(200)ひとり一人が繋がることの大事さー山折哲雄『「ひとり」の哲学』を読む

人間の孤独について考え抜き、深い関心を抱く友人から、「自分はもう読み終えたのでいらないから」と言われて本を貰った。山折哲雄『「ひとり」の哲学』である。「親鸞、道元、日蓮、一遍らの生きざまを振り返り、日本思想の源流ともいえる『ひとりの覚悟』ともいえるべきものに光を当てる」という触れ込みだ。その友人はあまり中身に感じ入るところはなかったようだが、恐らく私なら仏教に関心を持っているだけに、読みたいと思うに違いないと見込まれた。有難いこと。ざっと読ませていただいた。それなりに勉強になった。だが、ひとに勧めようとは思わない▼私は19歳で日蓮仏教の門を叩いた。いらい職業としての新聞記者、政治家の道は歩んだものの、創価学会ひとすじの人生である。尤も、前期青年期ともいえる15歳あたりから19歳までに思想遍歴めいたものはないではない。高校時代に倉田百三『出家とその弟子』をかじって親鸞に興味を抱き、友人の勧めで「財団法人天風会」に入り、創始者・中村天風に傾倒したことも。これはヨガの哲学めいており座禅を組み無念無想の境地に入るところは禅宗に似ている。天下に遍く知られているように、日蓮は鎌倉時代に「四個の格言」を表明し、念仏は無限地獄に陥り、禅は天魔の所為であると断定した。鎌倉時代に支配的だった宗教(他に真言、律宗)について、その思想的位置づけをしたわけだ。なぜそういえるのかと、私も「格闘」し続けたが、ここでは触れない▼山折さんは、ひろさちや氏らと並んで仏教を現代にひろく整理し紹介する水先案内人の役割を果たしている。ここではドイツの哲学者カール・ヤスパースのいう「基軸の時代」のひそみに倣って、日本の鎌倉時代における宗教者たちの”乱舞”を対比させている。紀元前800年から前200年の間に、中国やインド、西欧世界に次々と哲人たちが出現、人類最大の精神変革期を形成したが、日本では、親鸞、道元、日蓮、法然、一遍らが登場した13世紀がそれにあたるというわけである。さらに山折さんは、これらの宗教者たちは「その生涯においてひとりで立つ気概をみせ、ひたすらひとりの命に向き合い、その魂の救済のために献身し、語り続ける人生を送っていた」とする。この流れは近代日本の夜明けに一人立った福沢諭吉へと行きつくわけだが、この書では殆ど掘り下げてはいない。前記の鎌倉の巨人たちを追うために旅にでて足跡を探るなど、いかにも売れっ子の本づくりの常とう手段めいていて安易な匂いがする▼彼が言わんとするところは現代日本人に垣間見える「ひとり」や「孤立や孤独」を嫌う風潮だ。確かに「自助・共助・公助」はひたすら助けを求める構図であって、自ら一人立って立ち向かう意図を感じさせない。なにかにすがろうとする柔な姿勢そのものである。福沢の言った「独立自尊」の気風はひたすら影が薄い。現代における「つながる」ことの魅力に触れていないのも物足りない。独立、自立なくしてただ群れるだけであってはならぬ。尤も、ひとり立ったひとびとが相互につながるときの力たるや壮絶なものがある。今、世界中に日蓮仏法の系譜を受け継ぐ人々がSGI運動に嬉々として馳せ参じている姿には眼を見張らせられる。親鸞や道元の流れは「ひとり」に寄り添うものではあっても、日蓮の「ひとり一人」を強力に繋げ束ねる力には遠く及ばない。鎌倉期の宗教者たちの現代世界への影響力に、つい思いをはせてしまった。(2017・2・25)

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