この父ありて海舟あり、親子二代「覚悟」の男の生き方(74)

大学時代の級友で土佐の高知に住む豪快な男がいる。なにしろ7億円もの借金をくらってもそう気にしている風には見えない男である。かつて若き日に彼のところに遊びに行った際に、桂浜の竜馬像に行こうということになった。途中でビールや酒を買って、そのうちの何本かを像の前に置いた。竜馬に飲ませると云って。誰かが飲むだけだ、もったいないと私がいうと、そんなことはどうでもいい、とまったく気にもかけなかった。妙に記憶に残るこの男がつい最近神戸にやってきて、久しぶりに逢った。談論風発のなかで勝小吉の『夢酔独言』を滅茶苦茶に面白い、と推奨して帰っていった。勝小吉とは勝海舟の父親のことだ。かねて坂口安吾や子母沢寛や大仏次郎らが勝小吉がいかに豪快無比な人物であるかを書いていることは側聞してはいたが、実際に彼の手になる本などあることさえ知らなかった▼およそひどい悪文というか、誤字、当て字のオンパレードで、段落わけもなしで、句読点もうたれず、会話部分に「」もつけていないので、滅法読みにくいことおびただしい。幾度か途中で投げ出したくなった。正直なところ読み終えて何ほどにこの本がいいのかあまり分からない。解説者によれば、生き生きとした文章であるとか、優れた記憶力を持つ任侠に生きた親分だとかべた褒めなのだが、当方にはとんと分からない。坂口安吾は『堕落論』のなかで、この小吉が書いた本には「最上の芸術家の筆をもってようやく達しうる精神の高さ個性の深さがある」と。この安吾自身、相当に変わった人物ゆえ、変わった者同士は分かりあうということだろうか▼私としては小吉の凄さは分かりかねるまったくの小物だが、息子・麟太郎ことのちの海舟との父子関係には大いに興味をそそられる。明治維新における江戸城無血開城に見るように、勝海舟の胆力は父親譲りの比類を見ない豪快なものである。今、私は明治維新にいたる幕末の15年(1853年~1868年)を細々と研究しているのだが、誰よりも勝海舟に魅力を感じる。彼の書いたものといえば、『氷川清話』で、かつて現役時代に国会議員の赤坂宿舎の裏にあった氷川神社周辺を歩きながらよく思い起こしたものだ。まあ、おやじさんのものより数倍読みやすくはある。「男たるものは決して俺が真似をばしないがいい。孫やひこができたらば、よくよくこの書物を見せて、身のいましめにするがいい」と最後に書いたところを、如何に海舟はじめ子孫たちは読んだろうか。『氷川清話』には一方で少々馬鹿にしながらも、他方で「わが父は潔く、細かいことにこだわらずに鷹揚で、われに文武の業を教えるのに、徐々に勧め励ました」とあるを見ると、反面教師にしながらもその恩義を感じていることが伺える▼勝海舟といえば、私が思い出すのは、漫画家黒金ヒロシが語った勝海舟だ。4年ほど前にNHKで「未来をつくる君たちへ~司馬遼太郎からのメッセージ」というタイトルのもと放映されたものを覚えている。改めてそれのDVDを観てみた。黒金さんが両国中学の男女の生徒たち15人ぐらいと勝海舟の凄さを語り合っている番組だった。そこで、彼は、いかに海舟が「覚悟のひと」であったかを様々な側面から説いていた。マズローの人間の欲望についての5段階説やシュプランガーの学説を引きながらの解説はなかなか観させた。死の間際に勝が「これでおしまい」と言ったことを通じて、普通のひとが陥りやすい不条理感に囚われないためには、自分のために毎日を精一杯に生き抜くことに尽きると述べていたことが強く印象に残っている。小吉や海舟と鷹揚なところが似てなくもないわが級友の過ぎ越し方と、行く末を思いやる年末ではある。(2014・12・29)

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