Monthly Archives: 5月 2024

【129】謎の鳥「マネシツグミ」を追って━━小説『アラバマ物語』を読む(上)/5-18

 アメリカの作家ハーパー・リーの小説『アラバマ物語』(菊池重三郎訳=1960年刊行)を、同名の映画を観た後に読んだ。グレゴリー・ペックが主演し、アカデミー賞主演男優賞を取った一世風靡の映画だ。「百聞は一見に如かず」で、映像の持つ力は深い印象をもたらし、人の心を揺さぶる。一方、「眼光紙背に徹す」という言葉が示すように、登場人物の心理や感情の動きを表現する小説の持つ力は、読む者しだいで生命に迫る。映画で全体像を掴んだ私は、小説で細部を補って、まるでアメリカ社会の陽と陰、表と裏が分かったかのように満足している。この本では、人種差別の悲惨さだけでなく、障がい者差別の虚しさ、卑劣さを子どもの目線で追うと共に、父親の子どもへの温かい心情と、強い社会正義感の豊かさを完璧なかたちで描いている。小説に登場する舞台は1930年代の古い架空の町メイコーム(著者リーの故郷・モンローヴィルがモデル)。小説も米国でピューリッツアー賞を獲得した上、数百万部の大ベストセラーになった。だが、この小説が突きつけた警告は未だ解決していない。実はその理由のひとつに、この小説のメッセージを米社会全体が読み違えたことも関係しているのではないか(と、勝手に思っている)。それは、私のブログ「懐かしのシネマ」(No.34)でも問題を提起しておいたTo kill a  mockingbird(マネシツグミを殺すってこと)というタイトルに関わると思うのだが、後述する。ここではまず、小説のあらすじを追ってみたい◆この作品の主人公ジーン・ルイーズ・フィンチ(通称スカウト)は、小学校に上がる前の6歳。幼き日のリー(出版時38歳)であり、この本の語り手でもある。家族構成は父で弁護士のアティカス・フィンチと4つ上の兄ジェムの3人。母親はスカウトが2つの時に亡くなった。このため、黒人女性のハウスメイド・カルパーニアが食事作りやら躾けまでの母親代わりを務める。そこへ夏休みになると、遠くから近所の親戚の家にやってくるディル(スカウトと同い年)が加わり、3人の子どもたちで遊ぶ。庭にある高い木の上に作った小屋に登ったり、大きなタイヤの内側に入って転がる〈ぐるぐるまわり〉が楽しい。子どもたちの日常を横軸に、父親のアティカスの仕事を縦軸にこの物語は展開していく。子どもたちの最大の関心事は、近所に住む正体不明のブー・ラッドリーという青年の存在。なんらかの心体疾患のために、親がいわゆる〝引きこもり〟ならぬ〝閉じ込め〟状態にさせているものとみられている。事情の分からない子どもたちは、その家をあたかも怪物か幽霊の屋敷のように扱っていく。不気味な背景を構成していくのだが、最後で重要な役割を果たすことになる◆一方、父親アティカスについて。ある黒人青年が若い白人女性をレイプしたと濡れ衣を着せられた。その弁護を引き受ける。裁判では彼女の父親ユーイルによる狂言(現実は父親の娘への虐待)ということがアディカスの見事な弁舌で明白になる。しかし、黒人をまともな人間として認めない米南部の風土は決定的に色濃く、白人陪審員たち(黒人はゼロ)はひとりを除いて「有罪」の結論を出す。裁判の一部始終を二階の黒人席でスカウトたちは見ていた。その理不尽な展開に深い疑問を抱く。絶望した黒人は収監先から逃げようとしたところを撃たれて生命を落とす。しかも、弁護士アティカスの公判での追及を逆恨みした〝虐待常習癖〟の父親ユーイルは兄妹を襲う。それを防いだのがブー青年で、逆にユーイルは死ぬ、というなりゆきで物語は決着する◆小説の前半部で描かれる小学校一年生のクラス風景は衝撃的だ。21歳の女教諭キャロリンが最初の授業でシラミの登場に慌てふためく。這い出したシラミだらけの髪の毛の主は、粗悪で乱暴な男の子バリス。シラミ騒ぎでの混乱の果てに「席に着きなさい」と、バリスは言われると、「席につけっていうのか、おばさん」と凄む。それをチャックという子が「先生、行かせてやりなさい。こいつは手に負えねえんです。何をしでかすかわからない」とたしなめる。と共に、バリスに向かっては「俺がお前のほうに向きなおったときは、殺されるときだぞ。さっさと帰っちまいな」と脅かす。これには従って帰ろうとするものの「おれがどこへ行こうとおれの勝手だあな!おばさん、おぼえときなよ」と捨てゼリフ。泣く先生を「もうくよくよしないで。お話を聞かせて」と、取り囲んだ生徒たちが励ますという具合だ。実は、バリスはユーイルの子ども。いかに劣悪な生活環境にこの一家があるかが浮き彫りになって、後々の展開の伏線になっている◆私が読んだ「暮らしの手帖の本」は、表紙のスカウトの写真を始め文中8頁にわたり映画のシーンが折り込まれ、楽しませてくれる。小説と映画が一体だ。ただし、当然のことながら映画は短く、誇張されている。黒人メイドのカルパーニアにまつわる部分が小説では大幅にカットされているものの、黒人の教会や牧師についてなど、黒人社会に小説は詳しく触れている。また、小説にはアティカスの姉、つまり伯母が家に住み込みに来るがその役割(レディ教育)は削除されている。重要な違いは小説ではユーイルを殺したのは誰で、どういう経緯だったかが曖昧なまま終わっている。一方、映画は明解にブーが手を下したとしているものの、その罪は問わないと保安官が判断し、アティカスがブーに握手を求めるラストシーンが印象深い。(2024-5-18 =この項〈下〉につづく)

 

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【128】今なお虚しい響きは新しく━━R・エルドリッジ『オキナワ論─在沖縄海兵隊元幹部の告白』を読む/5-12

 赤涙滴り落つとはこのことに違いない。この本を読み終えての正直な感想である。在沖縄海兵隊の政務外交部次長だったロバート・エルドリッジ氏がその立場を解かれた事件からもう10年余が経つ。そのいきさつをめぐっての彼の「告白」を今ごろになって読んだ。事件の顛末もさることながら、彼が当時提起した問題の大半は今なお殆ど解決していない。その意味では、改めて日米関係における沖縄の存在を考える契機に、大いになり得る。彼とは私が現役を退いたこの10年余の間に多くの交流の時を持った。しかし、不幸にしてこの「告白」を読まないで付き合っていたためか、肝心要の彼の心の中を恐らく理解しきれていなかった。現役時代の我が持論をただ押し付けるだけに終わっていた。空回りの議論と誤解の連鎖を痛切に反省する◆ことの発端は、米軍基地前での反対運動の様子を撮影した映像を彼が公開したことに始まる。これが「参謀長の許可なく、メディア関係者と接触した」との咎めになり、更迭されるに至った。事実と相違する報道が氾濫する中で海兵隊の名誉が傷つけられたと彼は判断した。映像を公開して真実を伝えたいと考え、行動に踏み切った。ここから沖縄におけるメディア(琉球新報と沖縄タイムズ)の有り様に対して、痛烈な批判の刃を斬り込む。「平和運動家を背後から不当逮捕した米軍の占領者意識というでたらめなイメージ」で、「感情論やレッテル貼りをするような言論には価値を認めません」と、どこまでも厳しい。一方で、辺野古移転の根拠にあげられる普天間基地が決して言われるような危険性がないことを丁寧に解き明かし、彼の持論である勝連構想のメリットを強調してやまない。また、かの3-11東日本大地震に際して彼が発案し、実現させた気仙沼市大島での「トモダチ作戦」の防災協力の展開については、今後に繋がる明るい展望として語ることをも忘れない◆私が彼と初めて会ったのは、この事件の起こる少し前のこと。普天間基地の視察に訪れた私に、現地説明に応じてくれた。その時の会話風景が今も瞼に残る。沖縄での海兵隊による婦女暴行事件の顛末など、私は、日米地位協定の歯痒い現実を根拠に、あれこれと興奮気味に米軍批判を捲し立てた。それに対して冷静沈着な面持ちの彼から、筋道立てた反論がなされた。議論は平行線のまま。それで彼とはお別れしたと思っていた。だが、さにあらず。しばらく経って、神戸の異業種交流・北野坂会の場で偶然再会した。両人とも初対面当時の肩書きは変わっていた。そこでまたも論戦が続く。幾たびも会うごとに議論は蒸し返された。私は日本のホストネーションサポートに比べて、米側のゲストネーションマナーが悪すぎるとの論法を切り札のごとくに使った。彼は沖縄の「反基地運動」を支える「ペンの暴力」を指弾し続けた。彼がNOKINAWA(ノーばかりの沖縄)というので、こちらはDAMERICA(ダメなアメリカ)だと言い返す。論争は果てることはなかった◆この辺りのことは、拙著『77年の興亡──価値観の対立を追って』の第3章「変わらざる夏──沖縄の戦後」に詳しい。ただしこれは、沖縄における彼の隠された振舞い(不幸な女性を救う活動に挺身していた)を知って、大きく揺らいだ。米帝国主義を紋切り型に一刀両断するだけでは通じない、自由で広いアメリカの良心の体現者としての側面を見逃していたのではないか、と。そして今回この古い「告白」を読んで、自論に変更を余儀なくされるものが湧き上がってきたことを告白せざるを得ない。随分と回り道をした。何がこうさせたのか。私の「新聞記者稼業」への執心か。それとも「国会議員特有の傲慢さ」か。はたまた「被占領国民の植民地根性」か。沖縄における新聞メディア両翼のペン捌きを左翼イデオロギーのなせるものではなく、「沖縄ナショナリズム」のためだと、強く見過ぎたせいかもしれない。もう一度、根底から日米沖の関係を考え直して欲しいと、この本が呼びかけているように聞こえてくる。(2024-5-12)

【他生のご縁】交流は地元から全国まで幅広く

ロバートさんは兵庫県川西市在住。ある時、地域の問題で相談したいことがあるので市議を教えてくれと頼まれました。紹介した市議と交遊が深まり、市議選に際して応援演説までして貰う仲になったと聞き、喜んだものです。

ご自宅を先年、地元市議と共に訪れました。私が関心を持つ話題をだすと、直ちに関係者の名刺や資料を引っ張り出してくれました。それは国会周辺から島根・奥出雲、福岡・北九州市へと実に幅広く奥深いものがあり、学者を超えた人間力の厚味ぶりを垣間見ました。

先日、大阪での共通の友人のセミナーに遅れて行ったときのこと。汗をふきながら講演を聞きだそうとしていると、直ぐにメールが。「前方右を見てください」と。目を向けると彼のにこやかな顔がこちらを向いていました。

 

 

 

 

 

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【127】世界中を興奮に掻き立てた源流━━川成洋『スペイン内戦と人間群像』を読む/5-5

 680頁を超える部厚い本を、ゴールデンウイークの只中に読んだ。著者の川成洋さんは英文学者。そしてスペイン研究家。私は記者時代にご縁を頂いた。これまで数多のスペインに関する著作を世に問うて来られたが、この作品は、ご自身の「スペイン学の備忘録」として位置付けられている。スペインには、私は一度だけ、バルセロナとマドリードを訪れたことがある。千年ほど前の中世の空気を、そのまま残したような静かで厳かな佇まいが鮮明に記憶に残る。希代のスペイン史通を案内人に、現代世界の混乱の起源ともいうべき「スペイン内戦」を探る歴史考察の旅に出ようと思い立った。この本の大きな魅力は、ほぼ全頁にわたって、下段の3分の1のスペースに登場人物の写真画像、関連絵図、脚注がずらりと収録されていること。かのピカソの「ゲルニカ」のデッサンが製作中の彼の姿と共に15頁ほども見られたり、まるで歴史博物館や美術館の案内書を開いたようで飽きさせない◆著者の学問探究への関心は現代英文学に始まったが、英国の国論を二分する大きな政治対立をもたらした「スペイン内戦」にやがて移っていった。ジョージ・オーウェルの回想記『カタロニア讃歌』(1938)がきっかけだった。そこには「強烈な政治的糾弾を基調としながらも、時折散見する、友誼に厚い同志意識、牧歌的な戦場、『人間の尊厳』に対する頑なな信頼、全体主義反対の不退転の意志」があった、と。オーウェルといえば、私は、未来社会の惨状を描いた『1984年』や『動物農場』に惹かれた。スペインについては『誰がために鐘はなる』『武器よさらば』といったアーネスト・ヘミングウェイの映画(本でなく)に憧れたものだ。川成さんは、彼ら文筆家たちが各国横断的に次々とスペイン共和国支持を表明して立ち上がった姿や、55もの国からスペインに馳せ参じた義勇兵による「国際旅団」などの熱い動きを描く。その目線は「現場の『人間』に注目し、『人間的な要素』にポイントを置いた多面的な回想録・体験記などを中心にスペイン内戦を捉えたい」とする。筆者の目論見は、本文に、脚注の手紙文、写真の説にと、余すところなく網羅され、読む者の心を掴んで離さない◆迫り来るファシズムの嵐に負けまいと、世界中から内戦期のスペインに義勇の志を持った人々が集まった中に、日本人はいたのか。たった一人だがいた。ニューヨークで料理人をしていた日系米人のジャック白井である。川成さんはこれまで『ジャック白井と国際旅団──スペイン内戦を戦った日本人』『スペイン国際旅団の青春──スペイン内戦の真実』などの著作で、その人物の有り様を熱心に描いてきたが、ここでも50頁近くを割いている。この記述中に紹介された現地の仲間の「追悼詩」が胸を打つ。「同志白井が斃れた。彼を知らない者がいただろうか」で始まり、「あのおかしなへたくそな英語 あの微笑の瞳 あの勇敢な心」から「函館生まれのジャック白井 日本の大地の息子 故郷で食うことができず アメリカに渡り サンフランシスコでコックとなった」「人間の権利を守るために 戦っているスペイン人民を助けようと アメリカから馳せ参じた」へと続き、「彼のことを決して忘れないだろう」で終わっている。国境、民族を越えて「同じ理想に集う者同士の連帯感」が溢れでている◆こうした空気の背景には、紛れもなく国際共産主義運動の影響があった。スペイン内戦は、共和国政府とフランコ叛乱軍によるものだったが、前者を国際旅団が支援し、後者にはヒトラー・ドイツが味方についた。これは一面から見ると、左右2つの全体主義の代理戦争の場という側面もあった。勿論、ソ連は未だ仮面を被り続けていて、表面的には自由を擁護する側の勢力の一翼に見えてはいたのだが‥‥。「あとがき」で、川成さんは、「ソ連のスペイン共和国への軍事支援は、共和国を破綻させるとてつもない欺瞞やペテン以外何ものでもなかった」と、徹頭徹尾もう一つのファシズムの実態を叩いており、読む者をして溜飲を下げさせてくれる。(2024-5-5)

【他生のご縁】武道で鍛えた心体で、年間3-4冊の出版続ける〝若い老武者〟

 川成さんは4月末に私がメールで「この本を読んでいます」と告げると、それには応えず、「先日新刊本出しました。今は次の本に着手してます。去年は3冊でしたが、今年は今のところ4冊の予定です」との凄まじいまでの意気込みでした。しかもヨーロッパの鍵を握るハプスブルグ家の歴史を追い続けるというのですから。

 1942年生まれ。82歳を超えておられるが、合気道6段、居合道4段、杖道3段と合計13段の武道家で、元気溌溂。同世代の年来の友人2人と一緒に2023年に、ご自宅に近い駅前で懇談した際には3人ともタジタジ。常に前向きで夢を語り、難題に立ち向かわれる姿に、心底痺れました。先日も「あの2人元気してる?また会いたいねぇ」と。

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