⚫︎半生を振り返りつつ、「自己本位」の生き方を明かす
夏目漱石の数ある作品の中で、『私の個人主義』ほど彼自身の生涯のあゆみを簡潔に述べたものはない。学習院における学生を前にした講演(大正3年/1914年11月25日)であり、二年後に亡くなったことからすると、あたかも遺言のごとく、将来を託す若者たちへの人生に贈る言葉になっていて極めて興味深い。私は講演そのものを解説した後に、私自身が初めて読んだ今から55年前の記憶と、令和7年の現在只今の読み方とに分けて捉えてみたい。
まず、漱石の講演の骨子について。明確に2つに分かれる。前半は、漱石自身の半生を回想する形をとりながら、「自己本位」という生き方をどのような経緯で選択したかが語られている。当時の世界はイギリスがトップだった。最も「社会進化」した国だとの捉え方が支配的だった。漱石は留学先のロンドンで、イギリスに引き摺られるばかりで自分を見失っていた。自身の弱さと悪戦苦闘しながら、ついに独自の境地に到達するのだが、その戦いのありようが丁寧に語られていく。
後半は、「自己本位」という生き方が持つ危うさについて、「権力」と「金力」という2つの角度から分かりやすく説く。聴衆の学習院の生徒たちがその2つに恵まれた環境にあることを強く意識したうえで、これからの人生で気をつけろよと、忠告したのだった。100年前のこの指摘が今の日本に生きる人間にとってもドンピシャに当たっている。当時の若者向けだが、あたかも今の指導者層への警句のようで興味深い。
⚫︎昭和40年代に読み、漱石の英国での病を思う
この講演を初めて私が知った(読んだ)のは今からほぼ55年ほど前。第一回の大阪万博の頃(1970年)。印象に強く残ったのは英国での漱石の「病気」だった。前半の「自己本位」もあまりわからず、後半の「権力」「金力」への批判に至っては、全く記憶に残っていない。漱石は50歳を前に亡くなったが、生涯を通じてあれこれ病に悩まされた。持病は胃潰瘍で生涯を通じて5回ほど入院治療をした。最終的に死因も胃潰瘍による腹内出血と言われている。痔疾も患っていたが、英国留学時は恐らく鬱病に悩まされていたに違いない。
留学時に精神的にどう大変だったかについて、漱石は講演でつぶさに語っている。この世に生まれた以上は何かしないといけないと、思ったのだが、何をすればいいか、ただぼんやりしているだけで、まるで袋詰めにあって出ることのできない人間のようだったという。そういった不安を抱いたまま大学を卒業し「同じ不安をつれて松山から熊本へ引っ越し、また同様の不安を胸の底に畳んで遂に外国まで渡った」と表現している。この間に袋詰めの袋を突き破ろうと、ロンドン中を「錐探し」に歩いても見つからない。結局、下宿の一間の中で考えに考えたけれど、分からず、いくら本を読んでも腹の足しにもならないし、何のために本を読むのかも解らなくなってきた、と赤裸々にその苦悩の日々を語っているのだ。
⚫︎令和の今読み返して、ロンドンでの「漱石の悟り」の重大さに気付く
最初に読んだ時はこうした苦しい様子だけが印象に残った。要するに漱石は英国でうまく勉学が手に付かず、結局学問を続けることを断念して負け犬のように帰国してしまったと、勝手に私は思い込んだ(記憶が残った)。しかし、まったく違った。漱石は確かに鬱病のようになったのだが、実は病に負けたのではなく、トコトン考え抜いた挙句に、まさに開き直った姿勢から、その後の人生を決定づける重大な自覚━━「自己本位」という生き方の悟りに到達したのだ(と今ごろ分かった)。(以下続く 2025-4-18)