(241)栄光の執事と失敗だらけの秘書とーカズオ・イシグロ『日の名残り』を読む

『日の名残り』ーノーベル賞作家カズオ・イシグロの本を読むのは2冊目。ただしこれは電子書籍で読んだ。理由はたまたま書店になかったからで、特段の意味はない。また、同名の映画も観た。英国の執事のことを描いたノーベル賞受賞作家の映画だということで飛びついた。執事という存在にかねて興味を持っていたこともあるが、アンソニー・ホプキンズとエマ・トンプソンの名演技が光る、と知ったことが大きい。先に読んだクローン人間を扱った『わたしを離さないで』も、映画化されていた。受賞されるまでほとんど知らなかった作家をこのところ立て続けに読み、映画も観ることになったわけだが、やはり異色の味わいを持つ気になる作家だとの印象は消しがたい。これからも恐らく少しづつ読むことになるだろうとの予感がする■この小説はスティーブンスという英国の名だたる執事が主人公。彼が35年間仕えた主人は、英国の貴族の中でも最も有名なダーリントン卿。その居住地の中にあるダーリントンホールには英国の首相や外相、フランス大使やドイツ・ナチスの高官ら数多い著名な人物が出入りしていた屋敷であった。その屋敷で多くの人々が欧州をめぐる政治的議論を交わし、時に歴史の転換期における舞台になったこともしばしばだった。そうした歴史的場面に遭遇することもあった執事は、当然ながらその主人に深い敬慕の念を持つに至った。しかし、肝心の主人が不名誉な噂を立てられ、やがてそれを払拭できぬまま失意のうちに死んでしまう。そして代わりにアメリカの大富豪・ファラディ氏にその屋敷は買い取られ、スティーブンスは執事として雇用される。やがて主人からの勧めもあってドライブ旅行に出かけるのだが、物語はその間にダーリントン卿との思い出を顧みることになる。主人と執事とのえもいわれぬ深い関係、そして執事とはいかにあるべきかの様々なエピソードを交えての洞察などが淡々と語られる■日本には執事的なものは今は見られない。秘書がその存在に代わるものだろう。この両者、似て非なるものだが、主人に仕えるという一点では共通している。私も代議士秘書稼業をわずかに1年半だが経験し、そして20年もの長きに渡って秘書を持つ身になった。そうした体験からしみじみと人に仕えること、主人の心映えを感じてうまく合わせることの難しさを骨身にしみて分った。というか、わかった気になった。しかし、この小説や映画に描かれた執事の所作振る舞いを見て、自分など完全に落伍者であることを改めて知ったしだいだ。秘書でありながら主人の鞄を列車の網棚に忘れたり、主人との待ち合わせ時間に遅れたりなどといった我ながら初歩的かつ大胆なミスは枚挙にいとまがない。さらに、大事な会談に陪席を許されたものの、黙って控えていることに耐えられずに余計な口出しをするなど数多の失敗をしたものである■一方、私には20年間仕えてくれた秘書が複数いたが、彼らまことに卓越した能力の持ち主だった。そのうち国会での秘書は、私が何を考えなにをしようとしているかを全て先んじて押さえ、知らぬ間に用意してくれた。お世話になった数々の所業は数知れない。私と同じ誕生日の議員が複数いることを知った数日後、全国会議員を点検したうえで、リストをさりげなく差し出してくれた。また、かねて私はタブレットとガラケーを併用しているが、以前にスマホに買い替えようとした。その時に、彼はスマホは止めてガラケーとの併用、つまり従来通りがいいとアドバイスしてくれた。些細なことのようだがその判断は全く正しかったと心底から思っている。その秘書のことを良く知るに至った、私が仕えた先輩代議士は後にしみじみと「俺は秘書に恵まれなかったが、君は恵まれているなあ」と述懐されたものである。穴が入りたいとはこのことだったが、私の場合、主人との間に幾つ穴があっても足りなかったろう。ともあれ、このイシグロの小説はわたしにとって今は亡き主人の、壮絶なまでの素晴らしさや失敗ばかりの酷い自分のことをあれこれと思い出せてくれる罪深い本ではあった。(2018・1・28)

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