【142】この夏こんな本を私は読んでいる(上)━━『百年の孤独』『本居宣長』『神なき時代の「終末論」』/8-17

 私の『忙中本あり』は、今は一週間に一冊のペースで本を取り上げ、読後感を表現している。この5月3日に『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』上巻を出版してからは、下巻の上梓を目指して、自分がご縁をいただいた著者の本を取り上げてきている。しかし、会ったことも見たこともない著者の本も読むことは、もちろんある。出版準備にかまけてばかりいないで、そういう普通の本も取り上げようと、この夏まとめて今読んでいるところだ。お盆の時節も過ぎてしまったが、ここでこの半月あまりに読んだ本の「読書録」を一気にまとめて取り上げてみたい。読み終えたものも、いままさに読み続けているものも、読み始めたばかりのものもある。種々雑多だが、かつて20年以上前に「週間日記風」に書いた手法を久しぶりに思い出して、まとめてみた★パリオリンピックの始まる前、本屋の店頭に大々的に宣伝されていたのがガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(鼓直訳)の「文庫化」だ。この本は20世紀文学屈指の傑作として礼賛されるものだが、今まで手にせずにきた。読み始めてそれなりに時間が経った(オリンピックが終わってもこっちは未だ終わらない)。登場人物が入り組んでいてよく分からず、筋立ても理解に苦しむ。そのくせセックスに関する場面だけはリアルそのもの(当然だろうが)。久方ぶりにこの手のものを読んだが、すぐまた難解な記述に戻って、興味が続かない。こんなことの繰り返しで、まだ全体の三分の一も進んでいない。それでも放り出さないでいるのはひとえにこの本の評判の高さゆえ。「解説」で筒井康隆も「新潮社からラテン・アメリカ文学の最初の一冊として出された本書を読んだ時の衝撃は忘れられない。『この手があったか』と驚く程度の生易しいものではない。文学への姿勢を根底から揺るがされたのだ」と書いている。こうした言葉に焚きつけられてはいるのだが、さてどうなることやら★一方、今年のNHK 大河ドラマの源氏物語『光る君へ』は、30回を超えて佳境に入ってきた。『源氏物語』の映像化と聞いて連想したものとは違って、中々本題に入らないものだからヤキモキしていた。尤も世界に誇る日本最古の小説も、〝閨房狂いの読み物〟と見られなくもないので、「千年の秘事」というべきかもしれない。実は偶々フジTV系の人気番組『プライムニュース』で、思想家の先崎彰容が登場して『嫉妬論━民主社会に渦巻く情念を解剖する』の著者・山本圭と議論していた。その際に先崎が『本居宣長━━「もののあはれ」と「日本」の発見』なる本を出版したばかり(5月)だと、知った。本居宣長が『源氏物語』の読み手として最高峰の位置を占めるとされていることから、直ちに飛びついた。これは実に読みやすく面白い。あっという間に読み終えた。当初、先崎が小林秀雄の向こうを張って「もののあはれ」論に新解釈で挑もうとしているのかと期待したが、そうではなかった。「解釈の歴史」に挑戦することで、今風の日本論の展開を試みたもので、それなりに啓発された★ほぼ同時に『神なき時代の「終末論」』という魅力的なタイトルの本をやはり思想家の佐伯啓思が6月に出したことを知って、読み始めた。これは、「自由」「活動条件」「富」の拡大を目指して、走り続けることが幸福に直結すると信じる楽観的な現代人のあり様に、くさびを打ち込む意欲的な試みである。しかもその背景に、『旧約聖書』における「終末論」に基づく歴史観が「神なき現代」にあっても、アメリカとロシアを突き動かしているという。現代文明を形作ってきた「西」の深層を「東」に位置する中国や日本はどう捉えるか。極めて興味深いテーマを佐伯がどう「料理」しているのか━と、小躍りしたい気分で読み進めた。結果は、いささか〝ないものねだり〟ではあった。つまり、「西」の背景を抉っているだけで、「東」には手がつけられていない。まあ、「神」や「終末論」とは、直接的には「東」は無縁だから仕方ない。だが、「東」とて間接的に巻き込まれて生きている。傍観は許されない。先に読み終えた先崎の『本居宣長』では、中国を「西」として、捉えていた。この2冊、これから「文明への思索」を深める契機として、活用することになりそうだ。(敬称略 2024-8-17)

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