【146】「日本政治」への尽きせぬ思い━━ジェラルド・カーティス『政治と秋刀魚』を読む/9-19

 19日付けの毎日新聞に米コロンビア大名誉教授のジェラルド・カーティス氏の「日本政治」についての興味深いインタビュー記事が「小泉進次郎氏の恩師」との添書き付きで出ていた。この中で、同氏は崩れた自民党の構造をどう立て直すのかとの議論が総裁選で全くないことやら、9人の候補者の公平さを重視しすぎる結果「討論にならない討論会」になっていることなどを懸念している。また、日本の政党政治そのものが大きな問題に直面しているのに、小選挙区制度を改めるべきだとの議論さえ出てこないのは残念であると発言をしていて注目されよう。この人は昭和42年(1967年)の総選挙に立候補したある自民党候補に密着取材して『代議士の誕生』との著書を発表したのを契機に、日本政治のウオッチャーとして長年活躍してきていることでもよく知られている。今回取り上げた標題の著作は、サブタイトルに「日本と暮らして四十五年」とある。昭和39年(1964年)、23歳の時にコロンビア大学の大学院生として初来日していらいの見聞録風政治論考なのだが、今から16年前の2008年7月に出版されたものを改めて再読した◆周知のように、自民党は2007年の参院選で大敗し、2009年の衆院選でも惨敗。旧民主党中心政権への交代を余儀なくされた。この本はそのちょうど狭間の激動期に著されたもので、その時から15年が経つ。当時は突然辞任した安倍晋三氏に代わって福田康夫首相が誕生したばかりのときで「日本の政治は新しい混乱期に入った」とある。この後、麻生太郎首相の時代を経て民主党政権へと移っていくのだが、〝今再びの政権末期〟と言っても言い過ぎではないほどの自民党の体たらくを横目に、日本通の米国人政治学者の15年前の見立てから今何を学ぶべきかを考えざるを得ない。この著作でカーティス氏が最後に強調しているのは「説得する政治」の展開の必要性である。「具体的な改革の是非について、政治家が国民にわかりやすく説明して、議論して、説得する努力が必要である。野党だから与党の政策に反対する、与党だから野党の反対があるにもかかわらず押し付けようとするといった政治をやめて、新しい『説得する政治』を展開していく必要があると思う」と、最終章の「思考の改革」で結んでいる。残念ながら、第二期の安倍政権も、その後の菅、岸田政権も「説得する政治」が、実を結んだようには見えない◆一方、この本で、カーティス氏は公明党について重要な指摘をしていた。「(三党の連立政権が実現した1999年)そのとき、公明党が小渕総理の呼びかけを断って与党でもなく野党でもない『中間党』という立場を取ったなら、日本政治で初めて国会という立法府が政策立案の重要な場になったはずだとそのとき私は思い、今もそう思っている」とのくだりである。同氏は、ドイツの自由民主党(FDP)の例を挙げて、左右両勢力のどちらにも与しない生き方を、公明党もとっていれば良かったのに、政権党であり続ける選択をしたために、今や「自由に動きが取れなくなった」と嘆いている。この見方は、「中間党」との表現の当否はともかくとして、的を射ていると私は思う。あるときは自民党、またある時は立憲民主党や維新、国民民主党など野党と手を組む手法は「中道政党」としての魅力ある政治選択であると思われるからだ。そんなことがこの本を再読しながら頭をよぎった◆いかにも「後出しじゃんけん」みたいに思われるかもしれないが、公明党の与党化をめぐっては、この20年こうした選択肢の是非が出ては消え、消えてはまた浮上してきたのは事実である。自民党と立憲民主党の党のトップを選ぶ選挙を見ながら、なぜ公明党は、来し方行末を検証し予測する論争をしないのかとの思いは強い。冒頭の毎日新聞のインタビュー記事で、カーティス氏が、与野党の動きを占うなかで公明党の〝この字〟も出てこないのは残念というほかないが、〝音無しの構え〟あるのみの〝沈黙の集団〟では仕方なかろう。未だ、自民、立憲両党の選挙戦の決着はついていない。今からでも間に合う。両党の選挙終盤に向けて公明党発の何らかの発信をすべきだと思うのだが。(2024-9-19)

※他生のご縁 「9-11」直後の大沼保昭氏宅にて

 ジェラルド・カーティス先生と私のご縁は、あの2001年9月11日直後に遡ります。かねて親しくさせていただいていた大沼保昭東大名誉教授(故人)から、杉並区の自宅にカーティスさんが来られるので、一緒にどうか、とのお誘いをいただいたのです。それまで、殆どご縁がなかった私でしたので、喜んで出かけました。

 当初は市川雄一書記長も一緒の予定だったのですが、急用で来られず私だけになりました。その時は「9-11」直後とあって、大沼さんのところには新聞社からの「コメント依頼」などが寄せられて大忙しの状況。カーティス先生の文字通り怒り狂った様相、佇まいがとても印象的でした。日頃の沈着冷静さはどこへやら、「1812年の米英戦争以来、初めて首都が攻撃されたこと」への屈辱に立ち上がる「ナショナリストの姿」に私は只々呆然としていたものです。

 

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