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【158】もっと率直に、もっと大胆に━━『公明』25年1月号から考えたこと/12-27

 ダークブルーの題字と白抜きの目次━━新たな表紙デザインでさっそうと登場した党理論誌『公明』の新年号を読んだ。戦後80年(昭和100年)の、新時代を画するにふさわしい出立ちである。かねて公明党の〝現在地〟を考える上で、格好の材料を提供してくれるものとして高く評価してきた。今回のものも総選挙後の公明党のこれからを見通す上で大事な論考が並んでいる。敢えて厳しい視点を持って、特集の中から論者の幾つかの指摘を深読みしてみたい。

●これからの公明党への温かくも厳しい注文

  今回号でまず注目したのは小林良彰慶大名誉教授の『24年衆院選に見る有権者意識と公明党の今後』だ。この論考で、小林氏は、ご自身が代表を務める投票行動研究会が実施した全国意識調査の結果に基づいて、今回の選挙での有権者の意識を分析している。それによると、今回の自公両党の敗因については、当然ながら政治資金問題の影響が第一に挙げられるが、第二に、物価上昇で有権者、特に若者世代の暮らしが苦しくなっているのに、それを止められなかったとの指摘をしている。加えて、公明党支持者の高齢化、つまり若者世代からの支持が弱かったことを挙げている。

 今後の公明党について、小林氏は、与党として、国民民主党など他の野党との競合が課題になるとした上で、「『きれいな政治』や『弱者救済』という公明党本来の主張を実現する好機」であると共に、「今回の衆院選で異なる選択をした有権者を引き戻す大きな鍵になるだけではなく、新たな若い世代を中心とした有権者を引き付けることにもつながる」と、期待を込めた楽観的な見方を提起してくれている。

 だが、それには相当なハードルがあるように、私には思われる。例えば、特集1で、冨山和彦・日本共創プラットフォーム社長は『エッセンシャルワーカー前提に中間層の形成を』という刮目すべき論考の最後に、重要な注文を公明党に対して向けている。それは、ライドシェア解禁や、雇用の流動化促進といった、規制緩和、規制改革などのテーマに「公明党は少なからぬ国民から慎重過ぎると映っている」と述べたくだりである。安全、安心を強調するあまり、新たな政策への決断を躊躇する頑なさを懸念しているに違いない。ここらは、公明党が与党化による〝官僚寄りの発想〟に引きずられていることへの警告とみられよう。

 一方、熊谷亮丸・大和総研副理事長は『成長と分配の〝二兎〟を追う政策が重要』との示唆に富む論考において、財政健全化に向けて「公明党には、責任政党、責任与党として、財政規律を順守する責任感を持ってほしい」とか、社会保障の有り様を巡って「年齢で輪切りにするのではなく、能力のある方にはそれに応じた負担をしていただくような仕組みを整えるべきだ」といった大所高所からの要求がなされている。ポピュリズム的な動きに流されやすい公明党の痛いところを突いているものと私には思われる。

●読者のために編集部の解説や、党幹部の受け止め方も開示すべし

 『公明』には、毎号様々なテーマについて貴重な論考が各分野の第一人者によって掲載されている。これをどう読むかは、なかなか至難のわざだと思われる。せっかく大事な問題提起がなされているのに、その趣旨が読者に十分に伝わらなかったり、党の政策担当者や幹部の目に留まらなかったら残念である。そこで、提案だが、毎号の論考で全てとは言わないまでも、特に注目されるべきものについては、担当スタッフによる〝読みどころの解説〟が施されれば、と思われる。

 「編集後記」は、編集スタッフの苦労談として、毎回興味深く読んでいる。たとえば、今回のものでいうと、熊谷、冨山両氏をインタビューした(上)記者が「公明党の課題として、激しく変化する時代の中の柔軟性と、現役世代の不満を払拭する言葉がつむげていないことを感じた」とある。回りくどい表現との印象を受けるが、要するに、激しく変化する時代状況にあって、対応する政策を提示し得ていない公明党に現役世代が不満を持っていると言いたいのだと思われる。同感だ。

 このあたり、もっと遠慮せずに論者の言いたいところを抽出して、それへの編集側の感想を大胆に披瀝してもいいと思われる。時に党政策担当の議員の意見もコメントとして求めてもいいだろう。機関誌だからといって、党への厳しい意見を抑える必要はないと思う。もちろん、慎重な言い回しは必要だろうが、恐れたり、おもねることはない。どんどんあるべき姿を率直に表明すべきだ。

 最後に、編集部による『政治家改革の視点』で、「『次の勝利』へ立党精神の深化を」なる論考について、一言付け加えると、政治家といっても国会議員と地方議員は一括りにできないし、「大衆と共に」の立党精神は、「イデオロギー優先」の時代状況の中で、出てきたものだということを銘記する必要がある。明年はこのことの持つ意味を掘り下げて考え続けたい。(2024-12-27)

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【157】12月の読書日記②━━鈴置高史『韓国消滅』を読む

 在日韓国人との懇談での突然の涙

 先の衆院選で、私は後輩議員の選挙事務所長として様々な方々とお出会いして、あれこれと議論をしたものですが、その中でとても印象に残る場面がありました。旧知の在日韓国人の方との懇談の際のことです。私が朝鮮半島にあっては、三国鼎立の時代が古代からあったのだから、南北分裂を統一へと持ち込まずともいいのではないかとの考え方を持ち出して、意見を訊いてみたのです。元々統一された存在ではなかったとの認識の提示でした。彼は当初、首肯しつつ静かに語り出しました。ところが暫くの刻を経て涙ぐみ、切なそうな表情のまま沈黙してしまったのです。その状態が2-3分間続いたでしょうか。いたたまれず、わたしから話題を変えました。朝鮮民族の不幸な歴史の根源に不用意に立ち入った我が身の不作法さを自省した経験です。

 「韓国」を専門にする学者、評論家、ジャーナリストは私の友人たちに少なからずいることは、折に触れて述べてきました。先般らいの尹韓国大統領の戒厳令から弾劾に至る大騒ぎの最中に、某大手紙のソウル支局長になったばかりの友人記者に激励メールをしたものです。彼は台湾から香港へ、そして韓国へと、この10年足らずの間に転戦しています。そのうち帰国したら、「今風北東アジア談義」をしたいものと期待しています。

 前置きが長くなってしまいました。12月中旬に読んだ本でとても惹き込まれた本は鈴置高史『韓国消滅』です。この人もひと時代前のソウル、香港特派員を経験してきました。日経新聞出身の経済評論家です。フジTVのプライムニュースでの「韓国解説」の常連の一人です。先日の放映でこの本を執筆者自ら宣伝されたので読みました。過去からの『米韓同盟消滅』『韓国民主政治の自壊』に連なるもので、期待に違わず面白いです。

 「復讐の連鎖」に「哀しみの連鎖」を味わう

 韓国の出生率は、0・72(2023年)と、OECDに所属する先進国中最も低いことが注目されます。その上、働き手の減少が著しく、経済規模の急激な縮小が懸念される一方です。さらに、米中両大国の狭間にあって右往左往する歴代政権は、交代するごとに前任者が獄に繋がれることが定番で、「復讐の連鎖」とでも言うべき実情は目を覆うがごとく無惨です。

 今回の尹氏が招いた事態はまさにこれまでの「交代のサイクル」を待ちきれぬほどの急スピードといえます。その辺りのことがこの新書を読むと、単なる大統領個人の資質のなせるワザだとの見立てを超えて、この民族が宿命的に抱える宿痾とでもいうべきものに差配されていることがよく分かってきます。これまでの鈴置さんの著作を読めば自明の理のことだと分かっていながら、つい手を出して、改めて深く納得してしまうのです。

 読み終えたいま、冒頭に述べた韓国にルーツを持つ隣人の涙に、同情を超えた〝哀しみの連鎖〟を抱かざるを得ません。「2つの祖国」を持つ、日本に生まれ住む在日韓国人には、日韓双方の歴史の根源が理解できるが故に、彼我の差の依って来たる流れに、こみあげてくるものがあるのでしょう。それについても改めて気づきました。(2024-12-20)

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【156】12月の読書日記①━━高嶋哲夫『ダーティー・ユー』と『チェーン・ディザスターズ』

 今年2024年もあとわずかになりました。この『忙中本あり』も、新たな年に向けて装いを新たにすべく、残された日々を使って少し試運転をしてみます。まずは、週刊読書録風にまとめるバージョンからです。ともかく短くまとめることに執心してみました。

●怒りと共感で心奪われる「いじめ問題」━━『ダーティー・ユー』

 12月に入って、10日あまりの間(12-1/〜12)に、高嶋哲夫の本を2冊読みました。『ダーティー・ユー』(2000年発刊)と『チェーン・ディザスターズ』(2024年発刊)の2冊です。前者は、アメリカからの「帰国少年」(雄一郎・通称ユー=中学2年生)が、いじめにあう級友を見て、いじめる相手と徹頭徹尾戦う話。彼はアメリカにいた頃ダーティー・ユー(汚いユー)と呼ばれていじめられた経験がある筋金入りのファイター。この本の読みどころは「日米教育現場比較」であり、いじめ対応の「戦う作法比較」でもあります。いじめについては、宮部みゆきの『ソロモンの偽証』が今まで最も熱中して読んだ本ですが、こっちの方が新鮮味があって面白く感じました。とくに、終わり近くで、担任の教師とユーが酒のワンカップと缶ビールでイカくんをかじりながら、公園で2人がいじめについて語り合う場面は秀逸です。高嶋は、この本をベースにして映画を作成して、全国の学校で上映しようといま計画中と言います。私も応援依頼を受けております。この15日には神戸で講演会もあるとのこと。聞きに行ってきます。

●日本を襲う巨大災害の連鎖に立ち向かう女性首相━━『チェーン・ディザスターズ』

 『チェーン・ディザスターズ』は、つい先日に発刊されたばかり。巨大災害が連続して日本を襲うというストーリー。南海トラフ、首都直下型地震、台風による豪雨、富士山噴火による火山灰の首都圏直撃。いずれも凄まじいまでの被害をもたらすものばかりですが、それが半年ほどの間に連鎖するとの筋立て。この危機の中で、政府は機能麻痺状態に陥りますが、若い女性首相が偶然にも災害担当相から抜擢され就任します。この新首相が民間人の起業家と組んで八面六臂の活躍をするところが見ものです。著者は、これまで数多くの災害危機を描く小説を世に問うてきましたが、まさにその総集編とも言うべきもので、その主人公が女性政治家という着眼がポイントです。実はこの本の末尾近くに、ちょっとした私に関係する〝遊び的仕掛け〟が施されており、笑えます。(探してください。簡単にみつかります)。首都機能を東京から岐阜に移すところで終わっており、少々尻切れ感が拭えません。著者によると、続編を書くとのことです。その仕掛けが施された人物が活躍すると言うので、大いに期待したいと思っています。

 以上の2冊は、私の友人である高嶋哲夫の著作ゆえ、裏話が直接聞けました。(敬称略  2024-12-12)

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【155】 (第1章)第7節 中国を舐めていると日本の没落は続く━━邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃』

 経済のリアルな現場からの新鮮な報告

 中国を分析する際に、政治の視点が経済を見る目をどうしても曇らせる。やがて中国が世界の覇権を握るとの予測をデータの裏付けと共に示されても、頭のどこかで打ち消す響きが遠雷のように聞こえてくるのだ。しかし、経済のリアルな現場からの報告は、全く違う印象をもたらす。邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃』は、これまでの「中国観」を台風一過の青空のようにクリアにしてくれる出色の本である。著者は、モニターデロイト及びデロイトトーマツコンサルティングのチーフストラテジスト及び執行役員/パートナー。豊富な図表、グラフを駆使し、章ごとに分かりやすいポイントをまとめてあり、読みやすい。

 この本が出て既に4年が経つ。中国が醸し出す経済状況は変化を見せ、ややもすればその「減速」を指摘する向きも多い。そうした疑問に応える2作目が『チャイナ・アセアン なぜ日本は「大中華経済圏」を見誤るのか?』(2024年9月)である。この2冊は、中国とASEANのとりわけ経済に関心を持つ人たちに必ず役立つ。

 まずは一作目の方から。「日系企業はここ5年で中国からの撤退が続く。大きな理由はコスト増だという」「自動車産業等においては日本企業がタイを中心に圧倒的なシェアを占めていることもあり、中国製品は安かろう、悪かろう、アフターメンテナンスでまだまだといった認識だ(中略)日本企業は簡単に切り崩せないという視点もある」━━こうしたくだりには、どこか中国を舐めて見る癖のある身には合点がいく。人権に無頓着で、お行儀も悪い、そのくせ計算高い。平気で交渉相手を騙す。そんな国民性を持った国の企業と付き合うのはとても骨が折れる━━これが概ね日本人の「対中商売観」だと思ってきた。中国に永住を決めた「和僑」の友人でさえ、ついこの間まで中国企業との商いはよほど習熟した者でないと危険だ、との見方を振りかざして憚らなかった。

 そんな見方で敬遠するうちに、彼我の差は益々開いたのかも知れない。中国の都市経済圏の凄まじい発展ぶり。地続きのアセアン都市圏との綿密な繋がり。自分たちが「知らないことを気づかない」うちに、怒涛のように様変わりしている「チャイナ・アセアン関係」。その実態が鮮やかに描かれていく。中国で人口が1億〜2億級の都市群が全土で5群〜6群もあるという。日本の人口は減りこそすれ増えはしない。この比較ひとつでも打ちのめされるに十分だ。著者は、国際会議やビジネスミーティング、会食等の場を通じた情報交換を貴重な情報源に、海外に出れば、現地不動産屋の案内で、津々浦々の人々の生活ぶりを収集してきた。コロナ禍にあっても、公開情報を丹念に読み込み、筋トレをするかのように、報道との差に繰り返し目を凝らす。その地道な作業の結果が見事なまでに披露されていくのだ。

 「減速」に幻惑されては実態を見損なう

 ついで2作目に眼を向ける。「猛烈な逆風の吹き荒れる中で執筆した」と、著者が「はじめに」で書いているように、コロナ禍以降の中国経済への世界、とりわけ日本の眼差しは厳しい。しかし、彼はズバリ「自分自身の視点(レンズ)の歪みがあるから」だと一言。日本のピントのズレを指摘する挑発をも辞さないのである。

 具体的に著者が挙げる「現実としての都市の実像」は興味深い。①杭州市で起きている爆発的拡大②広州と仏山の一体化で生まれる広域大都市③南京(江蘇省)と蕪湖、場鞍山、ジョ州(安徽省)の省をまたぐ経済圏━━これら3例を中国の新たな都市発展パターンとしているのだ。大きな中国を全土一体的に捉えがちだが、「分解」した上で、「センターピン」(ボウリング)を探すことの大事さを強調する。このくだりを読んでいて前作で殆ど強調されていなかった都市名が登場するのに驚く。狭間の3年の間に顕著な台頭を示したに違いない。短期間に変わる現実を見ないで、中国「悲観論」「衰退論」に幻惑される誤ちを突きつけられた感が強い。

 最後の章「日本が生き残る道」も示唆に富む。「アジアだけでなく世界が注目するアジアの中の交差点(十字路)を目指す」ことを訴えているのだが、その前提として、断片化(フラグメント)とスキャッター化する世界の方向を見据えることの重要性に力点を置く。前者は、商圏の組み替えを意味し、後者は、国境を越えたファン経済を指す。つまり、従来の国家間の競争ではなく、地域連携が複雑化する中で、どう日本が生き残りうるのか。それを「世界の交差点たれ」と表現しているのだ。

 これはまた、メイドウイズジャパンの浸透化であると言い換えてみると分かりやすい。日本を中心におく発想ではなく、「大きな世界経済の中で日本は下支えをする」「内側で日本がオペレーションするから安心である」といった位置付けを売りにすることの重要性を指摘する。

 著者はこれまで雑誌での論考でも「日本よりも中国に関心を抱く」ASEAN諸国の実態に目を向けてきた。そこでは、「ASEAN諸国は中国に呑み込まれるか否か」という「黒か白か」の議論では現実を見誤るという指摘には注目させられたものである。

 その上で著者は、「リテラシー・ギャップ」が最大の課題だという。日本人は、「国外で、政治でもビジネスでも教育でも、実際に何が起きているかを知らぬままに議論をし意思決定を重ねている」と手厳しい。具体的には、経済発展レベルは都市ごとに異なるのに、「ワンチャイナ」の視点では判断を曇らせることや、「ASEAN諸国の主要都市の経済水準は、日本の政令指定都市にも肉薄・凌駕する勢い」だから、「狭い意味での常識で考えては陥穽にはまりかねない」と。結論として「真のアジアの世紀は水平方向の地域経済回廊の構築からもたらされるもので、ASEANと日本、そして広義では米国も含まれるべきだ」というのである。読む者の世界観を確実に広げてくれる論考に強い充足感を覚えた。

【他生のご縁 尊敬する先輩の後継者】

 邉見伸弘さんは私の尊敬してやまない公明新聞の先輩・邉見弘さんのご長男。随分前から、親父さんからその消息は聞いていました。「慶応に入った。君の後輩になった」「卒業して経済の分析をあれこれやってる」と、それがやがて「中国関係の本を出した。読んでやって欲しい」となりました。

 「父から市川さんと赤松さんのことは、本の話と共にずっと聞いて育ちました」━━頂いたメールの一節です。心揺さぶられました。父子鷹を見続ける読書人たりたいと思うばかりです。

 

 

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