(12)想像力をたくましくして読まないと

古代史といえば当然ながら天皇のことを抜きには語れません。私のような戦後第一世代は、天皇が現人神ではなく、人間として日本社会に定着する過程と、自分自身の成長とが重なり合うのです。そこには天皇は最高の人格の持ち主で、あらゆる意味で至高の存在たれとの願望が込められてきました。

根が真面目というべきか奥手というのでしょうか。古代史を学ぶなかで、天皇たちの文字通りの親兄弟相互での殺し合いやら近親相姦のようなふしだらな有様を見聞きするたびに、おぞましい思いを抱いてきました。天皇家の連続性を強調されると尚更首肯できないものを感じてきたのです。戦後民主主義教育の弊害というのでしょう。歴史を現時点での価値観で見てしまう癖から抜けきれなかったのです。

そんな私にとって万葉集冒頭の天皇の歌も従来的な天皇観を変えるにはいたりませんでした。ほのぼのとした人間臭さを感じなくはないのですが、一皮めくると究極のパワハラに思われるのです。

籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ

大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をも

雄略天皇の歌です。春の菜を摘んでいる娘に心を動かされた天皇が娘の名を尋ねている場面です。自分の立場を明らかにして相手の気を誘うやり方は、どう読んでもナンパに見えます。

次にくる歌は舒明天皇の作とされています。

天皇、香具山に登りて望国(くにみ)したまふ時の御製(おおみうた)

大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は

かまめ立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は

大和にはあれこれの山があるけれど、香具山に登って下を見ると、かまどの煙が立ち上り、海原ではかもめが飛び立っている。大和の国はいい国だ、と自賛している歌です。ほのぼのとした情景が眼前に広がっていき、民の喜びを感じ取っている為政者の自信がくみ取れる歌といえましょう。先年、私は友人たちとこの香具山に登ってみました。なだらかな丘陵でした。四方が見渡せましたが、海原は勿論見られずかもめは発見できませんでした。

万葉集をめぐっては様々な学者がありとあらゆる研究を重ねてきています。今あげた二つの歌についても、問題点がかなり指摘されています。読むとこんがらがるばかりです。それについては、ドナルド・キーン氏が面白いことを名著の誉も高い『日本文学史』古代中世編一で述べています。「研究論文すべてに目を通し、あらためて歌を読んでみても、以前より理解が深まるとはとてもいえない。古今の万葉学者は様々な説をとなえてきたが、筆者には、完全に納得できるものは一つとしてないような気がする」と。痛烈です。これにはほっとします。あれこれ詮索するよりも素直に歌が持つリズムを味わえばよいのでしょう。

とはいうものの、それで終わらせてしまっては面白くありません。いい解説は奥深いところに誘ってくれるのです。丸谷才一氏は『日本文学史早わかり』の中で、この冒頭の二首をめぐって味わい深いことを書いてます。「恋歌と国見歌とが、かういふ晴れがましいところに一対のものとして並ぶことは、恋愛と国見とが古代日本の君主にとって最も重要な仕事であったことの證拠だといへよう」としたうえで、「古代日本人の最大の関心事は繁殖で、それゆゑ国王は、あるいは風景に言ひ寄る呪文をとなへ、あるいは女たちに親しむ演劇の司祭となったのである」と。

しかも、巻八にある舒明天皇のもう一つの作も対になってると指摘しています。

夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今宵は鳴かず 寝(い)ねにけらしも

この解説がふるっています。「妻を恋うて鳴く鹿の声が今宵は聞こえないゆゑ、恋が成就したのだらうと思ひやる意だが、これは当然、人間の恋愛を獣の交尾と同質のものとして把握してゐるわけで、極めてエロチックな和歌である。すなはち舒明の国見歌は、一方では政治的恋愛、他方では自然的恋愛と対応しながら、実は、動植物の繁殖一般と相通ずる内容を歌ってゐる。風景と動植物とを刺戟することこそ、天皇の詠歌の本来のすがたであった」というのです。なるほど、と感心するしかありません。こういう御託も私のような堅物人間をして、歪んだ天皇観の形成にひと役買ってるのかもしれません。

全米図書賞をとったというリービ英雄『英語でよむ万葉集』を、随分前に日本語で読みました。彼は香具山に登って私と同じく、山は低く風景は小さい、海原はなくかもめが飛び立つはずもないと失望します。しかし、何年か経って英語に翻訳する作業をしているうちに「小さな風景とはうらはらに、雄大で厳かな対句が頭に響き、そこには陸と海とをかかえた大きく構造的な想像力がはたらいているのが分かった」というのです。なるほど、すべては想像力がなせる業なんだ、と。自分にはそれが足りないことが分かりました。

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