副題の「成功と失敗の歴史に学ぶ」と、帯にある〝基本が身につく14講〟に惹かれて購入した。山内昌之氏と細谷雄一氏の編著による『日本近現代史講義』である。最も面白く読めたのは、序章の山内氏による「令和から見た日本近現代史」。第2章も著者の率直さが気に入った。あとはいささか平板であり、気合いが入っていないと言わざるをえない。どうしてそういうものが多いのかと疑問を持った。「おわりに」を読んで、合点がいった。自民党本部での「歴史を学び未来を考える本部」での講義(2015-12〜2018-7)をもとにまとめたものだからである。「(日本の政治家が選択してきた道を)虚心坦懐にそのような過去の軌跡を学び、政治家がどのような選択を行ってきたのかを知ることが肝要だ」と、いみじくも細谷雄一が、あとがきで書いているように、これは入門編であって、「よりいっそう深いもの」「よりいっそう視野の広いもの」となることは今後の課題とされている▼それでも興味深かった章は、序章と1章、2章の三つがあげられる。特に序章の山内昌之の論考は実に魅力に溢れている。かつて私が師事した永井陽之助先生の筆致を思い出せるが如く、古今東西の歴史を自在に掘り起こしつつ、巧みな比喩で鮮やかに比較し、手際よくさばく。この人の手にかかると、平凡な具材を使って美味しく味あわせる料理人を彷彿とさせる。近現代の歴史解釈における誤解の一つは、日本にはこれまで国家戦略がなく、日本人には戦略的思考がないというのは不幸な思い込みだとしているところは惹きつけられた。むしろ「日本人は戦略下手どころか歴史的にすこぶる高度な『戦略文化』を駆使してきた」(エドワード・ルトワック)との引用まで持ち出している。そう、この400年における「完全な戦略的システム」を作り上げてきたリーダー・徳川家康を礼賛しているのだ。家康と江戸時代を再評価する向きは近年少なくないが、山内氏も「稀有の軍人政治家」として「総合力」を評価し、カエサルやナポレオンに勝るとも劣らないかの如く持ち上げているのは実に新鮮な印象を持つ▼また第1章の「立憲革命としての明治維新」は著者の意図とは別に、今の憲法論議を想起しつつ読むと興味深い。「明治における立憲体制の確立は世界史的な意義を持って」いるとして、「これから立憲制度を導入しようとする国」や、「制度は導入したがうまく機能していない国に対して、何がしかの助言ができる立場にある」と述べている。確かに明治維新とその後の国作りはそれだけの「知的資源」を有している。だが、それからほぼ半世紀後における敗戦時の憲法の作られ方および、70年後の今に至る憲法に対する日本人の向き合い方は、およそ「知的資源」を感じさせないと言う他ない。この章を読みながら、改めてつい先程私自身が産経新聞のインタビューで答えたあれこれのことを想起せざるをえない▼また、第2章の「日清戦争と東アジア」も極めて刺激的だった。「朝鮮戦争がまだ正式に終戦を迎えていない」現状において、「日清戦争はいまなお、終わっていない」とする捉え方は、日中間の現状を見るにつけても示唆に富んでいる。著者・岡本隆司氏が「歴史的な『相互理解』の欠如を」あげているくだりは、率直な物言いで好感が持てる。「その言動(大陸と半島としているが、中国と朝鮮半島に違いない)が往々にして理解できない。これはいま現在だけではなく、歴史を読んでみてもやはりそうなのであって、極端にいえば、勉強すればするほど、わからなくなる、という世界である」という。加えて「けっきょく本章は、歴史を教えている教師が、歴史にもっと目を向けて欲しい、というごく平凡な願望の吐露に終わってしまった」とも述べている。歴史を学びつつも、現代国際政治や国内政治を追ってきた我が身を振り返るとき、ふと無駄なことに人生をかけてきたなあとの寂寥感を持つ。国家の興亡などを追っても意味があったのかと。
【山内昌之さんの数多の著作で、私は『嫉妬の世界史』のような、歴史と文学のはざまを射抜くようなものが大好きです。『鬼平とキケロと司馬遷』などのタイトルは見るだけで、中身を見ぬうちにぞくぞくしてきます。上記文中にも書きましたが、私が大学で謦咳に接し、深く尊敬した永井陽之助先生にも迫る面白さが漲っています。
現職時代の後半に、英語通訳者として有名な田中祥子さんのご紹介で、山内さんと会食の機会に恵まれました。田中さんとは厚労副大臣としてベトナムに派遣された際にお世話になっていらい、今に至るまで親しくお付き合いさせていただいています。作家・ロシア語通訳者としても著名だった故米原真理さんの親友だったり、職業柄多くの文化人とも親しい方ですが、とりわけウマが合うのが山内先生だと言われ、直ちにせがんだしだいです。本当に楽しい夜でした。(2022-5-21)】