なんのために走るのかと訊かれて (44)

今朝も10キロほどを80分かけて走った。時速7キロほどだからほんの駆け足程度。ランニングというよりもジョギングであろう。でも、というべきか、だから、というのがいいか、ともかく気持ちがいい。爽快そのもので、帰宅後に風呂に入った瞬間など、「あーっ、気持ちいーい」と思わず叫び声を上げてしまう。まさに至福の時が続く。もっとも、かつて高校の同期会で、走るのが習慣だと言ったら、「お前あほか」「なんのためにそんなしんどいことするんや」と言われた▼マーク・ローランズっていう哲学者は『哲学者とオオカミ』っていう本で有名だそうだが、私はそれよりも『哲学者が走る』という方を題名に魅かれて読んだ。「人生の意味についてランニングが教えてくれたこと」というサブタイトルが付けられている。決して面白い本とはいいがたく、こんなものでも著名になると売れるのか、というのが率直な印象だが、そこは例によって当方の浅知恵ゆえであろう▼「走ることには内在的に価値がある」「走るとき、人は人生に本来備わった価値と接する」「自分の歴史をきり開く場なのではないか」「走ることは回想の場だ」「長いこと忘れていた思考を掘り出す場所である」などといった片言句々が印象に残る。要するに、なぜ山に登るのかと訊かれて「そこに山があるからだ」と答えるしかないとの有名なやりとりと同様に、「走るのは気持ちがいいから」だと言うしかない。ローランズ氏は、それを「最高の価値においては遊びであって労働ではない」と述べて結論づけている▼要するに、健康のためといった目的云々などよりも、走りたいから走るだけの代物だ。加えて、私は常には眼鏡をかけているが、走るときには着用しない。裸眼でもそれなりに走れる。それゆえ、見えないものが見えるから不思議だ。姫路城三の丸広場の芝生はまだら状態で生えているが、それを見るたびに飛行機で上空からやがて着陸するといった高度での地上の風景を思い起こす。ありとあらゆる風景を連想させるのだ。こう書くと、なんだかローラン氏と一緒だと言われそうだが、明らかに違うのは、彼はランニングについて書くことでお金儲けをしていることなのだ。その意味では、彼にとっては走ることで、労働の代価として報酬を得ているといえよう(2014・8・13)

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