(10)年の初めは日本古来の和歌から ──万葉集を読む

新しい年が明けました。おめでとうございます。今月は『万葉集』に挑戦します。全部で20巻。取り上げられたる歌の数は4500でその大半が短歌です。7世紀後半から約100年の間につくられたものが8世紀の後半に編纂されました。最終的には大伴家持らによってまとめられたというのが定説です。内容は、「相聞」(男女の間の歌)「挽歌」(人の死を嘆く歌)とそれ以外の「雑歌」の三つに大きく区分されますが、圧倒的に多いのはやはり「恋」の歌です。「恋と女の日本文学」の源泉はここにあります。全部を読むわけにはいかないのでとりあえず少しづつ読んでいきます。

現代日本人が和歌(短歌)というものに人生にあって最初に出くわすのは、お正月の「かるた取り」です。ご多聞にもれず私も小学校の頃に「百人一首」との出会いがありました。日本の子どもは、お正月には凧あげて駒をまわし、羽根つきをし、福笑いに興じ、トランプをし、かるた取りをしました。戦後も間もない昭和30年代前半、姉が二人いた我が家では、お正月遊びの定番は「百人一首」の上の句や下の句を読み上げ、その相方を探すことでした。昭和の終り頃に私の娘は小学校に通いましたが、残念ながらその習慣はありませんでした。平成の今はどうでしょう。プリクラに夢中の孫娘が学校に行く頃にやるとはとても想像しがたいのです。

「万葉集」に向かう入口というか、短歌に馴染む手引き役として「百人一首」はあります。これは13世紀の中ごろ、鎌倉時代初期に藤原定家によって編まれた秀歌撰だとされていますから、二つの間には500年ほどの時間が横たわっています。取り上げる順序は逆なのですが、お正月に免じてお許しください。あとで触れますが、日本文学史における万葉集と古今集や新古今集をめぐる相克とは関係がないということも断っておきます。

さて「百人一首」には古今集から24首、新古今集、千載集、後拾遺集からそれぞれ14首づつといったように、全部で10の勅撰和歌集(天皇の命令によって作られたもの)から100首が集められています。その中身を見ると、恋歌が43と半分近くを占め、そのあとは春夏秋冬の季節を歌ったものが32と続きます。それぞれの歌人が心の思いを31文字に綴ったもの100首の存在は、あたかも交響楽の演奏のようだと譬える専門家もいます。私はかるたに描かれた女性の十二単姿に魅せられました。頻繁に登場する月に比べて太陽の出番がないなあとか、秋の歌がめっぽう多いのに夏が殆ど詠まれていないことにも印象深く思ったものです。あらためて100首を詠んでみましたところ、明確に記憶に残っているのは30首だけ。深い意味も分からずに男を待ち望む女の心やその逆のケースを詠んでいたわけです。

お正月が来るたびに短歌に接触しながら、ついに今の歳になるまで、まともに一首も詠んだことがないというのも哀れなものです。それでも百人一首にまつわる本は何冊か読みました。一番印象深いのは安野光雅『片想い百人一首』です。上の句を問いだとすれば、下の句は答えにあたる意味があるとして、思いの丈を込めて百首作っています。新聞記者をしていた頃(昭和50年代半ば)にこのひとの自宅を訪ねて取材をしたことがあり、ひとかたならぬ関心を持って様々な作品に触れてきました。絵の素晴らしさはいわずもながですが、ユーモア溢れるエッセイも出色。この本ではパロディの何たるかを提示してくれているようで、味わい深いものがあります。たとえば、和泉式部の「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今一度の逢ふこともがな」を「花さそふ酒も最後となりぬれば今一度のあふこともがな」といった具合です。酒に未練たっぷりの夜のうただ、と添えています。

この本で最もインパクトが強かったのは美智子皇后の御歌集『瀬音』や、著作『橋をかける』を取り上げているくだり。前者では、七首の歌を紹介しており、いずれも胸を打つ。私的には「母住めば病院も家と思ふらし『いってまゐります』と子ら帰りゆく」が好きです。後者では、皇后がある一首の和歌を「誦していると、古来から日本人が愛し、定型としたリズムの快さの中で、言葉がキラキラと光って喜んでいるように思われ」、「詩が人の心に与える喜びと高揚を、初めて知ったのです」との文章もとてもいいです。

「百人一首」については軍国主義華やかなりしころの日本が悪用したという悲しい歴史があります。戦時下における国民の愛国心を鼓舞するためにとの名目で、万葉集いらい明治元年以前の物故者から100首が選ばれていたのです。昭和17年11月に制定されています。冒頭を飾ったのは柿本人麻呂の「大君は神にしませば天雲の雷の上にいほりせるかも」です。選定委員には、佐々木信綱、斎藤茂吉、折口信夫、土屋文明、川田順ら錚々たる歌人が名を連ねています。今から思えば、恋の歌が半分近くを占める百人一首を戦争に利用したりするなんて、と思いますが、時の勢いでしょうか。この辺りは次回にも触れます。

五七五七七という定型で、最近私はこんなものを作ってみました。「革新の幻想去って大衆に翻弄される今の政治家」「武士の道廃れて今は危機来たり指導者不在で民衆哀れ」ーなんだか短歌というよりも川柳ぽいですが、本人としては満更でもないのですからいい気なものです。

 

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