚がなんでも首相案件にしてしまう愚を指摘しつつ、自身は踏み込まなかったと明快である。それに比して「桜を見る会」については、国会で事実と異なる首相答弁が4ヶ月で計118回あったことなど「政治的責任は重い」と明確に認めている。前夜祭を巡って公職選挙法違反の案件が尾を引いたこともあり、「李下に冠を正さず」のことわざを大きく逸脱している非は覆うべくもない。(2024-7-27)
【他生のご縁 同じ「新学而会」のメンバーとして】
中嶋嶺雄先生(元秋田国際教養大学長兼理事長)のもと、学者、政治家の勉強会「新学而会」の一員として私は、安倍さんと一緒する機会が幾度かありました。席を並べたのです。
超保守的団体の主催による尖閣を守る集会があったときのこと。遅れてきた安倍さんとばったり会いました。その時に、「こんな会に来ていいんですか」と言われました。その際、大きなお世話だと思ったものですが、さて。
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【138】「普通ではない政治家さん」━━石破茂『異論正論』を読む/7-20
石破茂さんと私はかつて同じ政党に所属していた━━っていうと、ほんまかいなと訝しく思われる向きもあろう。そう、新進党である。1993年6月、宮澤喜一内閣に不信任案が出された。それに石破氏は賛成票を投じた。そのため、次の総選挙で自民党からは公認されなかった。無所属で出馬しトップ当選、その後に小沢一郎氏率いる新生党に。そして新進党に合流した。衆院の公明党も一緒だった。石破さんには『集団的自衛権』『国防』『日本列島創生論』など幾つかの専門的な著作がある。そのうち、政治エッセイ風の標題作(2022年)を選んだ。石破さんは自民党議員の中での評判に比べて、全国の党員始め庶民大衆受けは圧倒的に高い。ひとたび党を離れた経歴を持つ人には疑念がつきまとうのだろうか。それを意識したと見え、この本の中に、「なぜ私は離党したのか」との見出しで5頁ほどの解説がある◆「(分裂後の自民党が)憲法改正論議を凍結する、という方針だったことが」原因だという。しかし、新たな新生党も新進党も権力闘争の繰り返しだけ。当初掲げていた集団的自衛権の行使容認や憲法改正に曖昧な方向しか見えず、結局次の総選挙で再度無所属に戻り、当選後自民党に復党した。新進党が自滅した要因は、「自民党と対峙して二大政党制を実現する」との、当時の左から真ん中、右までの幅広い「政治改革の夢」が脆くも崩れたことにあった。石破さんのここでの説明を聞く限り、私たちとは「同床異夢」だったのである。1994年から僅か3年の寿命だった新進党はただ〝罪作り〟だったのかもしれない。復党後、臥薪嘗胆の時を経て、石破さんは2012年から4回続けて自民党総裁選挙に出馬する。しかし悉く負け続け、前回は出馬を見送った。こういう経歴の人は自民党では過去に見出せない◆もともと学識豊かな論客家肌の上に、総裁選を経て一段と磨きがかかってきた。あたかも12年浪人している司法受験生のようなもので、この間常に勉強を積み重ねてきているイメージは強い。この本でも随所に窺える。特に、第10節「外交の場では歴史の素養が求められる」では、フランス国防相とのイラク戦争をめぐる論戦から説き起こし、米中関係を考える上での米ソ対立との歴史的相違点などに論及したのち、各国首脳の思考回路を知っておく必要があると強調。最後に、「あらゆる事態を想定しておくことが政治家には求められ、そのためには寸暇を惜しんで本を読む、識者にお話を伺うなど、勉強をし続けることが絶対に必要である」とまで訴えているのだ。ここ数年、国会が始まり衆議院予算委の場面になると、質疑者の右斜め後ろの席に石破氏がいつも座っている。質疑の展開と彼の表情、仕草を合わせ見ると面白い。その際の心象風景の解説は心憎いほど。自身に質問の機会がないことを嘆きつつ、チャンスが来れば、「見ている国民の方に納得いただけるような構えの大きな話をしたいもの」だという◆ここで、憲法9条の改正を巡っての考え方の違いについて触れたい。「自衛隊の存在の明記」をしたいとの安倍晋三首相のスタンスに対して、彼は異論を唱えた。その理由は「それまで自民党内で決めていた改憲案とはまったく別の思想によるものだったから」だという。確かに石破さんの言う通りだろう。元をただすと、安倍さんをその気にさせたのは、太田昭宏公明党前代表であり、私も後押しした。それに乗った安倍さんは柔軟であり、乗らなかった石破さんは真っ直ぐ過ぎると言うのが私の見立てである。私が石破さんの主張で最も同調するのは、「これからの日本は『自立精神旺盛で持続的な発展を続けられる国』を目指すべきだ」として、「その実現のためには国のグランドデザインも見直していく必要がある」と強調しているところだ。見直すべきものがあるのかどうか。国の方向性の議論なき連立政権は危うい。この本の出版ののちに、「旧統一教会問題」や派閥絡みの「裏金作り」が表面化した。安倍さん健在なりせばいかなる対応をしたものか極めて興味深い。石破さんのこれらについての考え方はやはり同党の中で最も光彩を放つものだった。(2024-7-20)
【他生のご縁 束の間だけ同じ釜の飯を食った仲】
ひと回り下の同じ酉年。同じ大学の出身で、先に書いたように同じ政党に属していたこともあります。思い描いた政治改革の素描は少し違いましたが、懐かしい思い出です。ずいぶん前ですが、「防衛」「農水」ばかりでなく、もっと幅広いテーマに関心を持って、などと身のほど知らずにも忠告めいたお節介を焼いたこともありました。時に応じてメールのやり取りもするなど、引退後の今も親しくさせて貰っています。
かつて自民党には総裁候補が踵を接して待機していました。大向こうのそれなりに納得する布陣でした。今はどうでしょうか。ともあれ、そろそろこの人の出番ではないかと睨んでいます。本文中に書きましたように、準備は万端、十分過ぎる勉強をしてきました。運気到来です。
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【137】あの母ありてこの娘あり━━小池百合子『自宅で親を看取る』を読む/7-13
女性初の都知事になって8年。小池百合子さんはこのたび3期目の当選を果たした。その母親が2013年(平成25年)に肺がんを医師から宣告され、娘の小池さんが自宅で看取るまでの12日間の介護日誌である。2005年〜06年環境相を経て防衛相(07年)、党総務会長(10-11年)など要職を次々と経て、都知事になる3年前のことだった。当初から短い期間だと分かっていたし、現職国会議員の様々な利点があるとはいえ、「親の介護」はやはり並大抵のことではない。世間では、諸般の事情でしたくともできない。様々の苦労が祟り身体を壊す。あるいは最初からその役目を放棄するなど悲喜こもごものドラマに溢れている。小池さんの「看取り体験記」は実に味わい深くためになる。これまでその政治的信条に好感を抱けず、ご縁のなかった人たちも含め、今に生きる現代人にとって得難い書と言っても言い過ぎではない◆「平成25年の夏、日本列島は記録的な猛暑に見舞われていた」との一文から始まるこの本は実に読みやすい。5行後に続く、「八十八歳の母は疲れきっているように見えた」から一気に引き込まれる。実はこれより少し前の5月末に小池さんの父・勇二郎さんが90歳で亡くなったばかり。父親の場合は特別養護老人ホームに入っていて、併設の病院で「大往生の死」を迎えた。そのショックもあり母・恵美子さんは一段と暑さもこたえたのだが、遡ること1年半ほど前に肺がんを告知されていた。そこから一気に病が昂じていく。その後の状況を確認すべく検査入院をしたところ、医師から「あと1ヶ月」と告げられる。以来、最期を「病院か、自宅か」どちらで迎えるかの〝悩みの顛末〟が克明に語られる。母上ご本人の当初からの希望が「自宅で」にあったことが決め手となった。尤もこの本のサブタイトルに、「肺がんの母は一服くゆらせて旅立った」とあるように、無類の愛煙家だったことが大きい。退院した9月5日から、息を引き取る16日までの12日間の看病。あたかも名画を見るような母娘の愛の交流が麗しい◆この本の構成は①母娘の決断〜娘の覚悟②最期まで自宅で〜12日間の介護日誌③穏やかな看取りのために〜在宅医療の現状と課題との3章となっているが、実は随所に〝ミニ自伝風趣き〟が散りばめられている。両親と兄を含む家族のこと。どんな少女時代だったか。なぜエジプト・カイロ大をめざしたか。政治家に直接関わる部分は行事日程ぐらいだけだが、しっかりと「人間・小池百合子」が挿入されている。中でも、アラビア語を学ぼうと思い立つ場面は興味深い。高校2年17歳の時(1969年)にESSの夏合宿先で、アポロ11号による人類初の月面着陸シーンを観た。鳥飼久美子さんらの同時通訳を目の当たりにした瞬間、「凄い」って心を鷲掴みにされる。と同時に「こりゃかなわん」と、英語の世界での数多の競争相手に抜きん出ることの難しさを自覚した。英語以外の別の言葉で勝負しようと方針転換をしてしまうのだ。何語にするか。ヒントを求めて父親の本棚を眺めているうちに一冊の本が目に飛び込む。『中東・北アフリカ年鑑』だった。石油にゆかりのその年鑑を繰っていくうちに、エジプトの項で、「カイロ大学」を見出す。「これだわ!雷に撃たれたように、私はここで心を決めてしまう。私は、アラビア語を勉強するのだ、それも現地で」と。〝運命の選択〟はこうして決まった◆我が両親は2人ともガンで逝った。母は父が看取り、父は姉や弟が看取ってくれたがいずれも東京にいた私は間に合わなかった。小池さんの献身的な振る舞いに胸締め付けられる思いがする。最後の章での「延命治療と尊厳死」についてのくだりに特に注目される。経験に基づき「何か事が起こったとき、どこまでの対応を望むのか。それを母がまだ元気な頃に、具体的に聞き、書面にしておけばよかった」と後悔している。そこまでするかどうか。老々介護目前の己がケースでの心構えが問われる。小池さんの両親は赤穂市と縁があり、ご本人は兵庫東部で育った。後に彼女が衆議院候補として立った選挙区は旧兵庫2区である。この人の政治家歴で、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎ら首相級の名だたる先輩たちとの〝師妹関係〟はあまねく知られている。故安倍晋三元首相の心胆を寒からしめたのは「希望の党」設立当時の小池さんだった。その動向を衆院選のたびに気にする向きは未だ消えず、いつ再燃するかどうかも誰も分からない。(2024-7-13)
【多生のご縁 衆議院予算委員会室前で座り込んだり、応援演説をした仲】
住専問題で大騒ぎの頃(1996年)。小池さんと私は衆議院予算委員会室の前で同じ政党所属(新進党)の者同士として一緒に座り込んだ。携帯電話が普及する前、AI端末も何もない頃。彼女は必ず近い将来それらが普及することを熱く語っていた。
「小池百合子さ〜ん。男にしたいいい〜女性です」━━公明党の講演会で支持者を前に、彼女を紹介するべく壇上に並んで立った私は、開口一番こう切り出しました。あの頃は私も怖いもの知らずだったのです。
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【136】遅ればせながらの「元首相の決断」━━小泉純一郎『原発ゼロ、やればできる』を読む/7-6
2001年から5年5か月の間。小泉純一郎氏は首相の座にあった。2009年に自公政権が民主党に負けてひとたび下野することになった総選挙には不出馬。次男の進次郎氏に後継を託し政界を引退した。その2年後に東日本大震災とそれによる福島第一原発事故が日本を襲った。この事故のあと、在任中の「原発推進」の立場を翻し、「原発ゼロ」を主張するようになった。その理由をこの本(2018年出版)では、悲惨な風景を突きつけられて、「内外の原発に関する本を数えきれないほどたくさん読んで勉強した」結果、原発の「安全」「低コスト」「クリーン」は全部ウソだったと気づいた、としている。「(首相時代に)騙されていた自分が悔しく、腹立たしい」との心情を吐露して。現役時代から、率直な物言いと歯切れの良さ、感性豊かな振る舞いに定評のあった人らしい「方針転換ぶり」に、〝パフォーマンス過多〟と見る向きもある。だが私が見るところ、そうではない。〝日本崩壊の地獄〟を危うく回避し得た僥倖に胸撫で下ろし、かつての自らの過ちへの責任を感じるが故の一大決心だと信じる。小泉内閣最後の厚生労働副大臣として曲がりなりにもお支えし、その人となりを知っているがゆえに◆この本の構造はいたって簡単。原発推進派、政府のいうウソをばらし(第一章)、原発をゼロにした後、自然エネルギーが代わりを果たす手の内を明らかにする(第二章)。第三章は一と二をまとめて、震災が招いた「ピンチをチャンスに変えよう」と呼びかけている。ただ、自民党における原発推進派は根強く、小泉さんの呼びかけに簡単に応じる向きはそう多くない。公明党にも〝原発推進確信犯〟がいる。現国交相の斎藤鉄夫氏である。この人は原発無くして日本の経済発展はないと公言してきており、現役の頃の政務調査会の場で原発の段階的解消を主張する私との間で論争をした。その後は党が公式の政策として「着実に原発ゼロに向けて進む」との方針を掲げてきている。表立っては抑えていても内実は分からない。そう簡単に自説を曲げないはずと私は睨む◆小泉さんは論語の「過ちを改むるに憚ることなかれ」を引き合いにして「これまでの失敗を反省してあやまちを改めなければいけません」と強調している。しかし、残念ながら元首相のその言を額面通り受け止める空気は日本にはない。2013年の都知事選で小泉さんが、原発ゼロを掲げて立候補した「細川護煕候補」を応援したことを日本中の人が知るに至っても、同様である。その後3年経ちこの本が出て、さらに8年が経った今も変わりそうにない。なぜか。理由は恐らく2つ。一つはご自身への民衆の不審である。原発に代わる再生可能エネルギーとりわけ太陽光発電関連の推進企業と小泉親子の関わりを指摘する向きがあるのだが、その疑惑が払拭され得ていないからだ。もう1つは、政治家全般への不信である。自民党の派閥絡みの政治資金集めという名の裏金作りは極限まで政治不信を強めている。論語の「信無くば立たず」が示すように、政治そのものへの信頼が完全に断たれてしまっている感が強い。そんな状況下に自民党出身の元首相が何をいえども空しく響く◆小泉さんは、この書でしきりに、野党は既に「原発ゼロ」に賛成なのだから自民党さえ変わればよく、総理が原発ゼロにすると号令すればできる、と叫ぶ。その通りだ。だがことはそう簡単ではない。小泉さんは安倍首相(当時)に「騙されるなよ」と言っても「苦笑するだけ」だと書いている。先輩首相として、そんな言葉かけだけでお茶を濁さずに大議論をして説得ぐらいして欲しかったと思う。その機会はもはや望むべくもないが、後継の首相たちに迫ったとの話も寡聞にして聞かないのは残念である。尤も、この本の末尾に50頁にも及ぶ「注」がついており、その大量の注の監修をしたのは、なんと立憲民主党の政調メンバーである。驚くべき自民、立民の原発政策の協調ぶりであり、小泉さんの覚悟のほどが伺える。(2024-7-6)
【多生のご縁 総理就任直後の予算委質問に立った日の記憶】
2001年4月に小泉純一郎首相が誕生した後に、私は質疑に立ちました。「小泉首相は、女性閣僚や気鋭の幹事長を選んだりして、まるで季節外れの大雪を降らせたみたいですが、汚い自民党政治を雪で覆い隠しても、すぐに雪は溶けて流れりゃ、以前より汚くなる」と言いました。この喩え「最高だ」と後々自賛しまくったものです。
また、「自公関係は日米関係に似ている。公明党は自民党のいいなりだし、自民党は米国に言われるままだ」ともいいました。小泉さんは「そんなことないぞ。公明党は言いたいこと言ってくれてるよ」と自席から野次ってました。懐かしい思い出です。
副大臣時代に開かれた首相を囲む会議の場で、仕事の現況を問われました。私はエイズ撲滅キャンペーンの一環としてスーちゃん(キャンディーズの故田中好子さん)と一緒に新宿駅前に立った活動報告をしました。これをめぐっては〝珍問答〟が続きました。紹介したいところですが、もはや「お蔵入り」の話題なのでやめときます。
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【135】行間、紙背に滲むあつき志──細川護煕『明日あるまじく候』を読む/6-30
作陶、書、水墨画、油絵、漆芸などを手がける元首相が、出版社の求めに応じて書いた古今東西の賢人たちの章句の中から50本を選んだ。題名は、本願寺教団中興の祖・蓮如によるもので「座右の銘」の一つという。副題は「勇気を与えてくれる言葉」。著者が80歳を過ぎた頃から編んだもので上梓された時は83歳。現役政治家を退かれたのは60歳。還暦後に人間として円熟味を増し続けた末の大いなる知的遺産である。この人が何を学び考え、いかに生きてきたかの輪郭が分かって、充実した手応えを持つ。単なる箴言集ではない〝次の世への手引き〟ともいえよう◆「細川護煕首相」が誕生し、8党派の連立政権が樹立されたのは1993年年(平成5年)夏。38年ぶりの自民党単独政権が「宮澤喜一首相」を最後に終わりを告げ、「連立政権の時代」到来となった。この時私も衆院選2度目の挑戦で初当選した。いらい30年余。あの当時を振り返るに際して、この本の持つ意味は大きい。日本新党立ち上げから総理就任を経て、退陣より現役引退まで、政治家としての出処進退に関わる記述が全部で5カ所ある。最も注目される場面は首相退陣。「家族や側近たちにも前触れせず、突然退陣を表明した」とある。進退は「自分ひとりで決断するしかない」ことを明かしている。背景には、当時佐川急便からの借金、NTT株購入など政治責任が問われていたことがあった。そこら辺には全く触れられていず、①歴史認識の明確化②自民党一党支配を終わらせた③コメの開放と④政治改革にも区切りをつけた──から「政権は長きをもって貴しとせず」との「細川美学」の披歴のみ。政権誕生より半年余り。退陣表明は一年生議員の私には文字通りの寝耳に水。驚いた。去り際の見事さは、政界引退時(1998年)も鮮やかの一語につきた。「座右において折りに触れて読んでいる」『徒然草』(吉田兼好)から「日暮れ途遠し。吾が生既に蹉跎(さだ)たり、諸縁を放下すべき時なり」(第百十ニ段)を引用し、「すべての義理を欠いて、己の心一つに生きていこうとそう決心したのだと」の解釈も付け加えた上で、「そしていまわたしはその通りにやっている」と、意味深長なひと言。ただ唸るしかない◆引退後20有余年。「欲無ければ一切足り、求むるあれば萬事窮す」(良寛)との生き方に打たれ圧倒された著者は、「腹六分で老いを忘れ、腹四分で神に近づく」(ヨガの教書)、「一生の間よくしん(欲心)思はず」(宮本武蔵)「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張」(勝海舟)「偉大さは単純なる生活の中にだけある」(イマヌエル・カント)などの箴言に裏打ちされた生き方を貫く。先達の言葉をあげ、解釈を施し文末の数行に己が自身の見解が披歴される。そんな中で、時折「寸鉄人を刺す」くだりが見逃せない。例えば、足利政権初期の宰相・細川頼之の「精神を充満すれば、閑雲に高臥するも天下を支配する」との心意気を讃嘆したあたり。いかなる地位についても「徳がなければ恥を天下にさらすことになる」として、人に感化を及ぼすことばかりに躍起となっている政治家の憐れさを強調している。また、ローマの故事を引いて、けれん味のない進退こそいちばん望まれるとする一方、「幕が下りたあとまで、いつまでもポスト・権力にしがみついて喝采を望む者はバカだとしかいいようがない」と切り捨てており、ひときわ印象深い◆10年前の2014年に都知事選があり、その時に細川さんは立候補した。衆議院議員引退後16年。政府の原発政策に反対して立ち上がったのだった。小泉純一郎元首相も呼応した、〝古きツートップ〟の反原発共同戦線に、個人的には大いに賛同したものだ。日本新党結成当時と同様に「家族はもちろん友人たちからも、そのドン・キホーテ的行動に頭がおかしくなったのではないかと真顔でいぶかられたものだ」。しかし、以前には「海鳴りのように呼応して立ち上がってくれた」動きも、その時は鳴りを潜めた。細川さんが立てた旗のもとに結集し国会議員になった日本新党のメンバーから、所属政党の変遷を経た上で、後に首相を始め、野党党首や与党幹事長、参議院副議長や知事になった人材は少なくない。「失われた30年」と位置付けられ、みたびの「77年の興亡」が幕開けしたいま、細川さんのような〝鞍馬天狗的正義感〟を持ち合わせた人物はもう出てこないのだろうか。(2024-6-30)
【他生のご縁 50歳の誕生日を祝っていただく】
1995年11月に私は満50歳を迎えていました。そのときに同僚の太田昭宏氏(1945年10月誕生)と共に、細川護煕前首相から誕生日の祝いの席を持っていただきました。場所はとあるイタリア料理店。呼びかけてくれたのは、我々2人の若き日の職場のトップだった市川雄一元党公明党書記長です。
この本の冒頭で「人間50年、化天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり」を引いて、信長が謡い舞った曲舞の謡曲『敦盛』の一節に言及されていますが、あの日、細川さんから胸の内の一端をお聞きしてより、ほぼ30星霜。改めて「海に向かって旅立つ者」の思いで、希望に満ちた新しい時代を切り拓く決意に立っています。
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