【173】もはや堕ちゆくところにまで至ったのか?━━渡邊弘『教育の危機と現代の日本』/4-11

 今の日本の教育が悲惨な状況にあるとの認識はもちろん人によって違うだろう。私は暢気に構えていたが、このところ急速に危機意識を持つに至っている。直接的にはこの欄でも幾たびか取り上げた小説家の高嶋哲夫さんの影響によるところが大きいが、今回紹介する標題作を読んで一段とその意識が高まった。著者は作新学院大学長。慶應大の著名な教育学者・故村井実名誉教授の門下とのこと。先般、兵庫での教育講演会で直接講演をお聞きしてご挨拶もできた。私の現役時代の衆院憲法調査会や憲法審査会で席を並べ、親しくさせていただいた船田元代議士の一年後輩、兄弟のような関係と知り、大いに親しみを抱いたしだいである。その日の講演は、牧口常三郎初代会長に始まる創価学会の人間教育への深い造詣を感じさせる内容であり、今回出版に至った経緯もお聞きした。一読し日本における教育の現状が羅針盤を手にしたように分かる素晴らしい内容の本にめくるめく思いがする。具体的な課題の掘り下げと共に、福澤諭吉、夏目漱石、宮沢賢治、芥川龍之介、牧口常三郎ら教育に関する先達の警鐘及びねむの木学園の宮城まり子の実践にはいたく胸打たれるものがあった。多くの人に勧めたい◆著者は①教育の歴史②人間観(子ども観)、教育観などの教育思想③教職・教員養成④教育連携体制構築⑤生涯学習の5点に根本的な問題があるとして、人間教育からの改革の必要性を強く訴えている。その主張の基本には、これまでの日本が政治、経済、軍事を国家の繁栄に直結するものと優先的に捉え、教育をおざなりに考えてきたとの見立てがある。昭和100年、戦後80年の今、そのツケが一挙に噴出してきたとの捉え方である。拙著『77年の興亡』で述べたように、明治維新から戦前の77年は「菊の御紋」に象徴される「天皇支配」のもとでの教育だった。一転、先の大戦での敗戦からの戦後の77年は、大胆にいえば「星条旗」のもとでの「米国支配」の影響下の教育だったと見られよう。もちろんその内実は前者では「近代化」をめぐる日本古来の思想と西洋思想との戦いがあり、後者では「民主化」をめぐっての保守と革新(リベラル)の抗争が内在していた。それらの陰で、あるべき本来のものとしての「人間教育」は、この150年余の間、一貫して埋没していたといえよう。つまり「百年の計」と言われる教育は、無念なことに、体を成してこなかったといっても言い過ぎではないのかもしれない◆そんな中で著者の鋭い洞察力は幾つもの課題解決の糸口を提起してくれる。ただ、一点私が気にかかるのは「性向善説的人間観」という考え方である。著者は従来からの①性悪説②性白紙説③性善説的人間観に対して、第4のものとして、「性向善説人間観」への転換を強く訴えている。人間は本来悪だ、いや善だとする二項対立に代わって、「誰もが良さを求める働きを潜在的に備えている」との考え方は注目されよう。ただ、私のような日蓮仏法に依拠する人間の考え方には、既に、性善、性悪の二項対立に対して、第3の道としての「中道的人間観」があった。つまり、人間が環境如何によって善にも悪にも変化するとの一念三千論に依拠する人間観であり、言い換えれば、善の方向に持っていくために仏界との縁が大事だとする考え方である。著者は、これを性白紙的人間観と同一視されるのだろうか。宗教的力を介在させて、悪に赴くところを善へと志向させゆくとの考え方の方が分かりやすく実効的だと思われる。性向善説を設定するとしても、性向悪的志向をどうするのかとの問題は残ろう。このあたりについては、恐らく「宗教と思想の違い」からくるものだと思われる◆この著書では喫緊に解決されるべき課題としての教師不足、裏返せば若者に受けない就職先としての学校の抱える問題という大きな論点があげられている。仕事の多面性、給与の問題から始まり、子どもたちとの向き合い方、親御さんとの関わり方などに至るまで、膨大な厳しい現実に対し、息を呑む思いの連続である。精神疾患で休職に追い込まれた教員が6000人近くにも及ぶ(2021年)というくだりなど深刻さを通り越す。そんな中で、5人の思想家たちによる警鐘(第4章)には引き込まれた。とくに福澤諭吉の『文明教育論』、夏目漱石の『私の個人主義』に関する記述は興味深い。諭吉が「国家が決定した単一的価値観を教え込もうとする意味での『教育』という言葉をやめて『発育』という言葉に変えた方がよいという主張」をしていたことは残念ながら知らなかった。実は「教育」という言葉にそこはかとなき疑問を持っていた私としては、我が意を得たりである。「自発能動」という人間自身の内から溢れ出る力を育むという意味での「発育」と捉えようとした諭吉の慧眼には深く感動した。また、漱石が「国家的道徳は個人的道徳に比べて低いとして、あくまで徳義心の高い個人主義を優先していた」ことやら、牧口の「母性は本来の教育者であり、未来に於ける理想社会の建設者であり、教師は寧ろ代理的分業者といふべきである」といった言葉を引用していることなど、印象深い。この本を読むことで、現代日本の教育がなぜ停滞を余儀なくされているのかがよく分かる。事ここに至るまで手を拱いてきた政治家のひとりとして心底から恥入るしかない。(敬称略  2025-4-11)

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