Monthly Archives: 11月 2024

【第2章 第2節】背筋伸ばすキリスト者の説教━━曽野綾子『晩年の美学を求めて』/11-18

〝嘘好き〟で〝正直嫌い〟の小説家の本分

 全部で28本のエッセイ集。何歳であろうが、「人生」を考える者にとって貴重な指針が満載されている。とりわけ自分の「老い」を自覚し、どう残された時間を過ごそうか悩む人には、良き「手引き書」になろう。私の様な「晩年」にさしかかった老年には、越し方のチェック集とも言える。身につまされながらも、日の入りまでの僅かな〝いとま〟に修正を試みようとの気持ちになった。作家で元日本財団会長の曽野綾子とはどんな人物なのか。著者自身はその「性格の複雑さ」と「悪い性癖」の由来について、「不幸」と「信仰」の2つを挙げる。「不幸」は少女時代の父の暴力から母を庇うための抵抗から始まった。その結果受けた「顔の腫れ」を取り繕うための学校での「嘘」。家に帰って現実逃避のために読む「小説の世界」。子供の時から「二重生活」の持つ重要な意味を知ったからだという。

 一方、カトリック信仰で、世間的な〝情緒的行為〟の「愛」とは違う、見返りを期待しない〝尽くすべき誠実〟という、もうひとつの「愛」を知ったからだ、と。そこから「ほんとうの愛は作為的なもの」であって、「正直など何ほどの美徳か」とまで言い切る。私はここに、〝嘘好き〟で〝正直嫌い〟の小説家・曽野綾子の本分を見る。

 最も納得したのは「自立と自律」についてのくだり。若き日から人任せで(家庭では親や妻、会社では女子社員や秘書)、何も自ら手を汚したことのない人間が老いてから、自分では何も出来ずに困り果てるというケースが事細かに語られる。私もろくすっぽ「自律」が出来ていない口だ。家事の一切を妻任せできたため、今となっては無能者同然。洗濯機、掃除機の動かし方もままならず、衣服、下着の畳み方もいい加減。料理はオムレツもカレーも出来ないし、味噌汁さえ真っ当に作れない。著者は「料理、家事は段取りの塊であり、連続」であって、「頭の体操にはこれほどいいことはない」と強調。「単純作業」として、「家事」を馬鹿にしてきた男どもへの攻撃は収まらない。発展途上国の過酷な環境に比べて圧倒的に恵まれた条件下にありながら、それを見ようとさえしない「現代日本人の甘さ」を突く曽野さんの筆先はどこまでも鋭い。

性善説と性悪説に分けることの是非

 他方、キリスト者としての著者の考え方は、異教徒として感心することと、やや違和感を感じるところがある。一つは、「希望を叶えられない人生の意味」が昨今教えられていないことについて。昔は親も世間も、「その不幸の中で、人間として輝くことができることも教えた」のに、今は、「いい年をした老人までが『安心して暮らせる社会を保証しろ』などと国に要求する。そんなものは初めからどこにもないことが、年を取ってもまだわからない」のかと手厳しい。新約聖書の中の「ヘブライ人の手紙」の11章からの引用を通して、「信仰を抱いて死ぬ」ということの尊さを明かすのだ。さらに。「志半ばに倒れる」ことは人間共通の運命であるのに、「社会的弱者」がそういう目に遭うのは、政府が悪く、社会が堕落しているからだとする風潮を嘆く。私はキリスト者のこの視点に共鳴すると共に、「今の日本」がとかく責任を転嫁し、なんでも人のせいにしがちになっていることを憂え、その片棒を担いでいないか、と自省する。

 二つ目は、人間存在の有り様をめぐる「性善説」と「性悪説」の考え方について。曽野さんは小説家らしく「性悪説は最低限、推理小説の話の種にはなるが、性善説を小説にするのは極めてむずかしい」とジョークぎみにいう。ただ、この二分法は仏法徒としては単純過ぎて物足りない。生命は一瞬に三千種の状態を孕むとの「一念三千論」などのダイナミックな理論を持つ仏法の方が奥深く見える。縁する環境如何でどうにも転ぶ人間だからこそ、〝善の方向〟へと強く導く具体的作業としての日常的祈りが必要なのだ。

 また、「戦争でも災害でも、『語り継ぐ』ということはほぼ不可能で無意味だ」とされる。「老年にとって、また死に至る病にある人にとって、半世紀先の平和より、今日の美学を一日づつ全うして生きる方が先決問題だ」とし、「平和運動が、戦争の悪を語り継ぐことだけであるはずがない。戦争を忌避するというのに、親を放置しておいて、何が平和か」とまで。「平和への希求」に伴いがちな「偽善者」の匂いを嗅ぎ分けるのに急なあまり、「偽悪者」ぶりが過ぎて「勇み足」をおかされているように見える。尤もそこに妙な心地よさは漂う。

●他生のご縁 衆議院憲法調査会での出会い

 2000年の10月12日。私は国会で曽野綾子さんとささやかなやりとりをしました。聞いたのは、21世紀の政治家像。「嘘をつくから政治家は嫌い」と言われるのなら「こんな政治家なら好きよ」って聞かせて、と迫ったのです。彼女は、「何かうれしくなるようなことを聞いていただいた」と述べたあと、「明確な哲学とあえて危険を冒すという姿勢を持つ政治家に」と明言。政治家は誰もがわかってることを言うのではなく、「わかる人はついてこい」と言って欲しい、と。

 また、子供の教育に関して、私は「確立された個に接触することの大事さ」という持論を述べました。これには全く同感とされ「(強烈な個性との出会いで)びっくりしたり、怖気を震ったりなんかしながら、こういう風にものは考えられるのかと思って私自身を伸ばしていただいた」と、「若き日の幸せ」を印象深く語ってくれました。

 

 

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【153】次作を待ち続けた30年━━西村陽一『プロメテウスの墓場』を読む/11-10

 『プロメテウスの墓場』が世に出た1995年当時は今と同様に、あるいはそれ以上に内外の情勢は混乱を極めていた。とくにソ連の崩壊で、いわゆる「東」は上を下への大騒ぎだった。20世紀の世界が轟音たてて変わりゆく中、同時中継を見るようにこの本を貪り読んだ。著者は1992年から5年ほど朝日新聞記者としてモスクワにいた。この本では激動するかの国の舞台裏を渾身の取材で露わにして見せた。題名は「原子力」をギリシア神話のプロメテウスに見立て、その末路を表す。行き場を失った原子力潜水艦、武器商人を介して闇マーケットに流される核物質、海洋投棄される核廃棄物などの実態をリアルに描き、その無惨な姿を墓場に喩えた。書き出しは印象深い。「真冬の北極圏は、太陽に見放される、12月、うっすらと明るくなるのは、午前11時過ぎから午後2時くらいしかない。漆黒の闇に包まれる夕刻ともなれば、凍てついた道の上を最大で秒速三十メートルの寒風に乗って吹雪が走る。ところどころにたつ街灯の鈍い光に照らされた雪は、まるで蛾の乱舞のようだ」━━ロシア北極圏のムルマンスク州にある町・ボリャルヌイの冬を鮮やかに描きだし惹きつけてやまない◆この本を読み終えたその時から、次作を待ちに待った。国際政治の内幕を次々に読み聞かせてくれるはず、と期待したからだ。朝日新聞のエースのひとりとしての呼び声高く、モスクワ勤務から後にアメリカ総支局長へと栄進し、やがて政治部長となり、更に経営陣の様々な重要なポストに就いていったが、共著は何作かあったものの、単著としては一向に2作目は目にすることが出来なかった。本業が忙しかったと思われるが、待つ身も辛かった。あれからほぼ30年。あの当時を強く意識させる本が出た。『記者と官僚』━━外務省主任分析官だった作家の佐藤優さんとの対談本である。腕組みした2人が互いに背を向け、思わせぶりな目でこちらを見やっている写真が表紙に。思わず目を逸らしたくなる。強いインパクト。サブタイトルには「特ダネの極意、情報操作の流儀」とある。総選挙の対応で慌ただしい日々が続いた後に、一気に読んだ。帯に「暴こうとする記者。情報操作を目論む官僚。33年の攻防を経て互いの手の内を明かした驚愕の『答え合わせ」とあるように、ソ連崩壊前夜の1991年2月に初めて2人が会った時以来の、虚々実々の駆け引きの全貌が登場する。前作と趣は異なれど〝30年の期待〟を裏切らぬめっちゃ面白い本である◆処女作を回顧するかのようなくだりを見つけた。「地元ロシアのメディアに先んじて、冷戦時代の地図には載っていないシベリアなどの核封鎖都市の数々を訪ねたり、中央アジア、ロシア、ベラルーシの戦略核ミサイル基地や極北の原子力潜水艦基地の内部に入り込んだり、核物質密輸の犯罪集団を追跡したりという、今だったら確実にスパイ罪で捕まるような危ない取材をすることができました」と。30年前と今を繋ぐ〝西村タッチ〟は、〝かくも長き不在〟を詫びるおみやげのように登場するのだ。この本は、拙著でいう『77年の興亡』の末に、共に危機的状況を迎えた「記者と官僚」という2つの職業の〝華やかなりし頃の成功譚〟でもある。待ち受ける苦難の道を厭わずに挑戦する若者や、越し方を振り返る高齢者にとって、学び慈しむ教訓が満載されていてとても得難い。とりわけ①国益の罠②集団思考の罠③近視眼的熱意の罠④両論併記の罠⑤両論併記糾弾の罠という「5つの罠」には考えさせられた。我が政治家人生にとっても痛恨の一事であった「イラク戦争の顛末」は②を噛み締めることで改めて深い反省へと誘わせられる◆この対談で、私が惹きつけられたのは第6章「記者と官僚とAI」。ここでは記者が書く原稿、官僚が取り組む「答弁対応」へのAIの導入といった問題から、既存メディアの生き残りの道に至るまでが語られ、示唆に富む。西村さんが「メディアの敗戦」について「メディアがコストをかけて取材したニュースコンテンツについて、まっとうな対価を得ることがないまま、世界中で巨大プラットフォーマーに対するニュースの提供が広がったことを意味」するとした上で、「正当な対価を組織的に求めるべきだ」としている点は注目されよう。この辺り、〝30年の不在と復活〟へと思いは馳せる。なお、佐藤氏が「近年朝日新聞が集中的に扱ってるテーマの中で、唯一評価しているのはホストクラブ問題なの」と述べたのに対して、「唯一か?(笑)」と西村さんが返したところには心底笑えた。また、一連の「朝日新聞の失敗」への弁明もさりげなく盛り込まれていて、それはそれで読み応えがあった。(2024-11-10)

●他生のご縁 公明番記者いらいの〝読書仲間〟

 西村陽一さんとは彼が公明党の番記者をした短い期間のお付き合いが「始まり」でした。どっちも本が好きで、会うたびにどちらからか「今何読んでるの」と聞いたものです。

 偶々私がワシントンを訪れた際に、彼はアメリカ総局長をしていましたが、その次に出会ったのは朝日新聞大阪本社が新しくなった時の「披露宴」。私は万葉集学者の中西進先生と一緒に出席していました。なんとその場に彼は常務取締役で東京からやってきたのです。

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【152】「米英愛」関係から見えてくる「日韓」━━林景一『アイルランドを知れば日本がわかる』を読む/11-6

 〝いびつな位置関係〟と〝ぼんやりした部分〟

 司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズの『愛蘭土紀行』を読んでアイルランドという国に興味を持った。その本を携えて首都ダブリンに行ったのは2006年のこと。待ち受けていてくれたのは駐在大使の林景一さんだった。日愛友好関係に貢献された方を表彰する式典に、日本政府を代表(町村信孝外相の代理)して出席した━━というと大袈裟だが、ウソではない。石破茂氏らと共に防衛庁の省昇格に伴う課題調査のためドイツと英国を訪問した帰途に、ひとりロンドンから寄り道をした。当時の私は厚労副大臣だった。林さんの外交官人生の〝イロハのイロ〟としての米英両国。大使デビューはアイルランド。その任を終えて、この本を出版された。読むと、アイルランドを〝補助国〟にして、米英と日韓の関係を〝ロハ〟(只)で解説してもらった気がする━━というのは言葉遊びが過ぎようか。太平洋を真ん中にした地図では隠れている英愛両国が、大西洋を中心にして見直すと、目の前に現れる。と同時に、日本は視界から消える。そんな〝いびつな位置関係〟による〝ぼんやりした部分〟を鮮明に見せて貰った━━随分と得をした読後感を味わえる本である。

 中学校の時に林さんは映画『大脱走』を観て、主題歌を口ずさんだ。その英語体験から話は始まる。以下、『風と共に去りぬ』『黄色いリボン』『タイタニック』『名犬リンチンチン』など懐かしい映画やドラマの話が続いてワクワクする。映画好きがかつて嵌まった物語の背後に、アイルランドの歴史が秘められていたことが分かってドキドキもする。西部開拓史にも南北戦争にもアイリッシュが深く関わっているうえ、現代の野球やボクシングなどスポーツや美術、文学など芸術の分野でも活躍する人たちが数多い。アイルランドから累計700万人もの移民がアメリカに渡り、現在4000万人ものアイリッシュ系アメリカ人がいるとのこと。ケネディ、ニクソン、レーガン、クリントン氏ら大統領経験者たちも20人ほどに達するとは驚く。英国から新天地を求めた人々によって米国は建国されたと、単純に考えていた者にとって、アイルランドの役割は〝新発見〟だが、カトリックとプロテスタントの違いなどキリスト教を軸に的確に腑分けする著者の記述は実に分かりやすく面白い。

 「最も近く〝最も憎い国〟」という位置付け

 そして舞台は英国へ。「最も近く〝最も憎い国〟」との位置付けは、今もなお火種が燻る「北アイルランド」問題を持ち出すまでもない。だが、林さんが大使在任中にこの問題は政治的には「大団円」を迎えた。両宗派のトップを首班とする自治政府が成立した。この本の執筆時点で残っていたエリザベス女王のアイルランド国訪問も、「早晩実現する」との著者の予測通り、3年後に実現したのである。「ケルト」神話に始まる古きアイルランドの歴史を紐解き、英国による侵略、植民地化、併呑の流れを描く。「一方の英雄、守護神はもう一方の極悪人」と聞くと、直ちに日韓の関係に思いが浮かぼう。矢内原忠雄(元東大総長)の「英愛」と「日韓」の関係史を比較した論考に遡った上での著者の見立ては興味深い。「英愛和解」への5つの視点のうち、「(両国が)歴史的わだかまりのマグマを北アイルランド和平構築への協同というエネルギーに変えていった」ことの効果が高く評価される。その過程でアイルランドの「英国憎悪」の必要性が消滅し、それが和解を容易にした、と。

 最終章では、彼の国を「姿見」として、日本が己がふりをただす試みに挑む。以下、日愛比較の私見を示したい。「人間以外に資源がない」とのハンディを抱える日本とアイルランド。教育に力を入れようとする姿勢や移民・外国人に対する親切な接し方には共通点を感じるものの、「小国ゆえの『弱い者の見方』」という指摘には違和感が漂う。比べるには国の規模が違い過ぎるのかもしれない。日本では国民レベルでの「小国」との認識が客観的にはギャップがあり、自画像にズレが生じている。「中立国への固執」については、日本人にとっても見果てぬ夢。柄は大きいくせに未だひとり立ち出来ていない子どものような日本。小国であっても背筋の整った大人の国柄ぶりを発揮するアイルランド。私には無性に眩しく見える。

●他生のご縁 国会で、ダブリンで、東京界隈で幾たびも

 林景一さんとのお付き合いは長く、もう30年近くになります。衆院外務委員会に所属することが多かったので、条約局長、国際法局長だった林さんにはしばしばご指南を賜わったものです。そのつど優しく丁寧に深い蓄積を披露してくれました。

 アイルランドに滞在した2日間はめくるめくような時間の連続で、あの場所、この町へと案内いただきましたが、あらかた忘却の彼方に。残っているのは彼の心細やかな気配り、目配りの手触りの温かさです。

 ダブリンの大使館での式典で私は岡室美奈子早稲田大学教授(のちに坪内逍遥演劇博物館館長も兼務)を紹介されました。アイルランドが生み出した劇作家サミュエル・ベケット(ノーベル文学賞受賞者)を研究する女子学生だった頃に、司馬遼太郎さんと出会ったことが『愛蘭土紀行』に出てきます。林大使が取り持ってくれたご縁を大事して、その後も3人で懇談を重ねました。この集いのたびに私は〝司馬さんの影〟を見てしまいます。

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【第3章 第4節】古今東西そこかしこに数多の実例━━山内昌之『嫉妬の世界史』を読む/11-1

仏教の十界論における位置付け

 人間が他の人を嫉み(ねたみ)、妬く(やく)ことを「嫉妬」というのだが━━著者は他人が順調であり幸運であることをにくむ感情としている━━人間存在にとって実に厄介なものである。仏教の「十界論」では、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界の4つを「四悪趣」との名称で、人間の陥り易い〝悪しき生命状態〟に括っており、嫉妬界というのはない。全くの私見だが、5番目の「人界」(6番目以降は、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界)に含み込まれているのではないかと勝手に思っている。それほど人間と、切っても切れない感情だからだ。その「嫉妬」にまつわる古今東西の様々なエピソードを集めた本が『嫉妬の世界史』である。著者はイスラム世界を中心に国際関係史に透徹する知を持つ。この本は同氏の世界史考察の流れの中から溢れでた、珠玉の逸話を集めたものといえよう。200頁足らずの小さな新書版だが、とても深くて重い内容に彩られており、実に面白くてためになる。

 日本における具体例で注目すべきは、森鴎外である。夏目漱石と並ぶ明治期を代表する文人だが、同時に軍医でもあった。彼は生涯〝二足の草鞋〟を履き、「二刀流」の使い手だった。その彼が妬み妬まれたのは「医の世界」での人間関係が主だが、それは同時に「文の世界」との関わりを持っていた。著者は、軍医としての鴎外を人事を敏感に栄誉と屈辱を入り交わらせて感じ取るタイプと規定する。『舞姫』や『智慧袋』といった作品の中で、自身の鬱憤を晴らす表現を盛り込んだというのだから只事ではない。前者でライバルへの批判をあてこすり、後者では「よせばいいのに『自分は上司に認められず同輩にも受け入れられず、才能は自分よりも劣る者が上に立っている』とまでやってしまった」というのだ。当然ながら周りからは激しい攻撃の対象となった。著者は『鴎外漁史とは誰ぞ』との作品には「鴎外の不平不満と愚痴が渦巻いている」とまで明かす。ここまで「嫉妬」という感情に翻弄されながらも、文学において見事な地位を築き上げたのは立派というほかない。しばしば比較される漱石に、好感を抱いてきた私にホッとする思いが宿るのは自然な感情だろう。

 3つの国の3人の「独裁者の業」

 一方、眼を外国の例に向けよう。ローマ皇帝の時代。「政治力、軍事力、大衆の支持も、他のすべてもあった」ポンペイウスは、それゆえ自信家であり、そのため、同輩の嫉妬に嵌まり込んだ。「偉大な個人」になれた可能性があったのに、実際になったのは「大器晩成型でプレイボーイ」のカエサルだった、と。しかし、そのカエサルも「嫉妬と反感のうずまくローマ政治の複雑さに足をからめとられて非業の死をとげた」。塩野七生の『ローマ人の物語』を巧みに引用しながら、「男の嫉妬の怖さ」を披瀝してやまない。他方、「独裁者の嫉妬」のトリオはスターリンと毛沢東と金日成。「平等思想の美名のもとで、人間の嫉妬を構造化し、密告や中傷を日常化する体制をつくりだした」「マルクス主義と共産主義の罪は深い」との記述のもと、この3つの国の3人の「独裁者の業」とでもいうべきものを暴いていく。この嫉妬史は、それぞれプーチン、習近平、金正恩へと今に続いており、山内さんだけでなく誰しもが続編を書けそうなのは怖い。

 嫉妬は女の専売特許のようにかつて扱われた趣きがあったが、それこそ男の女への妬心というのは、ギャグか。人間関係だけでなく国家相互の嫉妬にも著者は目を向け、かのイラクのサダム・フセインのクウエート侵略を挙げる。隣国の豊富な石油埋蔵量に嫉妬した挙句だ、と。朝鮮半島でも貧困の「北」が「南」の繁栄を妬む構図は誰でも思い浮かぶ。

 最後に「嫉妬されなかった男」に一章が割かれている。嫉妬続出の後にさわやかに顔を出すのは陸軍元帥・杉山元。彼は、陸軍大臣、参謀総長、教育総監という「陸軍三長官職をすべて経験した稀有な存在」でありながら、目立った嫉妬や反感を受けなかった。そのわけを山内さんは、定見がないように見える「茫洋とした態度」をとりながら、「緻密な計算の上に立つ保身術」を身につけ、「勝負に出るときは度胸もあった」からだという。「粘り強くハラを見せない」タイプなのだ。

 最後に登場するのは、徳川三代将軍家光の庶弟・保科正之。この人物が日本史の裏面でひっそりとだが燦然と輝く位置を占めていることはつとに有名だ。その大きな理由として「嘘をつかない政治家」だからという。「気性がまっすぐな人間に嫉妬する同僚は少ない」とのことだが、昨今の政治の世界で見出し難いように思われるのは恥ずかしい限りである。

【他生のご縁 名通訳者から紹介され、一夜懇談】

 厚生労働省で仕事をした僅か一年ほどの間に、米国、ニュージーランド、ベトナム、英国、ドイツ、アイルランドと旅をする機会に私は恵まれました。そのうちベトナムは国際会議への出席でもあり、なうての英語の達人がサポートしてくれました。著名な英語通訳者の田中祥子さんのことです。

 この人に紹介していただいたのが山内昌之氏でした。中東を話題にしたことから同氏が田中さんとも大変親しい仲だとわかり、3人で夕食を共にすることになったのです。世界各国のお国事情から大相撲の話まで、世界を跨ぐ話題であっという間の数時間でした。昨年よりの横綱審議会委員長も宜なるかなと思ったしだいです。

 

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