Monthly Archives: 4月 2017

新たな政党間対立軸を求むー吉田徹『「野党」論ー何のためにあるのか』を読む

このところ自民党議員の不祥事やら不始末が目に余る。防衛大臣や法務大臣の危なさが人の口の端に登らない日がなかったと思いきや、震災復興担当大臣の被災地をめぐるおかしげな発言が相次ぎ、遂に辞任に発展した。一方で、政務官の二重婚とも思われる事件が発覚。この人物は離党したが、とてもそれで済まされるとは思えない。北朝鮮の動きが極めて注目される事態があり、それに対応すべく安倍首相は踏ん張っているとのイメージが強いことは救いである。しかし、その首相も一皮めくれば、「森友学園」だけではない様々な疑惑が渦巻いているとの指摘が後を絶たず、長期政権に陰りが見えていることは否めない。こういう事態を前に野党は勢いづいてはいるが、とても政権を担って立つだけの信頼感が国民の間にない。最大野党・民進党に大物離党者が相次ぎ、世論調査での政党支持率は自民党の3分の1にも及ばず、他の3党にあっては何をかいわんやの状態が続く▼こうした状況下で昨年夏に出版された吉田徹『「野党」論ー何のためにあるか』を読んだ。野党の存在感が全くない今日、この本は大いに読むに値する(特に最終章)と思う。が、世間的には全く注目されておらないのは残念だ。著者は北海道大准教授で比較政治、ヨーロッパ政治を専門とする新進気鋭の学者。筆者のような世代にはある意味で「政治疲れ」が目立つ。政治の「あるべき論」を論ずるよりも、とにもかくにも「一つの政治選択をしたら直ちに断行する」方向に関心が向きがちである。これは55年体制下の政治が38年程続き、自民党一党支配から連立政治が余儀なくされた後、政権交代が起き、民主党政権が誕生。それが見るも無残な失敗で下野してしまった。そこへ一たびは失敗した安倍氏が再び登場して一転今度は強い首相を演じているから、過去との比較の中で、攻める側も守る側も妙な安心をしてしまっているかのように見える。つまり政治の現場に緊張感が欠如してしまっていると言わざるを得ないのだ▼筆者が政治家になった1990年代半ばの政党間の最も大きな政治的対立軸は、「大きな政府か、小さな政府か」であり、今もそれを引き摺っている。しかし、あれから20年程の歳月が流れ、もはや意味をなさないのではないか。著者は公的債務が留まるところを知らず、社会全体の貧困化が進む一方の今、そういう対立軸はまやかしにすぎないという。代わって登場すべきは「いかにして賢い政府を作るか」だ(これは今の政府は阿呆な政府だと言われてるのに等しい)、と。そのうえで、吉田さんは、「合意型争点」と「対立型争点」の二つの次元に分けて論じていて興味深い。詳しくはぜひ本書を読んでみて頂くしかないが、わたし的にはオーソリタリアン(権威主義)対リバタリアン(自由至上主義)という新しい対立軸(政治学者・キッチェルト)の提起に関心を持つ。正規雇用と非正規雇用とに分断化され、経済的、社会的格差が拡大するなかで様々な課題が惹起されているのに、旧来的な保守、自由、社民、共産主義といった政治的諸潮流は何も解決のカギを提起し得ていない。ここは残念ながら私などが依拠する中道主義も同様だと言わざるをえない▼権威主義と自由至上主義の対立軸というのは、「共同体を個人より優先させるべきと考えるのか、それとも、個人は共同体に優先すると考えるのかという、共同体ー個人の対立軸」であるという。正直に言ってこれが決定的かどうかは未だわからない。言えることはヨーロッパのような新しい対立軸をめぐってのダイナミックな論争が日本では全く見られないということだ。公明党は、自民党と連立政権を組んでそれこそ20年近い。政治の安定化に貢献してきたことは認めるのにやぶさかではない。しかし、与党自民党の弛緩しきった堕落ぶりと、野党第一党の腰抜けの体たらくを見るときに、ひたすら自民党に寄り添うだけでいいのかとの思いが募る。今回の震災復興大臣の後釜に相応しい人材は公明党には複数いると断言したい。こういう時に黙っていないで我々が担うというぐらいの声が出ていいのではないか。新たな時代の政党間対立軸にあっても積極的な問題提起を、中道政党公明党に望みたい。(2017・4・27)

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「おもてなし」の本質ーD・アトキンソン『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』を読む

世界文化遺産・国宝「姫路城」を訪れる外国人観光客が凄く増えたように思われる。かつて年間100万人を超える程度であったのが、いまでは200万人を有に超えている。その増えた分の相当部分は外国人ではないか、と推測する。中国、韓国、台湾など東アジアの人々は殆ど外見上日本人と変わりないが、青い目の外国人は容易に分かるだけに昨今の変化は眼をみはるばかりである。その人々が姫路城にやってきて果たして満足しているのかどうか。一人ひとりに訊くわけにもいかないので想像するしかないが満足度はあまり高くないのではないかと懸念している。それはこの城の持つ醍醐味をしっかりと分からなければ、ただお城に上るだけでは天守閣から眺める風景はあまり美しくない街並みが見えるだけだからである▼デービッド・アトキンソン『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』を読んでつくづくと感じたのは、日本文化の背景についてしっかりと説明することの大事さである。「おもてなし」という言葉が先行しているだけでは外国人観光客を満足させえないのである。東洋的、日本的なものの美しさや神秘性だけを満足せよといっても限界があることを意外に日本人は分かっていない。この人物は元ゴールドマン・サックスの金融調査室長で今は小西美術工藝社の社長。金融アナリストとして活躍するなかで、日本の伝統文化の魅力に惹かれ、国宝や重要文化財の補修を手がける同社に入り、今では伝統文化財をめぐる行政や業界の改革への提言を続けている。この本は3年前に出版されたものだが、ある自民党の大物政治家から推薦され、寄贈を受けた。雇用400万人、GDP8%成長への提言もさることながら、日本復活の秘策は「観光立国」にあり、という触れ込みに多くのひとが注目しているようだが、私も色々とヒントを得ることができた▼ここで、かれは「日本の文化財が単なる『冷凍保存のハコモノ』になってしまっている」ことを嘆く。たとえば京都の二条城に行っても、大広間に人形が並んでいても、それにまつわるドラマをはじめ詳しい説明がない。「畳は古く、ふすまや障子を外し、本来あるべき調度品もお花もない。中を拝観しても、そこで何がおこなわれ、どのように使われたのか外国人にはさっぱりわかりません」という。さらに文化財を見る場面で外国人が歩きスマホをしているのは、スマホを通じてネットでその文化財の詳しい説明を検索していることが多い、と。こうしたことを通じて、日本の「おもてなし」の究極の本質は、外国人に対して、日本文化の背景を解きほぐすことにあるのではないか、と主張しているのだ。なるほどと思いつつ、日本人ですらわかっていないことかもしれないのに、といささか暗澹たる気分になってしまう▼淡路島への船を通じての旅ー関空航路の開設に取り組む事業に関わる私としては、姫路城もさることながら、淡路島観光への外国人の誘客が気にかかる。今、中瀬戸内海、西瀬戸内海は沿岸各県の努力で、それ相当の好評を博しているようだが、東瀬戸内海の方は殆ど手つかずだ。今私たち関係者が考えている観光コースは、大阪湾から神戸港、明石港、姫路港を経て家島群島、淡路島といった島々への船旅である。ゴールとしての淡路島にはそれこそ伊弉諾神宮という日本の国生みの原点が存在する。これをどう外国人に説明するか。日本でもあまり理解されていない風があるのに。そのあたりに心を砕くことから全ては始まるということを、この本から強く考えさえられたのである。(2017・4・20)

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山と湖と、城と人とー柳谷郁子『エッセイ集 諏訪育ち 姫路にて』を読む

姫路にも全国各地からの出身者がいるが、長野県の方というのはあまりお目にかからない。まして諏訪地域となると珍しいように思われる。小説家であり、姫路の文芸誌『播火』の主宰兼編集長をされる柳谷郁子さんは、長野県岡谷市生まれで諏訪湖畔で育った。その諏訪湖の取り持つ縁で、私が尊敬する評論家の森田実さんと柳谷さんが交友を深められることになり、このたび『諏訪育ち 姫路にて』という柳谷さんのエッセイ集が美しい装丁のもと、第三文明社から出版の運びになった。本の帯には「大器、いま鮮やか」の見出しのもと、「柳谷郁子さんの作品を読むと心が洗われます。その美しい文章は諏訪湖の自然と姫路城の人造美が調和し、読者の心に響きます。大器、いま鮮やかなる作家が人間の真実を描いたエッセイです」とある。さすが森田実さん。思わず本を開き、読みたくなる評価の仕方に唸ってしまった▼主たる舞台が姫路とあって心ときめく内容のものが多いが、とりわけ「折り鶴」に心撃たれる思いがした。高校二年生の頃の柳谷さんの青春譜。変型三角関係とでもいうべき実らぬ初恋めいたエピソードが甘酸っぱく語られる。一辺の当事者が朝日新聞社の海外特派員、論説副主幹を経て、立命館大学教授から下諏訪町長となって活躍する姿が簡潔に描かれる。そして急転直下、急性心筋梗塞でこの世を去ってしまう(といえば、故高橋文利さんに違いない)。町内の小学生たちが折ったという献花の代わりの折り鶴。思わず眼がしらがうるんでくる。「参列者千人を超える町民葬の一席にひっそりと大きな旅行鞄を足もとに置いて、私もいた」「折り鶴をわが青春にも捧げて、私は『故郷』を歌う全員合唱に加わった」ー50年の歳月を経て、青春を共有したいとおしい友の死を悼む挽歌。その調べがリアルな映像と相まって目に鮮やかに、耳に痛くこだましてくる▼一方、柳谷さんの感性と私のそれとがちょっぴり合わない「よさこい祭り」にも触れておきたい。私は土佐の高知は大好きだが、あの「踊り」がどうも肌に合わない。お隣の徳島の「阿波踊り」の方がよほど好きだ。一言でいえば、型を持つ踊りの美しさと、型破りの奇抜さとを比べると、前者に惹かれてしまう。姫路では「ひめじ良さ恋まつり」なるものが立ちあげられて、年々人気を博しているという。そのテーマ音頭となっている『はじけたらんかい姫路』の作曲が娘さんの夫君であり、作詞が当の柳田さん本人と云えば、力が入るのは当然だろう。しかし、「『よさこいなんて何のこたあない、江戸末期のええじゃないか踊りじゃないか。末世の証拠や』とにべもなく宣われる(のたまわれる)」夫君の方に深く共鳴するのはいかんともしがたい▼姫路が生んだ最後の文士・車谷長吉。私とは同い年にして大学同窓と共通点もあるものの、全く生き方が正反対であった作家。その彼が晩年に書いた『灘の男』から始まる「泣いてからが」も大いに読ませる。喧嘩の強い男の話から一転して、ピアノの猛烈な練習で泣く孫娘に話は移る。その孫に対して「人はね。泣いてからが強いのよ。強くなれるのよ。いいから思いきり泣きなさい」と抱きしめながら励ます柳谷さん。先年、姫路で開かれたリサイタルで、桐朋音大で学ぶ彼女の天分豊かなピアノ演奏に接したばかり。トーク場面であどけなさが残る生身の姿をも見聴きしただけに、ついこちらも前かがみになってしまう。柳谷さんは、このエッセイの中で、未だ自ら書き得ていない本について、これからの意欲を散りばめて吐露されている。親しい友人であった故建部順子さんの弔辞に換える本。「灘の男」の故濱中重太郎氏の伝記。そして諏訪湖にまつわる小説などなど。それぞれの構想で、頭と胸はいっぱいのようだ。果てしないまでの旺盛な創作意欲には、ただただ圧倒されるばかりである。(2017・4・14)

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”される”身から、”する”側への変化ー加来耕三『日本史は「嫉妬」でほぼ説明がつく』を読む

嫉妬というものが歴史を動かしてきたことは、容易に想像できる。既にこの分野では傑作の誉れ高い『嫉妬の世界史』が山内昌之東大名誉教授の手になってから13年ほどが経つ。発刊されてすぐに読み、読後録も書いた。ゆえにこの度本屋で加来耕三『日本史は「嫉妬」でほぼ説明がつく』を見た時に、「二番煎じ」との思いを禁じ得なかった。しかし、前者に比して日本史への堀下げが深いかも、との期待感があって挑戦してみた。日本史を分かりやすく説明してくれる歴史作家として加来さんは定評もあり、期待はそれなりにあったのだ。だが、読み終えての印象は日本史といっても近代以前で終わっている分、物足りない思いが残る。尤も少し視点をずらし、嫉妬に翻弄されずに生き残ったり、それなりの役割を果たした名わき役に目を向けさせ、意外に面白い。その観点では役立つ▼私がこの本から参考にした一部は以下の点だ。嫉妬から逃れえた人物を戦国期の中から拾うと、前田利家、大谷吉継、本多正信の3人が挙げられる。一般的には、利家は「凡庸」、吉継は「悲運」、正信は「智謀」といった二文字が思い浮かぶ。しかし、三者三様にその人らしく人生を全うした勝利者かもしれない。利家は、「人間は例外なく、苦労すると謙虚になる」がゆえに、「他人に嫉妬されないようにするにはどうすればいいのかも世間智として理解でき」、「肝に銘じられるようにな」って「嫉妬を押さえられた」人物だという。外様最大の雄藩・前田家が江戸期にあって取り潰されなかったのは、利家以来の歴代藩主が「その言動に細心の注意をはらい、幕閣に嫌われないように終始へりくだった、成果といえなくもない」との見方は注目されよう▼吉継は顔面が潰れる奇病を持ちながら、同時代を生きた盟友・石田三成と並ぶ才能を賞賛された。しかも三成と違って、敵、味方の双方の周囲から嫌われず、嫉妬もされなかった。病気が原因でひとの同情を買ったという側面はあるものの、それだけではなく、「身を一歩下げる、名誉欲を捨てるという」手法や、「人気取りをしない、上位への栄達や野心をまったく示さない」との生き方をしたことである。嫉妬されない極意として、「まるで自らの足跡を消しながら働くように、決して自らは表に立たなかった」というのは凄い。正信もこれに似た生涯を送ったとされる。いかに家康から加増を持ちかけられても決して受けず、「敵と味方を選別し、外からの妬み嫉みの攻撃を、内の守り=文治派の盾で防ぐ工夫もしている」し、徹して周囲への警戒心を怠らなかったようだ▼翻ってわが身と嫉妬という問題に少しだけ触れてみたい。他党と違い実力でのし上がるというよりは「出たいひとより出したいひと」との側面が強くあって、公明党の場合、政治家の候補として地域から選定される。今でこそ高学歴、特殊な才能、鋭い頭脳やら爽やかな面相などの多彩な付加価値を持った候補者が林立する公明党だが、私はほぼ例外中の例外だった。殆どなきに等しい付加価値しか持たず衆議院議員候補に選ばれた。「なんであいつが」との嫉妬の目線は痛いほど感じた。しかし、幸いなことに闘いのさなかには少しづつ消えて行った。有難いことだった。自分的には、使命への一途さ、感謝の一念をひたぶるに燃やしたつもりだ。初っ端の選挙で落選の憂き目をみたことも大きいに違いない。「落ちたのはかわいそう」「今度こそ」との思いを抱いてくださった方々が多くおられたのは嬉しい限りだった。もう30年も前のことになるが、嫉妬されることから闘いは始まり、苦節5年の末に当選してからは、一転自らが嫉妬することとの戦いとなった。この辺りは、また別の機会にしたい。(2017・4・3)

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