現場で人びとと同苦することこそ人生の極致(73)

ほぼ本年最後の読書録になろうかと思われるものに相応しい本に出くわした。チェーホフの『六号病棟』だ。これは先日紹介した『退屈な話』と同じ岩波文庫に収められており、同じ時期に読み終えたが、あえて別々に取り扱いたい。チェーホフは医師として切実な課題に真正面から立ち向かっており、まことに興味深い作家だ。患者たちがいつも長い時間を待たされたあげくに、三分間ほどだけの診療でお茶を濁されることは日常茶飯事である。昨今はパソコンの登場で、画像を見るだけで医師はついに患者の顔すら見ないで済ますことさえあるといった話まで横行している。しかし、医師は医師として過重極まりない医療労働をするにも関わらず、自身が蓄えた医療の技量に見合っただけの報酬を得ていないとの不満を隠そうとしない▼医師という職業は、わが身を顧みず患者の立場に立ってどこまでも人命救済に立ち向かう存在ではないのか、との思いは今日なお人々の心に強く存在している。この『六号病棟』では、精神、心をを患ったひとと、その患者を治療する医師の二人が真正面から人生の本質をめぐって語ることが中心的な命題として設定されている。煎じ詰めれば、ここで登場する医師は、社会の不公正をもっぱら時代のせいだとしてとらえ、人々が苦しむ現実には不感症で、無責任で、冷淡でさえある。それに対して、患者は、無意識のうちに不公正な特権の上に胡坐をかいて生きてきた医師を鋭く告発する。この小説では医師と患者の対立として描かれているが、医師は特権を得やすい職業の代表であって、他のどのような職業でもより人々の尊敬を集めやすいものはすべて共通しよう。政治家もしかりだ▼その医師が「暖かい気持ちのいい書斎とこの病室との間にはなんの違いもありませんよ」といい、「人生を理解しようとする自由で深い思索と、俗事の完全な無視という二つの幸福さえものに出来れば、人間はどんな境遇にあっても心に平安を見出すことが出来る」と述べるくだりを読んで、まさに自分にも突き付けられた刃だと思った。病室を有権者との出会いに換えれば、そっくり政治家にも当てはまるからだ。今の政治の弛緩しきった実態は、政治家が本質的な部分で「人間の安らぎと満足とは、外部にあるのではなくて、内部にあるのですから」との医師のセリフが示すように、外部にある生身の人間の苦悩を解決することを棚上げし、自身の心のうちに逃げ込みがちなところに原因がある▼ことし結党50年を迎えた公明党は、すべての議員が「大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいく」ことを最大のモットーにして全国各地で日々活動をしている。公明党の創立者池田大作先生の根本的指導は常に「現場へ、大衆の中へ入れ」だ。大衆との接触を忘れたものはもはや公明党の議員にあらずとの精神こそ尊い。チェーホフが『六号病棟』で言いたかったことは、決して医師の生き方だけではなく、「ノーブレス・オブリージュ」の大事さを言っているのだと思う。私も現職を辞したからもはや自由だというのではなく、どこまでも大衆の現場での悩み、苦しみに同苦し、解決をはかるお手伝いをする人間でありたい。(2014・12・26)

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