「日本共産党」と聞くと、今や懐かしさが漂ってくる。かつては嫌悪感ばかり強かったのだが。1960年代半ばを大学で過ごした者にとって、共産主義の浸透はリアルだった。外に、ソ連によるドミノ倒しの脅威が人々を〝反ヴェトナム戦争〟市民運動に駆り立て、内には民青から、中核、革マル派など新左翼に至る学生運動の跋扈が迫ってきていた。「体制変革」よりも「人間変革」こそ、迂遠に見えて根源的な社会変革に繋がると確信した私たちは、創価学会の池田先生による「人間革命」運動に挺身した。東京中野区で過ごした私の学生時代は、選挙のたびに日共との間でのポスター、チラシをめぐるいざこざに翻弄されたものだ。区内各所で日共の輩から公明党を守る動きに多くの時間を費やしたことも〝いまは昔の物語り〟だ▲この間に50-60年の歳月が流れた。ソ連は崩壊し、共産主義を真面な意味で標榜する国家は殆ど消えてなくなった。大学における学生運動ももはや表面的には姿を消し、共産主義をめぐる風景はまさに隔世の感がする。しかし、日本の政治にあって「日本共産党」は、しぶとく生き残っている。いや、それどころか性懲りもなく野党連合政権の中核としての役割に執心しているのだ。それを可能にしている背景には、野党と呼べる政党存在の希薄さの中で、唯一昔ながらの〝歴史と伝統〟を誇る存在が日共しかないことにあろう。そこへ過去30年というもの日本の政治を振り回し続け、今やほぼ〝たった一人の反乱〟の主役となった感が強い小沢一郎氏が、あたかも〝用心棒〟役を果たそうとしているのだ▲この構図は要注意であり、決して侮ってはいけないと思っていた矢先に興味深い本が出版された。『ガラパゴス政党 日本共産党の100年』である。著者は、柳原滋雄氏。元『社会新報』記者も務めたジャーナリストだ。1965年生まれというから〝日共の全盛期〟を直接的にはご存じない世代の書き手である。だが、それ故にといっていいかもしれぬ新鮮なタッチで、過去から今に至る日共の実像を次々と浮き彫りにしている。「詐欺商法」のレベルにあるとんでもない政党であることを鮮やかに暴きだす。日共という存在の実態を知らずに、表向き見えるかりそめのブランディングの役割に期待していると、かつて庇を貸して母屋を取られた京都の某党のようになる、と警告を鳴らしている。今に生きる多くの人に読んで欲しい▲末尾に、日本共産党の「綱領の変遷」が付け加えてあり、大いに参考になるのだが、この本を読み終えて一つ気になることがある。それは、主要参考文献が100冊を超えて5頁にわたって紹介されているが、その中に公明党機関紙局の『憲法三原理をめぐる 日本共産党批判』(1974年)が見当たらないのだ。公明党は日共との「憲法論争」で完膚なきまで同党を打ち砕いた。贔屓目なしにこれが日本政治史に燦然と輝く偉業であることは論をまたない。かなり大部なので、一般読者には馴染みがないのは無理ないと思われるのだが、柳原氏にはここで挙げて欲しかった。公明党関係者として残念という他ない。エピローグで知ったのだが、この本は雑誌『第三文明』に連載されたものだという。『第三文明』といえば、かつて公明党の市川雄一書記長が『共産党は変わったか』(2004年10月号)とのタイトルで書いた連載(五回続きの最後)を読んだことがある。市川さんは、日共との憲法論争を指揮し、自ら筆を取ったことでも知られる。『第三文明』社には、この論文をベースに市川さんに加筆再構成して貰い出版されていたら、大いに読ませるものになったのに、と惜しまれる。(2020-10-23)