過去に経験しなかった被害をもたらしかねない━━前評判がめっちゃ怖かった大型台風が我が居住地域のすぐそばをかすめながら、殆ど雨らしい雨ももたらさず、東へと移動していった。8月31日という子どもの頃には、いい思い出のない〝夏の終わり〟の奇妙な体験をしながら、夏休みの宿題ならぬ、この夏の読書を進めている。日本の首相に直結する「自民党総裁選」については、私のような70歳台後半の政治ウオッチャーにとっては、もう一つワクワク感が湧いてこない。むしろ、名うての弁舌家で、元首相の野田佳彦氏が名乗りを上げた「立憲民主党代表選」の方が面白くなってきた◆そんな状況を背景に、まず月末ギリギリに読み終えたのが宮家邦彦の『気をつけろ、トランプの復讐が始まる』である。米大統領選の雲行きは、つい先頃の「ほぼトラ」(ほぼトランプで決まり)から、トランプ襲撃事件を経て、民主党の候補者差し替えによって、「もしトラ」(もしトランプが再選したら)へと、様変わりした。そうした状況を背景に出版されたばかりのこの本は、実に面白い。手軽に読めて、分かりやすい。最も興味深いのは最終章の「安倍元首相なき日本の『もしトラ』生存戦略」だ。「天才的『じゃじゃ馬馴らし』政治家」としての安倍晋三は、その回顧録に余すところなく見事に描かれている。著者は安倍に代わりうるトランプと渡り合える政治家を探すのは難しいと思ってきたが、彼は「いじめっ子」であるとのオーストラリアの首相の論考を読んで考えが変わったという。「勇気をもって立ち向かい、率直に話し、本人に利益になることを伝え、繰り返し強く説得する」しかない、と。さて、そういう能力を持った総裁候補はいるのか。「いじめっ子」を巧く扱えそうな人物は見つからず、「いじめられっ子」ならすぐ浮かぶ。ともあれ、総裁選に勝利した候補はこの本を直ちに読むべし◆私の高校同期の女友だちで笑医塾・塾長である高柳和江から、7月後半に「この本絶対読まなきゃあ」と電話があり、送られてきたのが『国家の総力』。これまで彼女の専門の医学や文明論的な分野のもの、また塩野七生の本などを勧められてきたが、今回のものは異色。兼原信克と高見澤將林という「外交・安保」官僚の最強コンビが組んで、いざ「台湾有事」が現実のものになったら、日本はどう立ち向かうかを、語り合ったものである。これまで、自衛隊の元将官たちと議論したものは読み、ここでも取り上げたことはあるが、この本は、エネルギー安保と食料安保から始まり、シーレーン防衛、特定公共施設と通信、貿易と金融といったテーマを、それぞれのエキスパートと共に詰めた議論を展開している。色々と触発されるが、「石油危機後の『油断』に対応する戦略備蓄の話がエネルギー安保の話として語られますが、有事の際の日本のエネルギーをどう確保するかという議論がない。これはおかしな話です」(兼原)と、戦後日本がエネルギーを防衛政策から切り離してしまったことを嘆いている。自公政権にあって、公明党が中道とはいえ、リベラル的指向が強い分だけブレーキ役を果たしているのかどうかが気になる。「台湾有事」について大枠を聞き、語ることはあっても、ここまで細部にわたっての議論はあまりお目にかからないだけに得難い本である◆最後は、植木雅俊の『日蓮の思想━━御義口伝を読む』である。仏教学者の中村元の直弟子として、お茶の水女子大で博士号を取得した著者は、サンスクリット語に熟達した仏教思想家だ。これまで難解な専門書は別にして、数多い著作を読んできて、京都と大阪で開かれたNHK文化センターでの講義にもそれぞれ5回ほど受講したことがある。その著者が日蓮大聖人が弟子日興上人に語り伝えた『御義口伝』を題材にして日蓮思想を語ったこの本は、とてつもなく価値があると思い、飛びついた。まだ完読するまでには至っていないが、総論の「南無妙法蓮華経とは」から始まり、「自己の探究」「汝自身を知れ」「日蓮の時間論」と続き、「日蓮の仏国土観」「日蓮の死生観」で終わる、全10章430頁に及ぶ本は読み応え十分である。特に「時間論」に惹かれた。これまで創価学会の池田大作先生の『御義口伝講義』を懸命に読んできたつもりだが、市井の一学者によるこの解読書は新鮮な印象を受ける。これからじっくりと、読み進め新たなる境地を切り拓きたいと思っている。(敬称略 この項終わり 2024-8-31)
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【143】この夏こんな本を私は読んでいる(中)━━『粋な生き方』『嫉妬論』『冷戦後の日本外交』/8-23
本のタイトルって、それなりに大事ってことを思いっきり感じたのがこのほど読んだ帯津良一さんの2冊。『粋な生き方』と『後悔しない逝き方』である。前者が2014年10月、後者が同年12月初版と、踵を接して出版されている。出版社は違うけれど、明らかに「生と死」を一対のものと意識して世に問うたものと思われる。かつて国会で開かれたOB議員の会合でこの人の講演を聞いていらい、ファンになった。ともかく話が面白い。そして本も。お医者さんの書いた本だからどちらも健康に関わりがあるのは当たり前だが、前者は生き方に、後者は死に方に関わる。共に、サブタイトルめいた文句がついており、前者には「病気も不安も逃げていく『こだわらない』日々の心得」。後者には「患者さんが教えてくれた32の心得」。中身はダブっているところもあり、後者はここでは省く◆前者は目次から拾うと39の心得が、5章に分けて掲げられている。①挫折を知る人ほど、大輪の花を咲かせる②あきらめない、こだわらない③日々、ときめいて生きる④上手に恋する「粋な人」⑤凛として老いるといった具合に。著者とはほぼ10歳年下の私だが、圧倒的に興味深いのは4章。中でも「恋は、生きる上で最高のエネルギー源になる」「別れをかなしむことはない。別れは必ずくるように、再会するときも必ずくるから」「家族とは、ときどき会うほうが、『遠きが花の香り』でうれしいもの」の3つに関心を抱いた。帯津さんは奥さんと死別されて長い。仕事が終わると看護師、医師、事務員さんたち女性と、一献傾けながら話しを交わすのが最高のひとときといわれる。〝恋する爺さん〟の片鱗がここから伺えて興味深い。別れと再会については、夫人の亡骸を見ながら「向こうへ行ったら真っ先に謝らないといけないな。それまで少し待っていてほしい」と、心の中で語りかけ、やがてあっちの世界で会えることを楽しみにしているという。家族との関係も、「毎日顔を合わせていると気に食わないことばかりが目につきますが、たまに会う関係だと、ありがたく思える」というくだりには100%同感だ。ともあれ一読をお勧めしたい◆前回取り上げた『本居宣長』(先崎彰容著)のくだりでも述べた、山本圭(立命館大准教授)の『嫉妬論』をその後読みだした。「民主社会に渦巻く情念を解剖する」というサブタイトルがついているように、「嫉妬」という厄介な感情の有り様について、社会との関係から深い洞察を試みたユニークな新書である。「嫉妬」が現代政治に絡んで姿を表すのは、最もポピュラーなのは「生活保護費」をめぐる議論だが、これからやってくる「ポスト資本主義」社会ではいかなる問題が待ち受けているか。著者は、現在論壇の世界で話題になっているコミュニズムの新展開に矛先を向ける。つまり、私がかつてこのブログで取り上げた斎藤幸平、松本卓也氏らによる『コモンの自治論』(No.100)などを意識している。私などは「熱い思い伝わるも虚しい実現性」といった軽いタッチで論評したものだが、山本氏は、「コモンとして民主的に共同管理するとき、これまで気にも留めなかった差異が途端に顕在化する」うえに、「社会主義のプロジェクトの足を掬うことになるかもしれない」から、「こうした負の感情に何らかの仕方で向き合う必要がある」と、「嫉妬」の取り扱いに絡めて、「コモンの自治」への懸念を示している。流石だ◆あと、今読み終えて深い満足感を覚えているのは『冷戦後の日本外交』。これは自民党の元副総裁で外相や外務政務次官を幾たびもこなして文字通り日本外交の下支えをしてきた高村正彦氏による聞き語り、つまりオーラル・ヒストリーである。聞き手の中心は元内閣官房副長官補の兼原信克氏。これは実に読み応えがあった。高村氏は「安保法制」において、「集団的自衛権」の部分的容認の作業を公明党の北側一雄副代表との間で仕上げたことで知られるが、それ以外についてはあまり業績は一般に伝わってきていない。それを、兼原氏と、川島真(東大教授)、竹中治堅(政策研究大学院大教授)、細谷雄一(慶大教授)の4人で見事なまでに掘り起こしている。実は私は高村氏という政治家をよく知っていると思ってきたが、「希代の外政家」との表現に接して驚きを禁じ得ず、我が不明を恥じ入った。率直に言って大いに見直したが、自民党内ではそれこそ「嫉妬」の対象にならざるを得ないような気がしてならない。この本については、項を改めて詳しく論じたい。(2024-8-23)
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【142】この夏こんな本を私は読んでいる(上)━━『百年の孤独』『本居宣長』『神なき時代の「終末論」』/8-17
私の『忙中本あり』は、今は一週間に一冊のペースで本を取り上げ、読後感を表現している。この5月3日に『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』上巻を出版してからは、下巻の上梓を目指して、自分がご縁をいただいた著者の本を取り上げてきている。しかし、会ったことも見たこともない著者の本も読むことは、もちろんある。出版準備にかまけてばかりいないで、そういう普通の本も取り上げようと、この夏まとめて今読んでいるところだ。お盆の時節も過ぎてしまったが、ここでこの半月あまりに読んだ本の「読書録」を一気にまとめて取り上げてみたい。読み終えたものも、いままさに読み続けているものも、読み始めたばかりのものもある。種々雑多だが、かつて20年以上前に「週間日記風」に書いた手法を久しぶりに思い出して、まとめてみた★パリオリンピックの始まる前、本屋の店頭に大々的に宣伝されていたのがガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(鼓直訳)の「文庫化」だ。この本は20世紀文学屈指の傑作として礼賛されるものだが、今まで手にせずにきた。読み始めてそれなりに時間が経った(オリンピックが終わってもこっちは未だ終わらない)。登場人物が入り組んでいてよく分からず、筋立ても理解に苦しむ。そのくせセックスに関する場面だけはリアルそのもの(当然だろうが)。久方ぶりにこの手のものを読んだが、すぐまた難解な記述に戻って、興味が続かない。こんなことの繰り返しで、まだ全体の三分の一も進んでいない。それでも放り出さないでいるのはひとえにこの本の評判の高さゆえ。「解説」で筒井康隆も「新潮社からラテン・アメリカ文学の最初の一冊として出された本書を読んだ時の衝撃は忘れられない。『この手があったか』と驚く程度の生易しいものではない。文学への姿勢を根底から揺るがされたのだ」と書いている。こうした言葉に焚きつけられてはいるのだが、さてどうなることやら★一方、今年のNHK 大河ドラマの源氏物語『光る君へ』は、30回を超えて佳境に入ってきた。『源氏物語』の映像化と聞いて連想したものとは違って、中々本題に入らないものだからヤキモキしていた。尤も世界に誇る日本最古の小説も、〝閨房狂いの読み物〟と見られなくもないので、「千年の秘事」というべきかもしれない。実は偶々フジTV系の人気番組『プライムニュース』で、思想家の先崎彰容が登場して『嫉妬論━民主社会に渦巻く情念を解剖する』の著者・山本圭と議論していた。その際に先崎が『本居宣長━━「もののあはれ」と「日本」の発見』なる本を出版したばかり(5月)だと、知った。本居宣長が『源氏物語』の読み手として最高峰の位置を占めるとされていることから、直ちに飛びついた。これは実に読みやすく面白い。あっという間に読み終えた。当初、先崎が小林秀雄の向こうを張って「もののあはれ」論に新解釈で挑もうとしているのかと期待したが、そうではなかった。「解釈の歴史」に挑戦することで、今風の日本論の展開を試みたもので、それなりに啓発された★ほぼ同時に『神なき時代の「終末論」』という魅力的なタイトルの本をやはり思想家の佐伯啓思が6月に出したことを知って、読み始めた。これは、「自由」「活動条件」「富」の拡大を目指して、走り続けることが幸福に直結すると信じる楽観的な現代人のあり様に、くさびを打ち込む意欲的な試みである。しかもその背景に、『旧約聖書』における「終末論」に基づく歴史観が「神なき現代」にあっても、アメリカとロシアを突き動かしているという。現代文明を形作ってきた「西」の深層を「東」に位置する中国や日本はどう捉えるか。極めて興味深いテーマを佐伯がどう「料理」しているのか━と、小躍りしたい気分で読み進めた。結果は、いささか〝ないものねだり〟ではあった。つまり、「西」の背景を抉っているだけで、「東」には手がつけられていない。まあ、「神」や「終末論」とは、直接的には「東」は無縁だから仕方ない。だが、「東」とて間接的に巻き込まれて生きている。傍観は許されない。先に読み終えた先崎の『本居宣長』では、中国を「西」として、捉えていた。この2冊、これから「文明への思索」を深める契機として、活用することになりそうだ。(敬称略 2024-8-17)
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【141】価値誇れる地域へ歴史の「活用」━━久保健治『ヒストリカル・ブランディング』を読む/8-10
コロナ禍を経て、日本には今再びのインバウンドの波が寄せてきている。数多の外国人がなぜ今日本にやってくるのか。恐らく、彼らの住み慣れた地域とは全く異なった風景の中で、およそ特異なものが手に入るからだということではないか。テレビで、信楽焼(しがらきやき)の狸に群がる外国人の姿を見てそう思った。そんな折もおり、新進気鋭の学者から『ヒストリカル・ブランディング』なる新書が送られてきた。サブタイトルは、「脱コモディティ化の地域ブランド論」とある。議員を引退してほぼ10年、コロナ禍に襲われる前の、前半5年間は地域活性化に向けて、あれこれと取り組んだものの、悪戦苦闘の末に一旦休止を迫られた。そこへこの本の登場。渡に船である。著者は、亡き旧友の息子。歴史研究者から一転、起業家として経営に携わる。現場を走る若き学者兼経営者の入魂の一冊に深い感銘を受けている。地域起こしに取り組む多くの人々に実践の指南書として勧めたい◆この本は二部構成で、一部が「観光によるヒストリカル・ブランディング」で、具体例として北海道の小樽運河と千葉県佐原の大祭を取り上げる。二部は、「商品開発による地域ブランディング」。千葉県横芝光町の大木式ソーセージという地場産業のブランド化と、熊本県菊池市の菊池一族をファンコミュニティによるブランディングとして登場させている。それぞれ実践形態を述べた後、理論編を付け加えている。さらにコラムとして、「失敗の検証」にも言及しており、理解するための工夫が凝らされている。4つの実例のうち、私は「小樽運河」しか知らない。その「小樽」にしても「保存か開発か」をめぐって60年に及ぶ壮絶な戦いがあったことまでは、知識はおぼろげ。「運河戦争」が終結して、いわゆる「観光地化」をみたのは40年前の1984年から。運河誕生から百年が経ってようやくブランドとして確立した。ここからブランドが持つさまざまな機能を利用して価値を高めていくブランディングが始まる。今そのとば口に立ったばかりだというのだ。父祖の地・小樽をルーツに持つ著者らしい思い入れがじわりと伝わってくる◆西日本の「小京都」に比して、関東には、「小江戸」と呼ばれる町が幾つもある。佐原もその一つだが、呼び名は「江戸優り(まさり)」が相応しく、独自性を誇る。その中核をなしたのが「大祭」である。無形価値としての祭りを可視化した経緯が明解に語られ、歴史が「対立から対話に」至った道のりが理解できる。一方、地場産業としてのソーセージ作りをブランド化したケースでは、地域の青年たちが大木式ソーセージの発祥に遡って、受け継がれてきた技術の成り立ちを探求する。彼らは創業者・大木市蔵の弟子たちが開いた店を一軒また一軒と、全国各地に訪ね探してきた。また、熊本県菊地市の菊地一族についても興味深い。熊本県北部を流れる菊地川流域を淵源とするのだが、南北朝時代に九州統一を果たした一族で、豊かな歴史文化を持つ。菊池市観光協会が官民連携で実施したプロモーション施策「菊池ファンクラブ」が主体となって、「菊池こそ九州の首都なり」と勝手に宣言した物語へと発展させていく。具体例の後の理論編で、大事なのは地域の歴史の「文献資料の読み込み」との指摘があり、ハード頼りだけではいずれコモディティ化は免れないと、厳しい◆世界文化遺産・姫路城も、現実的には観光客は京都、広島への通過地点で、宿泊を伴う消費拡大は今ひとつ。私は地元選出の議員として、伊勢のおかげ横丁や京都・太秦の映画村に見倣って〝リアルな城下町〟を作ろうと呼びかけた。時の市長は研究を進めたようだが、「文化財保護法」の厚い壁に遮られ挫折した。引退後は淡路島を拠点に瀬戸内海島めぐりを目指す一般社団法人の専務理事として、万葉集学者・中西進会長、ヨット冒険家・堀江謙一副会長らと共に夢を育むプロジェクトに取り組んだ。関西国際空港との連携航路などにも挑戦して大きく羽ばたきかけたものの、コロナ禍の直撃を受けて敢えなく構想は沈んだ。この本のコラム「失敗の検証」その一「歴史文化観光を推進しても上手くいかない」を読むと、身につまされる思いがする。いま「敗者復活」に向けて新たな挑戦の気概が仄かながらも漲ってきた。(2024-8-10)
【他生のご縁 親子二代にわたる繋がり】
著者の父親と私は今から50年あまり前、東京・中野で青春を共有した仲でした。この本には「両親の介護も年々その重さが増していった」とか「介護と仕事の両立」などといったくだりに出会います。その都度、親思いの息子の苦労が偲ばれ、胸詰まる思いがします。
「おわりに」では、「本書を、いつも見守ってくれていた父・勝、母・和子、兄・精一に捧げたい」と結ばれています。5歳ほどで逝った兄・精一君との両親の様々な思い出━━弟・健治君は兄の生まれ変わりだと聞いた日のことなど、私には懐かしく甦ってくるのです。
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【140】あなたも私もみんな揃ってがんになる?━━中川恵一『がんの練習帳』を読む/8-3
この本のまえがきには、「『死なないつもり』の日本人へ」とのタイトルがつけられ、書き出しは「日本人のおよそ2人に1人ががんになります」で始まっている。そして、65歳以上の高齢者に限れば、2人に1人ががんで死亡している、と続く。だが、現実には現代日本人はあたかも死なないつもりで生きてるようだ、と。どうしてだろう。恐らく心で思ったり、口に出したりすると、きっと実現してしまうとの、日本人特有の〝縁起担ぎ〟的傾向が災いしているのに違いない。なるべく日常的生活の中に〝死にまつわること〟を遠ざけ、考えないようにすればいい、というわけだ。しかし、著者はそんなことでは、がんになって慌てふためくのがオチで、「不本意な治療を受けてしまい、後遺症に苦しんで後悔する」ことになると警告する。そして「がんになる前に、がんを知る「練習」が必要」なことを訴えている。私はかねて中川恵一さんと知己を得てきた。だから、〝がんについての教え〟は知ってるつもりだった。だが、この本を読むと、改めてうーむと唸ることばかり。かじっただけで、実は何も身についていないことを思い知った◆「練習帳」と銘打ったこの本では、練習①が総論で「本当にがんを知っていますか?」とのクイズから始まって、がんの全体像を描く。その後、②肺がん③乳がん④前立腺がん⑤直腸がんの4つの「闘病記」がリアルに公開されていく。練習⑥では「余命」をめぐる「体験記」でトドメを指す。今風に言うと、マジ面白くてヤバい読みもので構成されているのだ。実は私の母は胃がんで還暦前に亡くなり、父は喜寿を祝ったものの80歳直前に膀胱がんなどで逝ってしまった。そんな両親の経験から、自分も死ぬ時は、胃がんか膀胱がんのどちらかだろうと思いこんできたが、この本を読んで、「がん遺伝説」は誤りだと知った。がんは「悪い生活習慣」に起因し、「検診サボタージュ」が手遅れを招く。つまり、予防には、「生活習慣の改善」と「定期的な検診」が最善の策というわけだ。それに、日本では今、胃がんや子宮頸がんなど「感染型」のがんが減っていて、増えているのは前立腺がんと乳がんが多いことも恥ずかしながら知らなかった。食生活の欧米化、肉食型が原因である◆4つの闘病記はいささか不謹慎ないい方だがめっちゃ面白い。例えば、「前立腺がん」については、原宿のマンションに夫婦で暮らす63歳のお金持ちの男性の「性機能の維持」をめぐるケース。高級クラブの女給との秘密の関係で揺れ動くドラマ仕立てなのである。「手術・ホルモン治療・放射線治療」という3つの主な治療法と〝勃起との関係〟を巡って、医師と患者、その妻、その愛人が絡み合う非喜劇が展開される。他方、「乳がん」については、43歳のバリバリのキャリアウーマンのケース。最初に診て貰った医師から「乳がんです。お乳はとった方がいいですね。入院の手続きをして帰ってください」とにべもなく告知される。彼女それには「先生、その言い方はひどくありません?初めからお乳を残す気がないんじゃないですか!私、結婚前だし」と激しくあがらう。医師は機嫌をそこね「まずは命の心配をしたらどうですか。いやなら、お乳を残せる医者を探したらいいでしょ。私はもう知らないから」と突き放す。陰鬱になりがちな話題がユーモア交りで巧みに料理されていて味わい深い◆更に圧巻は、巻末の〝最期の迎え方〟。著者は、告知される「命の残り時間」の精度が高まる中で、日本社会は「核家族化や病院死が進み、『死の練習』は難しくなり」、「共同体の絆も弱まり、死に向き合い、死を支えるパワーを失っている」と強調する。世界各国では、強い力を持つ宗教が「死の練習」を支える役割を果たしているのに、宗教心の希薄さで際立つ日本は「『死の受容』は非常に困難になって」いるからだ。ここでは、膵臓がんで「余命3ヶ月」を宣告された75歳の元ナースの妻と78歳の認知症の夫のケースが紹介される。家族に看取られた見事なまでのいまわのきわが印象深く描かれていく。中川さんは、「がんで死ぬということは、『ゆるやかで、予見される死』を迎えることを意味する」として、それを「人生の総仕上げ」の期間と捉えることを勧めている。そうすれば、「がんもそんなに悪くない」と思えるはずだ、と。さて、19の歳から「臨終のこと」を習い続けてきたはずの私も〝80歳の壁〟を間近に意識するようになった。若き日に体育の時間に苦手だった跳び箱に挑む直前の時のような心境に今はある。(2024-8-3)
【他生のご縁 公明党政調の強いアドバイザー】
いつの頃か、公明新聞の親しい先輩の引きで、中川さんとお会いするようになって、様々なご指導をいただくようになりました。心臓麻痺のようにポックリ死ぬのと、がんで余命を告げられて死ぬのと、どっちがいいでしょう?って、訊かれたことを思い出します。どっちも嫌だって、思ったものですが、さて今は?
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