(341)3-⑥ 虚実ない混ぜあの手この手の小説作法━━諸井学『神南備山のほととぎすー私の新古今和歌集』

◆ヨーロッパ・モダニズム文学を先取りした「新古今和歌集」

 鎌倉時代の初期に後鳥羽院のもとに6人の選者たちが集められて編纂されたのが新古今和歌集(そのうちの一人藤原定家が百人の和歌を一首づつ集めたのが「百人一首」)というわけだが、これまで殆ど無縁できてしまった。そこへ、姫路の同人誌『播火』の同人・諸井学さんが『神南備山のほととぎすー私の新古今和歌集』なる本を出版したというので、読んで見た。

 彼の作品は『種の記憶』『ガラス玉遊戯』の2冊を読み、既に読書録でも紹介してきた。その後、『夢の浮橋』という題で、和歌文学の真髄に迫る素晴らしい論考を同人誌上で三回に渡り連載され、今も続行中である。私はこれに嵌っており、この度の新刊(過去に同人誌で発表したものを再編成)にも、深い感動を覚えている。毎日新聞の書評欄に推薦をしたことで、私の入れ込みようが分かって頂けよう。

 諸井さんの主張は、新古今和歌集は、ヨーロッパのモダニズム文学の手法を800年前に先取りしていて、「世界に先駆ける前衛文学である」ということに尽きる。この本は年譜を冒頭におく奇策を講じる一方、長め短め取り混ぜ、凝りに凝った手法を講じた12編の小説が並ぶ。どこから読むか迷う。四番目の「六百番歌合」が語り口調もあって読みやすい。そこでは、「春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空」という定家の傑作を噛み砕いており、そのくだりが圧巻である。

 一見、春の歌に恋の世界を重ねただけの単純な情景を歌ったものと、受け止められる。しかし、その背後には、漢籍における物語詩や故事を踏まえ、源氏物語の最後の巻を連想させるという企みがうかがえる、と。著者は「この連想による複雑化、そして『春の夜』『夢の浮橋』『峰』『横雲の空』と断片をちりばめるフラグメントの技法は、まさしく現代のモダニズム文学の手法」だとすると共に、「たった三十一文字の短詩の中に、定家は詰めるだけ詰め込みました。T・S・エリオットなど足元にも及ばぬといったら言い過ぎでしょうか?」とまで。

◆『後鳥羽院』との時空を超えた対談の妙

 著者のこの文学的スタンスは、丸谷才一のものと共通する。表題にある「神南備山のほととぎす」(第9話)は、この著作のメインストーリーでもあるが、実は〝師を乗り越えた弟子〟の趣きなしとしない秘話となっている。簡単にいえば、第8代の勅撰集となる新古今和歌集が完成の直前になって、過去の7つの中に重複しているものがある(山部赤人作が『後撰和歌集』の中に)と判明。さてこの誤りをどう取り扱うかという話を小説仕立てにしたものである。

 実はこれ、丸谷才一『後鳥羽院』が創作のきっかけとなった。この本は初版と二版で大事なところの記述が違っているという。初版での「詠み人知らず」が二版では「山部赤人」に、更に「古歌集」が『赤人集』にすり変わっているのだ。これに諸井さんは気づいた。彼はそれを後鳥羽院との時空を超えた対談という驚くべき形式で、事細かに明らかにしているのだ。「初版の言説を第二版で翻しておきながら、そのことをどこにも断っていない。極めて不誠実です」と手厳しく後鳥羽院を(勿論、現実的には丸谷才一を)責めているのである。未だ読んでいない人にこのあたりは小むづかしく聞こえよう。著者にとってはここが肝心要。まさに鬼の首を取った感なきにしもあらず。(だから、勘弁してあげてほしい)。

 諸井さんはこの本において、呆れるほど様々な実験的手法を試みている。「六百番歌合」は私も知っている姫路の公民館での見事な迫真に満ちた講義録だ。‥‥と思わせたが、架空のもの(臨場感溢れる絶妙の面白さ)だった。「鴫立つ沢」はラジオ番組のインタビューという形式をとっているがこれも創作。他にも「民部卿、勅勘!?」では、なんと、現代生活の中に「平安日報」なる新聞を登場させ、定家らの動静まで掲載する。また、「草の庵」には実在しない女房を登場させたうえ、「美濃聞書」なる史料を創作し、長い注釈を加えた。

 ありとあらゆる手法を駆使して「新古今和歌集」の実像に迫っている。これでは、紀行文の形を取っている「隠岐への道」(最終話)も、怪しい(と思ったが、これは事実だと後で分かった)。まさに虚実ない混ぜにした、騙しのテクニック満載なのである。国際政治学という学問を愛する私には「殺すより盗むがよく、盗むより、騙すがよい」とのW・チャーチルの国際政治の本質を突いた言葉が印象深い。騙し上手は政治家、嘘つき上手は小説家が通り相場だが、さてさて諸井学という人は?

【他生のご縁 2足のわらじで2種の森林に分け入る】

 諸井学というペンネームは、どこから来ているのでしょう。あのサミュエル・ベケットの『モロイ』に傾倒し、学びたいというのが由来なのです。日本古典文学からポストモダンに至るまで、この人の文学への造詣が広く深いことに驚きます。

 名工大を出て家業の電器店を営みながら小説を書き続けてきました。先年姫路で著名な文学賞を受賞。2足のわらじで、2種の森林に分け入る試み。70代半ば。いよいよこれからの人なのです。

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