【175】掘り当てた鉱脈とは何か━━夏目漱石『私の個人主義』の読み方(下)/4-25

⚫︎「他人本位」から「自己本位」へ

 漱石が苦悩の末についに掴んだ「悟り」とは何か。あらためて彼自身が克明に語っているくだりを整理してみたい。前回に見たように、漱石はあれこれと思い悩んだ挙句、とうとう「何の為に書物を読むのか自分でも意味が解らなくなってきた」と情けない自分を曝け出す。その直後に、「此時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるより外に、私を救ふ途はないのだと悟ったのです」と続く。そして、悟るに至った経緯を3頁ほどにわたって付け加えた末に「其時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰鬱な倫敦(ロンドン)を眺めたのです。比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果漸く自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたやうなきがしたのです」と述べ、一件落着ぶりを高らかにうたっている。

 さてこれだけでは、美味しそうなお菓子の立派な包装紙を見せられただけで、どんな味がするか中身がわからない。3頁にわたる悟りの中身をみてみよう。彼は何に漸く気が付いたと言ってるのか。私風に読み解く。

 結論を先にいう。「他人本位」で駄目だった。これからは「自己本位」でいくと、告白しているのだ。

 まず、他人が飲んで誉める酒を、飲んでもいない自分が美味い酒だと言いふらしたり、読んでもいない外国人の作品を人の尻馬にのって褒めそやすというような「人真似」ではいけないということを強調する。自分自身の意見を曲げてまで、外国人の「受け売り」をすることの非を訴えているのだ。

 そして、風俗、人情、習慣、国民の性格といったものは国によって違うことを説明するだけでも日本の文壇に画期的な役割を果たせる━━漱石はこう悟った。その上で、文芸に対する自己のよって立つ基盤を固めるために、文芸とは縁のない自然科学や哲学分野などの書物を読み始めた。で、そうした生き方を「自己本位」「自我本位」と名付けたのだ。西洋人を意識し過ぎることなく、日本人らしさを表現する著作を書くことを「生涯の事業」にしようと考え、遂に鉱脈を探し得たと誇らしげに語るに至ったのである。

⚫︎今になお続く「他人任せ」の生き方

 「自己本位」「個人主義」に対立する生き方は「他人本位」であり「国家主義」であろう。もっと分かり易くいうと、人の受け売りでなく、自分の頭で自ら考え、自分らしく生き抜くのが前者であり、後者は他人のモノマネで、上からの指図通りに独自の考えもなく唯々諾々と従うことをいう。漱石は後者的な生き方に自分も囚われていたから苦しかったことを謙虚に述懐している。

 このことを今に生きる我々に当て嵌めると、本質的には漱石の時代と令和の今と殆ど変わっていないことに気付く。「天皇支配」から「民主主義の世」に変わっても、結局は同じとはどういうことか。戦後民主主義の時代にあっても、所属する会社、団体に身を任せ、自ら考えずにただ従うという人は多い。「右向け右」でなく、何故に左でなく右なのかを、瞬時にあるいは少し時間をかけてでも考えることはとても大事なのだ。

 ここで実例として、私自身にとっての「個人主義」を考えたい。19の歳に浄土信仰を続けるか、日蓮仏法かの選択を迫られた。先祖からの信仰を捨てるのに抵抗がなかったというと嘘になる。親との間で大いなる軋轢があった。病魔も襲ってきた。だが、必死の壮絶な闘い3年の末に、母親を納得させ、やがて親父も老いては子に従うとばかりに承服してくれた。家族6人全員法華経信仰に改宗する機縁に私がなったのである。

 漱石が鶴嘴で鉱脈を掘り当てたように、私はこの道を行けば必ず頂上に行き着ける近道を探し当てたような実感を持った。もちろん、「自己本位」の道は平坦な一本道ではない。それこそ60年というもの、のべつまくなく〝自力と他力の鍔迫り合い〟を繰り返してきた。言い換えれば、自由気ままな個人の生命と、秩序だった組織人の使命の葛藤である。この2つ、絶妙なバランスあったればこそ道を踏み外すことはないと確信する。

⚫︎個性、権力、金力を培う良き人格

  さて後半は人間にとって「個性」と「権力」と「金力」との戦いについてである。漱石はここで、他人の「個性」を奪う根源の悪になり得る「権力」と「金力」の使い方を戒めるべく、「人格」の重要性に言及している。つまり、ある程度の修養を積んだ人格の持ち主でなければ、個性も権力も金力もうまく機能しないのだということを言っている。

 漱石の言い分をわかり易く、つづめていうと、「もし人格のないものがむやみに個性を発展させようとすると、他人を妨害する。権力を用いようとすると、濫用に流れる。金力を使おうとすると、社会の腐敗をもたらす」というのだ。個性、権力、金力の発揮には、〝人格のある立派な人間たれ〟と強調しているのである。

 これについても現在ただいまの世の風潮を鑑みると、政治とカネをめぐる政治家の問題が真っ先に思い浮かぶ。加えて放送、芸能の世界におけるリーダーたちの無惨な勘違いを指摘せざるを得ない。3つの力の誤った使われ方が悲惨な混乱を引き起こしている。今人生の晩年を迎えた私は、負ではなく善の方向に赴くことを強く念願する。恵まれぬ若者たちに基金を設立し、寄附や献金を残せる身になりたい、と心底から願う。漱石の『私の個人主義』を再読して、目線の方向を確認すると共に、まず一歩踏み出したいと強く思う。(2025-4-25)

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