Monthly Archives: 10月 2019

「迷残執」との戦いの果てにーやました ひでこ『断捨離』を読む

10年前に出版され話題を集めた本ー私が所帯を持ってから7度目の今回の引っ越しにあたり、まさに「忙中本あり」を地で行くように片付け作業の合間に読んだ。著者によると、「断捨離」の定義とは、以下のようになる。片付けを通じて「見える世界」から「見えない世界」に働きかけていく。そのためにとる行動とは、「断」=入ってくる要らないモノを断つ 、捨=家にはびこるガラクタを捨てる 。その結果、訪れる状態は 離=モノへの執着から離れ、ゆとりのある〝自在〟の空間にいる私、だと。だが、これほど云うは易く行うは難しいことはない。結局は、これまで、いつも「迷残執」に終わってきた。捨てることに迷い、古いものへの執着から逃れられないのである。今回は何とか、と思ったが、部分的に成功したものの、全体的には未だしの感が強い▼一軒家からマンションへというのは今回が初めて。広さは一気に半分くらいになるので、まずは問答無用に荷物を半減させるしかない。これまで、引越しのたびに整理はしてきたものの、段ボール箱に詰めたまま開きもせずに、物置にいれていたものを全部点検するしかなかった。アルバムやら昔から捨てきれないで持ち越してきた荷物がゴッソリと出てきた。全てそのまんま捨てることを決断したが、アルバムだけはそうもいかず、結局大部分はまたも次のところへ運び込むことになってしまった。お皿やグラスなど山のような台所用品の数々は捨てたが、つくづくと、「断捨離」とは、「もったいなさ」と、「懐かしさ」との勝負であると思った。本に書かれているようにはとてもいかない。大袈裟ながら価値観の崩壊さえ実感せざるを得なかった▼最大の難物は、書籍をどうするかという問題だった。議員を辞めるときに、議員会館や地元の事務所、そして議員宿舎に置いていた20年間に溜め込んだ本のほぼ全てを、党の政調スタッフ、秘書メンバー、衆議院の各委員会事務局や調査室のスタッフ、各省庁の担当スタッフたちに持って行って貰った。それでも、家の書斎にはまだ三千冊に迫る蔵書があった。いずれも手放し難い昔馴染みのものばかり。考えた挙句、親しい友人たちや我が姉弟、その子どもたちにアットランダムに選んで送り届けた。さらに、外交安保関連の専門書の類は、参議院議員に初当選した高橋光男氏に、憲法、経済、社会保障関連は伊藤孝江議員の神戸事務所に引き取って貰った。その数、合わせて千冊ほど。それでも千冊近くが残る。これについては自治会の公民館に2対の本立てと共に贈呈することにした。恐る恐る後任の自治会長に申し出たところ、快く受け入れをしていただくことになったのである。私の拙い「忙中本あり」の揮毫と共に、「赤松文庫」(プレート付き)がささやかながら実現したのは嬉しい限りであった▼かくして、手元には、まだ殆ど読んでいない「夏目漱石」、「山崎正和」、「高坂正堯」、「白洲正子」などの全集ものが残った。池田先生の全集のうち、手放せない重要なものと、日蓮大聖人の御書、法華経関係のものとともに、新しい住まいの押入れの中に(本箱はないので)ひっそりと積み込まれることになった。その数300冊ほど。かつて老後になったら読もうと買い込んだ本である。尊敬する先輩が先年膨大な蔵書をそのまんま残されて、鬼籍に入られたが、御夫人が呆然とされていたことを思い起こす。誰しも若き日からの蔵書を整理することには躊躇しがちだが、それだけは私はほぼ今回出来たように思われる。これだけは我ながら褒めてやりたい気がするのだが、いかがなものか。(2019-10-25)

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7度目の我が身と重ね合わせ泣き笑うー映画『引っ越し大名』(犬童一心監督)を観る

平成の始めから30年間住みなれた姫路を引っ越すことになった。不動産屋を通じて大家さんの意思を聞いたのが二ヶ月ほど前のこと。政治家としての現役20年とそれに至るまでの足掛け5年、そして引退してからほぼ6年の合計31年。平成の時代の全てをこの地で過ごしたので、そこを出るのは断腸の思い、寂しくないと言えば嘘になる。だが、家庭の事情もあり、同じ兵庫エリアならと、思い切って新天地を探すことにした。ようやくそれなりの賃貸マンションを明石市に見つけた。そんな折に、映画『引っ越し大名』が封切られた。原作は土橋章宏『引っ越し大名三千里』なる小説。とても読めず、映画で間に合わせることに。読書録ならぬ映画録になった。いやはや、あらゆる意味で他人事とは思えず、考えさせられた。全国で多くの人が映画や本で接触されていようが、恐らく私ほどの強いインパクトを受けたものはいまい▼松平直矩なる徳川譜代の大名は生涯に7度にわたって、徳川幕府から引っ越しさせられる。彼方此方へと移転した距離が合わせて三千里。虚実合わせ織り込まれた時代ものだが、その移転に伴う差配を任せられたのが、若い侍・片桐春之介という筋立て。この侍、書庫番でひたすら本を読むことで生きてきた、どちらかといえば引きこもり風の頼りなげな男。その人物を登用することで、結果的に失敗をさせ、お家断絶を狙おうという幕府の目論見と内通者をも絡ませた奇想天外な喜劇仕立ての映画である。原作は未だ知らぬが、映画(犬道一心監督)の出来栄えはなかなか。この監督の代表作『のぼうの城』も良かったが、これに勝るとも劣らない。勿論、黒澤明や小津安二郎の作品とは比べるべくもないが▼何しろ舞台は姫路藩。ここから九州は豊後の日田の地へと移るまでのてんやわんやが主に描かれる。映画を観ながら、引っ越し作業の最中である我が身と照らし合わせ、身につまされる思いにしばしば駆られた。当方、選挙に出馬するため、姫路に転居してから借家を移ること4度。今度引っ越すことで所帯を持ってから7度目になる。勿論、この小説、映画とはちょっとだけ似て、まったく非なるものだが、「引越しは戦さである」とのセリフから始まって、経費に関することや、断捨離にまつわるものなどあらゆる面で、共感を持つに至った▼映画の中で心底笑えたのは、荷物に目印の紙を貼り付ける場面での数字が「0123」だったこと。私の頼んだ業者も同じ、この社名の会社だから気付いたのかもしれない。さらに、かの麻薬保持で逮捕されたピエール瀧が登場するシーンは、妙に印象深かった。つまり、お家を持続させるために、人員カットが余儀なくされる運びになって、苦労して田畑を開墾する大勢の侍改め百姓たちのうちのひとりを彼が演じるのだ。最終的に藩への加増が叶い、元の武士に戻れることになるのだが、彼は戻らずに百姓として残る選択をする。その際のセリフが何だか胸に響いた。地に足つけたまともな人間になりますとの宣言のように聞こえたのだ。そのほかにも随所にユーモアとペーソス溢れるくだりがあり、大いに楽しめた。引っ越しがいかに妻に苦労を強いるものか。現役であった過去は、妻に全て任せっぱなし。今回初めて自分で一から十まで関わって、もう殆ど倒れそうになっている。妻の有難さがようやく身に染みてわかったが、時すでに遅すぎる。(2019-10-3)

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