コロナ禍を経て、日本には今再びのインバウンドの波が寄せてきている。数多の外国人がなぜ今日本にやってくるのか。恐らく、彼らの住み慣れた地域とは全く異なった風景の中で、およそ特異なものが手に入るからだということではないか。テレビで、信楽焼(しがらきやき)の狸に群がる外国人の姿を見てそう思った。そんな折もおり、新進気鋭の学者から『ヒストリカル・ブランディング』なる新書が送られてきた。サブタイトルは、「脱コモディティ化の地域ブランド論」とある。議員を引退してほぼ10年、コロナ禍に襲われる前の、前半5年間は地域活性化に向けて、あれこれと取り組んだものの、悪戦苦闘の末に一旦休止を迫られた。そこへこの本の登場。渡に船である。著者は、亡き旧友の息子。歴史研究者から一転、起業家として経営に携わる。現場を走る若き学者兼経営者の入魂の一冊に深い感銘を受けている。地域起こしに取り組む多くの人々に実践の指南書として勧めたい◆この本は二部構成で、一部が「観光によるヒストリカル・ブランディング」で、具体例として北海道の小樽運河と千葉県佐原の大祭を取り上げる。二部は、「商品開発による地域ブランディング」。千葉県横芝光町の大木式ソーセージという地場産業のブランド化と、熊本県菊池市の菊池一族をファンコミュニティによるブランディングとして登場させている。それぞれ実践形態を述べた後、理論編を付け加えている。さらにコラムとして、「失敗の検証」にも言及しており、理解するための工夫が凝らされている。4つの実例のうち、私は「小樽運河」しか知らない。その「小樽」にしても「保存か開発か」をめぐって60年に及ぶ壮絶な戦いがあったことまでは、知識はおぼろげ。「運河戦争」が終結して、いわゆる「観光地化」をみたのは40年前の1984年から。運河誕生から百年が経ってようやくブランドとして確立した。ここからブランドが持つさまざまな機能を利用して価値を高めていくブランディングが始まる。今そのとば口に立ったばかりだというのだ。父祖の地・小樽をルーツに持つ著者らしい思い入れがじわりと伝わってくる◆西日本の「小京都」に比して、関東には、「小江戸」と呼ばれる町が幾つもある。佐原もその一つだが、呼び名は「江戸優り(まさり)」が相応しく、独自性を誇る。その中核をなしたのが「大祭」である。無形価値としての祭りを可視化した経緯が明解に語られ、歴史が「対立から対話に」至った道のりが理解できる。一方、地場産業としてのソーセージ作りをブランド化したケースでは、地域の青年たちが大木式ソーセージの発祥に遡って、受け継がれてきた技術の成り立ちを探求する。彼らは創業者・大木市蔵の弟子たちが開いた店を一軒また一軒と、全国各地に訪ね探してきた。また、熊本県菊地市の菊地一族についても興味深い。熊本県北部を流れる菊地川流域を淵源とするのだが、南北朝時代に九州統一を果たした一族で、豊かな歴史文化を持つ。菊池市観光協会が官民連携で実施したプロモーション施策「菊池ファンクラブ」が主体となって、「菊池こそ九州の首都なり」と勝手に宣言した物語へと発展させていく。具体例の後の理論編で、大事なのは地域の歴史の「文献資料の読み込み」との指摘があり、ハード頼りだけではいずれコモディティ化は免れないと、厳しい◆世界文化遺産・姫路城も、現実的には観光客は京都、広島への通過地点で、宿泊を伴う消費拡大は今ひとつ。私は地元選出の議員として、伊勢のおかげ横丁や京都・太秦の映画村に見倣って〝リアルな城下町〟を作ろうと呼びかけた。時の市長は研究を進めたようだが、「文化財保護法」の厚い壁に遮られ挫折した。引退後は淡路島を拠点に瀬戸内海島めぐりを目指す一般社団法人の専務理事として、万葉集学者・中西進会長、ヨット冒険家・堀江謙一副会長らと共に夢を育むプロジェクトに取り組んだ。関西国際空港との連携航路などにも挑戦して大きく羽ばたきかけたものの、コロナ禍の直撃を受けて敢えなく構想は沈んだ。この本のコラム「失敗の検証」その一「歴史文化観光を推進しても上手くいかない」を読むと、身につまされる思いがする。いま「敗者復活」に向けて新たな挑戦の気概が仄かながらも漲ってきた。(2024-8-10)
【他生のご縁 親子二代にわたる繋がり】
著者の父親と私は今から50年あまり前、東京・中野で青春を共有した仲でした。この本には「両親の介護も年々その重さが増していった」とか「介護と仕事の両立」などといったくだりに出会います。その都度、親思いの息子の苦労が偲ばれ、胸詰まる思いがします。
「おわりに」では、「本書を、いつも見守ってくれていた父・勝、母・和子、兄・精一に捧げたい」と結ばれています。5歳ほどで逝った兄・精一君との両親の様々な思い出━━弟・健治君は兄の生まれ変わりだと聞いた日のことなど、私には懐かしく甦ってくるのです。