(13)血と非情で得た代価の輝きの謎

万葉集をめぐっても古事記の場合と同様に歴史研究を専門とする学者に激しく挑んでいる人たちがいます。その代表が元TBSの記者で作家の井沢元彦氏です。彼の『逆説の日本史』は超ロングセラーで、単行本で20巻が既刊されており、今も週刊誌で連載中です。独自の切り口で日本史を一刀両断する手法はまことに鮮やかで私も一時はとりこになりました(尤も、明治維新前夜を語りだしてからはいささか煩雑さが目立ち、切れ味が鈍いように思われ、興味が失せてきています)。第三巻「古代言霊編」あたりは、彼の持論展開に拍車がかかっており、冴えわたっています。一言でいえば、万葉集は「犯罪者たちの私家版」だったというのが彼の結論です。怨霊を恐れた桓武天皇が鎮魂のために、犯罪者の名誉を回復し、後々に万葉集はもてはやされるように至ったというのがその見立てなのです。

「日本の歴史は怨霊の歴史である」というのが彼の主張で、その典型的実例が万葉集を通じて見て取れるというわけです。大津皇子を始め、長屋王、有間皇子といった人たちは持統天皇によって無実の罪を着せられ、処刑されたのが史実です。そういった人々の歌が同じく反逆者の大伴家持の手で編纂されたのが万葉集だ、と。

こうした主張はしかし事新しいことではありません。井沢氏本人も、自分は柳田国男、折口信夫、梅原猛氏ら先達の跡づけをしているに過ぎないと言っています。こうした先達たちはみな、学者ではあっても歴史学者ではないというところに彼の言い分の特徴があります。つまり歴史学者は日本の歴史の真実を読み取る力がないといいたいのでしょう。

ただ、歴史学者の書いたものよりも、前述した学者や週刊誌ジャーナリズムの寵児の方が、一般人の目につきやすいと言えます。今では「政治の敗者はアンソロジー(詞華集)に生きる」(大岡信)というのが定説であり、常識になってると思われます。つまり歴史学者の方が弱い立場にあるように私には見えます。

井沢氏に加えて、この議論を押し立てている人をもう一人挙げるとすると、関裕二氏でしょう。『なぜ「万葉集」は古代史の真相を封印したのか』とか『日本古代史 謎と真説』『奈良・古代史 ミステリー紀行』などの本を書いて、いわゆる歴史愛好家に人気の作家です。かつて、古代史に造詣の深い友人に「入門書をあげるとすれば、誰のものがいい?」と水をむけたことがありますが、この人の名があがりました。こういう人たちの仕事のおかげで、日本の歴史や文学が庶民の手に渡った側面があると言えましょう。(ところで、関裕二氏は巻末に参考文献をあげていますが、その中に井沢氏のものが見当たりません。影響を受けてるはずと思われるだけに、少々違和感があります。あえて読まないのかどうか。こっちの方もミステリーです)。

こうした謎追いもいいのですが、静かに万葉集の良さを味わうことも勿論大切なことです。実は先週のことですが、堺市博物館に万葉学の泰斗である中西進先生をたずねました。来月に淡路島で行われる予定のあるフォーラムの講師にお招きすると聞き、その主催者との打合せに同席させていただいたのです。義母が姫路での同先生の文学講座の受講生とのご縁もあって、同先生のことは、かねて注目していました。私自身も数年前に一度だけパーティの場でご紹介され、名刺を交換したことがあるのですが、驚いたことにその時の会話を覚えていただいておりました。「『西播磨の豪族・赤松氏の末裔にあたられるのですか』との問いかけをしましたよね」、と。静かなたたずまいのなかに凛とした面持ちを湛えられた素晴らしいお方でした。これまで数多の学者や文化人と称される皆さんとご挨拶を交わしてきましたが、この人は飛び切り優しい魅力を持たれた方でした。

「一冊だけ先生のご著作から私に勧めて頂くものをあげて頂けますか」とお尋ねすると、一瞬考える風をされた後に、『日本人の忘れもの』でしょうね、との答えが返ってきました。この本は先年に新幹線を待つ新大阪駅の書店で買い求めながら、読むのを忘れていたものです。改めて今それに挑戦していることは言うまでもありません。

『古代史で楽しむ万葉集』とのタイトルで中西先生の手になる文庫本があります。その中で先生がこうした謎解きの対象になっている万葉集の時代をどう見ておられるのかを探してみました。

「大化以後はまことに古代史における一大転換の時であった。それなりに新時代の誕生は輝かしくはあったけれども、一面それは血と非情を代価として得た輝きであった。その非情の歴史の中から、まず最初の万葉歌が生まれて来る。非情の中に非情たり得ないのが人間だからである。この人間にささえられて、万葉歌は芽ばえた」とありました。見事な言い回しに思わずうなりました。血と非情を代価として得た輝きの中に思いっきり身を投じてみたいと、あらためて思います。

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