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この夏一番の収穫ー「グロ・リア」文学と「皮肉な毒舌」の機智

コロナ禍でのステイホーム。今年の放送大学前半の講義期間とほぼダブった。7月中旬で終了したが、印象に残っている教科の一つに『権力の館を考える』があった。御厨貴さんが中心となって日本から世界の権力者たちの住まいの実態に迫るもので、滅法面白かった。この先生は学問もエンタテイメントに仕上げる特異なタレントだと実感した。その中で井上章一・国際日本文化研究センター所長が登場した「関西の権力の館」が特筆される。かの『京都嫌い』なる本で一世風靡した、とびきりユニークな学者である。その井上先生が書かれた、先般亡くなられた井波律子(中国文学者)さんを悼む文章(朝日新聞「ひもとく」7-11付け)に、私の眼は釘付けになった▲ここで取り上げられていた井波さんの『中国のグロテスク・リアリズム』と『中国人の機智』を直ちに明石市立図書館で借りて読んだ。実に面白かった。それもそのはず、前者では「色事や悪事などが山あり谷ありの筋立てでドラマ化された作品」が紹介されているのだ。後者は、「文人たちのくりひろげた、命がけと言っていい当意即妙ぶり」が描かれていて興味は尽きない。実は私は「中国に文学と呼べるものはない。あるのはエロとグロだけ。〝恋と女の日本文学〟とは違い過ぎる」との〝超日本文学びいき〟の信奉者を自認してきた。その考え方のルーツがこの「グロ・リア」にあることを改めて確認できた。世にいう「エログロナンセンス」の原型だから、面白くないはずはなかろう。でも、「好きか嫌いか」と自問するまでもない。過ぎたるは及ばざるが如しで、読み過ぎると中毒になりそうだからご注意を▲中国人の持つ機智の源泉が『世説新語』にあることは知らなかった。魏晋の時代の名士のエピソードを軸に中国的な機智表現の特色を探ったものだが、毛沢東と魯迅に及ぶくだりが圧倒的に読ませる。二人のものをめぐっては一通り眼にしてきた。巨大な国の原型を作った二巨人の真実に改めて気づかされた。かつて憎からず思わないでもなかった恋人と、よりを戻したくなるような思いに駆られそうだ。今更、毛沢東でもないだろうと言われそうだが、「卑近な事象を比喩とし、懇切な説明を加えて、説得論理に貢献させる」とか、「文章表現自体も、いちいち念が入りすぎて、そこはかとないユーモアが漂う」と言われると、あばたもえくぼどころか、整形手術をしたかのような錯覚を抱いてしまう▲「私は往々自分の嫌う人に嫌われる人を善い人だと思うときがある」と言った魯迅は、「むしずが走るほど中国がきらいだ、という人がいたら、私は心からの感謝をその人に捧げたい。なぜなら、その人はきっと中国人を餌食にはしないだろうから」と、逆説的、反語的表現を好んで用いた。「事の真相を抉り出さねばやまない風刺性に富む」魯迅は、「皮肉な毒舌家」でもあった。なんだかそれって、井上章一さんではないかと、思ってしまう。御厨、井上コンビの放送大学講義から、井波律子さんの本へと飛び、「グロ・リア」文学から毛沢東、魯迅の機智に及んだ。いつもの如く勝手な連想ゲームに誘い込むなと怒られそうだが、読み手の側としては大いに満足出来たのだから仕方ない。この夏一番の収穫である。(2020-7-29)

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「青年」と「政治家」に思いを馳せ、「人情」の機微を味わう

コロナ禍中に「ステイホーム」が叫ばれていたこの数ヶ月というもの、私は幸運なことに放送大学講座に嵌った。授業料も払わずに聴講生として11講座を見まくって、このほど15回分がほぼ全て終わった。1講座45分なので、123時間テレビを見ていたことになる。いやはや、充実した時間を持てて満足している。様々な専門家と画面を通じて知り合ったが、『方丈記と徒然草』を担当された島内裕子さんは、仏像のようなふくよかなお顔の立派な先生だ。この講座から学んだことはおいおい語ることになろうが、偶々講座外で放映されたもので印象に強く残ったのが森鴎外の小説『青年』についての解説である。島内さんが主人公・小泉純一の小説の中の足取りをそのまんま追う試みは平凡ながら妙に新鮮だった。早速文庫本を買って読んだ。漱石の『三四郎』に見合う、鴎外の青春ものといえば『青年』とくる、とはつゆ知らなかった。この2冊が日本における最初の教養・発展小説とのことだが、「人間いかに生くべきか」という根源的テーマと、後期高齢者のとば口に立つ私が改めて真正面から向き合うことになった。それはそれで様々な意味から興味深かった。『三四郎』を読んで『青年』を読み忘れたが故に、私の人生はいびつだったのかもしれない、と▲この期間に私が出会った人物で忘れがたいのが、作家の高嶋哲夫さんである。先だってこの欄でも紹介した『首都感染』の著者である。神戸在住であり、私が友人と共催する「異業種交流ワインを飲む会」をオンラインで開催したところ、二回続けて参加された。先月はようやく直にお会いすることが叶った。その際に、ご本人から次はぜひ『首都崩壊』を読んで欲しいと勧められた。これは首都直下型地震の恐怖を描く一方、首都移転への具体的手筈が克明に明かされていく。この作家の描く未来予測はことごとく的中してきていることから、この課題も急にリアルを伴って読めるから不思議だ。私が現役時代に首都移転が話題になったが、いつの日か沙汰止みになり、誰も話題にしなくなった。しかし、今読んでみて、政治家諸氏は真剣にこの本を読むべきと思う▲ついで、読み終えたのが、浅田次郎の『流人道中記』上下である。これも先般、読書録に取り上げた『大名倒産』上下を勧めてくれた友人から借りて読んだ。欧州モダニズム文学の愛好家兼小説家の諸井学さんは、浅田次郎のような人情ものばかり読んでいると、歯応えのあるものは食えなくなるかのように言う。で、しばらく敬遠していたが、頃合いを見計らって読むとやはり堪えられない。尤も、この本も他のものと同様に冗漫さは感じざるをえず、2冊に分けずともいいのではないかとの思いは募るのだが。とはいえ、やはり話運びは絶妙だ。演歌の上手い友人と一緒にカラオケに行った時のように、ほとほと感じ入ってしまう▲今私は『日常的奇跡の軌跡』なるタイトルで回顧録を書いている。平成元年からほぼ25年間にわたる政治家生活を振り返っているのだが、その間に書いた読書録(『忙中本あり』)を紹介せざるを得なくなる場面がある。本を読むのが好きで、かつそれを評論することにのめり込んだ自分に呆れる。こんな生活をしていて本業が疎かにならぬ方がおかしいとさえ思う始末である。今、政治家の仕事から解放されて、自由に本が読めるようになったのだが、その実、あまり読めていない自身を発見して苦笑せざるを得ない。なんのことはない、「閑中本なし」なのである。(2020-7-11  一部修正=7-12 再修正=7-14)

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