◆級友の大著を前にしばし考えたこと
大学を卒業して50年。2年ほど前に、その年の新入生を祝う入学式(4月1日)に、半世紀前の卒業生として参列した。毎年恒例になっている行事だが、ついにその順番が私たちにも回ってきたのである。級友・小此木政夫君はこの道50年の名だたる朝鮮半島問題の専門家であり、我が母校の名誉教授である。その日一緒に臨んだ懇親の場で、彼から『朝鮮分断の起源』なる書物を前年秋に出版したことを聞いた。
読まねばと思う一方、某国立大の教授が「小此木批判」を様々な著書で展開していることが頭をよぎった。彼にこれをどう考えるか、と思い切って問うたところ「そんなの知らないよ。彼はなぜ人のことを批判するんだろう。この本を読んでからにしてほしいよ」との返事がかえってきた。ということで、その著作を私も読む羽目になった。
600頁に迫る大著であり、金額もはるゆえ、図書館で借りて読むことにした。地元の図書館で購入を希望したが叶わず、神戸の図書館から融通して貰うことで折り合いをつけることになった。通常のケースとひと味違う、朝鮮問題専門家同士の軋轢の〝因縁探し〟の試みとなり、それはそれで面白い経験ではあった。
この書物は、全部で6つの章からなるが、5章までは過去に書いたもの(全て慶應義塾大学の「法学研究」所蔵分を部分的に手直し)が集められており、第6章と、プロローグ、エピローグだけがこの出版に際して書下ろされている。各章ごとに、「はじめに」と「おわりに」がつけられている。しかも、「はじめに」では、こと細かに著者の問題意識が、門前に市をなすかのように、次々と掲げられていて、とっつきにくい専門書にしては口当たりは悪くない。今回の出版に当たっての著者自身の意気込みが強く感じられた。
朝鮮分断の起源は、ずばり「国際政治の産物」である。米国は戦後、朝鮮に四大国による信託統治を設定しようとしたが、それは同国のルーズベルト大統領にとって、「理念の世界と現実の世界を調和させるための試みだった」。しかもその試みの政策的核心は「ソ連との共同行動」にあった。それゆえ、米国との共同行動を是とせず、南北統一管理よりも「北」に自国に有利な橋頭堡を作りたかったソ連の思惑が常に災いせざるを得なかった。結局は「米ソ間の政策対立の深刻化が朝鮮分断を促進した」ということになる。
◆朝鮮戦争の始まりをどう見るかという論争の火ダネ
読売新聞の書評欄でこの本を取り上げたある国際政治学者は、米ソ対立的側面に加えて「アメリカの理念主義的アプローチと朝鮮『独立政府』に対する懐疑こそが現在の朝鮮半島の構図を導いた」としている。そして、小此木氏の「内戦はいずれにせよ避けられなかった」との見方を提示しており、中々興味深い
著者はあとがきで、「日本海軍による真珠湾攻撃から始まった本書の記述は、米ソ冷戦が開始され、1946年5月に第一次米ソ共同委員会が決裂した時点で終了している」ことについて、「さらに一章を執筆し、米ソ対立の拡大、左右合作と単独政府論、そして南北協商など朝鮮半島に二つの国家が成立するまでの歴史を見届けるべきであったとの悔いが残らないわけではない」と正直に述べている。わたし的には、さらにもう一歩進めて「内戦の起源」にまで立ち至って欲しかったと思われる。それこそ、先の教授が小此木批判の根底に据えている問題━━朝鮮戦争の始まりをどう見るかに関連するからである。
その人物は韓国批判の急先鋒であり、西欧哲学にも視野を広げる碩学である。一方、小此木氏は同半島に一貫して穏健な見方を提示し、この分野における少なからぬ弟子を輩出してきている名伯楽だ。私からすれば、いずれ劣らぬ名優であり、盟友でもある。二人の諍いは面白くなくはないが、座りは良くない。
ある新進気鋭の学者から「日本現代史に関わる重要な展開を詳らかにした著作として確実に時代に残っていく」と称賛されたこの本について、批判する側の角度を改めて聞いてみたいものである。ともあれ、畏友がものした大著を前に、大学同期の〝散った桜〟として、未だ〝残る桜〟に思うことは少なくない。
【他生のご縁 対談電子本『隣の芝生はなぜ青く見えないか』を出版】
小此木政夫さんと私の間には、電子書籍による共著があります。『隣の芝生はなぜ青く見えないか』です。70歳の古希を記念し対談したものを「キンドル」でまとめました(他に小中高5人の友とも)。小此木さんの知られざる青春の一面も私が聞き出しており、面白い中身となっています。朝鮮半島に関心を持つ多くの人に読んで欲しいと思っています。
卒業50年を祝って同級生たち有志で小此木さんの案内で韓国に行こうとの計画があったのですが、コロナ禍で敢えなく潰えてしまいました。残念なことです。共に卒業50年を経て、遥けくも歩んできたとの思いもするのですが、朝鮮半島研究にその身を捧げてきた彼にとっては、いよいよこれからとの思いも強いはずです。日本の「政治改革」に取り組んで来た私としても、未だ我が意叶わずとの思い強く、これからに執念を燃やしています。