Monthly Archives: 1月 2025

【163】安克昌『心の傷を癒すということ』から連想する/2-1

 あの震災から30年が経った「今」に私たちは生きている。その「今」から、当時を振り返り、この30年の持つ意味を考え、考える自分とは一体何者なのかに思いを馳せる。連想は新たな発想の源になり、明日への活力になるかもしれない。いや、単なる妄想に終わるやもしれない。━━そんなことを考えるきっかけになったのが、安克昌の書いた『心の傷を癒すということ』である。ここでは、この本を読むことで、湧き出でてきた「私の想い」を記してみたい。

●被災地で見た心の傷の有り様の数々

 起点となった1995年は、恐るべき災害が連発した年だった。1月17日の大震災発生。3月20日の地下鉄サリン事件。大自然の活動による社会の破壊と、人間の妄動による社会の混乱。二つながらに近代日本に類例を見ないほどの大きな規模で〝心の傷〟をもたらした。あれから30年。「失われた」との形容を付けられて語られ続けている時代はまさに1995年から始まったのである。

 安克昌は、大阪で生まれ育ち、神戸大学医学部に学び、著名な医学者・中井久夫の弟子的存在となった。精神医学の分野で巨大な足跡を残した中井の書き残したものは数多の日本人に影響を与えてきている。弟子の安もまた、「阪神淡路大震災」のせいで『心の傷を癒すということ』を残すに至り、師の中井に迫る「大仕事」をした。そのゆえもあってか、震災後5年、39歳の若さで帰らぬ人になってしまった。

 彼はこの本で、被災地で見た人々の心の傷のリアルな有り様とその変化を書き、どうそれらが癒され、あるいは癒されずに、生きていくのかについて、実例をつぶさに追った。そして周囲の人々がどう関わるとよいのかについても加えた。私は彼の師匠・中井の本は読んできたが、弟子・安のものは読んでこなかったし、その実態を描いて人々の心を捉えた映画もTVドラマも見ていない。精神科医・宮地尚子の解説本で安を知った。

●「世界は心的外傷に満ちている」

 「家族にいたわられ、避難所の人たちと苦楽を分かち合い、新しい家を見つけ、安らぎを与えてくれる自然と出会った。(中略)  それぞれはほんの小さなことである。『治療』や『ケア』ということばでは語れないものである。だが、このような小さな契機こそが回復には大切なのである」━━「小さな契機」が傷を負った人の「回復」にでっかい役割を果たす。傍観者には響かぬであろう、さりげないことばがぐっと迫ってくる。

 「大げさだが、心のケアを最大限に拡張すれば、それは住民が尊重される社会を作ることになるのではないか。それは社会の『品格』にかかわる問題だと私は思った」━━住民が尊重されない社会には品格がなく、「心のケア」に無頓着なのだ、と裏返して読んでしまう。政治家は心して読み、動かねばと思う。

 「世界は心的外傷に満ちている。〝心の傷を癒すということ〟は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである」━━程度の差はあれ、〝心の傷〟を持たぬ人はいない。だがそれを〝癒す〟ことから目をそむけ、他人任せにする人は多い。社会全体が関心を寄せるようになるには、阪神・淡路、東日本、熊本、能登半島だけでも、未だ足りないのか。

●「戦争被害」と「自然災害」の二重奏の衝撃

  戦争体験がいかに当事者に〝心の傷〟をもたらすのかについて、克明に描くドキュメンタリー映像を観た。血が噴射するかのように飛び散り、内臓が剥き出しになり、四肢がもがれる。正視に堪えない悲惨な現実を目の当たりにしてしまった兵士たちは、戦場から離脱し、精神のバランスを失い、のべつまくなし身体を震わせ、まともには歩けない。欧米でも、中東でもアジアやアフリカでも、日本でも、つまり世界中で全く同じことが起こっている。帰還兵たちのPTSD(心的外傷後ストレス障害)がいかに凄まじいものかを知った。

 「世界は心的外傷に満ちている」と、安が言った現実がこの30年で定着してしまった。〝自然災害と戦争被害の二重奏〟が人間に、生物に、生きとし生けるものにどれだけ「衝撃」をもたらすか。1945年いらい、「戦争」とは直接的には無縁できた日本人を「覚醒」させるかのように起きた「阪神淡路大震災」は、〝ぼんやり生きること〟がいかに「悪」であり、「罪」であるかを突きつける。もう痛めつけられるのは十分でないか。

安がこの本で示した「傷の回復とは、受け入れ、もがき、新しい自分と折り合いをつけていくこと」の大事さを噛み締めたい。(敬称略 2025-2-1)

 

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【162】現実的プロセスへの15の提言━━吉田文彦編著『核なき時代をデザインする』を読む/1-25

 毎年1月26日が来るたびに、心躍らせてきた。その日に池田大作創価学会SGI会長が「平和」とりわけ「核廃絶」に向けての様々な提言を行なってきたからである。スタートは50年前、1975年(昭和50年)。提言そのものは、1983年(昭和58年)から2022年(令和4年)まで40年続けられた。今回はどんな提言がなされるのか、と興味を募らせ、期待を大きく膨らませて待ち望んできたものだ。時あたかも「半世紀後」という節目の年を前にした昨2024年にノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が受賞したことは、とても意義深いことであった。同団体を陰に陽に支え続けてきたSGI がノルウエー・オスロでの授賞式(2024-12-10)に招かれたうえ、翌日同地で開かれたノーベル研究所主催の『平和賞フォーラム』に後援団体として参画した。こうした一連の動きに感慨深い思いを抱いていた昨年暮れに、ズバリ『核なき時代をデザインする』とのタイトルの本が手元に届いた。吉田文彦(長崎大学核兵器廃絶センター(RECNA)センター長)を中心とする専門家たち12人の共著だが、そのうちのひとり河合公明・長崎大教授(RECNA副センター長)から送られてきたものだ。学術的色彩が強い本だが勇気を奮い起こして挑戦した◆河合さんは、現在は長崎大教授だが、初めて会った頃は創価学会平和運動局の一員だった。著名な寺崎広嗣氏(同総局長)の後輩として、いつも一緒だったと記憶する。もう20年ほども前のことになろうか。てっきり寺崎氏の後継者の道を歩まれるものと思っていたら、学問の方に進まれ、先頃ついに上り詰められた。元々研究熱心で英邁な人との印象を受けていたから、驚くことではないのだが、学者はあまたいても実践者は少ないだけに少々惜しい気もする。昨今の風雲急を告げる国際政治情勢下にあって、ひとり東奔西走して世界を股にかける寺崎さんの苦労を思うときに、一層痛感せざるを得ない。この本は、日本学術振興会の科学研究費助成事業(科研費)に基づく研究プロジェクト「安全保障を損なわない核軍縮」の成果をまとめたもの。国際政治・安全保障、核不拡散、国際法の3グループに編纂者各々が分かれて、調査、整理し分析を加えた内容である。より多くの読者のために、「問題の本質の端的な表現」を心がけ、「核軍縮と安全保障をめぐる議論」の当事者意識の向上に努めたと、まえがきにあるが、それでもなおやや難しさを感じるのは、ひとえに当方の力のなさによるに違いない◆この本のポイントは、最終章における提言━━安全保障のための核軍縮と核廃絶にある、と見る。その提言とは、安全保障のシフト6、核廃絶への制度構築5、持続可能な核廃絶4の【3本柱15提言】に仕分けされている。それぞれを要点(括弧内に括る)と共に挙げてみたい。まず、3本柱その1①恣意的に生命を奪われない「生命権」の普遍化を《「人権+安全保障」戦略の構築化》②核軍縮・核廃絶へ向けた民主主義国の先導力向上《民主主義国の政治資産の最大限の活用》③核使用による破滅リスクをリアルに想定するリアリズムの必要性《核抑止依存諸国のなかで、核使用リスクを直視するリアリズムを広めていくこと》④核軍縮を安全保障政策の中核に《核軍縮を含む軍備管理はマイナスだとの核抑止依存国内の思い込みを排するために、核軍縮が歴史的に安全保障政策の重要な柱であることを強調する》⑤新興技術を活用した通常兵器システム・秩序安定化システムへの重心転換《核兵器の役割を低下させると同時に核使用リスクを下げて、核抑止に依存しない安全保障へのシフトを促す》⑥核の傘国一般と日本についての指針《日本は核なき世界への安全保障シフトへの方策を繰り出すことこそ、日本ブランドだと銘記すべし》。次に、3本柱その2に触れる。①核廃絶を可能にする条約・政策の整備・実行《NPT はあくまで核廃絶への過渡期の条約であり、核廃絶のためにはポストNPTの条約や政策が不可欠である》②フォーキャスティング方式の発展的活用《逆算方式(バックキャスティング)の枠組みのなかで、積み上げ方式(フォーキャステイング)を活かす》③軍縮国際法遵守のための措置(違反事例への対応)《不確定要素が多いため、極めて慎重な判断が必要》④共通言語である国際法による法戦の展開《核戦略の分野へ整合性をとるように、国際法の立場から呼びかける》⑤国際主義のエンパワーメント《2国間、多国間の核軍縮及びそのほかの軍備管理合意を形成していく必要》。最後に、3本柱その3は、①「不可逆性」向上のための核不拡散制度の強化②「不可逆性」を確保する国際的な検証・保障措置機関の創設③核兵器使用の適法性を持ち出す側の説明責任の強化④核廃絶にともなうグローバルガバナンスのシフト《核廃絶に関する国連の改革。核廃絶に必要な国際的枠組みの構築を可能にするような軍縮交渉フォーラムの整備など》。こうして15の提言をまとめてみると、煩雑のように見えかねないが、良識的で重要な提言のように思われよう◆ところが現実の世界ではいたって難しい。結局10年1日のごとく、核兵器「必要悪論」がのさばっているのだ。この本の末尾には、「人新世」の時代に求められる基本原則として①核兵器「必要悪」論から「不要悪」論への転換②地球環境問題などで採用されてきた「予防原則」の適用の2つが挙げられている。日本に限っていえば、残念ながら現実的には、核兵器禁止条約締結国会議へのオブザーバー参加すら実現していない。これなど被爆国日本に求められる方向の第一歩と思われるのだが。公明党の新しい代表の斉藤哲夫氏は広島県選出の政治家としてかねがね核廃絶への積極的姿勢の人としてよく知られている。3月には同会議が開催される。ここは石破茂首相を動かす絶好のチャンスである。トランプ米大統領の顔色を伺うあまり、これすらできないなら、あとは推して知るべしという他ないのである。(2025-1-25)

 

 

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【161】想像したくない未来に戦慄━━高嶋哲夫『チェーン・ディザスターズ』を読む/1-16

明日はあの阪神淡路大震災から30年が経つ。その日を前に、以下の文章を著した。

 昨年末から今年にかけて、ある小説家の2冊の新刊本が、全国紙5紙に5段広告で一斉に出たことをご存知だろうか。明日17日には地方紙の神戸新聞にも登場する。この広告は単なる本の宣伝ではない。日本の近過去から今に至る自然災害の連鎖と、子供たちの不幸な現状の積み重ねが、やがて近未来にとてつもない災いをもたらすとの警告である。著者の強い意志に共鳴した、ひとりのファンがこの警鐘を無駄にさせたくないとの思いを募らせて多額の資金を提供して広告宣伝を出すに及んだという。つまり篤志家の熱い想いが新聞広告というかたちをもって目の前にある。その2冊とは、高嶋哲夫さんの『家族』と『チェーン・ディザスターズ』である。前者については、既に昨年の10月に小欄No.150で取り上げた(「ヤングケアラー」にみる日本の困惑)。今度は後者を紹介したい。既に幾たびか彼の本について語ってきたように、私は彼の友人である。しかも今は単なる本を読むだけではなく、彼が起こそうとしている日本の「教育を立て直す運動」のサポーターになろうとしている◆まず、この本ではいきなり、東海地震と東南海地震が連動して起こる。南海トラフ地震の幕開けだ。その結果、「神奈川から紀伊半島までの太平洋岸が約200キロに渡り、最大震度7、20メートルを超える津波に襲われた」というのだ。死者が5万4千人にも達し、行方不明者が10万人を超える被害が発生した。主人公の早乙女美来環境相(当選2回の衆議院議員)は、状況掌握のためにヘリで総理官邸のヘリポートを飛び立ったところが冒頭の場面である。そこから、県知事や市長が亡くなり、県議会議員も3分の1が死亡したという最も被害の大きい愛知県の状況が第一の危機(第一章)として描かれていく。次に第二の危機(第ニ章)では、首都直下型地震に襲われて、首相が死亡する事態の中で早乙女は防災相になる。そこへ超大型の台風が襲来。首都圏を直撃し豪雨をもたらす。各地で土砂崩れや洪水被害でおおわらわになり、その真っ只中でまた次の首相が死去する。防災相で名を上げた早乙女がやがて新首相に、という流れで第三章「新しい風」が吹く。最初の地震からほぼ半年が経ち、被災地の復旧工事も軌道に乗りかけた途上で、今度は富士山が噴火し猛烈な噴煙が偏西風に乗って百キロ先の首都圏を襲う「最大の危機」(第四章)となる。やがて「首都移転」もやむなくなるといった具合に凄まじいまでの大災害の連鎖(第五章の「未来へ」)が描かれていくのである◆第一章から第五章への展開を時系列で並べてみたが、実はこの小説の中身は著者がこれまで世に問うてきたものばかりである。いやそれだけではない。それに端を発した政治課題なども併せ描いてきた。『M8』『津波』『東京大洪水』『富士山噴火』『首都崩壊』『首都移転』といった一連の小説群がそれである。高嶋さんの「災害予見能力」が卓越しているとして脚光を浴びたのは、コロナ禍が現実のものになるほぼ10年前の『首都感染』だった。私が彼の本で最初に読んだのがこれだが、初めて読んだ時の驚きは忘れ難い。拙著『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』(上)でも取り上げた。このテーマに関連するものだけでも、『バクテリアハザード』『パルウイルス』などあるが、他のジャンルとしては、彼の専門である原子力関連では『原発クライシス』『メルトダウン』『福島第二原発の奇跡』『世界に嗤われる日本の原発戦略』など枚挙にいとまがない。こうして彼の作品を列挙するのは彼の「提灯持ち」をするわけではないのだが、見事なまでの分析とその視点の先にある〝未来予測のリアルさ〟に衝撃さえ覚えるからである◆冒頭に挙げた新聞広告には、「これぞ、高嶋哲夫ワールド」との大見出しに、「2冊の本が一つになる時、日本の未来が見えてくる」とキャッチコピーが続く。ここまでは高嶋ファンとしてよく分かる。だが、その後の、「個人と国家を描いたこの2冊は、対極にある小説である」「しかし、その根底にあるものは、生きること、命の輝きと尊さ、人の夢と希望、美しさと強さだ」というくだりが、少々分かりづらい。単刀直入にいうと、この2冊は日本の近未来は国家も個人もこのように崩壊する過程にあることを描いているのだが、その迷路に嵌らぬようにするには、どうすればいいかはストレートには伝わってこない。上記の「根底にあるもの」としての「生きること」以下の表現が辛うじてその輪郭をもたらすといえよう。著者に直接聞くと、『チェーン・ディザスターズ』には続編が用意されており、『家族』には、政治の世界の対応策と教育現場での真っ当な手立てが求められるという。さて、政治家や教育関係者にその思いが伝わっていくかどうか。(2025-1-16)

 

 

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【160】「日本防衛」「地震対応」そして「人類の宿命転換」を━━新年の新聞各紙の論調を読む(下)/1-8

前回に続いて、読売新聞、朝日新聞と聖教新聞の新年号の論調を追います。

 まず、読売新聞。この新聞社は、毎年の元旦号では一般ニュース、特に安全保障関連のものをトップに持ってくることが多い。今年は、中国が昨年12月に、宮古海峡(沖縄本島と宮古島間)などで、海上封鎖に似た演習を行ったことを報じた。重武装をした海警船団が、沖縄県・尖閣諸島周辺に昨年12月に現れたことが複数の政府関係者からの情報で分かったという。これは同国が台湾有事を想定した上で、海上封鎖の範囲を拡大させようとしており、日本政府が警戒しているというのだ。強引な中国の海洋進出は、南アジア全域に顕著だが、この5年ほどは日本の尖閣周辺で、特に質量的双方で著しく増えている。とりわけ、軍艦並みの76ミリ砲を搭載した海警船が昨年6、12月に4隻づつも現れている。「現状変更の試み」として繰り返されているとの見方が専門家の間でも強い。これに対して、日本の国会での安全保障をめぐる議論は、「安保法制」関連法が成立したのちのこの10年ほどは、極端に低調である。「政治とカネ」や、経済格差の影響なども重要だが、国家の安全についての議論をもっと日常的に行なって、有事への構えを国民的レベルで共有する必要があろう。なお、「読売」は3日付けからAI社会の近未来を展望する連載を始めている。「日経」の連載と軌を一つにしたものとみられよう◆朝日新聞は、一面トップに「能登半島地震から1年」を取り上げ、防災を論じている。能登半島のこの一年を振り返ると共に、〝老いて縮む能登〟の未来が多くの自治体にとって、「近い将来と重なる」ことから、対応を迫る着眼である。例えば、都市部と各地方自治体が連携して、時節に対応して移転を促進するなど関係人口を臨機応変に増やす考え方が以前から着想されながら、なかなか軌道に乗っていない。もっと、国を上げての重層な取り組みが求められよう。また、「朝日」は、元旦から左肩に企画連載として『百年 未来への歴史 デモクラシーと戦争』を始めている。戦前の歴史を振り返ると、「勢い」という言葉が一つのキーワードになっていて、戦争への流れがとどめられなかったことが「歴史の教訓」として汲み取られるという。昭和天皇の「引きづられて了った」との言葉の引用は改めて衝撃を受けるが、現在只今の世界の状況が「百年前の再現」に直結しないとは言い切れない。そうならぬために、デモクラシーを強靭なものにすべきだとの論調が仄見える。「毎日」の連載とも共通するものといえよう◆以上に見てきた全国商業紙の傾向とは一線を画す視点での連載企画が注目されるのが聖教新聞。タイトルも『2030年へ 人類の宿命転換への挑戦』と壮大である。元旦号から始まった連載の一回目は、「人材を育む〝教育的母体〟」(上)。SGI (創価学会インターナショナル)は、米国・グアムで発足して今年で50年が経つ。SGI がスタートする場になった第一回「世界平和会議」で、池田大作先生が、〝世界は軍事、政治、経済という力の論理、利害の論理が優先されることによって平和が阻害され、常に緊張状態に置かれている。こうした状況を打破し、平和への千里の道を開いていくことこそ、宗教の本質的役割〟であることを強調したことが紹介されている。社会の繁栄と平和のために、貢献的実践を貫く「世界市民」たれ、との呼びかけである。5日付けの(下)では、世界平和に向けて、池田先生との対談でアンワルル・K・チョウドリ元国連事務次長が「政治家や国際公務員だけに任せていてはいけないと、声を大にして叫びたい。民衆が立ち上がってこそ、また市民社会が前面に出て改革を求めてこそ、より良き世界へと変革し、また創出していける」と、SGIへの期待の言葉を寄せている。強く共鳴したい。本文の末尾には、「我々が目指すべきは、未来の世代のために、人類が直面する難題に果敢に挑戦し、より公正で持続可能な世界を構築しゆく人材の育成である」(「創価学会社会憲章」)とする一方、「国際社会の期待に伴い、人材を育む〝教育的母体〟としての学会の使命は重大である」と結ばれている。現今の世界を覆う危機に対して、ただ憂慮するだけであったり、傍観者ではいけないことを痛感する。更に、この50年の池田先生の凄まじいまでの「人間外交」の成果が、誤れる世界のリーダーによって押し流されようとしていることに対する無力感を抱く人々がいる。これには強い憤りと失望を感じる。今最も大事なことは、民間外交に死力を尽くされた池田先生の後に続く行動である。今三たび迫り来る世界戦争と、地球環境破壊への危機はまさに「人類の宿命」との戦いである。それを転換する道に邁進することこそが今求められていると思われる。(2025-1-8)

 

 

 

 

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【159】「後退期」に向かう民主主義の危機━━新年の新聞各紙の論調を読む(上)/1-5

 選挙イヤーと言われた昨年は、SNS旋風が吹き荒れたことで、既成メディアは顔色なしの傾向なきにしもあらずだった。しかし、日本社会の大筋の世論はいわゆる大手紙の論調に左右される。毎年、正月元旦号及び松の内辺りの紙面で見てとれる風向きを私なりに把握してきた。今年はまず、毎日、日経、産経新聞から取り上げてみる。

 毎日新聞は年間を通じた特集「これまで これから戦後80年」を展開するとのこと。その皮切りとして、民主主義を考える「デモクラシーズ」とのタイトルで連載を始めた。第一回は、最新のデジタル技術を生かして民主主義の「アップデート」を試みようとする人々を取り上げた。姿かたちの見えない「民意」を探るためのツールとしてのリクリッド(Liqlid)なるもので、これは自治体の施策について市民の意見を募る仕掛けとしてのオンラインプラットホームである。すでにこのツールを導入している自治体は約60にのぼる。要するに現在の間接民主主義としての議会ではなく、直接民主主義に移行する仕組みを作ろうというわけである。世界でもこうしたデジタル民主主義の活用は着々と進んでいる。具体的には、台湾で「民主主義は不変ではなく更新されるものだ」と説く唐鳳(オードリー・タン)氏(初代デジタル発展部長)へのインタビューを試みている。日本でも宇野重規東大教授が『実験の民主主義』という著作の中で、デジタル技術を使った意見集約、議会を介さない政治参加、1人1票にこだわらない政治参加などの実例を紹介しており、私も当ブログのNo110で紹介した。この直接民主主義に近づく営みは間違いなくこれからの世界のトレンドだと確信する◆日本経済新聞は、戦争の飛び火やら、自国第一のポピュリズムが台頭してグローバリズムが逆行するなど、「逆転の世界」を14カ国・地域に40人の記者がいる英語メディア「Nikkei Asia」と共に取材して、世界の危機の連鎖に日本は備えよとの警鐘を乱打している。そのうち、「日本に必要な備えは、あらゆる危機に対応できる財政やエネルギー、金融市場の余力にある」とした上で、「少数与党で政策が停滞することは許されない。米欧がつくった国際秩序にただ従う姿勢はもう通用しない。企業も世界の供給網や販売網の再構築が不可欠になる」と強調。「まずは常識を捨て去り、逆転の世界を直視することから始めなくてはならない」と呼びかけている。注目されるのは、アジアからの視点として、「(トランプ政権の再来で)米国が去るなら別(の国)を探す」とばかりに、イスラム教徒が多く、歴史的経緯からも共産主義への拒否感が強いマレーシアやインドネシアでさえ、「経済や社会の利益を考えて、中国寄りになっている」と明かす。また、『歴史の終わり?』で知られる米の政治学者であるフランシス・フクヤマ氏への注目すべきインタビューを試みている。同氏は、米の覇権が終わり、多極世界に移ることを見通す一方、いま我々は民主主義の「後退期」(a period of democratic backsliding)にいると明言するものの、「永続はしないだろう。権力が個人や一族に集中する独裁体制は最終的に安定せず、人々はそうした社会での暮らしは望まない」からだと、楽観的に述べる。トランプ政権の寿命は4年だし、中国やロシアの体制も長続きしないとの見立てである。私も同じ観点に立つ◆産経新聞で注目されたのは、第40回正論大賞を受賞した外交評論家の宮家邦彦氏とBSフジLIVE  プライムキャスターの反町理氏による対談である。混迷の度合いを強める世界の情勢の中で、日本の国益と世界の安定をどう追求するかがテーマだ。宮家氏の論調で注目されるのは、第二次世界大戦の教訓から国際連合を作った世界が80年を経て、今新たなる戦争の危機を迎えているとの認識を示していること。ここで彼は、トランプ氏の再登場で「国際協調主義」が劣勢となり、「戦間期」が終焉する可能性に言及して、それへの備えを強調する。この辺り日経の論調と同じである。ただし、宮家氏は、その危機をチャンスにする考え方として、「勝ち組」に入ることを強調する。つまり、日本は第一次世界大戦後は、国際連盟に常任理事国入りするなど「勝ち組」だったのに、第二次世界大戦後は、秩序を破壊した責めを受けて、「負け組」に回ってしまった。その巡り合わせを、逆転させる好機は「戦間期」の後にやってくるというのだ。ロシアや中国、イランなどの「力による現状変更」を求める国が動く時に、それを止める側に回ることで、新たな「勝ち組」に入れるのだというわけである。だが、第三次世界大戦という危機を止めるための瀬戸際という重大な場面での日本の出番に疑問を持つ向きは多かろう。私も大いに疑問を持つ◆そう私が考えた矢先に、対談でも両勢力の衝突を巡って、日本が軍事力の行使を決断できるのかとの議論になった。その際に、宮家氏は、「(戦争をする覚悟があるかどうかについては)専守防衛を厳格に解釈し『反撃能力は相手の攻撃がなければできない』などとする公明党は危ういんじゃないですか」と懸念を表明している。加えて「労組連合」の支援のもとにある「国民民主党や立憲民主党にしてもどうか」と、軍事力行使に否定的な見方に立つ。こうした議論を読んで、私は、直ちに宮家氏に「『勝ち組』に日本が入るには、公明党(の存在)は危ういけど、『21世紀型の保守政権に脱皮』するには、公明党の中道主義の21世紀型展開が必須だと、読み替えました」とメールをした。軍事力云々はわざと避けて、回りくどいコメントをしたのだ。これに対して、宮家氏から「軍事力の使用にアレルギーのない健全な中道保守の存在がカギになると思います」と返事がきた。さてその役割を担う政党はどこか。消去法でいけば、健全かどうかは別にして、「維新」ということになる。さて自公政権内でこうした国家戦略をめぐる議論がなされているのかどうか、疑わしい。(2025-1-5)

 

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