【145】究極の「歴史探偵」ここにあり━━半藤一利『荷風さんの昭和』を読む/9-12

 この本は、「歴史探偵」こと半藤一利さんが、永井荷風の日記『断腸亭日乗』をベースにして、昭和の始めから20年の敗戦までの、戦争への道にいたる「日本の社会と風俗」を描いたもので、「生きた歴史解説の書」とでも言えようか。とても面白くてためになる。平成6年(1994年)の1月から1年12回にわたってある雑誌に連載されたものを大幅に加筆して出来上がった。世に出て既に30年になる。半藤さんは亡くなって3年余りが経つが、私はこの人と生前に一度だけだが食事をご一緒したことがある。拙著『忙中本あり』を出版して暫く経ったころだった。事前にその本を贈呈していた。因みにそれは私の処女作で、1999年初から2000年末までの2年間100週に読んだ約300冊の読書録である。そこには半藤さんの名著『戦う石橋湛山』も入っている。その時の会話は殆ど忘却の彼方だが、挨拶も終わらぬうちに頂いた言葉だけは鮮明に覚えている。「貴方はくだらない本を随分沢山読んでる人ですねぇ」と。ホントのことをズバリ言われた気もして、本心は満更でもなかった。それもあってか、その後この人の本は『日本のいちばん長い日』『昭和史』『戦後史』『漱石先生ぞな、もし』を始め、せっせと読んできた。ただし、この『荷風さんの昭和』は未読だった◆取り上げられた荷風は、明治から昭和にかけて活躍した小説家だが、ここでは先の大戦を鋭く批判した日記(大正6年-昭和34年)が「原資料」となっている。世の中がお上から下々まで戦争讃美に流された時代風潮に抗して、無視し贖い続けた「反骨の人」として名を馳せている。かねてより深く尊敬してその足跡を追ってきた、半藤さんは江戸の戯作者もどきの側面を持つ荷風をその実情を露わにすべく面白おかしく描き切った。慶應の教授でもあった荷風にかねて関心を持った私は、若き日に岩波書店版『断腸亭日乗』全集7巻を購入して、書棚に並べた後、押入れに突っ込んできた。しかし、御多分に洩れずおよそ開くこともなく、放ったらかし。今回半藤さんの「手ほどき」を受けるとあって、初めて紐解いた。頁を捲ると、何やら異様な黴臭いにおいがしてきて始末が悪かったが目をつぶったしだいだ。この本の醍醐味は、江戸期から明治・大正期を経て昭和の戦争に突入し、やがて日本が「滅亡」するまでのおよそ100年を、硬軟両面に分けて、交互にじっくり観察したことにある。例えば、第1章が「この憐れむべき狂愚の世━昭和3年〜7年━」とくると、第2章は「女は慎むべし慎むべし」とくる。以後奇数章はお硬く、偶数章はぐっと柔らかい。第4章など「ああ、なつかしの墨東の町」と銘打って、「玉の井初見参の記」━━色街探訪が展開されるという具合だ。因みにその前段の3章「『非常時』の声のみ高く」では、「天皇機関説」をめぐる言論界の様相が見事に抉られている◆戦後第一世代の私はそれなりに、戦前の時代状況を学んできたとの自負はあった。しかし、この本を読んで、そんな経験や考察がいささかぐらつきかねないことがよく分かった。例えば、我々は「日清・日露の勝利」をピークに、大戦前の40年ほどを一括りにして「軍事力拡大の時代」として見てしまいがち。だが、これでは荒っぽ過ぎる。昭和9年5月末に逝去した日露戦争最大の殊勲者・東郷平八郎元帥は「国葬」の扱いだった。だが『日乗』では殆ど触れず、日本海海戦における功績は別人にありとの見方を提起している。そして、半藤さんは荷風の指摘を肯定した上で「大功はすべて東郷ひとりに授け、事実を秘匿した。おかげで、日露戦争後の日本はリアリズムを失って、どんどん夜郎自大のとんでもない国になっていく」と、「反薩長史観」的見方を、我が意を得たりとばかりに展開している◆昭和5年5月生まれの半藤さんは、20年11月生まれの私とは15年半ほど歳上だが、この差は実に大きい。彼はものごころついた時に軍人が幅を効かし行く時勢を存分に見聞きし、のちに荷風さんの命懸けの反戦の振る舞いを検証しているのだ。学徒動員に駆り出される寸前に敗戦を迎えた、いわば〝寸止め世代〟でもあって、「国家悪」を凝視する態度が実にきめ細かく堂に入っている。私の15歳の頃といえば「60年安保」の年。大学を卒業する頃が「70年安保」前夜。大学紛争が東大から日大まで燃え盛った。半藤さんより少し上の「学徒動員世代」の恨み辛みがあたかも世代を超えて乗り移ったかのようであった。とは言うものの、時代背景そのものは戦前の「亡国の翳り期」と、占領期を経て「興国の勃興期」とでは、比べるべくもないといえよう。ともあれ、戦後世代は、「荷風・一利」連合チームの硬軟相和す攻めの前に、なす術なしなのである。(2024-9-13)

●他生のご縁 娘婿との繋がり

半藤さんとのご縁のきっかけは、彼の娘婿・北村経夫産経新聞政治部長(現参議院議員)との出会いに始まります。とある赤坂の居酒屋で偶然知り合って以来親しくなりました。北村氏は山口県出身。安倍晋三元首相と気脈を通じ合った気骨あふれる長州人です。義父がすんなり娘の結婚相手を認めたのかどうか。大きな謎です。

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