今年のNHK 大河ドラマ『光る君へ』は、ご存じ『源氏物語』の作者・紫式部の生涯を取り上げている。今のところ毎週見て楽しんでいる。昨年の「家康」、その前の「頼朝」のように、戦闘に明け暮れた「武士の世界」ではなく、女性しかも文人の目から見た「貴族の社会」を描いて興味深い。権謀術数の数々に辟易しつつも、次第に引き込まれている。そんな折に、手元にあったNHKの『こころをよむシリーズ』のテキスト(2017-1〜3)を引っ張り出して読んだ。著者の島内景二って人は国文学者にして電気通信大教授。テレビで見ることの多い、徒然草や方丈記の研究で知られる島内裕子さんは女房殿。いかにも親しげに云ったが面識はない。放送大学の講義でお顔を見ただけだが、千年ほど前の女御を彷彿とさせられ、ほっこりする。このおふたり、国文学が結んだおしどり学者夫婦だと勝手に想像している◆さて、この著書は『源氏物語』の手引書として役立つ。古典は原作にあたれ、解説書なんか無用との〝賢人のご忠告〟は良く分かる。だが、愚人の務めとして敢えて紹介したい。日本最古の、世界に名声轟く、長編小説『源氏物語』の所以は何かと。このテキストを三等分して、まず第一回から第四回目までを一つにして取り上げてみたい。4つの章のタイトルとそのエッセンスは①源氏物語から大いに学ぼう(複雑怪奇な人生からの学び)②積み重ねることの大切さ(異文化の積み重ねからの学び)③世界とのつながりを見つけよう(人間関係の絆の発見)④輝く人こそ影がある(人の多面性を見抜く)──といったものになろう。著者によると、この物語は小説の糸(ストーリーを追う)と評論の糸(コメントを楽しむ)とが絶妙に織り交ぜられているという。生真面目な私などからすれば、前者は怪しすぎて疎ましいし、後者は面白くてためになる◆前半部分で最大の読みどころは、教養の崩壊現象とでも言うべきものが起きている21世紀の日本では、「文学は何の役に立つのか?」であり、「源氏物語」は今日、世の中の役に立っているのか?」と著者が問いかけているくだりである。これは言い換えると、歴史的事実と文学的虚構との違いであり、ドキュメント、ノンフィクションとドラマ、フィクションと、どちらが人間の世界をよりよく明らかにするか、との問題設定にもつながる。著者は、紫式部が「真実には、限界がある。あるいは、虚構というかたちでしか語れない『人間の真実』がある」と、光源氏の口を借りて言わせているというのである。ここは実に重要なポイントだろう。一般的に、真実と虚構を立てわけ、ウソかまことかと単純に裁断してしまう傾向がある。島内さんは読者がその落し穴に陥ってはいけないことを強調していると思われる。「虚構の力を利用して『人間の心』の真実を明らかにしよう」というのが紫式部の戦略だということに気づけというのだ◆この本で私が新たに気づいたことが2つほどある。一つは、源氏物語の最初の本格的な注釈書としての四辻善成の『河海抄』(かかいしょう)の存在である。ここには源氏物語には、「君臣の交わり」(主君と従者の忠義の道)、「仁義の道」(人間社会の道徳)、「好色の媒」(なかだち=夫婦や男女の結びつき)、「菩提の縁」(極楽往生するための道心)など、「ありとあらゆる人間関係の教訓」がとかれている、と。確かにそうだ。二つには、九条稙通の『孟津抄』(もうしんしょう)や北村季吟の『湖月抄』(こげつしょう)など後年の注釈書の役割である。例えば、前者では源氏物語は、安易な気持ちでなく、しっかりした心持ちで、「盛者必衰の理(ことわり)」を胸に秘めて読めと言っている。安易な気持ちだと、好色の勧めだと錯覚し、人の道を踏み誤りかねないと忠告しているのだ。これもまた重要である。まるで注釈書の解釈本を読んだようだが、源氏物語という小説は〝宝の山〟ではあるが、読みようによっては正反対の〝不道徳の手引き〟ともいえる「背徳の書」だとも捉えられかねない。このことはしっかりと銘記されるべきだと思われる。(一部修正 2024-3-9)